残響の足りない部屋

もっと多く!かつ細やかに!世界にジョークを見出すのだ

おもちゃ屋で同年代のパパママさんが「親」をやってるのを観る38歳の私に後悔はない

本日、街の大型ショッピングモール内のおもちゃ屋に行きました。

このおもちゃ屋は、私がいつも行きつけにしている昔ながらの町の模型屋さんではありません。そこは先日行って、SDW HEROESロビンフッドガンダムAGE-2と、ポケプラクイックのヤドン、そしてタミヤニュース今月号を買いました。癒し系のラインナップですねぇ。

で、今日は、大型モールの近くに仕事で行く用事がありましたので、その道すがらついでに、モールのおもちゃ屋を覗いてみようとしたのです。そしたら、11月末だというに、なんだかクリスマス商戦ムードでした。ちょ、ちょっと早くない? 正確にはモール全体のブラックフライデー・セールにまつわる売出しのようでしたが。ってことはクリスマスはもっと凄いのか? 

 

さて、今日ちょっと改めて少しだけ驚いたのですが、おもちゃ屋で元気に品定めをしている少年少女たちですが、その親御さん=パパさんママさん、は私こと残響38歳男性の同年代なんですよねどう見ても。うむ、子供がおもちゃに目を輝かせるのは良いことです。おもちゃを楽しまんで、何のために生きているというのですかこの世界で…。

しかしそれにしても、なるほど私も大人になったわけだわ、歳をとったわけだわ、と思いましたね。私という38歳初期中年男性は、ひとりレゴブロックの新作やリカちゃん人形の服やシルバニアファミリーの家や家具を真剣に見ていました。他方、このおもちゃ屋の風景−−−おもちゃを真剣に見ているのは子どもたちで、我が同年代のパパさんママさんは私のようにおもちゃを真剣に見てはいない。

そりゃそうだわな、と思います。リカちゃん人形のおよーふくを見て我がドールや自作人形にどうやって改造して着せるか、って考えている私は、間違ってはいないが場違っているような気がする、と韻を踏んでみます。

子供をもったパパさんママさんが羨ましいって話は私の場合当然、毛頭ないわけです。もともと「家庭のある人生」にはまったく興味がなかったですし、「おもちゃや趣味で遊ぶ人生」を私は進んで選びました。そして私は結婚をしない選択をし、結婚「しない」計画をたてました。無論、子供を産まない計画を立て、まさに計画通りの人生を送っております。満足しています。

そんな私が驚いているのは、同年代(30代後半)の人たちの一定数が、大人として子供に「与えている」ようになってる姿を、改めて大量に目の当たりにしたことです。

あまり社会と関わりのない生活をしている残響さんです。社会センスがない社会音痴なので、あまり関わらないほうが社会の人々の方からしたらよりよろしかろう、という「非=社会的」な立場が私です。もちろん人々を侮蔑しているわけはなく、社会を構成し回している方々に対する感謝は本当ありますし、だからこそ社会音痴な人は社会カラオケ大会で歌わない方が人倫って話でしょ?って立場表明。

とはいえ理屈ではわかっていても、たまにそういう実例を大量に見ると、「なるほど」と驚き混じりに思ってしまうわけですよ。私はおもちゃで遊ぶ人生を選んだ。皆さんは家族と幸せになる人生を選んだ。それぞれ覚悟をした。それぞれの道で頑張っている。そこに後悔はない、少なくとも私はない。

ただそれはそれとして、同じ時代を生きた「30代後半」の中年男女の皆さんが、子供にプレゼントを与え、愛を作っていくことをしている実例を大量に見たわけで。そのように「違う道を歩んだ」実例を大量に見ると、私の場合、自己肯定とか否定とか以前に、ただ単に「なるほど」と思ったわけでした。「違う人生の道」はいっぱいあったんだ、という確認を再度、大量に行った…って感じかなぁ。

ああ、自己肯定とか否定とかって話だったら、こういう同年代の「家族を育む」な光景を見て、ルサンチマンや嫉妬にかられるひとも居るんでしょう。私にはない感覚だから想像で申すほかないですし、当然、私がその人達のルサンチマンや嫉妬を代弁出来るわけもない。するつもりもないし。それは辛いでしょうね…とお気の毒に思う他ないです。このお気の毒って表現自体もあかんのかいな? うーん。

まぁそんなわけで、同年代のパパママさんたちは、レジでわちゃわちゃしている子供さんらをたしなめたり叱ったりしていました。子供さんらにとっては、おもちゃ屋ですよ。テンション上がりますよ。気持ちはわかるし、わかるから私は今もおもちゃ屋模型屋に通っている。子供に影響を与えないおもちゃなんてゴミと同じだ、と言い放ったのは、模型/おもちゃマニアの作家・森博嗣博士です。

そんな家庭のひとコマを横目に、私は30MMのアチェルビーtype-Bとエグザビークル多脚メカver、そしてスレッタ・マーキュリーさんのプラモを買いました。ブラックフライデーということでスレッタさんが安かった。即買いです。新選組の悪即斬のように迷いがない。

 

おもちゃ屋を45分くらいじっくり全ジャンルを見て回って、最近の新商品をチェックしたりしました。それから任天堂switchとソニープレイステーション5のビデオゲームコーナもあったので、そこも見てみました。

なんだかんだ、少しずつやっぱり高くなってきていますね、おもちゃ。パパママさんにとって、家計の中から5000円や8000円を「子供の楽しみ」のためだけにPON!と出すのも、やっぱキツいんだろうな、と思います。
上の方でおもちゃは素晴らしいんだ模型には価値があるんだガンプラは自由だ、と散々書きましたが、とはいえ38歳のわたくし。パパママさんが自分たちの家計・家庭を「やっていく」ことのリアルな難しさ、っていうのは、わかりますよ。こっちは本当にわかる。

そりゃお気楽な遊び人の私なんぞに言われたくねー、っていうパパママさんの気持ちは正しいw でも、私も38歳まで生きてきて、分かりますよ、生活をリアリズムの上でちゃんと「やっていく」ことの難しさ。その上でさらに「子供さんを育てる」=「守る」っていうことが、ただ生活をやっていく以上にもっとキツく難しいものだ、っていうのは想像出来ます。

私が子供の頃、「誕生日プレゼント」というものを両親&祖母からもらいました。初代プレステとかゲームソフトとか、お高めのおもちゃとか…年1回の誕生日の日だけは、私(子供)が欲しい高額な品物を買ってくれたのです。

今、リアリズムの観点から思えば、両親&祖母、その金額捻出するのそれなりに大変だっただろうな、って思うのです。子供(私)の年1回のそれのために、貯金もしていたんだろうな、と想像します。それなのにあほな子供の頃の私は、どれだけ真剣に考え品物を選定していただろうか。品物を大事にしただろうか。よくあるコマーシャルに踊らされて、私自身の本物の欲望に、ちゃんと向き合っていなかったのではないか? とまで考えてしまいます。

いや、私は子供の頃も真剣に遊んでいたと思うのですが、もっと真剣に、自分の頭で考えきって遊べばよかったのかもな、って、今思うこともあるのです。

だから今ひとりでおもちゃや模型で遊ぶとき、「もっと真剣味が足りない!丁寧になれ!自由な発想こそが遊びの真髄だろう!」って反省しますもの。おもちゃで遊ぶために生きてるんですから、せめてそれくらいの反省はしなきゃ嘘だ。それに、家庭や子供を持たない選択をしたのも私ですから、だったらやっぱりちゃんと遊ぼうよ私、ってね。

成功している他人を羨んだり、インターネット&SNSいいね!承認欲求合戦に消耗したり、ハブられるのを恐れたり、とか、同調圧力とか、差別とか、もう完全に無視すべきものですわ。おもちゃのビス1個の価値すらないぞ。

実にそうです。子供のころSDガンダム・ファイナルフォーミュラーの頭部アンテナを固定する小さなパーツをなくして、一気にかっちょ悪くなったファイナルフォーミュラーを未だに覚えているのが私・残響です。あのパーツ亡くしは本当痛かったなぁ…。承認欲求とか嫉妬とか、完全にあのパーツ1個分の価値もないぞ明白だよ…。重みってものが違うよ。

 

そんなわけで、同年代の皆さん、自身が信じた道を征きましょう。お前(残響)遊んでるだけだろうッ!!って至極ごもっともなツッコミは今はちょっと置いておいてマジで。文章ラストなんだから纏めさせてください。…自身が信じた道。時々ちょっと方向修正したりすることもあるでしょうけども。でも、輝きを失わないものを愛するっていうのは素敵なことですね。

私は子供のころからおもちゃや模型がそうでした。皆さんも、パートナーの方や子供さんがそうだったりするのでしょう。他にも人生の宝物がある?それは素晴らしいことです。ならば、どう考えても、それぞれの「人生の宝物」を大事にする他に、すべきことはありません、よね。うん、言うまでもないことです。スピッツの歌詞で「これ以上は歌詞に出来ない」ってのでラスト終わる歌がありますが(「恋する凡人」)、もうそういうことです。ウィトゲンシュタインも同じようなことを言っていませんか? どうでしょうか? 違ったでしょうか? 
よし、それでは躊躇うことなくおもちゃで遊びましょう!