※これは、今年のはじめに書いたテキストです。
一週間くらい更新してないこのブログですので、説得力ないですが……
・一日2000字
最近、ブログを更新するのが、なんか旺盛です。
もっとも、年末は鬼の忙しさだったので、これはストック記事からの更新ですが……
もともとその指向/思考は、このブログになる前から(ようするにはてなブログ時代、これとかこれとか)あったのですが、あるルールのようなものがありました。記述に。
・三段論法(まがい)
・1記事2000字
・思いついたら即書き、即更新
●なんでそんな苦行みたいなマネを?
いや、これ、相当ヌルいんですがw
ともかく、自分の思考を、とどめて(定位さして)おきたかった。
最近記憶がとんとボケて……(加齢臭)。
昔は、記憶がボケてようと……ていうかあんまボケてなかったんですが、それでも「次から次!」みたいな感じで思考を働かせてました。
いつかやってくる「大哲学」みたいな感じの到来のために。
ただまあ。
やってこないのですよ、「大哲学」。
そればかりか、日頃思いつくイイカンジなことも、最近は忙しいのか余裕がないのか(おなじ)、ひょいひょい忘れる。
こりゃあかん。
少なくとも、考えついたことは、けっこうイイカンジなのもあったのに、それすら忘れてるようじゃ、その「イイカンジ」から発展させて思考の大伽藍を構築することも不可。
(まあこの考え自体が、ヘーゲル的弁証法にやたらと毒されてる、というか、西欧哲学的なコンプレックスに毒されてるというか)
●そもそも、自分は文物を「食い捨て」してる
ある程度おぜぜに余裕がでてきて、本を買うのに、躊躇いなくなりましたわ。
でも、あんま、あたまに入っていってないですね。
それは、読む時間がなくなったから、というのもありますが、「ガチさ」がなくなっていってる、というのも。
皮肉!
欺瞞!
それは「本が好き」なだけであって「本を読み自分を高めることに無関心」なアリサマ!
以上二点
・すげえ忘れっぽい
・本を読んでも抜けていく
な、現状をどうにか打破するためには……そう、「どくしょかんそうぶん」をつけるのが一番かなー、と、本能的に思いました。
まあ、たいていのブログ(書評系)は、こういった感じの思考からはじまっていくのだと思いますが。
自分の場合、「自分のためになるか」という思考以前に「本の客観的な批評をしよう」みたいな思考があったのですな。
それはそれで無意味とはいいませんが。
でも、「いまの自分のため」になるのは、やっぱ「感想文」なのです。
それで自分がどう勉強したか。
明日に生かせたか。
あのー、まったく話違うんですけど、風俗とかエロマンガとか、いわゆるエロ業界ってあるじゃないですか。
まあいやらしい、とかいわずに聞いてください。
ああいう店があるのは「エロの発散」がそりゃあ目的ですが、じゃあ「エロの発散」はなんのためか、というと、
「明日へとつなげる」
ためなんですよね。
所詮射精は一時の快楽です。
ですが、その快楽が、明日へとつなげることができたら……。
場合は、断食とかの禁欲生活も同じで。
「明日へとつなげる」ことができなかったら、どんな清い行動も、あんま意味ないんじゃないかと。
だから、性的サービス業はこの世にあるんであって、聖職者もこの世にあるんであって。
極論ですけどね。
それは、徹底した功利主義・プラグマティズム的考えかもしれませんが、いまの自分には、これがフィットしとるのです。
いかに、今の行動(読書とか音楽とか模型とかエロゲ)を、明日に生かせることができるか。
その道しるべを、自分でどうにかセッティングするために、このブログを書いてます。
……ていうか、こんなの、社会にでるまえにセッティングしとけよ……(結論)