残響の足りない部屋

もっと多く!かつ細やかに!世界にジョークを見出すのだ

【外部での活動報告】『火星年代記』対談のおしらせ

書評・サッカー・エロゲレビューブログ「止まり木に羽根を休めて」の管理人・feeさんと、対談ブログ「止まり木の足りない部屋」にて、レイ・ブラッドベリの代表作である連作短編集火星年代記の長尺対談をやっております。

zankyofee.jugem.jp

前回の短編集『太陽の黄金の林檎』読書会に引き続いて、feeさんにはこのような機会を設けていただき、ありがたい限りです。

というのも、自分は華氏451度」焚書情報統制ディストピア文学イメージが、ブラッドベリについては強くてですねー。それが、実際は「すこし・ふしぎ(SF)」な幻想要素のある、センチメンタル・ノスタルジアな、ほのぼのホラーSF作家、だというのに、feeさんとの対談を通じて気づかされた次第です。

知らないっていうのは怖いというか。イメージに左右されるというか。
前回の記事でブッシャリオンについて書きましたが、結局ブッシャリオンも出オチな徳パンク(SF仏陀・バチアタリ東洋サイバーパンク)設定だけに収まってないですからね。むしろその出オチめいた設定をどんどん物語的に深めていってる。

本対談でも、「これは考えればディストピアだよな」といういくつかのSF設定を巡ってお話してますが、ブラッドベリは「設定を出せばよろしい」としているのではなく、その設定でもって、精神性、人間性というものを描こうとしている。だから、真に見るべきは隠喩でなくて、物語なのだな、と。そういう読み方は批評的には愚直かもしれませんが、しかし「物語」ってそういうもんだよな、と。

むつかしく書きましたね。ようは、例えば大人になっても大人になりきれない少年魂(センスオブワンダー)というか。そんなSFのセンチメンタル・ノスタルジアな魂をいつになっても大事にし続ける俺たちが火星を愛しているんだ!という勢い任せの紹介で通じるかなぁ(通じません

そんなふうに、楽しく対談しております。ディストピア文学でなく、すこしふしぎSF文学としてのブラッドベリ、興味を持たれたら、ぜひお読みくだされ熱き魂の相克対談!

黄昏のブッシャリオンのこと(第0回、物理書籍発売直前&レビューの為の用意)

※この紹介文は基本、ニンジャヘッズ的教養を修得が前提です

 

黄昏のブッシャリオン」とは、碌星らせん氏による、今、全浄土(アマネク・ニルヴァーナ)を震撼させているオリジナル・徳パンク・WEB小説です。浄土って物理的広がりがあったのか。

なんと、明日(2017/9/8)、物理書籍化します。めでたや。

kakuyomu.jp

kadokawabooks.jp


 いつかブッシャリオンについて語らねばなーと思っていたわたくし(自分でもweb小説とかtwitter小説をやってる)でありました。今まで #徳パンク 実況はしてなかった自分ですが、読んでいたんですよ。

 ときに今日、発売を祝してブッシャリオン運営側で、イベンツが行われるとかいうので、これ幸いとレビューを投稿する体(テイ)で、日ごろのブッシャリオンに対する感想とか思いをぶちまけようというものです。その場のノリを大事にするイージー・ゴーイングなガンジー的ノリで。

 ブッシャリオン書籍レビューに関してですが、明日アマゾンから物理書籍がたぶん届くと思われますので、到着前&読書前のこの記事では下準備というか、だいたいわたくしはブッシャリオンのどのへんを楽しんでるか、っていうのを紹介したいと思います。

●ニンジャスレイヤーのフォロワー?

twitter小説ということで、ニンジャスレイヤー(忍殺)のフォロワー?というふうに目されてる部分があるかもしれません。
というより、多くのtwitter小説って忍殺のフォロワー的な部分……そこまでいかなくてもあるいは忍殺を「研究している」部分があるかと思います。自分のだって一時期まで、結構意識してました。まあ、そういうTwitter小説のなかでも、例外があるとしたらあれだ、FFS(ファイナルファンタジーS)

で、ブッシャリオンが「フォロワー」なのかどうか、という点ですが、「内容面においてはかなり違うのだけど、更新運営面においては忍殺ほんやくチームをかなり意識している」ことは確かかなぁと。

告知における胡乱な言葉遣い。本編と本編の間に挟まれる与太。告知システム……ブッシャリオンは原作者・碌星氏のほかに「運営チーム」というのがいて、その運営チームが、碌星氏を焚きつけて原稿を書かせ、受け取った原稿をtwitter連載してるようなので。
もっともこの「運営チームって結局碌星氏なのではないか?」というボンモー実在疑惑にも似た謎さでありますが、まあそこのところは黙って「あ、お疲れさまです運営チーム」と見てあげるのがtwitter小説の優しみかなぁと。

忍殺への意識はやむを得ないと思う。あの「あなたがtwitterで小説を発表するうえで重要と思われること」通称忍殺メソッドは、かなりのインターネット・テキスト表現者に影響を及ぼしている。
で、「自分もtwitter小説をやってみよう」と思うひともいた。わたしもその一群であります。
ただ、twitter小説ってかなり体力(実際的リアル体力)がいるのです。スタミナ(リアルスタミナ)がいる。毎日更新ってかなりキツい。

そのあたり、碌星氏&運営チームは、先行をかなり研究して、無理のない運営方法を定めていると思う。ブッシャリオンがこれほど大部の長編になり、連載が続いてるのがその証拠であります。

しかし、器(連載運営方法)が確立しても、内容がフォロワーだったら「やっぱりフォロワー」になる、という点ですが、……ブッシャリオンって、忍殺とだいぶ「読み心地」が違うのですね。

 

●1 溢れる仏教×サイバーパンク!すなわち徳パンク!(設定が多い)

 たしか芥川だったか。あるいは村上春樹河合隼雄の対談だったかで、「かつての仏教美術は、想像力の産物だった」「ある種のSFというかファンタジーであって、当時の人々のイマジナリーが爆発した結果、あの色彩感覚が生まれた」みたいなことを言ってたかと思うのですが。

 ブッシャリオンの設定は多いです。得度兵器、仏舎利、徳エネルギー……というかtwitter連載や、カクヨムの更新の毎度のラストで、TIPSというものがupされるのですが、この「設定資料」が多い。以前自分は、twitter小説論をちょっと開陳したときに、ブッシャリオンのそれを「設定エントロピー」と呼んだのですが、とかく多い。

ただ、それもなんかずーっと読んでると、二郎系ラーメンの「食っても食ってもまだ出てくるぜ」的な、もっともっと感になっていって、逆快感になったりする不思議。

 今にして思えば、忍殺っていうのはパワーワードと設定を組み合わせることはしても、「パワーワードに基づく設定を、暗記するレベルで理解しなくてもいいですよ」という無言の折り込みはあったと思うのです。

 対し、ブッシャリオンはかなり読み手に「設定を理解してね」というのを迫る……少なくとも自分は迫られた。

 たとえば、得度兵器に代表されるブッシャリオン・メカなのだけど、ビジュアルはふつうに仏像とか、サイバーパンクのそれ、ということでOKなのだけど、そのエネルギー機関の仕組みとかが理解するのに手間どった。さらには、当たり前のように出てくるSFワードと組み合わせて説明されるため(衛星エレベータとか)、「うわっ設定、うわっ設定!」と設定説明の連続パンチを受けてるような状態。

……しかしさっきも言いましたが、それに逆快感を覚えるようになったら、たぶんブッシャリオンをじわじわ楽しんでいってる人間になってるのだと思います。

 

このあたりのかなりヘヴィに胃もたれしそうな設定連続パンチの読み応え、っていうのが、「忍殺と違う読み心地」のひとつめ

●2 物語のベクトル

 2つ目は、物語の進行ごとに、群像劇めいて登場人物が変わる、ということ。その上で「どこからでも読んでOKな連作短編な感じが薄く、ひとつの巨大なベクトルの上での物語感がする(個人の感想」。

 大河長編ではありますし、各部でメインキャラもいます。が、連作短編感は薄い、というか。「どこからでも読んでOK」な感じは、自分としてはあまり感じなかった。

 たとえば第一部「強制成仏」のカラッと乾いた荒野ディストピア・徳パンク・バディ物珍道中を経て、やはり第二部「得度戦争」の薄ら寒くもずいぶんとトリッキーな構造が飲み込めてくる、っていう感じにわたくしは受け取りました。第二部を最初から見せられても、物語の完成度とは別に、「のっけから意味不明でうーん」という感じにはなると思う。それくらいガラっと変わりつつも、設定自体は第1部から引き続いてるので。

 所々でガラっと変わる(視点も)長編でありながら。しかしやはり大河長編らしく「一本筋が通っていて」、総合小説らしく「語られざる/いずれ語られる、さまざまの物語」の集合体、という感じがある。

 

 同時に、上で書いた様々の設定、というものに、が宿ってる、ということがこのあたり(第三部あたり)まで読んでったらわかるようになる、っていうのが、もう戻れないブッシャリオンの魅力だと思います。
「うお設定、うお設定!」っていうふうに次々設定が出てきますが、その逆快感に、物語的に正当なる「人々の妄念の果てにその設定があるのだ」という物語を持ち込まれたら、「うおーっ!」っていうふうになりますよね。

 

 アフター徳カリプス、という設定。ディストピア/ポストアポカリプスものであるブッシャリオン。そんなでありますから、人は滅びかけ、大地は荒れ果て……かならずしも不毛の大地というわけではない、からおもしろいものです。
 自分が好きなブッシャリオンの設定。

荒野に赤い蓮の花が降る。黄砂の混じった、桃色の大きな結晶の雪。それを誰かが蓮の花と呼び始めたのは、一流の自虐なのだろう。
 徳カリプスの影響によって上層大気が変質し、今では時折この雪が、季節を問わず降り注ぐ。 カクヨム連載版「黄昏のブッシャリオン」第23話「声が聞こえる」

「徳」というものが何なのか。人の喜ばしいものではなかったのか。「強制された歓喜」という言葉もありますが、徳というものが強制されて、もはや物質になってしまって。それでも徳というもの(善性)を捨てきれない主人公ガンジー、そして相棒クーカイ……

 

●3 世界観と人物

 ガンジークーカイのバディものとしての魅力は良いですね。結構最初から男くさい物語というか、カラッカラに乾いた荒野ディストピアでの、愉快なバディもの。

どうもこのあたり、Nightow先生のトライガンを連想してやまない。あ、このくだり、発売イベンツで質問コーナがあるというので、作者&運営チームに聞いてみよう。

いろんな舞台が出ますが、結構極地めいてる舞台設定だったりしますが、そのどれもに徳パンク(仏陀的東洋サイバーパンク)が混ざっているメカ未来ですが、なんか「自然の美」が結構残ってるんですよね。それもひっそり、ではなく、結構荒々しくもワイルドに、脳内に浮かんできます。

そのあたりの文章・物語の徳というか……あ、って使っちまった!w

 

 単純に「ネタ一発の物語」っていうだけでない、世界の拡がりがあるのがブッシャリオンのよいところです。第二部で極北の大地から「アレ」に移るところとか、第三部入りたてのところでパーン!と海の描写になるところとか。徳が無くなっても命は芽吹くんだなぁ、みたいに思ったり。そのあたりの皮肉交じりながらもプリミティヴなところが、ブッシャリオンの得難い魅力かなぁと。だって、登場人物、結局はみんなプリミティヴというか、まっすぐだもんなぁ。

 

そんなブッシャリオン、明日、物理書籍発売です。まだこのブロゴでいろいろ書いていく所存です。

 

twitter.com

私の嫌いな(退屈、眠くなる、面白みが見いだせない)音楽

※この記事は独断と偏見です。

現在、Twitter封印の修行をしてるわたくしですが(なぜTwitter封印をしようとしてるかはまたこの日記ブログで書きます)、ひとつだけ言及通知がピコーンときて、それだけ見ておこうか、と思ったら、そういう時に限って面白そうな話なんですよねw

 

文脈はこんな感じで、

 

 

 

 

 

「世間一般で評価が高いけれども、自分は面白さがビタイチわからん〇〇」

 

最初は音楽の話で。そこからエロゲにも広がっていっていますが。

 

もちろん一聴して「好きなものは好き!」という一目ぼれもあります。
また「……自分の感性が成熟してないのでは?」
「面白みを自分が見出してないだけでは?」
という疑念もあります。

「好意を持つのにそこまで努力する必要あんの?」という疑問に対しては、

「あるんですよ……。自分の価値観が反転して、【興味ない→いいやん!】【大嫌い→大好き!】にくるっと反転したケースっていうのがあって」というふうにね。
自分で例えれば、森博嗣とか、西尾維新とか。あるいはヒップホップとか、デスメタル(デスヴォイス)とか。そもそも自分の魂である「ジャズ」でさえもそうでしたから。

 

ただ。

何回も何回も聞いて。「ここには大切なものが詰まってるのではないか」という希望や、「後年、こいつらこんなに素晴らしい表現してるんだから、才能の萌芽があるんではないか?」という当たり前の推測とかがあって、何度も何度も聞いてはいるものの、一向に面白みがつかめないのが年単位である音楽家っていうのがあります。本項ではそいつらについて語ってみます。

また、そこまではいかずとも。部分的には良さがわかるけれども、なんか負感情……とはいわないまでも、聞いてて「退屈」をより多く感じてしまった「高評価作品・音楽家」というのがいます。

あまり「嫌い(HATE)」を並べたてるのも、よろしくない行為だと知りながら。でも、言い訳しますけど、残響ってあまり「嫌い!」を言わないひとなんですね。八方美人ということもありますが、同時に「嫌ったら忘れてしまう」ひとなので。

でも、以下に述べてるのは、そういうのを余り補って「退屈だったな……」とか「自分は結構時間注いだわりには面白みを見出せなかったな……」という音楽です。

 

なぜだ。

こいつら、世間的にすごい評価が高いんですよ。なにせしょっぱなから、

 

 

意外や意外、文系パンク精神主義・残響さんがこいつら好きでない、という。好きでない理由を列挙しますと、

ジョニー・ロットン(当時名義)の歌い方が「ナメてんのかテメぇ」的な感じで愛を持てない。クラッシュのジョー・ストラマーと比べるまでもない

・リフもリズムワークも面白くない。ガー!と鳴らしてるだけ。クラッシュ……ジョー・ストラマーリズムギターの疾走する壁、ポール・シムノンの動きまくるレゲエ・ベース、ミック・ジョーンズの煌びやかなギター、トッパー・ヒードンのドラムは走る!こんなクラッシュの音楽性の高さと比べると、ピストルズは正直音楽的に平凡としか言いようがない。自分はアティチュードの勢いには理解は示すけど、それ以上に「音楽」を愛してるんだ。

・ぶっちゃけシド・ヴィシャスに興味が持てない。

・あと、マルコム・マクラーレンのトータル・プロデュースがファッションの方面に寄りまくってるのが、この時点で「ファッション・パンクではないか」という批判をすることも出来る。

・つまるところ、ピストルズとは「現象」であったのでしょう。でも自分が好きなのは「音楽」であり「精神」であるクラッシュなんですよ。

 

(なお、PILに関してはちゃんと面白みを見出してます)

 

 

ゼロ年代において最強の妖気迫るプログレッシヴ・変拍子サルサ・ロックをカマすマーズ・ヴォルタの前身バンド。ハードコア、エモで、やかましくて疾走する……なんですけど。音楽性的にいったら、自分の好みドンズバだと思うんですよ。邦楽で例えれば、Zazen boysを今きいて、そこから遡ってNumber girlの青臭い爆音疾走にも価値を見出す、みたいなもんですし。

 

ところが……。セドリックのシャウトも勢いあるのに。ギターもやかましいのに。自分、こいつらの1stで、いつも寝る。どうしても3曲続けて聞けない。ほんとにこの轟音を聞いてると、眠たくなる。疾走してるのに。別にドゥーム系の轟音というわけでもないのに。

 

これ、自分にとって大いなる謎です。ここまで世間的評価が高くて。マーズ・ヴォルタにひれ伏してる自分でも。

 

 

なんかこのタグで複数の方が言及している、イギリス最高のバンド。

面白みがね……。うん、クリープとかきいてて「あああっ!」っていう風に衝動が来ますよ。ガゴンッ、という後のシューゲイズ轟音に、トム・ヨークの淡く悲しいボーカルが乗るとこなんていいですよね。

 

で、アルバムもね……。聞いてます。「パブロ・ハニー」から5thの「ヘイル・トゥ・ザ・シーフ」まで聞いてます。

「ここには何か大切なものがあるんだ!」っていう気はすごくするんです。年単位で何回も聞いて、「もうあとちょっと!あと250メートルくらい頑張って進めば、きっと知的に理解出来て、サウンドスケープに感動できたりするんだ!」って思って聞いてるんです。

これはまぎれもない知性と感性で作られたものなんだ!って強く思います。それをこうしてポイ捨てするのはいかん!と思いながら延々OKコンピュータを聞くわけなんです。

 

……でも、ぶっちゃけそういう「知性と感性が静寂のしじまで、悲痛なる轟音を叫ぶ」「実験性と感性を統合させて、見たことない色彩感覚、サウンドスケープ」って、TKを聞けば……凛として時雨や、ソロ作(TK from 凛として時雨)を一聴して、心髄までわかるんですよね。バラード曲、アンビエント曲でもって。

 

もちろん方向性違いますけど、これって単純に「アンビエントの方向性が合わない」ということだと思うのです。だってepic45とか大好きですし。

 

 

 

トラック#1の奇妙な疾走アコギは良いと思うのですが、そこからだんだん「うーんオーガニックな実験音楽」というふうになっていって、最後までいって、面白みが感じ取れず終わる。

 

「自然感」がありそうでないというか。脱構築自然? とはいうものの、そういうのだったら「田舎の自然と、電子音の懐郷」でもって世界を鳴らすepic45や、ソロプロジェクトのmy autumn empireを好みます。

 

 

ホワァァン、テクノロジーを使って頑張ってるのは認めるホワァアン。しかしその陽性は飛行機や天気予報のBGMホワァァン。

 

 

好きな曲(シューベルトのさすらい人とか、シューマン子供の領分とか)をやってくれる正統派ドイツ系ピアニストだという。ああ、ここまでドンズバで自分をブチぬいてくれるのか……と思って聞くと、毎回寝る。

この「寝る」っていうのが、自分にとって一番の「面白さがわかんない」っていう証左みたいですね。意味も、価値もわかっていながら、寝る。

もちろん、これはクラシックの場合ですから、多分曲・作曲家との組み合わせが悪いのだとは思いますし、他のブレンデルのレコーディングを聞かないと悪いとは思いながらも……しかしそれだったらリヒテル聞くよ(小声

 

 

オペラは素直に良い。でもこの人のせいで長い間ベートーヴェン第三番交響曲「英雄」をつまんない曲だと思い込んでた。まあ、後年きちんと聞いて、「良い演奏は良い」と思うようになった。基本ジューシーこってりだけど。だから聞くときは身構えてしまう傾向にあって、数をよう聞けない。センチメンタルこってり、ってすごいですね

 

 

「パンクとメタルの融合」と言われてる1st(Kill em all)は面白みがあった。メタルの音で思いっきりパンク疾走してて、ギターソロなんか異様に長くて。

でも、90年代の「Load」を聞いて、なんだこの退屈さは……と思った。これを聞いて以来長い間(テン年代初期に入るまで)メタルが聞けなくなっていた。ヤバい、いまかなりのメタラーの殺意を感じる。

 

 

テクニカルですね。だからどうした。

 

 

意外だろう。意外でしょう。音楽性の高さもわかるし、実験的なこともすごいし、独特の世界があるし、文学性もあるし……ってそれレディオヘッドのときと同じだな……。あ、クリストファーのドラムの変態さはほんと随一だと思います。

 

 

あとつれづれ。ボブ・ブルックマイヤーに関してはスタン・ゲッツと組んでしまうから、なんか「たるさ」が目立つのであって、この人単体で吹いてたら「ああのんびり、ほんわか」みたいな感じでよろしいんじゃないかと。

Beckは、記事を前に寄稿さしてもらったくらい、好きですね。この人はロックでとらえると結構ミスるような感じがする(ほとんどそれって「オディレイ」と「グエロ」だけのようなもんだし)。むしろカントリー・ロックの最前線というか、宇宙カントリーというか。フォークソングの伝統とポストロック・アンビエントサウンドスケープという「フォークトロニカ」の方面で探ったほうが絶対いいですって。

同じような意味で、ジミ・ヘンドリックス(ジミヘン)もわたしは大変好きですが、こいつは「ロックギタリスト」として捉えるよりはm、「ブラックミュージックの総合体」と捉えたほうがいいと思います。

 

ジョン・コルトレーンの「アセンションは……「うるせえ」。後期のジミー・ジュフリートリオ(ドラムレス)がなんだか気持ち悪かったことを覚えてますね……。

 

多分、自分は「技巧に全振り」とかいうのが、かなり気に食わないというか。「イキってる」とかも気に食わないみたいですね。アンビエントにもかなり好き嫌いが激しい。

 

それから、最後に今からとんでもないこと言います。

 

ミック・ジャガー

ローリング・ストーンズは偉大なバンドですが。ミック・ジャガーがイキってるのを見たり聞いたりしてると、かつて中学生のころわたしに超延々嫌がらせをしてきた某生徒のイキっぷりに、いろいろと大変似ているため、うっすら不愉快になります(リメンバー)。

おい残響さん、お前、もうロックンロール聞くのやめなよ……。

「自然と模型の調和と融合」メモ2

modernclothes24music.hatenablog.com


半年(以上)ぶりの更新となります庭園日記。
さて、前回の様子はこんなんでしたが、(写真↓)

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今年はどうなったかというと……
残ったのはゴムの木だけ!あとは花も木も全部枯らしました!
……残虐者だ……虐殺者だ……。

 

さて、改めてこの「庭園日記」タグで管理している、庭園趣味園芸企画「自然と模型の調和と融合」ですが、これは、自分がこそこそやってる園芸の記録と野望を書き記そうというものです。
よんいーさん(「柚畑はっさく」氏としてのエロゲライターデビューおめでとうございます!)のブログ記事
「雑記、家庭菜園「まさか野菜作りにここまでハマるとは……」」の御執筆を期に、自分でも以前からやってた園芸の記録を書いたほうがいいんじゃないかと思いまして。

その目標=「庭園鉄道」「模型のある自然」については、軽く前回書きました。
そう、この企画は、そもそも自分の趣味「模型工作」あってのことです。自分が挑む園芸(自然)と、自分がつくる模型(人工)とが、どこまで調和するかの実験です。

 

前回も書きましたが、自分という人間は、徹頭徹尾「インドア派」の人間でした。泥あそびなんてばっちい! 園芸? 庭遊び? お外であそぶ? 信じらんない! 家の中で模型やエロゲをやるよそれだったら!という人間でした。
祖父や母は園芸の趣味が多少ありましたが、自分がこんなんだから、祖父も母も、園芸趣味には誘おうとはしなかったのです。
そもそも自分の園芸も、誰に言われるわけでもなく、勝手に始めたもの。祖父や母や、近所のひと(ここは田舎です)に教えを請えば、上達は早いとは思うのですが、ある程度までは自分独りでやってみたい。そんな我儘ごころです。
とはいうものの、独りでやるにおいても、指針というか、ロールモデルみたいなものは欲しい。自分が園芸趣味者としてどのようにありたいか、とか、目指すべきところはどこか、とか考えながらの指針。
もちろん、前回の記事で書いた森博嗣博士や、よんいーさんの在り方も参考にしてますが、残響さんと前提条件が結構違うので、「リスペクトする遠き彼方の方々」ではあるけれど、もっとこう……心の中に常に居て、自分を励まし、鼓舞し、時にいさめてくれるような存在はいないか……と思い……ふと、ある少女(ひと)のことを思い返したのです。


■師匠


紹介します。師匠です。姫川穂波さんです。

 

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この方はHibiki works「PRETTY CATION 2」というエロゲのヒロインでして、実家が花屋「フラワーショップ ほなみ」の一人娘さんなんですね。そしておれの殿堂入りヒロイン。ウォーッ、穂波ーっ!


は、絶えず読書と草花を愛する心優しい少女です。見てください、この仕事中の生き生きとした表情を……。
花には常に優しさを。そして読書というインドア趣味をしながらも、心は常に自然を愛す。
草花への知識も豊富で、お客に対して、求める花の的確なアドバイスをします。

 

思うのですけど、園芸って、「強制」されて義務でもってやると、一気に楽しくないですね。学校の生物の授業で草花を育てたことがありましたが、自分がインドア派っていうのと同じくらいの理由で、「やらされた」から面白みもなかった、っていうことがあります。
でも、自分から進んでこうして休日、園芸をしていると、心が優しく洗われますね。いい汗をかいたという気持ちがすばらしい。

 

つい、読書というか、知的営為というか、理屈と言葉の世界にいると、「手を動かして行動をする」「手を動かして自然そのものと触れ合う」ということをおろそかにしがちです。
それはある意味で、読書(知的営為)の負の側面であるかもしれません。理屈・理論がこの世のすべてと思ってしまうかのような、リアリティの喪失。

 

ところが穂波、いや、師はどうですか。彼女が理屈一辺倒になって、リアリティを喪失したことはありません。日常に生きる少女……。
おっと、語りすぎてしまいました。

では、以降の日記は、師の教えを請いながら、園芸日記をつづっていくことにします。心はいつも咲宮町商店街のフラワーショップ ほなみでございます。

 

■インストラクション・ワン「マホイミの教え」

今年の様子です。

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で、独学と、園芸的怠慢の結果、枯らしてしまった草花。
これでも、前に比べれば、日にきちんと当てて、水もきちんとあげて、ってことをしてきたのですが、結局冬を越すことは出来なかった……。
敗因は、

(1)夏の猛烈な日差しを防ぐのを怠った
(2)冬への準備を怠った

この二点だと思います。っていうか、水だけやってればいい……ひたひたにするくらいの暴虐的な水でなければいい、みたいな甘い考えが、草花の「命」を殺してしまったわけです。

 

師(穂波)「だめだよ、水を注ぐのは、愛を注ぐのでなくちゃ」

 

し、師匠?

 

師「ダイの大冒険で、ブロキーナ老師がマァムに閃華裂光拳を伝授するとき、マホイミ(過剰回復呪文)の概念を教えたでしょ?

 

そうか……マホイミとは、「過剰なまでの回復呪文を強引に押し付けると(生体過剰活性化)、それは生体組織を壊す、攻撃呪文となる」というダイ大オリジナルのドラクエ魔法です。そこで語られていた比喩は、確か「水や栄養を与えすぎると、草花は死ぬ」みたいなものであったはず。しかし愛とは……?

 

師「過剰すぎる愛も同じなんだよ」

 

なるほど、師よ……深い……。さすがは、読書と園芸を同時にされる師であることよ。つまりは、無計画・無思慮の愛(水)もまた、悪であると……。
そして、草花の育成は、全体を見なければいけない、と前回のブログ記事で書いたばかりだというのに……。

 

■今回の花々

さて、今回の花ですが、ホームセンタで買ってきました、苗と種を。

・パンジー
イベリス

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・名前忘れたけど、なんか赤い花
キンレンカ(ナスターチューム) 

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といったラインナップです。

 

師「花の名前はメモっておくようにっ。花言葉も探せないし、育て方も調べられないでしょ?(怒」

 

し、師が怒っておられる……す、すいません。以降はきちんとメモります。というか当たり前ですね……。
パンジーを選んだのは、まぎれもなく師リスペクトです(穂波ルートネタバレ
イベリスは、なんか花の白さ&形が格好良かったから。かっこよさは大事です。

 

師「花を模型と同じみたいに表現しないようにっ」

 

ウス。気を付けます(たぶんまたやる)。
赤い花は、もっと気合入れれば、結構育つ勘がしたので、ここは腕の見せ所ですね!
で、キンレンカ(和名)のナスターチューム。
これも、写真で見る限り、花の形がかっこ……ゴホゴホ、なかなか素敵に見えたので、ちょっとやってみようかと。
これまでは、苗や、観葉植物でしか育てたことがなかったので、種というのは、一つのチャレンジです。

 

■植木鉢童貞


そして、今回から、これまで使ってきたプラスチック製の鉢ではなく、レンガの植木鉢を使ってみることにします。
これで植木鉢童貞を捨てる格好になるぜ……!(おおげさ

で、パンジーと、イベリス、赤い花。それと、唯一生き残ったゴムの木を、植え替えました。全部植木鉢で。
ひとつだけプラ製ですが、これまでの鉢の1.5倍はある大きな鉢&たっぷりの土でやってみることにします。
ついつい、土の入れ替えをサボってしまい、栄養の循環がいき通らず、花の出来をしょぼくさせてしまっていたのがこれまでです。より鮮やかに、大きく生やそうとしたら、たっぷりの土が必要なのだとわかりました。今更。

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それから、キンレンカの種ですが、大振りなプランターで植えることにしました。
バーッと撒いて、土をかけます。これまでこのプランターは、土を入れといて、時折腐葉土とかと混ぜて、そこから小さなプラ鉢に入れるためのボックスとしてしか使ってませんでした。
しかし、「大きいことはいいことだ」の精神でもって、今回はここに一気にドバーっと肥料や腐葉土を混ぜ込んで、栄養のある土にして、種を育ててみることにします。
何分、前述のように、種から育てたことがほとんどないので、これはひとつの実験です。どうなることやら。

しかしまあ、作業してみて、やっぱり気持ちよかったですね。最近、仕事で結構煮詰まっていたものですから、ストレスが溜まっていました。
それが、結構この休日園芸作業で、解消されました。
ということで、今回は模型成分なしですが、園芸は素晴らしかった(当社比)ということで!

 

師「あのことは言わないの?」

し、師匠……。

 

師「言おう、ね」

 

アッハイ。
えー……。
実は、プランターだけではどう育つか不明瞭だったんで、プラ鉢に、ちょっとだけキンレンカの種を入れて、土を入れたんですね。
で、写真のようにセッティングして、さあ片づけよう、まずは、植え替えていらん土を入れた、これまでのプラ鉢を捨てて……っていうふうに、プラ鉢の中の土を庭に捨てていったんですね。

……はい。もうお気づきでしょう。
キンレンカの種をちょっと入れたプラ鉢、他の土と一緒に捨ててしまったんです……
キング・オブ・クソとは残響さんのことでありました。まる。どっとはらい。涙。(オチ
どーして自分の人生ってこうかなぁ?(大体模型でもこういったバカ凡ミスをします)

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後ろからのアングルが、また良いです。

 

(つづく)

(この記事群は、いずれ自分のHP「ホームページオブ百合機械」でレポートとしてまとめる予定です)

 

作家別・残響さんが好きな漫画家・これまで読んできた漫画家紹介(1、殿堂入り編)

前書き

「そういえば自分、漫画(漫画家)について、総論的に語ってなかったな……」と思いました。それは「オタクとしての恥だ」と痛感した31歳の春。

この度から、何記事かに分けて、「作家別」で、漫画家紹介をやってみることにします。

第一回の、各作家は順不同です。ですが、どの漫画家も、自分にエラい影響を及ぼした漫画家です。

 

古賀亮一

ちょっとそこの股間から生えたポワワ銃に白い天使(ブリーフ)をかぶせたまえ! 奴がブサイクスレイヤー(布団叩き)を持ってやってくる! 何?君は俺のお嫁さんになることが基本的人権を尊重することだっつーのっ!

適当に言葉を並べましたが、だいたいこんな感じの、あまりにも独自の言語感覚&テンション。自分がブログやえろすけ(エロゲー批評空間)で、妙な英語や下ネタ交じりの文体になるのはこのひとの影響。

主に成年漫画において「ゲノム」という下ネタギャグ漫画を。電撃で「ニニンがシノブ伝」「電撃テンジカーズ」などの下ネタギャグ漫画を執筆。

お勧めは「まずゲノムとシノブ伝から」というのがファンの共通見解ですし、自分もそう。というか古賀センセは芸風というものが完全に確立していて、とにかく「古賀ワードと緑のハンサム(黄色い美少年)のやらかすこと」を楽しむのがダゴイミです。


八房龍之助

現在はスーパーロボット大戦のコミカライズをやってますが、とにかくこのひとの

「J&Jシリーズ」
宵闇眩燈草紙
というオリジナル二作(相互に関連しあっている)はあまりにもツボすぎました。ケレン味のありまくる言葉、アクション。人生に対する皮肉。グロ描写におけるユーモアと、端正さ(これは矛盾でなく)。
「ヒトがヒトを区別するのに、「自分」と「他人」以外に何か必要なものかね?」

 

夜麻みゆき

長きにわたる闘病生活のはてに、現在少しずつ復活をとげていますが、ともかくも全盛期の彼女……黄金時代のガンガンにおいて、確固たるファンタジー作風で我々を幻想の魅了に叩き込んだひとです。

オッツ・キィム三部作と呼ばれる、「レヴァリアース」「幻想大陸」「刻の大地」は未だに圧倒的……!コミカルな要素を絡めつつの、哲学的洞察を、一歩も引かず、寂莫たる筆致で描く、詩情。

 

内藤泰弘

トライガン」(続編・「トライガン・マキシマム」)、「血界戦線」(続編・血界戦線 Back 2  Back)

この人のは、長編「トライガン」、連作短編「血界」どちらも必読です。漫画の最前線を90年代から今なおひた走りつづける! 圧倒的ダイナミクスと細部へのこだわりを見せる絵に、人間の誇りから一歩も引かない矜持の言葉。そして……銃! オリジナル兵器! クリーチャーデザイン!

 

平野耕太

ヘルシング」「ドリフターズ」「以下略」

ケレン味といったらこの人を欠かせまいよ。有名な「少佐演説」は一部にすぎない。そして絵もまたケレン味! デッサンの狂いを味にまで昇華させるのはこの人のお家芸。そしてベタの黒は美でありながら、狂いの美。ベタだけで魅せる……! アナログ的な漫画表現のすべてを駆使して、こちらに叩き込んでくるのは、歴史ネタを持ち込みながらの「狂える格好良さ」!

「言葉の妙」を楽しむ作家といえましょう。絵が人物の哲学(狂い)を語り、言葉が意味を暴走させ、どんどん加速していく! そしてその言葉の「調べ」はもはや音楽であります。

 

竹本泉

。天使。もはや自分が「こうありたい」と思わせる作家。

癒し……というか、「変な話」の作家。キャリアはもうン十年と相当長いのだけど、可愛い絵(線がやたらと太い)、あっけらかんとした画風、コマ使いで、あまりにも「変」な話を繰り広げる。

もう100冊以上単行本が出ていて、一時期そのほとんどを自分も持っていましたが(さすがに「だしなおし」までは追いきれない)、代表作は……というか、どれもこのひとのは「短編」なんですよね。なので、「どれをとっても竹本先生」ですし、どれをとっても、先生いうとこの「いつもの」です。

しかし……この「変」さは、いつまでたっても竹本泉先生!自分が唯一「先生」をつける漫画家です。崇拝してます。

 

小島あきら

まほらば

もはやこの人を「ポストラブひな」で語る馬鹿はおるまいよ。初期こそそのフォーマットを使いながらも、あまりにも独自の「やさしさ」を表現した、「単なるラブコメよりも深いところを描いていった作家」であります。

オタクでなくてもこの人の作品は楽しめる(実例アリ)。オタラブコメの先の先にまで、静かに行った人。その作風は、漫画的ギミックを多用しながらも、箱庭でキャラを動かして、調和的世界を描く。だけれども、その調和的世界は、浅いようでとても深い。ある意味で虚無性とも近いけれども、この人の描くものは、とても優しい。人間性を、絶対に裏切らない作家。

 

桜玉吉

……鬱!そしてユーモア!

ギャグでもって迫る。その人生の鬱を。「自分が自分であるってだけで鬱になる」というどん詰まり。「ああー……そりゃー、もう……、漫画描いてる自分、でえっきれえ!」

離婚、精神病、鬱、人生の暗黒を経験して、それを私小説的に描く。なんで自分はこうなんだろう、という自虐を、しかしいつも独自の言語感覚のユーモアでもって描くから、読者は「いつも玉吉が心配になる……」というふうに、放っておけないw この「放っておけない」度合いでの愛され方というのが、玉吉ファンの特質でもありますw

「〇〇漫玉日記」はどれも好きですが、一番は「幽玄漫玉日記」かな。ポップさが際立ってた頃です。

 

山名沢湖

メルヘン……!

コミカルで繊細な日常に潜む「詩情」を描くひと。長編「つぶらら」も面白いコメディでしたが、より本質に迫っていくのは、短編集「白いふわふわ」や「スミレステッチ」でしょう。もちろん連作短編「レモネードBOOKS」は全活字趣味者必携。

どこまでも繊細。それでいてユーモア。玉吉と違って、人生の闇は触れないけど、人生のちょっとした面白さに対するセンシティヴィティは失わない。最近はより対象を、以前の「少女性」から、「大人性(アダルト)のなかの少女性」にフォーカスを移したかな。いつになってもメルヘンな作家であります。

 

双見酔

短編純文学コメディカル作家。画面が白い。しかしその白さは手抜きではなく、圧倒的な虚無を描くための白。いつもコメディと毒でもってこちらに迫るけど、読後感は「やってくれたなふたみん……!」という圧倒と、寂莫とした虚無感覚。でも、ラブコメを描くと、繊細な心情の心の震えをしっかり描くので、タッチは柔らかだけど、重量感はヘヴィ。

漫画とはかけた労力の「努力賞」ではなくて、センスとコマ割りなのだな、という好例。個人的にはジャイブから出てる「好き もよい」「恋ときどき」がベスト。もちろんニート漫画「空の下 部屋の中」、脱構築勇者もの長編「セカイ魔王」も素晴らしく。

 

熊倉裕一

王ドロボウJING」(KING OF BANDIT JING

はじめはボンボンで、そして掲載雑誌をうつして「King~」を。とにかく……この人の絵は、芸術であります。もはや書き込みは異次元。そしてその書き込みすべてに意味があり、言葉に意味がある。我々はそれらから、主人公ジンと一緒に「謎解き」をするのです。

圧倒的発想力、過去の元ネタを大胆に読み解き再構築、世界のどこにもない独創世界を当たり前のようにこちらにひょい、と渡してきて、その圧倒的芸術の箱庭にこちらは幻惑されます。

頼むーっ!生きていてくれーっ!どこかでいいんで生存報告してくれーっ!

 

小宮裕太

癒しのいちゃラブの神。

この人の特質は、とにかく「キャラ」を大事にするところ。基本的に短編よりも中編のひとだと目していますぼくは。

そのキャラクター造詣は、若干の薄暗がりを含みつつも、それがエロへと繋がり、はてはそのエロも含めた独特の「小宮ヒロインズの静かな輝き」に昇華されます。

絵ももちろん繊細。

殿堂入りは、もう……「沢渡さんシリーズ」。自分はこのキャラ(と主人公のカプ)で、5年間、毎日妄想しきりました。冗談抜きに5年間、毎日です。現在進行中です。神。

 

冨樫義博

レベルE」が好きです。そして「HUNTER×HUNTER」の32巻が好きです。この巻は手抜きなんかじゃない。

ロジカルにどこまでもキャラと言葉を精査する完璧主義者。これだけ「富樫病」がわかっていながら我々が読んでしまうのは、キャラの哲学、世界観の精妙、設定の面白さ、そして「言葉」に宿るどこまでも富樫節があるからです。

背後にあるのは……やはり、ある種の虚無性です。ワンピースの世界は広大ですが、虚無はない(それゆえの豊饒さですが)。富樫のこの大陸は……暗黒大陸を含めたこの世界は、死のにおいがどうしたってする。そして人間と、人間以外の虚無が、ずっとある。虚無のにおいが、どこかにある。だから怖く、だから目を離せない。

 

 

とりあえず、まず第一回はこんなところです。また追記します。

(この作家別紹介は、「止まり木に羽根を休めて」の「作家別読書紹介」に影響を受けて書き出しました。スタイルを見比べれば、自分がfeeさんのをパクってることは明白ですね。当該ブログ管理人・feeさんには、そのあたりの許可をとってあります。feeさんには、重ねて、御礼申し上げます)

止まり木に羽根を休めて : 作家別読書紹介(古い海外小説編)

止まり木に羽根を休めて : 作者別読書紹介(古い海外SF編)

止まり木に羽根を休めて : 作家別読書紹介(古い海外ミステリ編)

ひづき夜宵「つい×つい~Twins×Twins~」第一話感想と、八卦電影城の特質考察

つい先日ですが、ひづき夜宵氏が、新しいweb漫画サイト「とわコミ!」にて新連載をはじめました。

tridentworks.co.jp

 

 

個人的にひづき氏の「オリジナル新作漫画」は非常に待望していたのでうれしいのです。
というわけで、この際だから自分のひづき夜宵=サークル・八卦電影城ファン歴を思い返すとともに、新連載「つい×つい」の感想を書きたいと思います。だって公式サイトの感想コメント欄、長文書けないっぽいから……(やるなよ3000字)(この文章の文量デス)

 

●エロゲSD原画・コミカライズの領域で


主にひづき氏は、商業において、「ゲームのSDイラスト」と「ゲームコミカライズ、四コマコミカライズ」を手掛けています。批評空間でのサマリーはこちら。

ひづき夜宵 -ErogameScape-エロゲー批評空間-

SDイラスト原画では、最近作ではエロゲ界の鬼っ子・すみっこソフトの新作での仕事もあります。
が、とりわけ個人的に記憶に残っているのが、小ネタたっぷりの「不定期Ricotta通信」でして。

 

まるで瓦版のような、Ricottaの「ワルキューレロマンツェ」関連のニュースを、かわいく、情報量ゆたかに、かつ小気味よいクリスプなネタでもって描かれてました。結構これTLのRTで流れてくるの楽しみにしてました。

 

記憶に残っている、といえばゲームコミカライズ。一般的には「Rewrite」の四コマの方が有名かもですが(「OKA☆KENブログ」)、
実は、わたくしが個人的にひづき氏の名前を記憶に留めた最初は、「恋姫†夢想」のコミカライズ。
原作キャラを、アクション多めのストーリー中で動かしやすいようシンプルに漫画デザイン。それでいて勢いの良い線でまとめて、キャラの可愛さを保ちながらちゃんとした戦国絵巻を、公式ストーリーに乗っ取ってやっていこう!という気概がありました。なので、その当時の雑誌「電撃G's Festival! COMIC」の中でも、結構記憶に残っていたものです。

 

●艦これロシア&レシピ同人誌

そんで同人のほうでは、これはもう「ロシアと料理レシピの艦これのひと」と目されているようです。
現在艦これやラ!(ラブライブ)同人……のなかでも、ちょっと変わった趣向の同人誌を多くドロップされているひづき氏。
それは主に響(ヴェールヌイ)を主役にした「第六駆逐隊」ものですが、この題材が……ご本人のたゆまぬロシア愛による、ロシア語講座、ロシア旅行記というものです。これはもう艦これ同人のある種の極北というか。当然ながら内容はいたって楽しく、ぼくのような旅行記好き(中学の時分に沢木耕太郎深夜特急」にヤラれて以来……)には非常に面白いものでして。


集めておりますよこのように

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「エロゲでSD書いてるひとは大抵漫画も面白い」

という法則を前々からわたくしは唱えてまして。
実名で例を挙げるだけでも、こもわた遙華(「ら~マニア」がいかに数年前のわたしを救ったか)、鳥取砂丘(フェイバリットは断固として「G専ラフスケッチ」だが、ええい「境界線上のリンボ」の再開はまだか)、都桜和(音楽系萌え四コマにおいて「うらバン!」が鋭く切り開いた地平よ)、そしてひづき夜宵、である。我が軍は圧倒的ではないか!

ですが、あの艦これロシア同人誌の数々が限りなく「オリジナルコンセプトに基づくもの」とはいえ、やはりひづき氏の「オリジナル作品」を読みたい、という思いはありました。

 

●「ピコっとチョコラ」とひづき時空

 

というのも、彼女にはオリジナル処女作「ピコっとチョコラ」がありまして。
この漫画の地味なファンであるのですわたくし。

 

ピコっとチョコラ1 (Flex Comix)

ピコっとチョコラ1 (Flex Comix)

 

 

内容は、「浪人生三人組のもとに魔法少女三人組が次々やってきてガヤガヤ」と一言で表してしまえばそうなのですが、しかしひづき氏処女作から最近作まで振り返ってみて、この時点(2008年作品)特徴的な部分がいくつもあるのです。

  • 動と静を使い分ける漫画的技量(シラっと爆弾発言をカマしたりアクションをカマしたりするとこ)
  • 加えて「あと一歩のアクセルをためらいなく踏み込む」オーバーアクションがかわいい(キャラに無理をさせていない)
  • 描線による時間の流れがほっとする

一番最後が「?」と思われるかもしれませんが、詳しく説明します。

ひづき氏のイラスト、漫画の線はキャッチーなものであります。スレンダー、ロリ傾向の少女を描くシチュが多いだけに、線は清冽。しかし時として「ちょっとシャープであっさりしすぎてない?」と思わせる「こってり感のなさ」があります。
ですが、漫画とは面白いものです。その「こってり感のなさ」が、おだやかな漫画内容、かわいく立ったキャラ、それでいてアクション豊かな描写と相まって導き出されるのは………
………ひづき漫画・イラスト本の特徴は「静かで清冽な線のキャラたちが、ややテンション高めに動くことにより、漫画・イラスト全体が生き生きとしてくる」ということです。
ひづき氏の作品には「無限の広がり」はないけれども、絵葉書などの一枚絵にも似た、ある切り取られた空間の中において、実に居心地のよさそうな時間・空間の流れを、ひょいっ、と簡単にこっちに出してくれる。

 

同時にひづき氏は「余白」の使い方が実にうまい。うますぎる。
余白のない、空間恐怖症気味のきつきつイラスト、というのは、ひづき氏の漫画にはありません。
背景を書くにしても(ロシア本を思い浮かべたり、あるいはレシピ本でもいい)、ぽっかりと空気をそのまま描くような「余白」を残す絵であったりします。
これが、ほっとする。ああ、ここにはちょっと優しい時間が流れてるんだな、という感じで、延々と「ピコっとチョコラ」やロシア旅行本を読んだりしてしまうのです。

 

●新作「つい×つい~Twins×Twins~」

さて、長々語ったところで。

今回のひづき氏待望のオリジナル新作は、「ダブル双子姉妹」ものです。

双子の「似てない」姉妹が、お隣さんの「似てない」双子姉妹との、ダブル双子姉妹・ほのぼの日常コメディ……百合はあるのか!百合は!ええい!はよ!はよ!(バンバン!<机

うまいな、と思ったのは最初のページの「実によく似た茜と葵」の描写から、次のページでドン!と「かわいく似てない茜と葵」というダイナミックな対比でございます。姉妹ここにあり!このかわいさのキャッチーさを当たり前のように描写するのはさすがです。

とはいえ、これまでのひづき氏の美点……アクション多彩なのと、同時に優しい時間の流れ方。画面もいつものほっとするひづき画面であります。

しかし……難点があるのも事実。いきなり四人を「キャラが立つ前に」放り込んだこともあって、ネームにおけるセリフの過積載が目立ったというのも。

「ネタの過積載」

それを考えてみれば、「ピコっとチョコラ」にも「恋姫コミカライズ」にもその傾向はありました。ここのところで一枚絵艦これTwitterイラストでの「情報量が多くありながら余白がある」という、「静かなるキャッチー」を何度となく見てきたので、当たり前と思ってましたが、ひづき氏にはこの傾向がありました。
もちろんこれこそがひづき節でありますので、さんざん世話になっといて今更足向けるかよ的な批判でありますこれは。

見かたを変えれば、新連載において非常に力を入れた、とも言えますし、力が入ってしまった、とも言えます。とはいえこの難点傾向は、第二話、第三話を見てはじめて正確に指摘できる部分でもあります。次回以降さらにキャラ増えるのだったらちょいキツいかなーという懸念は無きにしも非ず。

しかしファーストインプレッションで誰がいいか、といったら、これはもうミステリアスな、お隣さんの姉の方、深春ちゃんであります。どことなくクールでありながらユーモアを忘れない……あまり艦これ同人との比較をするのも問題ですが、さすがに響/ヴェールヌイを描き続けて、この手のキャラの魅力の神髄をつかみにつかんでいると言わざるをえんや!

 

というわけでわたくしはひづき夜宵先生の久しぶりのオリジナル連載をたのしみにしております。