残響の足りない部屋

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ガールズ&パンツァー「愛里寿・ウォー!」読解考察

【筆者の2016/5/29現在のガルパン経験値】

・本編はリアルタイムでは見れなかったが、BS11でのテレビ再放送とバンダイチャンネルとアマゾンプライムビデオで何回も見た
・劇場版は、映画館で3回見た。
・DVDを買った。アマゾンで予約して。1回通して見た。

・「これが本当のアンツィオ戦です!」も当然見た
・本編パッケージDVDはまだ買ってない。なお、ウチにBD試聴環境が整ってないため、本編BDも持ってない。
・「月刊戦車道」は買おうとしたときには売り切れだった
ガルパンでガキ以来の戦車模型に出戻った。今ではほぼ毎月「アーマーモデリング」買ってる。こないだ買い逃したBT-42を再発でゲットした。今はプラッツ(ドラゴン)のまほティーガーI作ってる。
・コミカライズは、「リトルアーミー」は、I、II、両方読破した。「リボンの武者」も読破した。「マジノ戦」はまだ。才谷屋版コミカライズはまだ一巻だけしか読んでない。「らぶらぶ作戦」は読破した。
・サントラとドラマCDもまだ買ってない。配信で「Dreamriser」と「Piece of youth」は買った。
・大洗には行ったことはない
・推し:恋の呪文はミカアキミカアキ

 


さて、発売前に予約したひとたちは、劇場版ガルパンBD/DVD届きましたね。今は、おもっきし見まくってることと思います。
ですが、劇場版本編を見るだけで、おしまいかい……?まさかね。
我々は、なぜパッケージを買ったか?もちろん、あの興奮を、いつでも見返せるというのはあります。ガルパンおじさんの粘着力をなめるな。
だが……そう、そうだ!
映像特典の「愛里寿・ウォー」が、俺達を待っているのだ……!

この読解・考察記事は、ガルパン初心者を最初から振り落としてガルパンおじさん・おばさん向けに特化しています。
「西住流と島田流の関係」「なんでIV号戦車があんこうやねんww」という人を最初から想定していません、読者として。ガルパンマニアにだけ向けた記事です。
では、ガルパンマニアになにを訴えかけたいかとういうと……

「愛里寿・ウォー」、最高だったな!

ということです。
そういうわけなので、この記事は、徹頭徹尾「愛里寿・ウォー」、ひいては「ガルパン」の礼賛にすぎません。アンチはさっさと帰ってください。

なお、記事の進行は、基本、「愛里寿・ウォー」の物語進行と共に語っていきます。画面キャプは張りませんので、暇な人は、愛里寿・ウォー見ながら、この記事読んでみてください。

でははじめます。パンツァー・フォー!


●主題歌「DreamRiser

上記のように、ガルパン本編のDVD/BD持ってないもので、映像特典の「○○・ウォー!」を見たことがなく。
というわけで、「○○・ウォー!」シリーズで、このように主題歌が流れる仕組みになってるかはわからないのですが、とにかく、のっけからTVシリーズのように「タカターン!」と主題歌が流れ、あのOPになる、っていうのは、なんとも懐かしい。

(※主題歌「Dreamriser」「Enter Enter MISSION!」「Piece of youth」が、「島田愛里寿」という少女とどのように関わっているか、についての考察は、本筋とは離れるので、記事末尾で補足という形で取上げます


●学園艦が戻った

お話は、愛里寿が「大洗に転校したい、高校生活送ったことなかったから」ということで、愛里寿が転校してくるとこからはじまり、愛里寿が来て、見て、楽しんで、そして物語は終わります。なんというシンプリティか……

さて、学園艦ですが、愛里寿率いる大学選抜戦を終えて、無事に学園艦は彼女たちのもとに、名目ともに戻ったようです。これでまた、小役人メガネが策を練って「やっぱアレなし」にしたら、流石に「もうええかげんにせんかいっ!」と怒鳴りたくなります。

劇場版であのような感動的な「学園艦が戻った姿/みほの心からの笑顔」が、絵として写っている……わたしはあれを見て、例えようもなく感動的だったにも関わらず、どこか一抹の寂しさを覚えていたのも事実です。
それは「ああ、もうガルパンは、これ以上はなく、ここで終わりなのだな」
という寂しさです。

去年の冬から今年初旬にかけて……劇場版を見るまで、なんか、この劇場版がやってる、ってこともあって、ガルパンはこれからも延々と続くのかな?というイメージめいたアトモスフィアを一瞬感じていたのです。ですが、劇場版見て、確信してしまったのですね。
「ああ、もうガルパンは、これ以上はなく、ここで終わりなのだな」
ということを。それだけ感動的なラストであったのですが、しかしファン心理としては、さびしいものを覚えていたのも事実。

で、今回の愛里寿・ウォーでもって、「これからもあるよ!」というふうに心をウキウキさせて……は、いません。ぼく。なんといても、これはサイドストーリーなのですから。
ただ、ファンとしての心理はともかく、学園艦がいつもと同じように戻ってきた、ということ。それは、彼女たちの戦いが無為ではなかった、という何よりの証左でありました。だから、いつもの学園艦の呑気な描写に、ちょっとした安堵……というか、安堵と静かな感動(劇場版を経ての持続的な感動)を勝手に覚えたわたしでもあるのです。


●愛里寿は誰からも嫌われていない

それにしても、愛里寿は皆から好かれています。というか溺愛されています。
会長が手元に大事そうに備えている写真。それは大学選抜戦のあとの集合写真ですが、一番真ん中に愛里寿が写っています。ヴォイテクと一緒に。よく見れば、会長が愛里寿の肩に手をかけているようにも見えます。みほは、愛里寿からのボコ……「勲章」を持っていますね。

「え”? 島田愛里寿が転校してくる?(イヤだなぁ面倒だなぁ)」というのではなく。誰一人としてそんな感情を表してはいません。
「え、島田愛里寿が転校してくる!?やった、楽しくなるぞっ!」
という、嬉しさしか、大洗の面々からは伝わってきません。

さて、愛里寿といえば、大学選抜のリーダー。「敵」でした。
なぜ、これほどみんなから、喜ばれ、溺愛されているのでしょうか。

「そりゃあ愛里寿たんが超ぷりちーだからじゃっ!」
と愛里寿オタのひとは豪語しそうですが、ちょいおまいらもちつけ。いや、それを否定なんて、全然出来ない……ましてや「愛里寿・ウォー!」を経ての我々には、愛里寿のぷりちーを否定できるわけがない。

が、論点がずれてます。
「なぜ大洗の面々は、愛里寿を溺愛するか?」

まず、逆説的ですが、愛里寿が「強大な敵」だったから、といえます。戦車的に。
それほど、愛里寿は強かった。ボコの歌を歌いながら、単騎で乗り込んできてからの、超無双は、ガルパン至上例をみないものでありました。
さらに、指揮官としても相当の腕前。アズミ・ルミ・メグミという大学のエース級を完全に掌握しての指揮。
そしてやはり、最後の西住姉妹との激突。あの最強西住姉妹を一人で相手して、互角以上に渡り合うという、戦車乗りとして作中最強クラスの腕前。
まさに、覇王的な存在であります。

ですが、愛里寿は強大な敵ですが、「あくどい悪さ」は一切していないのですね。ここがポイントです。
つまり、学園艦つぶしや、戦車戦の妨害は、あの小役人メガネが全部やっているのです。ガルパン劇場版での『悪」……というか、戦車道にはずれた、こすっからい行為というのは、全部小役人メガネがやってる、というふうに、「敵の強さ」と「敵のあくどさ」が分離しているのです。

ところで、以前自分が見た面白い考察のひとつに、
「なぜ島田千代ママ(ちよきち)は、愛里寿が試合に負けたのに、ボコミュージアムのスポンサーになったのか」というのがありまして。
それは、単純に娘かわいさの親バカ、というのもありますが、しかし、
のない戦いを、娘にさせてしまった」
という、仕方なしとはいえ、親……まして戦車「道」という、人格育成も含めた武道の体現者・島田流家元(愛里寿の師匠)としての、罪の意識、というのが、千代ママにある、という考察です。

あの選抜戦は、ガルパン作中の世間からも言われているように、義のない戦いでした。大洗を「つぶす」ものでした。策というか、こすっからい作為というか。そんなものを、めっちゃ動員して。
「あの戦いは、ほぼ大洗の公開処刑」というふうに言ったひともいます。
英雄の首を撥ねる首切り役人は……大体、ヘイトをくらいます。キリストに槍をぶっさした役人が、後世、いい描かれかたをしないように。
再度いいますが、悪は、小役人メガネなのです。愛里寿は……「たまたま」使われた最強の武器、だっただけなのです。

そういうことを、大洗の面々は、皆知ってたわけですね。というか、ここまで考察しなくても、「わかってるよっ!」と、大洗の面々には一蹴されそうですね。これもまた、大洗の面々の魅力でしょうか。(妄想

そして、戦車でもって正々堂々と戦ったら、そこには友情が生まれる、というのが、この作品のテーマのひとつです。百の言葉よりも、一回の戦いで全てを悟る。
だからこそ、大洗は、島田愛里寿を、溺愛するのです。強さを……その中にある、愛里寿の姿を、戦いを通して感じ取ったから。


●桂利奈の演技派

ウサギさんチームは、はじめて入る「後輩」に色めきだちます。そこで面白い挙動を見せたのが、ウサギさんチーム随一の脳筋……というかアホの子の桂利奈です。
なんというか、「こうだったらかわいいよね、後輩愛里寿」を完璧に演じきってみせました。まさかこれほど、演技派だったとは思いませんでした

強引にその理由を考察してみると、彼女は特撮とかが好きなようで。それでもって、こういう演技が旨くなったのかなぁ、と、一応は理由付けしてみますが、やっぱ強引かな……。

それにしても、そこからの流れるような桃ちゃんdisには、惚れ惚れするような、まさに伝統芸能のような滑らかさがあります。そこで言われてる桃ちゃんの欠点って、何一つ間違ってないんだからまったくもうw


●風紀委員はもう麻子が大好きなんだから

風紀委員トリオは、愛里寿が「不良」だった場合どうしよう、という想定をします。
ですがここでまた演技をするのですが、その演じた姿というのが、ほとんどまったく、麻子にそっくりなのですねw

ああ、そど子(たち)にとっては、麻子が「不良」の典型例なのだな……と。というか、風紀委員たちにしてみたら、あの穏やかな学校で、麻子程度の不良が「不良の典型」になるのだから、よほど大洗というのは、呑気な学園なのだなぁ、と。エリカやアリサなんか転校してきたら、もう大変ですよね。


●自動車部

ええと、ぼくはミリタリは好きですが、自動車には詳しくないので、ここでの専門ネタは割愛します。もっと詳しいひとが解説してくれることを望みます。しかし、ここで島田ちよきちが出てきたのは「なぜにw」と笑ってしまいましたね。一切……いっさい、大洗の面々とのカラミ、なかったでしょ、ちよきち!!

 

●ボコ好きのテンション

ボコと聞いただけでテンションが上がる、軍神西住殿であります。ボコについては、このあとの「お泊り考察」でしますので、ここでは割愛。

 

●愛里寿の弱さ

今回、今まで無敵だった愛里寿の「弱点」が次々と現れます。
船酔い、トマトソース、チーズ、アンチョビ、オリーブオイル嫌い……まさに子供!
バレーもそんなに好きでない……。
別にネタを並び立てているわけではないですが、結構好き嫌い激しいのね、と思わされます。しかしわがまま前回、ということもない、演出の絶妙のさじ加減ですが。むしろ、ここでちょっとのスパイス的な「好き嫌い」を演出することによって、もともとお姫様的な愛里寿の人物造形に、お姫様的な深み(きらびやかさ)が付与された、と考えるのは、俺も愛里寿に相当毒されてきたロリ魂だというのか……!!

しかし、よく考えてみれば、劇場版では、愛里寿というのは「完璧に強い」としか描かれていません。
このあたり、……まだドラマCD第五巻を聴いてないのでなんともいえませんが、継続ミカが、本編での完璧超人スナフキンぶりから、どこか抜けてるキャラ、へと属性が、ドラマCDで付与された、という風の噂をききました。

これと似ているとこはあって、ようするに、愛里寿の最強性を、これ以上喧伝する必要はないのです。それはもう劇場版でおなかいっぱいです。
むしろ、弱点……抜けているとこを描写することにより、よりいっそうの魅力を!ロリ的魅力を!というとこが、今回の弱点描写において重要なのです。

しかし……「愛里寿・ウォー!」の恐ろしいところは、弱点を描写することなど、序の口だというのです……「お泊り」で描かれた愛里寿の上限を突破した、殺人級の可愛さといったら!!!


アンツィオの魅力

なんでこいつらいるねんww
しかし、アンツィオだったら、いてもサモアリナン、と思わせるところがあって、俺もアンツィオに毒されてるな……としみじみ。

それにしても、すげなく愛里寿に断られておきながら(アンツィオの食を否定するって、全否定じゃないですかーーー!!!)、ほぼノータイムで残念会に切り替える切り替えの速さ、タフネス! これぞアンツィオアンツィオたる、陽性の理由ですわ。だから皆、アンツィオが好きになってしまうのです。


●学校紹介

皆、自分のことばっかり……ですが、これは「自分たちの流儀で愛里寿を迎えよう」というとこの、証左です。
皆が、「転校生にはこうしておけばいいだろう」ではなく、自分たちの流儀で楽しんでもらおう、ということをしています。まさに愛里寿溺愛です。その理由はさっき語ったから、繰り返しません。

ですが、さらに上を行くのが、あんこうチームであって、この少女たち、一番「ふつう」な対応をするのです。
なんというか……まあ、あんこうチームって、歴女チームやネトゲチームのように「これ!」っていう特色はないです。ですが、彼女たちは、「大洗で女子高生の友情生活」を一番楽しんでいる、といえるチームではないでしょうか。

そのことは、本編でもう散々描かれたのですが、しかしよいものは何度見てもよいものです。放課後、愛里寿を誘って、お茶したり、鍋を囲んだり。
なんというか、ここで「Piece of youth」が流れてもいいくらいの平和な姿に、おじさんは涙ですよ。まさに、「いつもの放課後」が「大切なピース」であるのです。このときの画面描写は、夕日の光が複雑に幻想的で、しかしやさしくて、とてもいい感じです。

島田愛里寿にとって、「普通」とはなんでしょうか。このことは、末尾での「主題歌と島田愛里寿」でもまた語りますが、島田愛里寿は、「普通」とは、とにかくかけ離れた天才少女です。飛び級、戦車道の家元の娘、天才指揮官/天才戦車乗り……。

でも、そんな少女が……いや、そんな少女だからこそ、「普通」の生活にあこがれていた、ということがいえます。
ある意味で、それはみほが普通の生活、に憧れていたのと、ほとんど同じかもしれません。いや、同じでしょう。

みほは、過去の重い失敗から、逃げるようにして、「普通」を得ようとしました。
逆に、愛里寿は、別に逃げてないのですね。逃げてはないですが、しかし、「別に逃げ場所もなかった。安らげる場所もなかった」とは、言いすぎでしょうか?

言いすぎかなぁ……ちよきちも、そんなに鬼のように厳しい母親には見えない……あ、いや、神経質かもしれんがw
ただ、彼女が生まれ持ってしまった「才能」という道は、彼女の人生に「普通の穏やかさ」を与えるものではありません。

天才の孤独」というものがあります。あまりに能力、才能が隔絶しきっているからこそ、普通のひとの生活ではいられない、普通の時間の流れではいられない、というものです。
それは、すごい緊張を強いる時間の流れであり、生活です。
ましてや、ただの天才ならともかく……愛里寿は、十年に一人レベルの天才。飛び級は、みほ・まほですら出来ないのです。
(戦車道の天才と、お勉強の天才はまた違うでしょうが、それでも「隔絶した能力・頭脳・才能」は、やはり、戦車道に影響を及ぼさないわけにはいかないでしょう)。

そういう意味で、「別に逃げ場所もなかった。安らげる場所もなかった」……のが、愛里寿であった、とわたしは考察します。
……ボコ以外は。


●みほとのお泊り

かわいい……ここで愛里寿がボコパジャマに着替えて、みほの家で楽しく過ごします。かわいい……殺人級の可愛さや!

しかし、ボコの秘蔵DVD(西住殿の口から「秘蔵DVD」という言葉を聴くことになろうとは……)を、暗がりのなか、みほと愛里寿、二人でじいぃいぃぃいぃっと見るのには、さすがに二人の「心の闇」を垣間見ますねw

もちろん、上記で考察したように、みほと愛里寿、この二人の天使……じゃなかった(いやマジ天使!)、天才は、「孤独」ゆえの「ストレス」を抱え、「逃げ場・安息の地」がそんなにありません。ゆえの、ボコ趣味であります。

……とはいっても、それでも、ボコはなぁ……w いつにも増して、サツバツとしている秘蔵DVD。やっぱりボコはボコられる。

これまで、ボコでしか、内的ストレスを浄化することの出来なかった二人でありました。
しかし……就寝時、愛里寿は最高の笑顔を見せます。それはボコを話題にしたものではなく、みほが発した「友達と一緒にすごすのが、高校生活では一番たのしい」という言葉に、です。

これは、愛里寿もまた、みほたち大洗の面々との、「友達」になれた、ということ。
そして愛里寿とすごせたこの1日もまた、「高校生活で一番楽しい」ひと時に違いなかった、ということです。論理が理詰めでめんどくせえですが、こんなことは言わなくたってわかるよなぁ!
そりゃあ、愛里寿もまた、天使の笑顔になりますよ!


●……しかし、入学せんだった

入学しなかったオチが、「大洗の生徒になってしまったら、みほと戦えなくなる」から、というのは、超論理でした!
が……もちろん、愛里寿は、大洗の面々と過ごした1日を、価値ないもの、と思っているわけではありません。あの笑顔がそんなわけでは!

むしろ、「戦車道の試合」もまた、「友情」の営為なのです。いや、愛里寿……生粋の戦車乗りにとって、「戦車道の試合」こそが、友情の姿に他ならないのです。最も友情を確かめ合えるのは、戦いのなかで。

まさに、「戦車道には、人生の大切なことが全て詰まってる」のです。
永遠のライバルと言う形にこそ、意味がある……!

しかし、それにしても、他の学校に愛里寿入学できるんだろうかw


●愛里寿・ウォー!というタイトル

ここまで長らくお付き合いいただいて、ありがとうございました
さて、記事の結びとして、タイトル。
これは、実はトリプルミーニングでしょう。

(1)愛里寿を獲得しようとする、大洗の面々の戦争
(2)愛里寿の戦争的な可愛さ
(3)愛里寿……うぉぉおおおおおおおおおおおおお!!!!!(叫

(2と3、同じやないか!!)
ひどいオチ


●補足「主題歌「Dreamriser」「Enter Enter MISSION!」「Piece of youth」と、島田愛里寿という少女の夢」


本文中で述べたように、この主題歌、いずれも「みほたちの歌」であります。どこまでも。
「じれったい夢」は、愛里寿には似合いません。さくっさくっと、夢はかなえていってしまうのが、天才です。
世間の「無関心」は、島田愛里寿に似合うものか。天才の挙動は、ニュースになるほど。

そう、とにかく「DreamRiser」は、負け知らずの少女、天才・島田愛里寿には似合わない。

「失敗して」「落ち込んで」……愛里寿はこういうことをするでしょうか?あの天才が?
元気出せ「気にしない」……最初から愛里寿は気にしてないでしょう。

そう、また、「Enter Enter MISSION!」も、負け知らずの天才には似合わない。

では、これらの歌は、島田愛里寿には無価値なものか?
ここで、島田愛里寿もまた、「DreamRiser」である、との考察をします。

「明日を変えていくの 過去最高にドキドキしてる!」
これは、「DreamRiser」二番の歌詞ですが、愛里寿もまた、大洗の平和さを、ひとつの「夢」ととらえ、この学校に転校することを、ドキドキしていたでしょう。

そう、愛里寿は完成していますが――まほお姉ちゃんとその点似ています――しかし、それでもあの大学選抜戦を通して、また変わっていこう、という決意を、その小さな胸に抱いているのです。
その前を向こうという、精神。そこが愛里寿の素直さであり、輝きであり。老獪に「これでもういいや」という諦めは、愛里寿ではないように思えます。

愛里寿だって……まだ愛里寿は13歳です。

「もっと強い可能性になれ」!
そう、何かに……戦車道に、鼓舞されたのでしょう。そうでなければ、世界はずいぶんと薄ら寒いじゃないですか。

そして、愛里寿の夢は……?
愛里寿は、別に戦車の修羅としてしか、生まれてきたわけではありません。日常の幸せの欠片をもまた、拾いながら生きていくことに、少しずつ目覚めた少女なのです。
それが、「愛里寿・ウォー!」の言外の意味であり、ここで「Piece of youth」に繋がってきます。

この大洗での日々が、また「ぼくらの欠片」のひとつであり、それが「ぼくらの未来 作ってく」であるのです。

この先、また、愛里寿は大学選抜のリーダーとして、世界に羽ばたいていくでしょう。そこで、連戦連勝もあるでしょうし、敗北もあるかもしれませんが、それは、今のガルパンでは、語られない物語です(……案外、「リボンの武者」がサラっと語ってしまう可能性もなきにしもあらずw リボンなら……w)。
しかし、まだ愛里寿も、「誰も知らない 進化系の今」である、ということ。彼女もまた、そのような可能性(Mission)に向かって「Enter」であることは……って、ちょっとギミックじみた書き方が過ぎたかな。

それにしても、デフォルメ愛里寿とセンチュリオン、可愛すぎじゃないですか?