残響の足りない部屋

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推し音楽家が社会や政治に走ったら

「音楽と社会的活動」って難しいですね。
このこと、ずーっと考えているんです。3、4年くらい。

あるミュージシャンが、巨大な事件・災害をきっかけに、いわゆる「政治的・社会派」行動を起こすパターンが多かったですね(過去形)

さて、それは是か非か、って話ですわ。

 

んじゃ、まず最初に自分のスタンスを表明します……

自分は、仮にミュージシャンが社会派活動をやたらにするようになって、リフの強度やメロディの魅力が減じたら「ファーッ!(怒」とします。

……というスタンスです。

 

この文章での考えは、自分のみに適応される考えです。他の人もこう考えなさい、とは思っていないですし、そうしてほしくもないです。皆さん、自分の頭で考えて、自分で結論出してください。

 

ミュージシャンが社会派活動をすることは悪いことか? 
いや、別に……、と自分は思います。少なくとも、そういう態度表明で納めます。どうぞご自由に、と。ザンキョはクールに去るぜ
でも社会活動に「かまけて」、リフの強度やメロが弱くなったら、それは音楽家としてのサボりです。

もし、こう言われたらミュージシャンたちは激怒するんでしょう。

「あなたたち、音楽の道に行ったんでしょ? 学校卒業したあとの社会キャリアの一番最初から、政治・社会活動はしていなかったでしょう?
 社会より音楽の方が大事だからミュージシャンになったんでしょう。
 俺たちは市民として云々、いうけど、知名度があるミュージシャンはどこまで市民なのですか。
 売れてからの自分の知名度を、結果として社会活動に使っているじゃないですか。初手からアドバンテージをとってる話ではございませんか」

……と。まぁ、性格悪いですが、こういうツッコミも出来るんです。

 

社会派活動をするようになることはまぁ良いですが、リフやメロが弱くなるのは、自分は我慢ならない。
……これもまたこれで、音楽原理主義なんでしょうね。
それに自分は、社会というものと距離を置きたく思っている人間です。これもこれで、問題かもです。

 

ミュージシャン自身の固有の世界観と特に関係がないけど、やたらに社会派活動をやりたがる……っていうのにも、自分は口を苦くしてしまうかもしれません。

もし、社会派活動が、固有の世界観の源泉そのものだったら、自分はオールオッケーなんです。
社会派活動、すなわち、弱者たちのための、圧迫する権威システムへの叛逆活動。それを邁進することが、固有の世界観に血と熱をドクドク注ぎ込む場合。ひいてはイマジネーションすら沸き立たせる場合。
the Clashはそんな奴らでした。ソウル・フラワー・ユニオンもそうです。


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だから自分は彼らの左翼的メッセージを、支持するかどうかは別として「なるほど」と思えます。

でも、もし仮に、幻想的な電子音楽をしている人が、「社会的なことをしたい!社会的に正しいから!」みたいな感じで社会派・政治行動をするとなると……
うーん……、と思ってしまうのです。
ましてリフやメロが弱くなったら「ファーッ!(怒」です。

 

これもこれで「●●するべし」論、になっちゃうんでしょうかね。
でも自分は、音楽家の音楽がつまらなくなってしまうのが、どうしてもイヤだ、なのです。
ミュージシャンが社会派活動をすることで、救われる社会や弱者も大勢いるじゃないか!という反論は、ごもっともです。それに対して、「社会と距離を置きたい」なんて考えている自分が、弱者のために何かしているか、と言われたら、潔く「ごめんなさい!」としか申せません。

しかし、そういう道理は認めますが、その一方で「素晴らしいミュージシャンのリフやメロディが弱くなった! ファーッ!(怒」という自分の怒り・嘆き・哀しみ・やるせなさは、自分にとってどーでも良いものではないのです。

「だったら音楽家の社会派活動から完全に目を背けなさいよ」というド正論を自分はもっと真摯に受け止める必要がありますな。その通りであります。

そうはいっても、「最近何やってらっしゃるかしら」と当該ミュージシャンのツイッターを覗いて「社会派ッ!」「政治的ッ!」な内容が多いのを見て、ちょっと自分のテンションが緊張してしまうっていうのもこれまた事実なんですよね。

 

いや……うーん、ほんと、ミュージシャンが基本的に何やろうと自由なんですけどね……。

あれか、あれなのかな。「社会のために」っていう善い心から生まれている行動のために、リフやメロが殺されているっていうのがやたら悲しくて。「社会のために」っていう善い心は、本来とても大事なものなのは、自分だってわかっているのに。

で、どこかでその善い心なるものが、結果的に何かを変に歪めてしまったりするのが嫌なのかな。「善い心だから良いよねッ」という感じで、自己反省や自己懐疑をどこかにポイしてしまうのも嫌なんでしょう。

その自己反省や自己懐疑を無限に行う孤独な自分の狭い部屋から、ミュージシャンは固有の世界観や音を紡いできたんだったろう……?っていうあたりなんすよ。「孤独な自分の部屋」から遠くに来ちゃったんだね、っていう寂しさです。