残響の足りない部屋

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「自然と模型の調和と融合」その3 草花との生活

この数年、1年ごとに枯らしては新しい苗を植え……ってことを繰りかえしの園芸生活でした。そんなわけで、久々の園芸日誌です。

 

●2016年6月の記録

「自然と模型の調和と融合」メモ1 - 残響の足りない部屋

●2017年3月の記録

「自然と模型の調和と融合」メモ2 - 残響の足りない部屋

 

私にとって園芸は、趣味の中でも「続いているのかいないのか……」な類の微妙な線のものですが。それでも、自然(草木、花)に目を向けたく思っているこの数年です。

さて、以下の写真ですが、数年分を一気にupするため、時系列の細かい説明をしていませんことを失礼します。まぁどっちみち最初に書いたように「枯らしては植え」を続けている感じです。功夫クンフー)が足りません。園芸日誌をつけなければなぁ…。

 

それにしても私のこの「手」。人工物を扱うのに比べて、格段に下手な手です(模型が上手いとは口が裂けても申せませんが)。
それでも種から育てた花が、ちゃんと春になり芽吹くのを見るのは楽しいものです。

去年、若葉芽吹くころ

かすみ草(去年)

こういう若葉を見ると、私のヘボ手でもきちんと芽吹いてくれたことに、優しい気持ちになれますね。このように人生を送っていけたらなぁ、と思います。

さて、なんとか若葉が芽吹けば、そこからはきちんと水をやっていけば良いのですが。

かすみ草、成長速かったっすねーっ。いや、昔からこの花が好きでして。日々、水をやっていったらこんな調子になりました。

ただ、自然現象というものは残酷なもので、この後の夏、シマーネ農業王国を線状降水帯の豪雨が襲いました。「まぁ大丈夫だろう草だし…」と思って外に出していたこのかすみ草の植木鉢。それが大量の水でヤラれてしまったのです。

「やっちまった」感が結構残りましたね。そのせいで、かすみ草の白い花を見ずに殺して(枯らして)しまいました。

 

いつか、桜の枝を挿して育ててみたことがありました。

これが意外と保ちました。もちろんそこまで根付いたわけでもなかったのですが、それでも自分にしては割と丁寧に手入れをしたら、いつしか小さく桜の花を咲かせてくれました。これはうれしかったですね。「打てば響く」みたいな即時性はなかったですが、「そんなに自分のやってることも無駄ではないのかな」と勇気付けられたこともありました。

これはいつだったかな、球根からやってみた時でした。これもある時こうして芽が出まして、その後なかなか格好良く育ってくれました。

芽がこうして力強く育ってくれると、安心感が増します。…と、どうも自分はそのあたりで気を抜いてしまう傾向があるみたいですね。ちゃんと花を咲かせるまで丁寧に護ってやらねばならないのに。越冬ともなると、さらに難しい。道は長いなぁ。

 

ところで、前にドールと植物を合わせた写真をupりました。こういうのです。

 

この時使ったミニ盆栽ですが、これはフリーマーケットで購入したものです。ジオラマとして「瑞々しい荒れ野」みたいで格好良かったのです。そのミニ盆栽ですが、現在こんな感じです。他の室内園芸も合わせて…

右下のがそれ

なんだかんだまだ苔(コケ)が生きている。もちろんだいぶ勢いは消えていますが。それでもまだ「死んでいない」というのはありがたい話です。

真ん中のツバキの花ですが、枝を一厘挿ししてしばらく経過を見てみました。そしたら花を咲かせてくれました。これもうれしいものですね。

こういった室内園芸は、日々霧吹きでお世話をしています。結局ズボラな私なので、つい水やりですらサボってしまう。でも、霧吹きや枯葉むしりをしていると、心が休まりますね。

これは去年の初夏~秋、買った苗を育ててみたものです。やはり夏は日差しの威力ですね。生き生きしています。それなりに保ちましたが、越冬は難しく、だいぶ枯らしてしまいました。今、庭には若干生き残りがいます。さて、春はどうでしょうか。

 

これは自宅周辺の草木や石垣ですが、結局自分の園芸へのモチベーションは、こういう「路上観察」趣味も一環としてありますね。panpanya先生の影響で自分も路上観察趣味が芽生えましたが、定着したようです。

路上観察入門の日々(コロナ禍において) - 残響の足りない部屋

panpanya先生の世界が30代の自分の世界をごそっと変えていっちまった件について - 残響の足りない部屋

 

森博嗣氏は新書「人間はいろいろな問題についてどう考えていけば良いのか」で自身のガーデニング趣味を例に出し、自分の内なる「庭」を育てるのが大事なのだ、と書いていました。

この庭とは、自分の内にある日々の思考や興味を「庭」と見る考えです。やがて自身の「楽しみ」へと至る種を蒔いたり、抽象思考に邪魔な雑草を手入れしたり、を繰りかえし、自身を豊かにしていく…という比喩です。
自身の「庭」はあくまで自然物であり、人工物ではない。ゆえに人間の賢しらな「調整」などすぐに無視されてしまう。日々、自分の楽しさに向かって手入れをしていくことが大事…。

こうやって実際に植物の手入れをするだけでもわかってきます。私は植物を「持続して生かす」というだけのことを出来ていないのです。
じゃあ私はいま、自分自身を他の趣味生活で生き生きさせているのかい…? この問いに答えるのは、なかなか厳しいですね。

 

生きているうちに、何度自分の「花」を見ることが出来るでしょうか。園芸においても、創作においても。

大事にする、っていうのは、いっときだけ大事にするだけではなく、日々手入れしていくものであり、その手入れを通じて自分自身を大事にしていくことでもあります。そこには時間の余裕はもちろんのこと、すっきりした風通しや、栄養だって必要。そして何より、花を美しいと思う心がなくてはお話になりません。

 

本日(3/10)、新しく種を蒔きました。今回は種から育ててみたく、切花用フラワーと題されたミックスシード(スイートサルタン、かすみ草、スターチス、おみなえし、バーベナ、千鳥草)をまず撒いてみました。種から育てて根をしっかり張らせる育て方を今回はやってみたかったのです。時間はかかりますが、今回は丁寧にやってみたいと思います。種の取り扱い説明書によれば、開花時期は6月中旬~10月中旬のようです。気長に待ってみましょうね。