夏から秋にかけて聞いた音楽について~(8月~9月)
(前回)
最近わたしの音の暮らしはこう2(おるたな) - 残響の足りない部屋
SFC版ウマ娘 シナリオ最終レースBGM集
ウマ娘をプレイしていないというのに、楽曲に惚れたっていうだけでのヘビロテですよ。餓鬼の頃から変わっていない。攻略本を読みサントラを聞き、ゲーム本編をプレイしないプレイスタイル……(プレイと言うのも恐れ多い)
しかしこの音源、「ウマ娘」=2021年のスマホゲームという当然の事実を使っての「偽史創作」「存在しない記憶」「集団幻覚」という意味合いで遊んでいるネタ音源なんです(youtubeコメント欄参照)……が、単純にスーファミ時代の音の質感がなんとも懐かしく魅力的。そして楽曲のフレーズも良き。「ウマ娘2」のイントロのヴァイオリンの煽るフレーズや、「ウマ娘3 ピリオド・ブレイカーズ」の原曲の高揚感を見事に持ち込んだ誇り高いラスボスバトル曲的楽曲性など、「古き良き」と表現したいゲーム音楽・バトル音楽の醍醐味を聞かせてくれます。
オスカー・ピーターソン再聴
以下の話は、一介のジャズフリークとして、改めて考えざるを得ない状況になったという話です。
こないだ家族に、TVかなんかの話の流れで、「オスカー・ピーターソンって、どういうジャズピアニストなの?」と聞かれ、とりあえずわかりやすく説明するために「めっちゃバリバリ弾きまくる人よ」と雑に答えました。間違ってはいない。
んで、また別件で個人的に、ラグタイム・ピアノを改めて聞きなおすことがあり、「そういえば、スコット・ジョプリンの曲ってピーターソンよく演ってたんじゃない?似つかわしいし」と思い、調べてみたら、案外そういう演奏は無かった、という。探していた中で見つけたのが、ピーターソンが「cakewalk」をバリバリにモダンジャズピアニズムで弾いてる動画です。(上記)
そう考えると、ピーターソンとラグタイムの関係性……「バリバリ弾く爆走&リリシズムなジャズピアニスト」というオスカー・ピーターソンは、もちろん当時のジャズピアニストとしてラグタイムも当然通ってきているんでしょうが、ラグタイムスタイル・ピアノを、彼自身の「常にリスペクトすべき音楽遺産」としてまで重要視して捉えている……とは、断言できないかなぁ、と考えるわけで。血肉としてはいても。
じゃあ……、と改めてふと考えるに至ったわけですね。「オスカー・ピーターソンのルーツって?」という話です。もちろんその音楽性からシンプルに「テディ・ウィルソンやアート・テイタム、ナット・キング・コールから影響を受けている」と考えることは可能です。そんな彼らの音楽をさらに高速化させて展開していった、と見るのが一般的なジャズ史観だと思います。
しかし、ではそんな「テディ・ウィルソンやアート・テイタム、ナット・キング・コール」という並びの「1930年代以降のスウィング期ジャズピアノ」という大雑把なくくり方。これは、ちょっといささか乱暴な議論なのでは?と考えてしまったわけです。ロックで例えれば、9mm Parabellum Bulletはグループサウンズをカオティックコア的に高速化した音楽性、と表現するのは解りやすいですが、では「グループサウンズの誰よ?どのグループよ?」という風に分解していくとなると……っていう話と似たところがあります。
というわけで、このあたり……ピーターソンのルーツ問題や、1930年代のジャズピアノシーン、ちょっとちゃんと考えないといけないですねー。そもそもピーターソンの「爆走&リリシズム」という芸風にしたって、「なぜ彼が爆走&リリシズムに至ったのか?」という疑問に、正式に答えられていないわけですから。よく考えたらね。つまり、自分は家族の「オスカー・ピーターソンってどういうピアニストなの?」という質問に、答えきれていない、って話です。こういうことって、他の音楽でもたまに起こりがちな話じゃないですか?
SAORとか、ポストブラックメタル/シューゲイザーブラック/ブラックゲイズ。それからDeafheavenの新譜について
もうここ最近こういう音楽が大好きで。トレモロギターとシューゲイザーノイズ。空間音響(アトモスフェリックな感じ)、アコースティック自然感、民族音楽との融合、暴虐と自然との融合。そしてやっぱり「良い曲」があるって良いよなぁ、と思う次第です。ずーっと鳴らしていられる。
ところで、メタル界隈ではDeafheavenの新譜が「もう単純にオルタナやん!メタルを捨てたなーっ!」みたいな反応になっているんですが、オルタナ者からしてみると「すいません普通に良いです……」と思えてしまえますから、なかなか音楽の聴き方見かた、ってやつは。やっぱこれは各々の音楽的出自ってやつなのかなぁ。それなりに自分もメタルを聞きましたが、「結局こっちが良いのかよぅ」と言われたら「はい……ッ」と答えざるを得ないのが悲しいやらなんやら。
クレイジーケンバンド「IVORY」
Lo-Fi HIPHOP的フィルター、チルフィルターがもう完全に自分の中に根付いてしまって、そうなってくると、自分にも「やがてやってくるのかな~?」と思っていましたが、来ましたね。「歌謡曲再評価」。
長い間、自分は演歌、歌謡曲のアレルギーでございました。自分の両親が演歌、歌謡曲の愛好家で、幼いころからそういう音楽ばっかり聞かされてきたものですから、自分は逆にアレルギーになってしまって、ゲーム音楽、オルタナや洋楽にいってしまった、という昔話です。英才教育も考え物ですね。
しかし、これは自分が36歳になろうとしているからこういう音楽にハマっていくのだ、という単純で雑な話でもないはずです。Lo-Fiのフィルターを通過する必要があった、というのが大事なポイントです。確かに、若かりしころの「ハード&ノイズ&高速」ばっかりではなくなる……という、中年シフトフェイズ現象かもしれません。
でも、それは一律に「歳とったら演歌、歌謡曲だよ」っていう雑な議論のはずじゃない。それぞれの音楽の歴史が、それぞれの人生のサウダージに繋がってくるはずです。その流れの中で、自分は今まで遠ざけてきたCKBを聴こうとしています。
もっと言えば、「アジアン歌謡」みたいなところから、自分は遠ざかろうとしていたんですが。……きっと、自分の中である程度の準備が出来たんでしょうね。おお、ということは、これからそういう音楽のdigが進んでいくということか。音源、とくにカセットテープが増えていくぞぉ。
向井秀徳のフェンダージャパンテレキャスターギターカッティング
凄く、ギターで「語って」います。無言歌とはこのことか。
Zazen Boys / Soil & Pimp Sessions 「Kimochi/Cold Beat」
こう来たかー! & 世界はそれを待っていたのぜー!
オルタナロック、デスジャズ、邦楽ロック、ブラックミュージック、ファンク、マツリセッション、そしてダンスステップ……情報量が多い。ここで語られている様々の音楽を聴いてきた自分にとって、ご褒美も良いところです。
交響アクティブNEETs「生演奏オーケストラによる『ピュアヒューリーズ〜心の在処(上海アリス幻樂団「東方紺珠伝」より)』
自分は2002年(蓬莱人形の頒布後あたり)から上海アリス幻樂団・ZUN氏の音楽をずーっと聞いてきたんですが、こういうオーケストラ再現を見、聞くと、「圧倒的普遍性」の迫力っていうものを感じてしまったりするわけです。あまり、自分はそういう物言いを好まないんですけど、ね。