何も現実と幻想(ものがたり)は、ことさらに対立しているばかりではない……
否、あるいは、わたくしが、ことさらにこの二者を対立させようとしていたのか……
●紅殻町博物誌プレイ中
嘘屋の姉妹ブランド、ライター希(まれに)氏の専門ブランドにして、
嘘屋ビジュアルノベル専門ブランドとして、業界でも異色を放つレイルソフト。
システムはビジュアルノベルに特化し、「活字の面白さ」「活字の豊かさ」
を前面に押し出す、V-Rシステム(ヴァリアブル・リード・システム)
ようするに読み手が好きなように活字配列をかえることができる、というもので。
……それほどまでに希氏の活字表現というのは激烈かつ耽美、諧謔に満ち、
まさに読書の喜びなる芳醇さを……
というのが、まさにレイルの醍醐味なのですが、
作風についてここでは。
異界探訪、というのが、今作のテーマのひとつでしょう。
とどうじに、どうしようもないほどの郷愁。
ときにそれは懐古と道を同じくしがちでありますが、しかし、「時を経る」ことは、またもうひとつの迷い道に迷い込む、
ということと、どうやら同じ意味であるらしいです。
簡単にいえば、昔のことがあんま思い出せず、ふとしたときに帰省したときに「ああ、あそこそうだったよなぁ」みたいに懐古の回顧する、
みたいな。
で、冒頭メモですが、
異界は、ひょっとしたら、完全異世界にのみあるわけでもないのかもしれません。
あるいは時を隔てた「いつもと同じ場所」にあるのかもしれません。
そいえば村上春樹氏がエッセイで、「自分は鉄道デモや正月のように、『ふとしたときに、日ごろあるものが消えてしまう、静かな都会』がすごく好き」
と書いてました。
日常の異界化、といえば大げさですが、しかしそのエレメント=転化要素は、あるように思えるのです。
どうも自分は、創作においては、完全オリジナルの異世界ものを至上としてきたとこがありまして。
いや、いまもそれは大差ないのですが、
この五月にかけて、一ヶ月で、現代ネタのパロ小説書き上げて、
「うん、日常もヘンテコにできるんだな」
みたいに、漠然と思ったのも事実。
で、紅殻町やって、
冒頭の「昔親しんでいたところ」が、ある種の異界となって、再び自分の前に現れる、この感覚。
それは傍からみたら、不思議なようで不思議でなくて、でもどことなくずれたような感覚があります。
といいつつも、当人にしたら、当たり前と当たり前でなさの境界線をさまよう……
これもまた、僕自身が、どこかで望郷の民であることからきてるのかもしれませんが。生家の埼玉いきたいなぁ。
夢に、よくでるのですよ。
昔なじみの場所が。
それもまた「異界」なのだなぁ、と、漠然と思いながら。
そして確実なのは、ただのエロゲだったら、ただの漫画とかだったら、ここまでの感慨は得ていなかったと。
希氏の文だからこそ、あのような活字ばっかりの画面だからこそ、
そして丹念過ぎる異界描写だからこそ、このように「ふと考える」ことが出来たのかもな、と。
で。
じゃ、完全異世界=オリジナル創作否定か、というと、そういうことはないわけで。
しかし、逆に、
「時」
「失われ」
「望郷」
「懐かしさ」
みたいなモチーフだったりエレメントだったりを、完全異世界を作り上げる際において、
スパイス程度に用いていったら、より奥深さが増したり、
あるいは「異世界煮詰まり」に、意外なとこからの風がふいたり、するのかもな、と思ったり。
※メモ
ライアーFC更新、わたくしのは七月末
シャイニングナイトの入金とともに、更新入金すませることを忘れないこと