・ブログ「オネミリエ」(daktil名義)
・twitter出没度:極低
・えろすけ出没度:ベテラン
vostokさんのサマリー ErogameScape-エロゲー批評空間-
【傾向】二律背反とロシア
謎のお人です。余計なことは決して喋らないし、TLの騒ぎにも顔を出さない。また、書かれるテキスト(レビュー)も、作品分析をするよりも、作品と自分との関わりあいかたについて、叙情的にお書きになられます。
しかし作品分析だけに限っても、vostokさんが超綿密な作品の読み込み、分析をこなせる方だというのは、そのプレイの深度からいって明白です。だのにしない、というのは……vostokさんが以前自分に対して仰ってくださった言葉、
「情景」や「感慨」については、自分は少ししつこすぎるかなあと思うところもあるのですが、学術論文ではなくブログの形で文章にすることの根拠でもあるので、ゆるがせにしないようにしたいと思います。(中略)僕個人がやるべきなのは自分個人と作品の間で起こることに向き合うことなのだと思い込んで、自分が学問の道から脱落することを肯定(あるいは正当化)することにしました。言葉は不完全なもので、イメージを膨らませることもありますが単純化することもある。単純化して自分の好きなものを殺してしまわないようにするためには、自分の知っている感覚、個人的な情景や感慨に結びつけるのが分かりやすい選択肢です。――「オネミリエ」[少女]Pretty x Cation コメント欄より
を今さらのように思い返すのです。
vostokさんの現在のスタイル……ある種私小説的、といってしまったら大変薄っぺらい叙述になってしまうのですが、「自分個人と作品の間で起こること」について、どこまでもご自身が感じたままに、ご自身の心象スケッチを描き続ける様は、わたしにとって……「静かなひと」という印象をあたえます。
少なくとも、そのような態度、佇まいが、人に対してリスペクトを覚えさせるものであるのは、事実です。例えば、えろすけさんでの、マルセルさんとの長文のやりとりだったり、Sek8483さんとの長文のやりとりだったり、あるいはわたしとの長文のやりとりだったり。
vostokさんは多くの人々の中でワイワイする方ではありませんが、vostokさんとお話ししたい、と思ってレスするひとは、わたしが見る限り、マルセルさんも、Sekさんも、そしてわたしも、皆vostokさんに静かなる敬意を払っています。どういうわけだか、vostokさんとお話するときは、静かにお話ししたい。……それは、まぎれもない敬意なのでしょう。
恐れているわけではないのに。怖いわけでもないのに。ただ、自然とリスペクトがある。それは……分析するのも無粋ですが……残響個人の考えを申すならば、vostokさんが静かにご自分を律し、日々を丹念に生き、言葉を丁寧に紡ぐ、レビュアーとしてのお姿……いや、大仰しい言い方になるのを承知で言いますが、ある種の「文学者」としての佇まいに、リスペクトを抱いてしまうのです。
(だからこそ、残響が以前ロシア関係の仕事をちょいとすることになって、vostokさんのお知恵をお借りしたことがあったのですが、大変恐縮しました。今もしています)
じゃあ清廉潔白なお人か、というと、いや誠実な方だというのはもちろんなんですが、同時に、内にカオスを抱えたお方でもあると思います。
vostokさんのお名前をはじめて残響が記憶したのは、マルセルさんの「ワンコとリリー」レビューでの、このお二がたの長文レスしあいなのですが、そこでマルセルさんは、vostokさんのことを
「プラトーノフというソ連/スターリン時代における最高のユートピア作家(餓死寸前の共同体に逆説的に理想を夢見る絶対零度のユートピア小説「土台穴」は超傑作)を読みながら抜きゲレビューを書いてしまう、個人的にはエロ助10超人の1人だと思っている、vostokさん」
とまず仰っています。
わたしはしかも、その後のvostokさんの、ウィンタース「KISS×」シリーズレビューや、ブログでの「瀬里菜」レビューなどを読んでいると、途方もないカオスをvostokさんはその内に持っておられる、と驚愕します。
丹念で清廉な文章と、内に潜むエロス性や薄暗がりや文学性への親近的なカオス。この二律背反が、vostokさんというエロゲーマーの、得がたい個性だと思うのです。
この二律背反がどこから来ているのか、と考えたら、やはりvostokさんのご専門の「ロシア」ということになるのでしょうな。あるいは、二律背反があるからこそ、ロシアに魅せられるのか。
vostokさんはロシア文化、ロシア音楽、ロシア語、ロシア文学について、学者並、いやそれ以上のご見識を備えていらっしゃいます。ついにはこの別館ブログで日本オタ文化ロシア発信をする始末。
ロシアとは、「カラマーゾフの兄弟」を鵜呑みにすれば、「極端から極端へといく」「清廉さとカオスが共存している」風土、文化だといいます。執拗なまでにロシアに魅せられ、ロシアとの関係性深いvostokさん。
……以上のことは、この「諸子百家」のいつものごとく、残響の勝手な推量が多いです。でも、vostokさんの静かな佇まいは、残響にとって、いつも静かなリスペクト、影響を与えているのです。vostokさんの文章、ブログを読むことは……日々の喧騒のなかではしたくありません。静かに、自分のなかにもぐって行きたいときに、読みたい文章です。
……あ、これは私信なんですが、ライアーの「帝都飛天大作戦」のレビュー、遅れていて、狼少年ぶりがひどくて、すいませんーーー!(ほら、ここですでに残響の馬脚が!)
(事実誤認、記事取り下げ要求などありましたら、ご遠慮なく残響まで)