残響の足りない部屋

音楽旅行と模型人生と愚にもつかないジョーク

もしも紙の本や音の盤を愛し続けているのならば

しかし「苦楽」特典缶バッジ、思っていたよりややデカいな! 自分は缶バッジが好きで、特典で缶バッジが付くとなると、たいていそれを選んでしまうのですが、他の缶バッジより明らかにデカいぞ。(そう言いつつニヤニヤしながら帽子につける)

 

暑中お見舞い申し上げます

ひどく暑いですね。そして病禍の社会で毎日を過ごしておられて、お疲れ様です。お元気ですか。お元気であってください。どうか。そして、またいつの日か、直にお会いできたら、と思います。

もしかしたら、わたしにも、あなたにも、不幸なる未来がやってくるのかもしれません……前回にお会いした時が、今生の別れなのかもしれません。しかし今は、お互いがしっかと日々の守りを固め、正しく感染症を恐れ、しかし対策する。自衛し耐え忍び、生活をする……という事しか出来ません。

せめてそういう、日々の自衛の営みに「希望」という名札(ラベル)を貼ってやる程度のことです。缶バッジみたいですね。

なんにせよ、この暑さと社会神経戦で、バタっと倒れないようになさってください。わたくしにとってあなた方は、倒れられたら凄くイヤだなー、と思うような方々であります。

 

それと、「楽しみ方」を忘れないようになさってください。趣味の話です。

とくにSNSに居たりすると、ついつい「趣味の界隈の現状を憂う」みたいな感じに、アレコレ語ってしまうことが増えてしまいます。そういう屈託が分かるくらいには、わたしたちも趣味を長く続けてきたんですね。

趣味を長く続けてきた事そのものは、まぎれもなく趣味人の証明。趣味道を歩んできたという、誇らしい道程の歴史です。

わたしたち、初心者のとき、右も左もわからなかったときに、あの傑作に心をブチ抜かれてからこのかた、ずいぶんいろんなことがありましたね。そして、今も趣味人を続けておられる。素晴らしいことじゃないですか。

趣味を長く続けてきたことを、呪いの道程ととらえちまうのは、やっぱよろしくありませんよ。

 

でもねー。この社会の病禍のなか、趣味人として機嫌よく居続けることって、難しいですね。

どんなに正しく科学的な知識を持ち、知見をアップデートし続けて「正しく恐れ」続けていても、わたしたちは「恐れ」続けたことによって、確実に疲れてしまうわけです。

その日々の疲れに、スルっと「悪しきもの」が入り込んでしまいます。陰謀論にせよニセ科学、オカルトにせよ。もしくは、疲れから、自然と機嫌悪くなっていきます。趣味に集中できなくなっていきます。うーん。

 

ところで、自分は「この作品は、物理媒体で持っておくべき価値があるから、紙の本やCD、レコード盤を買うッ」という作品・作家がいくつかございまして。今日の話題はそれなんですよ。

 

8月の予約本と予約CD

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予約して買ったCDと本

人間椅子「苦楽」(22枚目のフルアルバム)

panpanya「魚社会」(8冊目の商業単行本)

 

数か月前からweb予約して、この8月初頭に自宅まで届きました。予約し、確実に手に入れるということをするだけの価値のある本、CDです。

アルバム「苦楽」、まず通しで2回聞きました。最後の曲「夜明け前」。なんと誇り高い曲、精神性でございましょうか。骨太な意志、不屈の意志を、歌詞と曲と演奏と歌唱から感じます。

曲調は結構バラエティ豊か。前々作「異次元からの咆哮」にアルバム構成的には似ているかも。


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↑ アルバムの最初を飾るリードトラック「杜子春」。今回の文芸ロックのひとつは芥川ですよー。

 

panpanya先生の本は、紙の本で手に取って、触り、匂いを嗅ぎ、愛でながら、内容の漫画作品を読むのが、実に楽しいですね。今回も装丁が実に楽しいです。さぁカバーをめくるんだ。そして特殊加工のカバー裏を触るんだ、触るんだッ。

modernclothes24music.hatenablog.com

 

panpanya先生のファンたる自分は、漫画雑誌「楽園 Le Paradis」本誌及びweb増刊で、掲載作品を逐一チェックしておりました。先生のホームページの日記も逐一チェキ。しかし、こうして纏めて&通して読むと、また味わいが違ってきます。カステラ風蒸しケーキは一種の瞑想なんだよ。

 

見慣れたはずの日常が、僅かに角度を変えただけで世界はかくも曖昧模糊。いずれが幻なのか、この世か、あの世か…。

 

panpanya先生の楽園コミックスからの2nd単行本「蟹に誘われて」の既刊解説の言葉。この文が、自分は凄く好きなのです。

社会は、世界は、少しだけ見る角度を変えれば、まったく別の何ものかが見えてくる時がある。日常といいつつも、それは深淵の混沌なる大迷宮かもしれない。

あるいは、すぐ隣に虚無があるかもしれない。そう、すぐ隣に、目と鼻の先の街角に……


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そう考えると、希望を抱けるかどうかはともかく、そこはかとなく楽しくなってきませんか。少々の痛快ささえある。

 

確かに「毎日楽しく」って難しいです。特に最近は。でもそれだけに、「あいつ、あのコロナ禍の頃、楽しく過ごそうとしていたんだぞ……ッ!」っていうの、趣味人として、キレッキレにカッコ良くないですか!?

いや、他人からの評価を求めるばっかりなのは趣味人として、少々よろしくございません。でも、自己評価としてはどうでしょう。未来の自分が過去を振り返って、「コロナ禍っていう大変な頃だったけど、あの頃の自分は趣味に頑張っていた」って評価できたとしたら。

……それは、己の臨終の間際であっても、結構誇れることだと思うんですよ。三途の川ゆく時でさえも、持っていくことが出来る誇り。自分は確かに趣味に生きることが出来たし、それほど自分の人生にとって趣味はやはり大切なものだったんだ!っていうことは、やはり誇れることです。

よーし、それじゃ今後の生き方は変わらず、趣味の路線でおもかじいっぱーい!ですよ。そう思い直すことは、自分にとって有意義なことです。

じゃ何をするか?ますますCD聞いて、panpanya先生の漫画読んで、模型作ることですなぁ。なんだ、今までとやること、まったく変わっていないじゃないですか!