残響の足りない部屋

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最近わたしの音の暮らしはこう 2024年春 坂本慎太郎ソロとゆらゆら帝国と亀川千代

坂本慎太郎氏の音楽

坂本ソロ4thアルバム「物語のように」インスト版付きの初回盤CD

この半月ばかり、ずっと坂本慎太郎氏の音楽(坂本ソロ、ゆらゆら帝国)を聞いています。ようやく、坂本氏の音の世界にハマりました。


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さて、ゆらゆら帝国のベーシスト・亀川千代氏が先日逝去されました。

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その追悼の意味でゆらゆら帝国・坂本ソロ作の音楽を聞き直してハマった…というわけでは実はないのです。以下、きちんとお話します。

私は以前から中期以降のゆらゆら帝国のCDを買ったり、近年の坂本氏の音楽をチェックしていましたが、正直完全にハマりきることは出来ていなかったのです。音楽作品の深さやバンドの存在感に尊敬はしていたけど、まだ坂本慎太郎世界にはハマれなかった。

しかし今年の3月末から4月頭に、私はリアル仕事で重要度の高いイベントを控えていて準備に結構忙しく、疲れていました。そんな仕事を終えた夜中、なんとなく近年の坂本氏のソロ作をyoutubeで聞いていたら、すごく心にスッと入ってきたのです。坂本氏の声…歌い方が、メロディが、奇妙な世界にいざなう歌詞とサウンドが、スッと入ってきた。それは、単純な表現で申し訳ないですが…とても良かった。このブログで何度も書いているLo-Fiフィルター以降の耳になっていたから坂本氏のサウンド世界がわかるようになったのでしょうし、今の私の心情が坂本氏の奇妙な世界観を心の底というか根の方から欲していたのでしょう。

↓(Lo-fiフィルターについて)

中年音楽マニアとLo-Fi HipHop - 残響の足りない部屋

 

もっとこの坂本慎太郎氏という音楽家の作品世界を知りたい。そうして私はハマりました。ようやくハマりました。そして当然のことながらゆらゆら帝国の作品&ライヴ音源を聞き返すことになるのです。

 

なので私の坂本慎太郎体験(ハマった順番)は、ソロ→ゆらゆら帝国、という遡り方です。今までレコード屋ゆらゆら帝国のCDをリアルタイムで見かけてはいたのですが、その時は「良さそうな感じだけど、まぁ今はいいかな」という具合でした。でもその当時買っても、多分理解出来なかった(ハマれなかった)と思うのです。そして、もしその当時サブカル趣味的に半端に理解してドヤ顔しているくらいなら、今こうしてしみじみ「坂本氏の世界は本当に良い…」と思えている方がずっと良いと思う。


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今、歌詞カードやアートワーク(これらのデザインも坂本氏によって手掛けられています)を見ながら、あるいはYoutubeの動画作品を見ながら(この動画にもかなり坂本氏は関与していますし、「ある日(One Day)」は坂本氏による全編手書き&自身編集のアニメで最高)、坂本氏の音楽を聞く。独りで。それはとてもすばらしい豊かな音楽体験時間です。良い感じで私は音楽と向き合えている。正座してにらめっこしてシリアスに聞くのではなく、ちょっとリラックスして聞く。

だんだん自室の空間が奇妙になっていく。あの歌詞の独特のズレが、鋭利に刺しこんでくる。奇妙なサウンドが、別世界にいざなってくれる。それは自室に居て異国情緒を感じているのに近い。そして、坂本氏のスタンスというか…どこかとぼけているユーモアと、醒めた認識と、世界に対する居心地の悪い心情と、面白いおもちゃみたいな物が、走馬灯のように夢見心地で展開されるあの坂本世界観…そうしていつの間にか部屋の空間は坂本氏の世界になっちゃっているのでした。

 


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そんなわけでソロ作から中期以降のゆらゆら帝国のCDを遡って聞き返しているわけですから、実はまだサイケでビート感ある初期のゆらゆら帝国にまで聴き込めていません。でもタイプの違う最高がすでにある、っていう状況って音楽好きとして最高じゃないですか? まぁそれはさておき、そんな風に遡って聞いてるわけなので、ビート感ある激しいロック云々よりも、坂本氏のいろんな変な世界を探訪する、というスタンスで私は坂本氏の音楽を聞き、愛好しています。

 

ゆらゆら帝国ベース・亀川千代

そんな中、亀川氏の訃報を聞きました。「えっ」と思いました。もちろん、早すぎます。しかし私は…こういう表現をあえて使いますが、ゆらゆら帝国については「にわかファン」です。さぁてこれからゆらゆら帝国のアンサンブルをライヴ音源も含めて聴き込んでいくぞ、と音楽体験の準備を整えている矢先の事でした。なので、「えっ」という当惑。そしてその当惑は今も続いています。

だってゆらゆら帝国のベース凄いんだもの。例えばゴリッゴリに歪んだリフをぶつけてくる時でも、そのぶつけ方そのものが楽曲の世界観・空気感を表していたり。ギターと完全にユニゾンして長いフレーズを奏でる演奏があり、しかし時にギターのフレーズを裏切るように独自の音をサッと入れてきた時の快感たるや。ライヴ音源のグルーヴというかベースラインのうねりっぷりの心地よさ、限界のなさ。


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ベースラインの限界のなさ…それは初期のロックンロール的曲調でももちろんそうなんですが、中期〜後期の、いろんな不思議な世界の表現でも表れています。その亀川氏のベースそのものが、各「世界」の大事な要素なんだと。亀川氏の自由なベースがそこにあることが、ゆらゆら帝国が描く様々な世界(ほんと「世界」のバリエーションが多い)に欠くべからざる存在。

その事に気づいた時、ゆらゆら帝国のあの有名な解散宣言「バンドが出来上がってしまった。これ以上のものは出来ない。あとはルーチンワークになるだけだ」というのが、別の角度からちょこっと理解出来てしまったような気がしたのです。そういう個性的な存在がそこにしっかりと居る、という幸福な不幸、というか。これだけの存在が横にこうして居て、しかも長いバンド生活でいろいろなことを実験し、いろんな「世界」を表現しまくった。そしてあのアルバム「空洞です」…。いろんな世界を表現し続けて、最後に辿り着いてしまった。そんなゆらゆら帝国の三人の「やりきった」という感覚…それは創作者としては恐ろしい境地なんですが…。


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話をもとに戻しますが、そんな風に私はゆらゆら帝国のニワカファンなので、私なんぞが亀川氏の訃報にショックを表明していては、長年のゆらゆら帝国ファン、亀川氏のファンの方々に対してあまりよろしくないのでは?と思いました。申し訳ないというか。だから語れもせず。

それでも日々は続き、私はゆらゆら帝国を聞いていくわけです。そうするごとに、バンドの楽曲が描くいろんな「世界」を見ていくわけです。そうする度に「凄いベースだ」という認識と「そのベーシストはもうこの世に居ないんだ」という感慨を同時に抱きます。そういうちょっとした思いは、やはり浮かびます。

そこで、だから、ゆらゆら帝国を持ち上げて過度にレジェンド化して聞こう&語ろう、っていうつもりもないです。私はやはり、坂本氏&ゆらゆら帝国の描くいろんな「世界」に用があります。追悼でもなく、レジェンド扱いや歴史的リファレンスで聞くのでもなく、懐メロで聞くのでもなく、「今の私に必要な音楽」として、用があるのです。上で書いたように、それは今の私にとってとても大事なものですから。

その上で。逝去された亀川氏のことを思うに…私は亀川氏に「感謝」することしか出来ません。もうその感謝はこの世では届きません。それでも私は亀川氏のベースに、ライヴでのベースプレイに、彼が作った世界に、感謝をしたい。亀川氏がベースを弾いたから、ゆらゆら帝国は在った。そうしてゆらゆら帝国はいろんな曲、アルバムで、いろんな世界を作り出した。その世界が、今の私をゆらゆらと「良い気分」にさせてくれているのだから。

そんなわけで。
これからも、もっとゆらゆら帝国の音楽を聞きます。少なくともまだ初期の音源で聞いていないの結構あるし、ライヴ盤もだし。それからベースを弾いていた不失者(灰野敬二のバンド)もいつか聞くことになるので楽しみにしています。そしたらまた亀川氏の逝去・不在を思ったりするようになるんだろうなぁ。

亀川千代氏、安らかにお眠りください。

 

 

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