エセ批評家・残響(ペンネーム)です。
今回は「小説を読むのがめっちゃ遅い!」というおはなしです。
●序 なんでオレサマはこんなに小説が読みにくいのか
どうも自分はフィクション(小説)が、すげい読むのが遅い。
長い間それがめっちゃ疑問だったし、【そうであってはならない】と、強く思っていた。コンプレックス。
なんでかっちゅうと……このブログのタイトルと紹介文読んでよ。
「書評ブログ」
しかもオレ、もともと大学、文学部出なんだぜ? 中退したとはいえ、大学院までいってるんだぜ? 文学で。
おかしいだろう。
その疑問……当時は目をそむけまくっていた「小説読むのが遅い病」は、大学時代からあった。
改めて書くまでもないけど、文学部学生っちゅうのは、本を読むのが仕事である。
わたしの専門は日本文学、その中でも平安時代の古典文学や、漢詩漢文といったもの。
しかしそもそも文学を志して大学入ったのであるから、そこだけにタコツボになるつもりはなかった(我ながら偉いな……いまのオレサマ見習えと思う)
平たくいえば、ジャンル問わず、小説は片っ端から「集めて」いたのだ。
主にヨーロッパとアメリカの海外翻訳小説(教養部で英語とってて、「原書で読もう!」クラスに入ってたけど、ガチレベルにはなれんかった)、
わりに古めの中国伝奇小説、
やたら長い長いロシア小説、
ライトノベル……は、高校時代読みまくってたけど、大学時代、なんか偏見が芽生え、おなざりになってた。
でも「狼と香辛料」で完全に見直して、大学院になったらバリバリ読んでた。
森博嗣を手引きにして、海外古典ミステリも「集めた」し、
SFだって手をださなかったわけじゃない。
そして……指輪・ナルニア・ゲドを頂点とする、ハイファンタジー。幻想文学。
足穂、賢治、ダンセイニ卿、ラヴクラフト御大……
ああもうめんどくさい。こんな「なになに読んだ」連ねても、ひとをケムにまくのが関の山だ。
逆に読んでなかったモンをさぐったほうが早いよ。
……なのに。
読破数は、増えていかなかった。
積読が増えていく。増えていく。
読む気とか、勉強する気がない? まさかね。
オレ、バイトもせずに、メシを切り詰めて、これらの本を買ってたんだぜ?
しかし……とにかく、読むのが遅い。
一冊読むのに、五冊溜まっていくペース。
読みきれるはずがない。
●破 しかしノンフィクションだったら読める読める
そりゃあもう!
とくに、自分が興味をもってて、自分と文体が合って、ものの見方が親和性高すぎだったら、
何度でも繰り返して読みましたよ!
ここで重要なのは、「本の難易度はさほど関係がない」ということ。
例えば、わたしは芥川龍之介全集(ちくま文庫版)の評論パートを集めた巻を、学生時代だけで、少なく見積もって五十回は通読してます。
明らかに少なく見積もってます。部分読を含めたら、百以上いってるな……
そして今なお、ことあるたびに読み返してるので、もう百五十回はいってます。
おかげで超ボロボロです。
でもこれ、読みやすい本かっちゅうたら、客観的にみて、全然ノーだ。
オレ自身の評論が、芥川の論述スタイル/文体にかなりの影響受けてて、
で、そのオレの言い回しっていうの、すげえ「わかりづらい!」っていわれるし。
いやそれおまいさんが芥川の劣化コピーやん、というのをしばらく閑却して……
↑ ↑ ↑
ほらこれ。「……というのをしばらく閑却して……」うんぬん、みたいに論理展開していくの、芥川の定石なんだけど、
これひとつとっても平易明晰たることあたわざることはなはだしい。
↑ ↑ ↑
ほらこれも。この超もってまわった理屈っぽい言い回し!
ところめがこういう文体でも、合えば読める読める!
……さて。
じゃあ、自分は、ディスレクシアとか、そういう問題じゃない(差別的な意味合い全然もたせてないこと、どうか読み取ってください)。
活字をおっかける能力は、ある。相当ある。じゃなきゃ芥川の評論、百回も読まん。
じゃなんで、小説読めない?
●急 情景想像は疲れる
辿り着いた結論が、これに尽きる。
今日、「異能バトルは日常系のなかで」読んでて、
「素晴らしい小説だ……!!」と、非常に感銘を受けた(感動といってもいい)。
で、これ、「テンプレ異能をおちょくり倒す」という小説なので、
出てくる異能描写と世界情景が、「よくある」もんなのね。
というわけで、非常に脳内で、情景が展開しやすい。
ラノベだから?
いや、違うな。
例えばわたしは川口士のかなり熱心なファンだと思うのだけど、
千剣にしても魔弾にしても、情景描写を頭の中で想像/創造するのに、きわめて手間がかかる。
それは川口の筆力がへちょいとかいうのでは断じてない。
あの作家の筆力は、本格的な西欧中世描写を、簡潔に、しかし筋のよい硬質な文体で、
きわめて詳細に描く。
荒野を往く辛さと冒険の高鳴りを、
雪原の極寒の厳しさを、
戦場の大スペクタクルを、兵士ひとりひとりの肉と血にいたるまで……
……ただ、逆に。
川口ファンタジーの魅力が、そのような、ブリューゲルの絵画をアニメ仕立てにしたような、
キャラの躍動や背景セットの活躍たる描写にあるもんだから、
これを脳内想像しないと、川口作品の醍醐味は……相当薄れる。
そりゃ、飛ばし読みでストーリー(プロット・セリフ・キャラ萌え)だけ追ってくことは出来るけど、
わたしにとって、それは「川口ファンタジーをよんだことにはならない」
大きくわけて、純文学だろうがラノベだろうが、
小説には、
・情景描写重視型
・心理描写重視型
がある。
わたしの場合、前者がすげえ苦手……らしい。
わたしは、情景描写があったら、
【それを全部頭の中で映像化(ビジュアライズ)しないと、読んだ気にならない】
人間なのね。そうらしい。
じゃあ心理描写はさらっと流せばよいのか、というとそれはそれで違うけど……
でも、いちいち「セット(舞台装置)」を、頭の中で拵えなくていいぶんだけ、
「心理重視」小説のほうは、楽といえば楽。
でも……でも、わたしは……
これはあくまでわたし個人の勝手な思いだけど、
「小説を読んだ!」
「これぞ小説!」
と感じるのは、情景描写小説なんよ。
でもそればっかを読もうとすると、上記のように、時間と労力がいくらあっても足りない。
「素晴らしい情景小説だけを読めばいいじゃない?」
そういわれるのは、ごもっとも。
でもー……なー、
小説って、なんだかんだで、ある程度まで読まなきゃわかんねえし……
プロットだけ追って、読後、気が抜けてしまった、っていうのもあるし……
……あ、そうか
それでももう一回読みたくなった小説だけ、しっかりビジュアライズして再読すれば効率的か?
●小説よめねえ考・おしまい