残響の足りない部屋

もっと多く!かつ細やかに!世界にジョークを見出すのだ

定時退者「2007年ノベルゲーム10周年批評本」のこと

●年末仕事修羅はさておき、批評系同人誌に寄稿しました。


フフフ……コミケ……アイム行きたい……おれはオタク……そして創作と知の最前線を、同人誌を買って読みたい……。しかし、今の仕事をしている限りそれは無理だ……(盆暮れ正月がどうしても仕事場を空けることが無理なのです)。

そんで、前々から予告していましたが、2017年冬コミで出る同人誌で、わたし残響が寄稿させて頂いた批評系同人誌がありまして。今回はそれをご紹介させていただきます。

サークル「定時退者」さんの「2007年ノベルゲーム10周年批評本」です。表紙はこちら。

http://2007novelgame.year.jp/image/jacket.jpg

 

 

特設サイトはこちらです。

2007novelgame.year.jp

 わたし残響は、

・特別批評(2)「2007年の保住圭」論
Marronひまわりのチャペルできみと」批評
・Tarteカタハネ」批評

にて、寄稿させていただきました。

また、特設サイトの製作・管理や、編集における 些事を手伝わせて頂きました。

 

●Mirinさん=サークル定時退者の「○○年本」シリーズ

 

Mirinさん(@hon_mirin)の評論系サークル「定時退者」は、2014年から、「10年前に出たエロゲ/ノベルゲー」の10周年記念批評本を出しています。

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(左から)
2004年本(2014年発刊)、 2005年本(2015年発刊)、 2006年本(2016年発刊)……の、既刊写真です。

そして今年、2007年本です。

 

サークル・定時退者がこのシリーズでやっていること。
それは
いま、10年もの年月が経った。名作・怪作・思い出の作品を、10年前の記憶と共にいま、語る
というもので、毎回大勢の寄稿者(歴戦のエロゲーマー/ノベルゲーマー)が文章を寄稿する、論集です。

いつも、ある日Mirinさんが「今年も○○年本やりたいのですけど、参加してくださる方いますか?」とtwitterで投げかけます。そうしたら、十数名以上もの歴戦のオタク(レビュアー)たちがMirinさんの元に集まって、それぞれ熱い文章を寄稿します。ここに集まるのは、少なくとも「当時」から確実に10年を経たオタクたち。それぞれが魂の、あるいは屈託の一作について語ります。皆、その作品に関しては一家言あります。
そこには愛があり、屈託があり、熱があり、涙、そして人生があります。数々の原稿をMirinさんは一手に編集し、読み応えのある同人誌を作ります。

 

わたし残響も、2005年本においては「ToHeart2 XRated」、
2006年本においては「その花びらにくちづけを」論(サークル・ふぐり屋&商業ブランド・ゆりんゆりん&聖ミカエル女子学園論)、「めいどさん★すぴりっつ」論、「蒼天のセレナリア」論を寄稿させて頂いた経緯があります。

 

10年、経っているのです。何回も書きますが。寄稿された文章には、どれもそれだけの重みがある。
まさに、酸いも甘いも経てきたオタクだからこそ書ける文章であり、本であります。

 

さて、Mirinさん自身も本シリーズにおいて、論を書かれます。また、巻頭で「セールスランキング」と称して10年前のエロゲセールスの時評を、年間ランキング形式で書かれもします。「ああ、あの時って実際はこうだったんだ」「意外!これ結構売れてるぞ(あるいは、これ売れてないぞ!)」の声が、今だからこそ出てくるものです。結構皆印象論で語ったりするから……。

 

Mirinさんの一声で、皆集まります。凄く自然に集まります。あの歴戦のオタクたちが。屈託を抱え、一家言ある、「ニワカ」とはまるで遠いエロゲーマー/ノベルゲーマーが。なにせ、10年エロゲ・ノベルゲーをプレイし続けてきた人たちです。
そういう方々を集めることが出来、皆が熱い原稿を書こう!と思わせる。まさにMirinさんの人徳であります。

余談ですがここでちょいと。わたし残響は、実は同人音楽サークルをやっております。春や秋の同人音楽即売会・M3において、サークル参加をするのが主な活動なのですが、Mirinさんによく手伝って頂くのですね。サークル売り子として。

その度に思うのですが、Mirinさんに関しては「このひとなら大丈夫だ」っていう自然な信頼がある。オタクとしての熱量・活動量もさることながら、この「大丈夫だ」感覚っていうのは、すごい頼もしい。一人の人間として。皆がMirinさんに協力し、寄稿するっていうのには、この「大丈夫だ」感覚があるからだ、って言うふうにわたしは思っています。

で、実際出来上がった本を読むと、この「大丈夫だ」感覚は間違っていなかった、というか。とても風通しのよい本になっているのですね。読んでいて、どれも熱の入った原稿ですが、なんかトータルデザインとして、紙面デザインも含め、読んでて疲れない。全員が真面目に寄稿し、愛でもってエロゲ/ノベルゲーを語っている。誰かに媚びることも、手抜きもせず、きちんと書かれた本である……という風に思わせる。いち寄稿者としても、そしていち読者としてもそう思ってしまうのです。

Mirinさんは寄稿者に強制をしません。ほんとにしません。寄稿者の自由に書かせてくれます。でも、じゃあ皆「ラクでダメな意味」で好き勝手に書くかっていうと、当然ながらそれはない。皆、Mirinさんが真面目に本を作る方だっていうのを知っているから、この真面目さと熱、このサークル「定時退者」に任せれば大丈夫だ、という確信がある。Mirinさんをこちらも信頼していて、それ以上にMirinさんがこちらの筆力とオタクとしての見識を信じている。だったら応えなくちゃなるまいよ!という表れですな。

わたしはかつて、『エロゲーマー諸子百家」という企画をこのブログ上でしました。エロゲーマーの方々を、自分の視点でみたところを語る、っていうひどい企画です。そのなかで、「歴戦のエロゲーマーの背中」みたいなテーマで、Mirinさんを語ったことがあります。短い文章ですが。

modernclothes24music.hatenablog.com

そのときから、この「大丈夫だ」感覚は変わっていません。むしろ、より深く「大丈夫だ」と信頼を置くようになったからこそ、自分もサイト作りや雑務を手伝わせていただくようになったのです。

本を読めば、その真面目なる「大丈夫だ」の感覚がわかります。手抜きはない。

 

さて……Mirinさんは……定時退者・Mirinさんは、何をしようとしているのか。オッサンオタクの思い出語りか。慰撫するような懐かしみか。
いや。
これまでの既刊のあとがきから、その思想を拾ってみましょう。

「現在美少女ゲームの業界は時代につれ市場を縮小しつつあります。時代に合わせたクオリティ向上によるコストの増大化、オタクコンテンツの多様化、違法ダウンロードの増加、その他の理由は数あれど近い将来にはビジネス的コンテンツとして消滅するだろうとも言われています。全てがまるっきり無くなるということはないかもしれませんが、何かしら別の方向へシフトしていくのではと僕に限らず多くの方が感じているのではないでしょうか。パッケージ販売の停止、アペンド化による長期的な開発、クラウドファンティングによる現物ありきの体制。その選択肢は未知数にしても今業界はこの先、運命の選択を余儀なくされているはずです。
 ですがそれに悲観的になる必要もないな、と本誌を製作していて思うようになりました。もしかすれば今のアニメ業界のように2Dに引けをとらない3D技術が浸透しているかもしれませんし、名前を自然に呼んでくれるゲームも増えているかもしれません。ノベルゲームではないもののメイドロボなんかが実現してた日には今のうちにお金を貯めておかないとですね。

 当たり前のことながら未来は誰にも予想がつきません。ですが本誌を製作しながら10年前と今を比較していると、『これから割きもまだ見ぬ泣ける作品や尖がった作品がたくさん待っていると思うと応援していかないとな』と、『これから10年先の業界にも期待していきたいな』と、自分の中の想いを再確認することが出来ました」ーー2004年本、あとがき

 

 

「「今更」と感じるか、「今だから」と思うか。それは人それぞれでございますが、今を追うだけではなく、節目くらいは過去を振り返ることも悪くないんじゃないでしょうか。そうすることで見えてくるものもあると思うんですよね。無いかな、いやきっとあるはず。この趣味に引きずりこんだ作品とか、心に決めたヒロインと出逢ったあの日から意外と10年過ぎていませんか?」ーー2005年本、あとがき

 

 


……これに付け加える言葉はありませんね。いや、「過去を振り返る温故知新の視点による、再発見の批評」めいた論をぶとうとかも思ったのですが、残響があれこれそういうことを言うよりも、ここに書かれている真摯な言葉のほうが、より真実というものです。

 Mirinさんが提唱した「10年を経て今語る」というこの○○年本のコンセプトは、寄稿者の皆さんがぐっと各々の心のなかで凝縮してきた「作品愛と、10年なるもの」が、星々のように瞬いてこの本の中で表現されています。そしてMirinさんは、その星々たる批評ーー「想い」の数々を、ぐっと受け止め、この本という形で表現します。

 わたしはつくづく思うのですが、「趣味をたのしむ」「趣味という文化を発信していく」ということをどのようにしていけばいいのか、ってことをよく考えます。
 もちろんただ楽しんでいればいいのですが、Mirinさんはそこからさらに踏み出して「場(同人誌)」を作りました。この10年を語る、という場です。そこには愛があり、屈託があり、喜びと涙と人生がある……それもまた「趣味」であり「文化」である、ということを、この「場=同人誌」は伝えてくれます。背中を、見せてくれるのです。
 「そんなことわざわざせんでもwww」という人もいるかもしれません。しかし「そんなことをわざわざしらからこそ、エロゲ/ノベルゲーという趣味文化の豊かさが、また掘り下げられて深くなった」のです。その牽引役をしたMirinさん=サークル・定時退者に、わたしは敬意を表します。

 

 この10年を、様々な作品と、様々なエロゲーマー/ノベルゲーマーの方々と一緒に、振り返り、新しい何か、綺麗な何かを見てみませんか?
 定時退社『2007年ノベルゲーム10周年批評本」は、それを可能にする懐の深い本です。

 2017年冬コミ、3日目! サークル「定時退者」さんへぜひ!詳しくは特設サイトで!


●寄稿者の方々の紹介ツイートやブログ記事

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 blog.livedoor.jp

 

 

『2007年ノベルゲーム10周年批評本』への寄稿について

 (たいきさんのブログ「立ち寄らば大樹の陰」での紹介記事)

 

 

(書店委託についてのMirinさんのツイート)

 

 

web日記毎日更新の頓挫

●完全に言い訳のしようがないですが

 毎日更新web日記と銘打っておいて、このザマというのはホント格好悪いこと甚だしいです。(ブログ一週間以上放置)
 でも、どうしようもなく最近仕事が忙しくて……。ほとんど年末修羅の大量仕事と、体力回復の睡眠だけでここのところ動いています。趣味的なこと、創作的なことがまるでできず。
 このブログを更新する余裕すらなかった、っていう。約束を破るくらい忙しかった。それをしなければ一日が仕事で終わらないくらい忙しいっていう。

 

●毎日「何があってもこつこつ」っていうのって、無理に近いのかー?

「こつこつ」型に、自分を持っていく、ってことが重要なんですけどね。すぐに「こつこつ」型になれれば、苦労はしない。

でも、ひとつ分かったことがあるとすれば、やはりブログ/HPが「思考の庭」として日々、居心地よくするためには、「毎日手を入れる」ことが何よりの「楽で確実な方法」っていうのがよくわかりました。

1日ブログを放っておいて、それが3日、4日と続くと、もう「ブログを書く敷居」っていうのが上がってしまって。「生活の中から、ブログ書きが自然とオミットされる」っていう感覚。これは理屈というよりは、すごく身体的な感覚です。

 

●メモ

次回の更新で、寄稿させていただいた冬コミ同人誌原稿、「2007年ノベルゲーム批評本」のご紹介をします。

2007novelgame.year.jp

(日記13日目)

●うぉーっ

ちょっととある作業していたのですが、それやるんだったらブログを予め更新しておくんだったっ! わたしくの馬鹿ーノ! ということで、一回仮眠してからこれ書きます。今日の朝から昼にかけて、昨日の分をきちっと更新します。夜は夜で今日の分を更新。(作業は今日の分は無事終了しました)

己のwebサイトを居心地よくすれば、自然と記事も書ける確信って話(日記12日目)

●母艦本家サイト:ホームページオブ百合機械(HP百合機械)

 

この日記ブログ「残響の足りない部屋」は、あくまで本家サイト「ホームページオブ百合機械」の、日記用の別館ブログです。本体・本家は「HP百合機械」のほうです。
 ただ、この「HP百合機械」ですが、最近更新をサボっているのが事実。今回はその理由を書いてみることにします。

 

 そもそもHP百合機械は、わたしが「もうブログ飽きた……」というか。このブログ「足りない部屋」から、2015年だったかのHP百合機械開設当時、ブログ界隈には「マネタイズ」とか「サードブロガー」とか「承認欲求」とか、そういったことににまつわる煩わしさ……何か人の目と金の流れを気にする、個人的にテンションの萎える風潮がありました。たしか。

 そんなんと無関係にやっていればいいじゃん?というのはもっともなんですが、当時の自分は疲れていたのか、「もうブログをいったん閉鎖して自分は引きこもろう」と思っていました。(その割にはTwitterを普通に使っていたところが矛盾ですね)

 それからもっと深い理由としては、ブログというwebシステム自体の「自由度の低さ」というか「デザインを好きにいじれない」「記事単位でしか読まれない(記事筆者の総体的/相対的な思想が、過去ログ参照形式だと見えにくい)」というのに、なんだかちょっと自分の求めている「思考記述の器」の形として、違うんだよなぁ……と忸怩たる考えを抱いておりました。
 昔……それこそ前世紀の、htmlタグ打ちで記述された「昔ながらのサイト」「テキストサイトは、記事単位じゃなかったのですね。トップダウン方式というか、まず最初にTopページがあって、自己紹介ページがあって、そこから各カテゴリ別の記事に「降りていく」という構造になっていました。ああいう風に、「管理人さんの思考・思想が上から順番に並んでいる」っていう一覧性が好きだったのですね。愛していた。あるいは、そういうのが自然だ、と思っていました。
 なので、自分もそういったサイトを作りたい、と思ったというのが、真なる理由。

 

●ところが、あんまりHP百合機械を更新しなかった

 

 「書くこと」は決まっていました。「百合趣味」と「模型趣味(機械)」。自分という存在を表す二大キーワードでした。この二つならいくらでも書けるだろう、と思っていて。


 ところが、あんまり書けない。

 理想が大きい、というのもあります。何しろ百合趣味(文化)も、模型趣味(文化)も、その奥深さは相当なものがありますから(だからこそわたしは魅せられていますが)。
 よいコンテンツを作りたい。デカいコンテンツを作りたい。その理想が大きくなってしまって、つい日々の中で後回しになって……あるいはTwitterにかまけてしまって。

 しかしそれだけだったら「書きたいことが実はなかったんじゃないの?」と言われです。そしてそれはある程度当たっています。いますが……この「書きたいこと」というのは、ただ漫然とぼーっとしていて生まれるもの、というのでもない、と今のわたしは思っています。

 

●自分のHP/ブログを耕して、居心地の良い庭(場所)にすること

 

 書きたいことが生まれるか否か、というのは、「書く場所(HP、ブログ)」が、今の自分にとってどれだけ「居心地の良い場所」であるか、で成否が決まってくる……と思っています。
 虚空から生まれた単なる「書きたい欲」=「衝動」、というものよりも、すでに今ある「書く場所」が、自分にとって、どれだけ暖まっていて、居心地がよくて、耕されていて、いつまでもこの場所に居たいなぁ、と自己満足・自己本位で思えるか、がキモだと本気で思っています。

 動機とか意思とかやる気の問題だけではない。むしろそっちをどーにかするよりも、今の「場所」をどれだけ居心地のよい場所にすることが出来るか。それが出来たら記事なんてどんどん書けていく、という考えです。そすれば動機・意志・やる気もどうにかなるだろうという楽観にして確信。

 

 そういう意味では、HP百合機械は、まだ暖まっていず、居心地があんまり良くない「場所」です。自分にとってそうなのだから、他人(読み手)にとってもそうでしょう。まだ、今毎日更新しているこの日記ブログ「足りない部屋」の方が、まだ居心地が良いってもんです。ブログというシステムデザインをあんまり好ましく思って無くても。

 

 この「居心地」っていうのは、一言でいうのが難しいです。仮に列挙すれば、


・過去から耕されていて、今も手を入れられている感覚。放置サイトじゃない感覚


・コンテンツが自分の好きなように配列されていて、自分はその配列を隅々まで記憶していて、さっと手を伸ばせることが出来る

・ひとつひとつのコンテンツに、自分の記憶がきちんと見える

・コンテンツそれぞれが持つユーモアが、トータルでサイト全体のユーモアとなっている

・場合によっては「あんまり面白くない記事」もあるかもしんないけど、サイト全体でトータルで見たら意味のあるコンテンツでもある

・時流に乗っかってばっかりのサイトではないけども、それでも最低限外部に「開かれている」サイト

・HPやブログのシステム・デザインが自分仕様にカスタマイズされていて、いつでも自分の好きなように調整がきく。

・そのようにシステム・デザインが調整されているからこそ、自分の自由な「思考の庭」として耕す感覚を持てる

 

……などなど。

 こういう列挙した要素って、どうやったら自分のサイトに持てるの? と思ったら、しかしそれこそ一言で言い切れます。


「常に自分のサイトを更新し、自分の思考の庭としてのサイト(場所)に”居続ける”こと」

 これのみですね。ようは、頻繁に更新しようぜ!って話です。それが出来ていなかったから、今のHP百合機械の現状はあります。逆に、ここのところ「毎日更新」のシバリを科していたこの「足りない部屋」が、いま、少しずつでも居心地がよくなってきた(と残響個人には思える)現状でもあります。それくらいは、この10日以上にもなった連続更新で、わかってきたところです。

 意志が弱いとか、やる気がないとか、書くべきことが見当たらない……んじゃない。今、自分の居る場所、自分の思考の庭が、どれだけ居心地が良いか。居心地がよくなれば、自然と書きたくなるし、作りたくなる。

 まるで、自分の工作室(アトリエ)が、自分の使いやすいように整理されていて、風通しがよくて、時折優しい光に満たされることがある……みたいに。発想は、そこから生まれる。おそらくどんなライフハックよりも、発想法よりも……と自分では、思っている。自分の環境(オウン・フィールド)こそ大事にするべきもの。

 

 というか、自分がHPやブログで達成することっていったら、書籍化でもマネタイズでも承認欲求でもなくて、「いかに自分のサイトを居心地よくするか」ということに完全に尽きる、と思う。これが最初にして最後、最小にして最大の「サイトを運営していく意味」だと思う。自分はね。あくまで自分は。
 でも、マネタイズをするひとだって、承認欲求を求めてる人だって、書籍化したい人だって、「サイトを訪れる人が何に価値を見いだすか」「リピートしたくなるサイトとは何か」って考えたら、この「雰囲気」にも限りなく似た「居心地」っていうのは、絶対無視出来ない、と思う。
 そういう意味では、ブログ毎日更新、というのも、ある意味クンフー義務めいて見えるから「それってどうなの?」と批判や冷や水されるかもしれないけど、少なくとも「毎日、自分の思考の庭に居る」ということだけでも、意味は十二分にある。ありまくる。そこからいろんなものが生まれ出てくる。出てこないはずがない。この、居心地よくしていって、サイトを耕していけば、きっと絶対何かが生まれる! っていう感覚は、実際に手を動かして耕していくサイト管理人当事者でないと、わからないとことであると思う。Twitterアカウントオンリーじゃわからない。場所を作っていくとは……そう、あらゆる「作る」っていう行為は、そういうことだと思うのです。毎日こつこつとやっていくこと。

 (なお、このあたりの「思考の庭」思想に関しては、森博嗣のこの本に影響を完全に受けています(Amazonリンク)

 

人間はいろいろな問題についてどう考えていけば良いのか (新潮新書)

 

●メモ


ガルパン最終章第1話、映画館まで行って、午前中で2回見ました。完全満足とはこのことである。
・あまりにサメさんチームの戦車(機体名はいちおうネタバレに配慮する。まあそのうちブッチするけど)のアレンジが格好良くて、タミヤの去年出たキットをその場で尼でポチってしまった。(なお、それが最後の一個だったらしく、購入後即座にプレミア価格になってた)
・思い出したよ、ガルパンっていうのは、「クオリティの高い、しかし本質的にはB級バカ戦車アニメ」だ、っていうことを
・キャラの魅力はいや増していく!出てきたキャラで魅力が増さなかったキャラがいたものか!

・そんなわけで、今日はエロゲに手をつけられませんでした。ガルパンの余韻はまだ残っていますし、近日中に届くそのキットにも早急に手をつけます。このキットの特集号のアーマーモデリングもちゃんと当時買っていたっちゅう
・HP百合機械の更新ですが、これからちゃんとやっていこうと思います。ここでこう書いちゃったんだからねw
・それから、オリジナル創作のほうのHPもサイトマップも作らなきゃ……
・ブログは、最低でも今月終わりまで、1ヶ月毎日更新はしますよ。(それ以降はまだわからない)

www.youtube.com


・最近、ナユタン星人にハマっています。音源も買いました。

 

朝から遊ぶ日常スケジュール(日記11日目)

●日常のこと


 このブログ日記にはテンプレとして、一応末尾に「メモ」と称した自分用・身内、知人用の書き記しておく伝達事項的なもんを書いています。でも、ただそれだけだったら、そんな事項の羅列からは「日常」の雰囲気がふわりと立ち上がってはきませんね。

 あくまでこいつは「メモ」です。「物語としての日常」がふんわりこのブログから立ち上がっていったら、それはかなりの達成だし、自分は元来そういうブログを好むので、「そうあれたらいいなぁ」と思うのです。
 うーん、思ってばっかりだと進歩がないので、じゃあ今回は誰得と思いながらも、「いつもの残響さんの朝」を描写してみることにします。毎日こんなスケジュールで朝を過ごしています。

 

●朝から遊ぶスケジュール/毎日のルーチン朝行動


・6時前(AM.5:30くらい)に起きる。


嫌々起きる。何せ最近は寒い。さらに自分は冷え性のケが最近出てきているので、ベストフィットアーマーとなった布団から出たくない。でもそれを続けていたら二度寝してしまう。最近二度寝したら覿面に悪夢を見るようになってな……。それがイヤだから起きる。

 

・布団をたたんで、着替えて「楽しいこと」を始める。

この場合の楽しいこと、とは、

(A)エロゲ(ノベルゲー)
(B)模型工作

のどちらかである。朝から趣味やるのっ!と驚かれるかもしれないけど、そのための早起きである。前の日の睡眠が足りなかったら昼寝に回す。ともかくこの時間できっちり「遊ぶ」ことを一生懸命、最優先する。

 というのも、日中、一日仕事じゃないですか。めんどくらしいじゃないですか。その仕事の間中、自分の中のテンションを保つには、「まず一日の最初に楽しんでおく」ことが、自分の場合重要なんですね。

以前はこういうサイクルでした。


朝起床→「仕事」→帰宅→「遊び(大)」

というのだと、どうも「仕事」のところで猛烈なストレスばっかり感じてしまう。自分はどこまで奴隷なのか、みたいな。それはいけない。「起きてすぐ仕事」というのは、囚人的意識を芽生えさせ、仕事の生産性を犯していく(自分は)。
そこで、こういうふうにサイクルを変えました。

朝起床→「遊び(小)」→「仕事」→帰宅→「遊び(小)」

 

「遊び」を量的・時間的に二分割してるんですな。
 なので、「遊び(大)」のように何時間もぶっ通しで遊びきることは出来ません。
 それに、後(夜)のほうの「遊び(小)」は、仕事で疲れてるので、必然的に非創造的な、webページのHTML編集とか、アナログノートからのテキスト打ち込みとか、エロゲのルートをctrlスキップで解放するとか、といった「作業」になります。まあ作業とは言っても、「明日の楽しみ」につながる作業ですし(「仕込み」とも言う)、どれも自分の好きなジャンルのことですからね。これも趣味といえば趣味。

 

 余談ですが、最近の入眠時間(床につく時間)は、ちょっと遅い(この文章書いてるのだって、午前1時だし)ですが、それでも昼寝だったり、自室に帰ってちょっと仮眠(寝落ち)だったりして、睡眠自体はとっているのです。でもこれはあまりよくなくて、寝落ちは所詮寝落ちですからね。よろしくはない。ちゃんと疲れたまま、その流れでぐっすり朝まで寝たほうがいいって話です

 

おっと、かなり話が先に進んでしまった。

 

・朝食

昨日の夕飯の残り物ですませるのが多い。といっても、昨日の家族の夕飯を作るのは最近、大概自分だったりするのですが……。

 

・仕事直前までまた遊ぶ


 朝食後、仕事にかかる前に、さらにもう一回遊ぶ。ここに至るとエンジンがかかってくるので、

・濃密にエロゲを読み解く。場合によっては長文感想の原稿も書く
・細かい部分の工作とか、塗装もしっかりする模型工作(だが、こっちはその後の仕事が控えてるため、どこかでペースを落として、洗浄や片付けの時間を確保しておく)
趣味のHPのデザインをきる。創作のアイデアを出す。これがないと、この後の作業が全然出来ない。
 
 とくに最後のが重要で、自分のは「オリジナル創作(一次創作)」なので、自分が発想・発見しないと、何もはじまらないのです。なので、うんうん考えて(たのしい)、全体のアウトラインのデザインをきったり、今自分は何を表現したいのかをアナログノートやPomeraワープロ専用機)を使って、「ネタ出し」をします。漫画で言うところのネーム切り。一番自分にとって創造的な時間です。

……そして、仕事の時間に至って、仕事に行くのです。(自宅家業のため、仕事場への通勤時間5秒)。がんばりましょう。

 

●こんな感じです

 

 毎日こんな感じですね。
「仕事」がなかったら、その間の日中の時間をフルに創作、趣味に使えるのにー!と誰もが思うことを思う。
 また、「健康のために運動する」というのが、どこを見てもないわけでして、基本的に手や体を使う仕事であっても、やっぱり運動不足にはなります。そういった面で改善の必要はありますが、まあこういうスケジュールで落ち着いています。
 とにかく仕事の前と後で、「趣味時間・自由時間」を分割すること。それが自分のやり方です。趣味に長い時間を費やすことは出来ませんが、まあ趣味に集中しまくって仕事のパフォーマンスが落ちる、というのもまた違うので。これくらいの趣味時間が現在は良いのかもしれません。いや、確かにもっと欲しいけどさ趣味時間。

 

●メモ

www.youtube.com

・いよいよガルパン休暇こと、明日、ガルパン最終章・第一話を見に行きます。午前中に2回観ます。すでにチケットは予約済です。
・すげえ雪になるとか。もう今からして暴風の音がごうごうごうとしてるのですが、ダイジョブかおい
・午後は仕事。ということで、半日休日でございます。
・まあ、明日も今日書いたようなスケジュールですね。てなわけで、今日はこれ投下したら寝ます。おまむみです。

風邪&Making*Lovers可憐ルート感想メモ(日記10日目)

●風邪をひきましたアゲイン


 今日は手抜き更新です。いつも手抜きのような気もしますが、今日はかなり手抜きです。いばるな。
 風邪を召してしまったようで、体に力が入らず、脳に気合いが入らず、よって文章もかなり気の抜けたものになっています。
 先日「風邪を半日で治した」って話を書きましたが、その時と同じ対処法「とにかく寝る」をカマしています。自分の体の声を聞くのだ……
 ということで、寝ます。それだけではネタがないので、今書いてるSMEE「Making*Lovers」の「可憐ルートにだけ焦点を絞った」長文感想の途中までをさらしてみることにします(エロゲー批評空間に投稿予定のもの。もちろんこのブログにも載せる)。たぶんこのままだと、7000字くらいの感想になると思うのです。なぜ可憐ルートだけ? もちろん好きだからです。

www.hook-net.jp

●Making*Lovers・可憐ルートonly感想

北大路可憐|Making*Lovers - SMEE 9th Project

 北大路可憐はひんぬーである。だがそれはガリガリというわけではなく、むしろさわり心地がよさそうである。実際本編中でもたびたび「可憐の肌はきれいだ」と言うシチュがある。


 この「肌がきれい」というのは、主人公と可憐の関係性、物理的距離感を表している。なにせ肌のきめ細やかさっていうのは、見るだけではなく、触って把握するもんである。

 模型で例えるのもなんだが、きちんとヤスリをかけてサンディングし、表面加工をした模型の質感というものは、言葉に表すのが難しい。だがその丁寧な仕事のきめ細やかさは、それだけで価値なのである。つつーっと触ってみて、「ああ……」と恍惚となってしまう。可憐の肌とはそのような雪のようでありながら暖かさを感じさせる綺麗さであり、優しさである。そういえばレイナルートで主人公のおかんが、亜子の肌とレイナの肌を比較してうんことシルクとかって言ってたがさすがにこれはひどいんじゃねえか。
 可憐の肌だが、そのように「触れられる」というのが、主人公の距離である。触ってOKなんである。むしろ触ってほしい。それを許しているし、求めている。このカプには、イチャイチャしながらも、どこかでちょっとした寂しさがあって、それを埋めてもらいたがっている。お互いに。埋めることでもっとイチャイチャする。そして幸せになる。欠落が最初からあるからこそ、お互いを必要とするーー

 

 ……と、最初からバーストしきった形で語るのもなんですが、この長文感想では、「主人公・小鳥遊和馬(デフォ名)×北大路可憐」のカプ(ルート)」しか語っていません。そんなバランスの悪くて、ゲーム全体のことを語っていない感想文章!……とかって言われても、しょうがないじゃないか、和馬×可憐という、久々にジャストミートストライクにして、斜め上からの一撃であり、それでいて収まるところにきちっと収まるっていう心地のよさなカプを見て、「ああこのカプ世界観いいぞいいぞ!延々と妄想してられるぞっ」と滾っているのだから仕方が無い。
 もちろん全ルートクリアしてはいますし、他のキャラクターも大変魅力的。ハズレはなし。だけどそれ以上に可憐ルートが萌え萌えであります。

 

●他ヒロインとの絡みのないエロゲ

 

 エロゲを語るにおいて、このMaking*Loversというか、基本的にSMEE作品というか。「ルートに入ったら他のヒロインの陰が薄くなる」っていう類のがあります。その形式の系譜とか客観的意義はともかく、それが「個人的に好きかどうか?」といったら、あくまでわたし個人的には「諸手をあげてOK!とは言いがたい」です。基本的に、ヒロインと主人公のいちゃラブを見ながらも、他のヒロインたちがわいわいと周りで賑やかしにかかる、というのが、個人的には萌えゲーでは大変好ましく思っています。
 なので、このMaking*Loversのように、「ヒロインルート入ったら、そのヒロインだけ」というゲームは、様々なキャラの入り乱れるゲーム、ということではないので、「他のヒロインとの関係性でもって作品世界をトータルで語る」みたいな論述形式があまり似合いません。

 もちろんレビューの器(ガラ)を大きくして「あるヒロインAのルートの特性はこうだけど、別のヒロインBのルートと比べて、こういう特性があるし、欠点もある」という風に比較論でもって語る、というのもあり、そういうレビューは立派だと思います。作品全体を読み解いている、そして作品全体を愛している、ということで。

 ただ、今回自分がその手法をとらないのは、ひとえに「他のヒロインも好きだけど、可憐がドンズバでノックアウトしにかかってきた」からだ、といえます。

 

 ていうか……ていうかなぁ……あああああ、もうしゃらくせえ! わたしゃ可憐を語りたいんじゃ! この寂しい女を語りたいんじゃ!

 ひんぬーでウェーブのかかった緑髪で、なんか童顔で背中のラインがセクシーで、デート服も悪くはないが最初の部屋着のゆったりさが個人的にかわいくて、そりゃあ咲さんやレイナのように「あ、金もってそうで高貴」というのではないけども、日々の努力でもって清潔さと立派さが、高潔さに結びついている清き正しきツンデレ美学でありながら、その一方で嫁/新妻力の高さというか……そしてそんないじりがいのある可憐を面白くしていくのが我らがSMEE主人公・和馬であって、この二人のちょいしみったれた生活模様がなんとも楽しくて……


 感情の!奔流が!エロゲ語りなのだ! もちろん作品を客観的に語るのもひとつの達成ではありますし。それに対しこのような奔流語りがどれだけの価値を持っているかはわからねえ、ただ自分は可憐を語りたい!

 

●寂しい女


 可憐をヒステリックだと思うかどうか。そこが分水嶺かもしれません。もちろんエロゲ美少女のかわいさはありますし、かつての暴力ツンデレみたいに、主人公を殴って終わり、っていうこともない。もちろん和馬がいつも可憐より一歩上を行ってるから、暴力ツンデレみたいな現象は起こりませんが。
 可憐自身、これまで「突っ張ってきた」人間であります。突っ張ることが女のーたった一つの勲章ー、と歌うのもなんですが、ルームメイトに裏切られ(見つけたら殴っちまえよ)、夢の直前で、その夢を逃しそうになる。

 可憐ルートについて、きっとこれからも語られることになる「鬱展開予測妄想」がひとつあって。それは

「可憐ルートを選ばなかったら、可憐はホームレスをこの先も続けるのか?」

というもので。そんなKanon問題を一度考えると、例えばどうも咲さんルートにハマりきれない。わたしが、咲さんと和馬の、高級マンションでの深夜→早朝のテレビ局職員ルートな微妙な時間帯のユルめのハイソ生活というのを観測しているとする。そんな微妙な時間帯のユルめの生活というのも素晴らしい。

 ただ、可憐はどうなる? 部屋を追い出されて、波止場で一夜を明かす、っていうのを、もう2,3日は続けるのではないか。そして実家に帰るか、それとも……それとも? この「それとも」以上の考察を自分はイチャラブ野郎としてしたくない。冗談でもしたくない。そこにさらなる悪意の第三者がいるって想定をしたくない。まあそこまでいくと考えすぎになるけど、可憐に惚れたらこういう想定だってしてしまう、っていう人間がここにいる、ってことをわかっていただけたら、と思う。

 

 北大路可憐は寂しい女である。さて、この寂しい、っていうのは、「孤独が好き」ということではない。孤独がイヤな人なんである。そもそも可憐がクソルームメイト女と一緒にいたっていうのも、孤独がイヤだったからではないか、と思う。それでいて、突っ張ることしか知らない女でもあった。
 北大路可憐の自己認識は「自分は凡才である」ということ。ラスト付近で語られる「あまり親にも期待されて無くて……」という述懐。もちろんこの「期待されていない」というのには、可憐の親と、可憐自身の認識に誤差・齟齬があるとは思う。


 「たぶん」の妄想だけど、この可憐の親(北大路家)というのは、資産的に鳴瀬家のようなハイソな一直線ではなくても、ちょっと「いいとこ」な家なのではないか、とも思う。インテリで名をなしてる、というよりは、「ちょっと古い地元の名家」とか。代々受け継いでる家業がある、ってんでもなく(それだったら可憐を引き戻すにおいて、家業という話が出てくると思う。ラブラブルの奈々子さんルート参照)。
 今自分は、日本が誇る怪奇文芸ロックバンドの「人間椅子」のギターボーカル・和嶋慎治の自伝「屈折くん」を読んでるのですが………………(ここまで書いたリアリティ

www.shinko-music.co.jp

●今日の感想メモはここまで

 

……というところまで書きました(リアル)。果たして和嶋の自伝はどう可憐の実家と絡んでくるのか? 全然主人公と可憐のイチャラブについて語ってないが、これがどう絡んでくるのか? 乞うご期待!(というか)

 

●メモ

 

・これはいつものメモです。

 参加(寄稿)させていただきました。担当タイトルはまた後日お話します。先日からこのメモ欄で申している「冬コミ同人誌」とはこちらです。

・風邪は今日結構寝たので、ある程度は回復しつつありますが、大事をとってさらに寝ます。明日も仕事なんで

・その次はガルパン最終章第一話なんで。もう今日で治す以外手段がない。

・例によって冬、年末となると、ダイナソーJr.を聞く頻度が増える。なぜか