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ビルドファイターズとオリンピック(2)/第十九話「アストレイの刃」感想

●確定済みの勝利……に価値はあるのか?



ビルドファイターズ第十九話「アストレイの刃」感想

前回の記事で、友人(にして、漫画読みを共に研鑽しあうある種の好敵手、といったら僭越かしら)の義実たかさんに、コメントをいただきました。(ありがとうございます!)

わたしがムカつく「勝利至上主義の大衆型スポーツ観戦」は、やはり同じようにムカつく……というか、氏は意味がわからない、と。
ベストバウトを称えることが競技の目的ではないのか、
お気にの選手に感情移入することが勝負の目的ではないのか、
的な視点から。

極めてまっとうな視点と思うのですし、わたしも同感ですが、世はその理屈で通ってないようです。
そればかりか、その形のスポーツ観戦を利用して、ひとつの「代理戦争」みたいに仕立て上げている様など、まあイヤラシイ、と言わざるを得ませんっ! ナショナリズム、国威高揚? 誘致合戦、負けた奴は国賊? 
大概にせいよ、オリンピックの、スポーツマンシップの精神はどこへ行った……ええ、恐らく近代オリンピックはそれを「建前」にして、鼻ほじりながらスポーツマンシップを称揚しているのが現状でしょう。
「鼻ほじりながらでも言えるスポーツマンシップ
スポーツマンシップのもとに、twitterとかで好き勝手に、【本気】の選手を断罪できる大衆システム」
それが、現在の有形無実化した「スポーツ」精神です……と、スポーツ「非」プロパーの視点から、ここまで見られていることに、スポーツ界はもういい加減気づいてもいいと思います。

ビルドファイターズの「ガンプラバトル」は、制度確立から10年。若い競技です。例えるなら、今回冬季で新しく加わったハーフパイプスロープスタイル(スキーやスノボの、あのパイプ使ったやつ)のようなものと言ってもいいです。
そこには、まだ長い歴史がないぶんだけ、逆にある種のすがすがしさが見受けられました。
確かあれ、Xゲーム発祥ですよね? あの手のエクストリームスポーツが、「ガチバトル」「世界の華舞台」にのしあがったこと、これは見ていて気持ちがいいです。
変な書き方になりますが、「型にはまってない」ぶんだけ、選手の本気度が見られます……その分だけ、相当危険ですが。ある時なんか、異様な角度で雪面に落下して、選手動かなくなって、担架で運ばれていきましたから……

切った張ったの世界を「おもすれー」とだけで言うのは、限りなく下品ですが、
それでも、血がたぎるものはあります。「お膳だてされていない、勝負」というものの。
ガンプラバトルも、これに通じます。


さて、ここまでの話は、今回の話にあまり関係がなく(笑)
だったらすなや、と言われそうですが、すべてアドリブで書いてるんで……それがブログ道だっ!(嘘)
義実さんが「?」とし、「あまり品がよくない」と仰った大衆型スポーツ観戦(と、とりあえずは名付けます)には、いくつかの決まり文句があります。

「前回2位だったから、今回も2位いけるいける!」
「前回ランク外? 最高16位? クソじゃん!」
「前回メダルなら、今回もとって当然!」


バカ発言の数々!
「あらかじめ決められた勝負」なんて、誰がやって/見て、楽しいねん!


これの下品さを、「確定済みの勝負」問題と呼びます。わたしの中で(え、お前だけ?)

勝負の素晴らしさであり、残酷さであり、意義であり、やっぱり素晴らしさというのは、この「ライヴ感」であり、「不確定」であります。
どんな素晴らしい選手でも、当日やたらと腹痛になり、棄権することもあります。
アレな結果しか最近残してない選手でも、ここ一番の「ふっきれ」により、覚醒することもあります。リアル種割れ!(シュパーン)

「それ」を見たいから、我々はスポーツを見るんじゃないんですか?
「その不確定」にすら敬意を、関心を払えなくなったら、勝負って意味なくないですか?

もちろん、「大衆型スポーツ観戦」が、「大規模ストレス解消」とセットになってることはわかっています。
そのストレス解消が、結局は国威高揚というか、明日の経済というか、明日の日本人のメンタルヘルスに寄与する、みたいな。

だが、もちろんのこと、「ストレス解消」と「勝負の醍醐味」とは、本質的には、お互い、知らんガーナ共和国であることは言を待ちません。


わからないからこそ、楽しいのです。

それを「なんかわからないから、過去のデータでわかったフリしとこう」というのは、どれだけ、勝負の不確定/一回性に賭ける選手への、侮辱か!
さらに言えば、このあたりの「わかったフリしたい」というのは、「俺、わかってるし? スポーツよく知ってるし?」の自慢大会であるので、さらにタチが悪い!
そして……その「自慢大会」は、結局「大衆型スポーツ観戦」を補填する……否、これもまた、「大衆型スポーツ観戦」の一環なのです。そういうふうに、螺旋をかいて、循環しているのです。「確定済みの勝負」というものも!


だから、今回、ニルス君の発言に、セイ君はキレた。
あのセイ君が。


●勝負を捨てること



学問の徒、ということでいえば、わたしはニルス君の立場がわからんでもないです。
まして、「手段を選ばない」というのも、わたし、結構好きです。
さらに、ニルス君は、「科学のため」といいました。それはほぼイコールで、「世界平和のため」「人間のため」でもあります。

あ、すいません、ニルス君、今回なにしたか、これじゃわかりませんよね。
あらすじから引用します。

第19話「アストレイの刃」

セイ、レイジ組の次なる対戦相手は、アーリージーニアスの異名を持つ若き天才、ニルス・ニールセン。プラフスキー粒子を応用した武装と技を繰り出す戦国アストレイは、間違いなく強敵だ。バトル前夜、そのニルスがセイとレイジを呼び出した。彼はセイたちに言う。「キミたちに聞きたいことがある。それを教えてくれたら、バトルを棄権してもいい」と。そのニルスの言葉に、温和なセイが激昂する。「キミの作ったガンプラはすごいよ。でも、ガンプラバトルをバカにしたキミに、僕たちは絶対に負けない!」 互いに譲れない想いを抱いてのバトル……そして、ニルス操る戦国アストレイは、隠していた奥義をついにさらけ出す!


まあ、ガンプラを「おもちゃの遊び」呼ばわりしたのは……まあ、ガンプラっておもちゃなんですけど、それはそれ、これはこれ、です。
むしろセイ君が憤っているのは、「競技に参加しておきながら競技をリスペクトしていない」という点です。

で、ニルス君はそもそもガンプラバトルをバカにしてるのか、というと……
そもそも論でいえば、ちょっと違う。
心・技・体、すべて兼ね備えているニルス君。
武術の修練的にも、そして戦国アストレイの工作練度的にも。

あまりいわれてないことですが、ニルス君の工作練度は高いのです。
「天才なんだから当然だろ」的な意見が大半ですが、これはニルス君が「材料系の科学者(より正確にいえば材料系の「化」学者)」である、という点に注目いただきたいです。

ふたつの例をあげて例えるとしたら、

1)ものづくり→材料研究

ミステリ作家・森博嗣は、今でこそ作家ですが、もともとは国立大学助教授としての顔を持っていたことは周知です。
で、趣味は工作。
森博士(模型ブログとして敬意をこめて)は、「ものづくり」の魅力にとりつかれながら、建築学を大学では専攻しましたが、研究対象として選んだのは、建築学の中でも、「流体力学」と呼ばれる、素材・化学・コンピュータ数値解析寄りの方向なのです。

なにが言いたいか、というと、「ものづくり系科学者」のなかでも、こういうルートをたどるひともいるということ。
それは、ニルス君も似ているのではないでしょうか。
で、ニルス君は「ガンプラ歴は3カ月」ということでしたが、そもそもにして、材料系の道に進むひとは、人生のどこかで、熱烈に「工作」しているものなんです。たぶん。
実際のマテリアルを手にとっていじくることなしに、最終的な「材料分析」のリアリティもないでしょう。
ましてやニルス君は、セイ君たちと同年代! いまがまさに工作の絶頂期、ともいえる年代なのです……
……いえ、そもそもニルス君は、昔からガンプラ自体には興味なくとも、例えばレゴ……そうそう、MITでも「レゴ・マインドストーム」が積極的に用いられてますね。アメリカの大学いってるニルス君、これとか触れてないわけないでしょう。
こういう方面からでも、ニルス君は、工作度の長さ的には、……さすがにセイ君、マオ君と比較するのはアレですが、少なくとも昨今のものづくりから遠ざかっている子供たちに比べればダンチでしょう。

だからこそ、最後では、ニルス君、レイジ、セイ君は、好敵手として、認めあえたのです。
バトルへの情熱もそうですが、「つくったもの」に対するリスペクトを持ち合わせない者とは、ガンプラバトルで真に共感を得ることはできませんから。
……ニルス君は、もともと、ものづくりが好きなのですよ。
じゃなきゃ、あのように戦国アストレイを、造りこめない。いくらおもちゃであろうとも。


2)転向選手

プロスポーツの領域では、たとえば「フルマラソン」→「10000メートル」というように(あるいはその逆)、競技種目を、年かさに応じて、微妙に変更してくる選手がいます。
ニルス君のそれも、すべて同じとはいえませんが、似たものは持っていないでしょうか?

上記「ものづくり」の方向から、「ものづくりと武術を活かしたガンプラバトル」
の方向へと。

競技において、すべての選手が「一本、叩き上げ」で、専念して世界まで来るのも素敵ですが、
しかし「転向」して、それまでの技術を応用して、また違ったプレイスタイルを見せてくれる選手というのも素敵です。
それらすべてのプレイスタイルを含有してこそ、そのスポーツ競技はまた味わいを増してくるのではないかと。深くなるのではないかと。

そういう観点からしてみたら、ニルス君の存在は、また非常に興味深い。
徹底した合理性/学術性と、伝統武術の交差するところでのガンプラバトルスタイル。
事実、ニルス君のバトルスタイルは、このバトルスタイルこそ、「オペレーター」が必要、といえる、「リアルタイム粒子分析」を必須とします。
オペレーター必須論の議論についてはこのサイトの記事をご覧ください
それをニルス君ひとりでこなすのは、まさに「アーリージーニアス」たる面目躍如です。

(もっとも、この「ひとりでこなす」というのも、「極端なまでに分析性と武術性の交差してる」というニルス君からしたら、必然なのかもです。ほとんど身体的にまで研ぎ澄まされた頭脳と肉体は、もう別かてないのかもです。「そういう」プレイスタイル、というのは、ときたま見れます。オリンピックとかでね!)



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さて、ここまでニルス君の個性について語ってきましたが、(ながかったですね!)
「だからこそ勝負を捨てた」と解釈するべきか、
「それでも勝負を捨てた」と解釈するべきか。

そもそも。
「なんであろうと勝負から逃げるのはイカン!」
でしょうか。

セイ君は、これですよね。最後の。
そもそも勝負を捨てることこそがありえない。

それは、「勝負の不確定さに対するリスペクト」という……ファイターの矜持そのものを否定すること。神聖さすら否定すること、だからです。

ニルス君はサムライボーイと呼ばれています。実際、心技体はあります。しかし儒学的にいったら……心の中に「礼」はあっても、「仁」はない(あるいは、ガンプラバトルに対する「仁」はない)。

それが……その彼が「仁」を獲得するのが、今回の一番の見どころです。熱かった!



ようやく答えが見えてきました。結局のところ、修造なんですよ。修造精神。
もっと熱くなれよ!!!!!!!

必ずとも、全員が修造のレベルにまで熱くなることはないですが(死んじゃいますしw)、スポーツやるからには、修造精神を「是」とする感覚がないといけないのでしょう。

だから、わたしが最初にいった「確定済みの勝負」なんて、修造精神からしたら、いっちばん離れてるものなんですよ。

勝てないのは、わかってる。でも……だからこそ、「面白い試合してえじゃねえか!
ここから、すべての「競技」がはじまるのです。

わたしや義実さんが「……その観戦スタイルどうなのよ?」と思っているのも、理屈を越え、「面白い試合を面白がりたい!」という、ところからきているんですよね。
そのためには、こちらも襟を正さないといけない、と。

そして……最後に見せたニルス君の熱き燃ゆる拳、そして勝負後の「今度は僕が勝ちます!」……これよ、これ!
スポーツなんて、それでいいんじゃないのか!?


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余談。

ニルス君の粒子発勁ですが、これは勢いで流してましたが、正確に把握するためには、中国拳法の「内気」「外気」(ざっくりいえば、「気」の、内家拳法と外家拳法の使い方の違い)の概念知ってないと、正確な試合の流れの把握も難しかったんじゃないか、って思います。自分も、2回見返してようやくわかりましたし……

一番わかりにくいのは、瞬間接着剤あたりの最後の「決め」ですね。なんで発勁通らず、でもスタービルドは動くねん、と。
これは、「内気」の解釈ですが……わたしの解釈で御免!

まずニルス君は内気でもって、内部破壊を試みます。しかしセイ君は、瞬間接着剤という「外気」でもって、スタービルドをそもそも的に強化。同時に……ニルス君の発勁=プラフスキー粒子(内気)と、接着剤(外気)が、ここで八卦・陰陽的に調和/対立してしまったんですね。バランスが取れ過ぎて、拮抗。

そこでさらに、「スタービルドの中を流れる粒子で、ビルドナックルは放てる!」という理屈は……勢いで流してますけど、わけわかりませんよねw

えと、これは一種のフラグでしょう。RGシステムを、身体的にセイ・レイジ組が把握した、という。(だからこそ、これからニルス君のバックアップがはじまるのですね、たのしみです)

RGシステムの「内気」……ニンジャスレイヤー的にいえば、「カラテ・ムーヴメントの移動と高まり」です。格闘における、肉体自身の声を聞く。その声の流れに従って、体を動かす。まさに内気です。

瞬間接着剤という「外気」と、RGシステムという「内気」。
中国武術的にいえば、これは無敵の境地です。
ざっくり言えば、ニルス君が行ったことは、虚淵玄の傑作サイバーパンク武狭編「鬼哭街」における、孔濤羅(コン・タオロー)の「電磁発勁」、セイ君が行ったことは、劉豪軍リュウ・ホージュン)の行った「サイボーグ内気(外気と内気の融合、無限内気)」の達成、と比してもいいでしょう。

さらにいうなら、スタービルド、最後で「ふところに入って、アッパー」を食らわしましたね。
もうここまでくると、外気内気の区別を越えて、「クンフー功夫)の鍛錬が導きだした、ここ一番での格闘センス」と解釈しましょう。
主客同一、分析と武術の融合は、すごい大急ぎで、セイ・レイジ組のなかで整えられてきたのです。

もし戦国アストレイが、外気と内気のクンフーを……とくに、電磁発勁的飛び道具として内気を用いすぎたことを反省し、より内気のクンフーと、外気のクンフー(プラモの愛あるつくり込み)が出来ていたなら……いえ、これは、次、ニルス君とセイ・レイジ組が対戦するときの、たのしみとして取っておきましょう!