残響の足りない部屋

音楽旅行と模型人生と愚にもつかないジョーク

panpanya先生の世界が30代の自分の世界をごそっと変えていっちまった件について

自分がpanpnaya先生を知ったのは、2019年の夏でした。きっかけは、わたくしのAmazonKindle電子書籍の「おすすめ」通知が、やたらとpanpanya先生の単行本を、何か月にも渡って執拗に推し続けてきたからです。

通常の自分は、いくらAmazonの「おすすめ」通知=サジェスト機能が優れているからと言うても、それに安易に乗るという事に躊躇いを覚えます。そんなまことにめんどくさいオタク像です。

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しかし2019年のamazonおすすめはしつこかった。半年近くも延々とpanpanya先生の「グヤバノ・ホリデー」を推し続けた。半年前にチラシのうら氏こと詩野うら氏の短編集を予約までして買う趣味をしている自分の趣味嗜好をチェックしてのことか。あるいは明和電機のファンなのが効いているのか。vaporwave(的な世界観)に興味を持ち出したタイミングも参照されているのか。ひいては、かねがねよりラヴクラフトやエルンストを愛好している自分の検索履歴もチェキ☆されているのか。

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ええい、ここまで半年間もしつこくAmazonにおすすめされて、根負けした形で、panpanya先生の単行本「グヤバノ・ホリデー」を試し読みしてみました。

↓ panpanya先生のホームページ

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その結果。その日のうちに電子書籍&物理書籍で、panpanya先生の商業単行本(「足摺り水族館」含む)を買いそろえてしまいました。そればかりでなく、2019年の夏から延々と、panpanya先生の漫画、ホームページ上のテキスト(日記)、インタビューを読み込む毎日です。結局、現在の残響さんの好きな漫画家ベスト3にスルっとヌルっとpanpanya先生が滑り込んでしまいました。ちなみに1位は芦奈野ひとしヨコハマ買い出し紀行」ですが、しかしわたくし今、35歳なんですよね。30代という、自己の趣味嗜好が新鮮さを失い、そろそろガチり固まってなかなか動かなくなってくる頃です。自分の殿堂入り・TOP作品っていうのが不動になってくる頃です。それがどうだ。カチコチに固まり、もう動くことはないのかなと思っていた「魂の漫画家」のベスト3にヌルっとpanpanya先生の世界が入ってきてしまったのです。

理由1「80~90年代の関東圏域の風景」

なんでこれほどpanpanya先生が好きなのか。これほどスルっとヌルっと入ってきてしまったのはなぜか。……これはあくまで自分にとってですが、panpanya先生の描く世界風景が、「1980年代後半~1990年代前半の関東圏域で幼少期を過ごした人間にとって心当たりがありすぎる情景」だからなのです。

アスファルトと電線と「とまれ」の路地とか、黒いHi-Cのジュース缶とか。どうも見覚えのある景色が多すぎる。panpanya先生世界の細部に至るまで「わかる、わかりすぎる」と膝をうちまくるこの感覚は、今でこそシマーネ農業王国に住む自分ですが、幼少期(小学6年まで)サイタマのベッドタウンで過ごした自分にはあまりにわかりすぎる。

理由2「暗闇の狂気シュール」

そういう「80~90年代ノスタルジー・近過去トリップ」があまりに自分にとって甘美であるのと同時に、panpana先生の作品にはいつだって「暗闇」がある。ノスタルジーの裏側に潜む、シュールな暗闇を、毎回毎回、あの異常な描きこみ筆致・ベタ・アナログ描線で執拗に描きます。

古い風呂場のタイルのどことなしの暗がり。ハンパに古い建物がたてるホコリっぽさと不気味な音。「う●こ臭さ」はないけれども、ラヴクラフト的なコズミックホラーにつながっていても全然おかしくないと言い切れるあの不気味さ、シュールさ。

理由3「共感性羞恥の徹底的な排除」

そして、panpanya先生の作品で、自分が一番信頼しているのが、どういうわけだか知らないけれど、「人を貶める恥ずかしさ・痛さ・辛さで、オチをつけない」ところだと思っています。安易な夢オチにもせず、主人公の「いつもの女の子」を傷つけたままで終わらせない。主人公の「いつもの女の子」をバカにする形で話を終わらせたりすることは一切ない。

panpanya先生のようなシュールさであったり、暗がりへの親近性だと、だいたい、主人公は恥ずかしい思いや傷つきだったりを喰らったりするものです。お膳立ては充分にされているとすら言えるかもしれない。でも、なぜかpanpanya先生は、そういう「恥ずかしさ・痛さ・辛さ」を描くつもりはないらしい。今までpanpanya先生の漫画を相当読んできても、ただの一回とて「恥ずかしさ、痛さ、辛さ」でお話が終わったことがないのだから。そこのセンスが、読んでいて、非常に安心できるのです。

……で、panpanya先生は、甚大な影響を自分に残していきました。

甚大な影響その1「漫画の呪い」

自分は長い間、自分が「漫画」という方法で創作をするのは、今回の自分の人生では無理だな、と諦めていました。絵が下手だから。でも、panpanya先生の漫画を読んで、「自分は漫画を描きたい、いや、描かねばならない」と思うようになりました。2020年から2021年の最近あたりまで、「描かねば」はちょっと呪いじみて強迫的になって、「そうでなければ幸せにはなれない」とまで思いつめましたが……(苦笑)

さきに絵が下手、と言いましたが、自分の場合、それは結局思考停止に近いものでした。自分の下手な絵で自分がショックを受けたくない、というのは、なんのことはない、自ら恥ずかしい思いをしたくなかったということです。

絵を描くにもいろいろな方法があって、メジャーな方法でダメなら、マイナーな方法をいろいろ試してみればいい、ということに気づくまで、人生30年かかってしまいました。

そんなわけで最近わたくしはドット絵を嗜んでいます。「panpanya先生の絵を模写する方向にいかないのかよ!」というツッコミですが、お察しのようにpanpanya先生の絵は一朝一夕で真似出来る絵じゃないですし。また、同じ方向にいってもどうなのか、というのもあり。もちろん「日本の路地のノスタルジアをドット絵で」というのは、すでにこちらも豊井氏という巨匠が居るので、そっちの路線もバリバリにガン見しながら遠巻きにしつつ……

ドット絵アニメの作り方。イラストレーター・豊井さん(@1041uuu)インタビュー - pixivision

ともあれ、今も自分は試行錯誤しながら、かつて諦めた夢「漫画を描く」に向けて努力しているつもりです。結局その、絵の練習、絵が下手コンプレックス、画法の試行錯誤というのと対峙するのは辛いですが(場合によったらコズミックホラー並)、「絵が下手な自分の恥ずかしさ」と真っ向勝負するのは辛いですが(おうし座から風にのって黄衣の王ハスターくらい来るんじゃないか)、少なくとも「これ以上恥ずかしく」はならない。少なくとも自分は、昨日の自分よりは絵が上手くなっているから。

甚大な影響その2「考現学」的視点

日常、そこにあるもの。植木鉢、アスファルトの信号、鉄橋のサビ。ところどころで向井秀徳がモチーフとして使ってきたアレら。日常、あまりに当たり前にそこにあるものに、面白みを見出す。だいたい「考現学」とは、大雑把にそういうことですし、panpanya先生の漫画も、大雑把に言えばそういうことです。

この視点ひとつで、世界の意味合いは全く変わってきます。あまりに当たり前にある湯飲みだとか、部屋の置物だとか、昔のカセットテープとか。

路上観察入門の日々(コロナ禍において) - 残響の足りない部屋

カセットテープが大好きです - 残響の足りない部屋

単なる路上が、「視点」ひとつで、異常なまでの意味を持つ魔宮に変わる。本当の意味での「世界観」の変貌です。panpanya先生の漫画が、やたらマイナーでマニアックで玄人好みなのに、いつもポップで「恥」がなくて、読後感がとても良い、完全に良い意味での「ポピュラリティ」を持ち続けている理由。それは間違いなく、panpanya先生が、わたくしたちの住む「日常(の風景)」を、とにかく愛しているからなんでしょう。

きらら系萌え四コマの文脈で「日常系」と言う言葉がありました。そういうタームでくくられる漫画を、わたくしはこの上なく愛しながらも(「ゆゆ式」「けいおん!」「らき☆すた」……)、それとはまったく違った意味で、panpanya先生の漫画を「日常系」と呼ぶことはどうなのでしょうか。ただ漫画シーンを混乱させるだけでしょうか。でも、これほど「日常」というものを愛しきっている漫画家は他にいないのです。本当に。

 

そろそろ今年もpanpanya先生の単行本が出てくる頃合いになってきました。まだ情報はありませんが、だいたい毎年初旬に単行本がくるのです。これだけマニアックな作家なのに、非常に勤勉に作品執筆活動をされているのです、先生はw

panpanya先生の装丁デザインや同人製本に関してや、アナログ画風のあれこれや、作品で何度も使われるモチーフや、「いつもの女の子」や同居犬レオナルドの言葉遣いに関してなど、もっともっと言及したいことは山ほどあるんですが、今日はここまで~。

あー、やっとpanpanya先生について少しは書くことが出来た。以前よりちょこちょこ、考現学というあたりで先生についてうっすら言及はしてきました。しかし先生は、それほど自分にとって大事な存在でありましたから、安易にちょこっとだけ書く、というのが出来なかったのです。はい。