このブログがどういうのなのか取説とか、お役立ちリンクはここに纏めときます(2019/09/14)

【2019/09/18(水曜)現在】 

(この記事は常にトップに来ます)

 

 このブログは、「レッズ・エララ神話体系」という箱庭妄想個人サイトをやってる人、残響@modernclothes24 の日記です。@以下はついったーアカウントIDですよ。

ツイタターのようなSNSは、知人との連絡に使うほかは、ジョークを投下していたのです。しかし正直、SNSというシステムに飽きたところがかなり御座いますので、代わりにこの日記ブログでジョークを壁打ちテニスしてみようと思っています。ジョークブログです。

 (↓これが上記箱庭個人サイトです)

http://www.redselrla.com/re_top.html

 

www.redselrla.com

(↑こちらは、同人音楽サークルとして、やっています)

 

 「fav」カテゴリは、読んだインターネット記事、ついったーツイートに対する、感想文です。

 

7年間毎晩脳内イチャラブ妄想していた萌えカプに飽きた

かれこれ7年になります。7年前から、自分の眠りは安らかでした。彼と彼女のカップル(カプ)が居たからです。

2012年あたりから、毎晩寝る前に「イチャラブカップル妄想」の幸せを脳内で展開して、安らかに入眠していました。
そのカップルは、とある線の細い(少女漫画系)すけべ漫画の高校生カップルで、男性の方はマニア趣味のやさしげな優男。少女の方は白髪/銀髪ロングの儚げなメイド風優等生であります。
そのカップルを、原典すけべ漫画の記述をもとに、いろんな角度のシチュエーションから、脳内でアフターエピソードを勝手に拵えて、毎晩毎晩妄想していたのです。
そうすることにより、まぁまぁあらあら、入眠の安らかなこと。
布団に入って、もはや自分(筆者)を脅かすものは何もなく、安心に包まれて、優しさに心身の内外から包まれて、気持ちよく眠ることが出来ていました。

そんなのをかれこれ7年は続けてまいりました。毎晩欠かさずです。ほんとにです。この手のイチャラブ妄想になったら自分はしつこいのです。
ずーっと同じカップルを脳内展開、観測。もう原典のネタなど消費し尽くし、オリジナルエピソードを盛りに盛って、脳内妄想を続けていました。原典すけべ漫画は連作短編漫画で、単行本1巻にも満たないのですが、自分(筆者)が拵えた妄想は、多分単行本5,6巻くらいはあるんじゃないかと。

しかし最近……といってもこの1週間くらいのことですが、ひょっとしたらようやく飽きてきたのかもしれません。
この数日、これまでジューシーだった妄想の明確なネタ切れを、突如として感じ、寝る前の脳内妄想があまり展開していかない。ここにきて、妄想なしのパサパサとした無機質な入眠をすることを、余儀なくされています。

「さすがに7,8年同じカプで妄想するのは限度か」!
という気持ちと、「よく7年も同じカプで妄想できたな」という感慨と。
あるいは「これまで幸せな時間をありがとう」という気持ちと、
そして何より「次はどうしよう……」という若干の不安さと。

原典はすけべ漫画ですが、重要なのは「少女漫画的な線の細い繊細な描写」と「お互いらぶらぶなイチャラブすけべ描写」が見事に相まって、ハーモニー(調和)を醸し出していたところですね。

さてどうしよう。

いつも心に推しカプを。
あるいは、いつも心に嫁とのイチャラブを。

それが人の生活を安らかにしてくれる、入眠を。
まさしく必需なる概念存在であります。

いつも心に推しカプを。あるいは心に嫁ラブを。
しかし……「そのひと(たち=カプ)」は、どこに居るんだ。

萌えとは、最終的には、自ら見つけ出すところのものであります。
こっちが、勝手に陥落するところのものです。
相手がどんなにあざとく誘惑してこようが、自ら堕ちて(萌えて)しまったキャラの前では、やはり「あざといアナタも悪くはないけど、ちょっとこっちの嫁の特典イラストをおれはころしてでもうばいとる」
という無様になってしまうわけです。

もちろん、7年続くくらいの妄想を出来るカプに、7年前に出会ったんだから、どうせ今度もコロっと転ぶ萌えカプに出会うだろう、という楽観はあります。
それはいつになるのかしら。

次なるカプが、「前と同じ造形・同じシチュ」ではない、だろうという予測は立つのです。
一方で、何かしらの雰囲気だったり、持っているオーラみたいなものは通底しているだろうとも予測します。
しかし、その通底しているものを抽象化&メソッド化して、「おれは●●なカプを求めるのだ」と決めつけ、さかしらに最短距離で次なる萌えカプにたどり着こう、とするのは、なんだか違うような気がするのです。
どうせオタクですから、過去に自分もその手の「属性論」めいたことをしましたよ。でも、「かなり同じっぽい属性ヒロイン、カプ」に行っても、結局は「前の方がドンズバだったな」的なところに落ち着いてしまったのも事実。

「なんか前とは違うかもだけど、よくよく掘ってみれば、何かしらが通底していた」というのこそが、求めているものかもしれません。贅沢な。

そして、前のカプに与えていた数々のシチュ……寂しげな海にふたりでバスに乗って遠出デートしに行くとか、狭い部屋でラブラブ同棲するとか、突然の雨に降られて自宅に急いで帰ってお風呂にふたりで入って雨の冷たさとお風呂の暖かさで楽しさと切なさが爆発してふたりでいちゃいちゃ濡れまくりせっくすするとか。

次なるカプを見つけても、どうせ自分は同じこと(シチュ)をさせるのですよ。進歩がない。
しかし萌え……とりわけ毎晩の入眠におけるイチャラブ妄想における「進歩」「生産性」「革新」など、心からクソ喰らえだと思っている自分がいる。

カプを観測する。
そのカプがどこの誰になるかはわからないですが……。次もすけべ漫画とか、ラブコメエロゲである、というのは限りません。こればっかりは何になるか、わからない。

そういうわけなので、どうせ次のカプにさせる妄想シチュは、いつもと変わらない……つまりはシチュ上の保守であります。
で、あるにも関わらず、別のカプに対して妙に飢えている。

そういう飢えた心(ハングリー・ハート)である限り、案外自分はまだまだ現役オタクであるのかもしれませんね。
最近、そこのところが自分でも「落ち着いたおっさんオタク」になってきちゃったのかなー、と思っていたところなので。

とりあえずは、まずは、最近の潮流からごぶさただった、エロゲ(ノベルゲーム)から調べてみましょうか。

最近じっくり読んだ好ましいブログ記事という物語(9月中旬)

皆さん、インターネットをしていますか?(この文章を読んでる時点で意味の無い質問)
ええと、皆さん、健やかにインターネットをしていますか? ほほぅふむふむ。それは何よりです。
ついついSNS経由で回って来がちな、社会的不安や、個人のコンプレックスを煽るような言説を、夜更けにぢっと読みふけるのはよろしくないですよ。

文学が、こころに滋養ある善き文章が必要なのです。ということで、最近読んでる(読み返してる)ネット記事を挙げてみることにします

 

steampunkn.blog.fc2.com


こういう風に「ネット記事を挙げる」記事を書いてみようと思わせてくれた発端。
ここでは「ゲームメディア」ですが、何にせよ、お気に入りのメディアを通じて、そのシーンの今と昔と現在に触れ続けることが出来るのは、善いことです。そうしてシーンを知り、己(の興味)を知っていくのです。メディアを通して、シーンを「気に入ってる」ということ。この「気に入ってる」感っていうのは、大事だと思うのですよ。

 

feekoduki.blog.jp

 

書評・ノベルゲームレビューブログの管理人同士による、「物語」対談ブログです。

自分(残響)の、良くも悪くもな性質なんですが、グッドバイブスでもって「物語が紹介されている」と、そこから勝手に自分は脳内で「こういう物語なんだろうな」と空想を働かせて、紹介されている物語(原作)を読まなくても、架空の物語を想定してしまって、それはそれで満足してしまう性質があります。

そしてこの、物語と人間をめぐる対談ブログですが、対談者二人とも、「引かない」ですね。

話題はしばしば、物語人物のモラル的な側面に話がいくのですが、「こういう人間のあり方ってどうなのだろう?」と、ふたりで語り合っておられます。

まさに文学です。簡単に引くモラルは、それだけでモラルに反しているのです。もちろん、お互いが宗教戦争じみたことをしてるわけではありません。そこが、対談者ふたりの、物語への信頼・信義を感じさせるところです。

正直、自分は、そういうピュアな「物語への信頼・信義」を持てているか、といったら、怪しいところがありますので。

 

anond.hatelabo.jp

……というタイトルの自伝を書いてるわりに、物凄い「物語るに足る人生」を生きてらっしゃるのですね、この筆者のひとは。

snowlong.hatenablog.com

筆者は、今は東京でITエンジニアをしながら、VR文化に触れ、その一方で大学進学のための準備をしている方です。
「大学をやり直す」のではなく、「世界の広さと深さを知るために、今まで縁遠かった大学に行く」という、明確な目標を持っています。

この人は、バックれ傾向(失踪傾向)がある人で、電子書籍の自伝にも書かれているのですが、とにかく「状況が安定してきたら、バックれ」て、どこかへ行ってしまう。行ってどうするか? ホームレスになる。そしてしばらくしたら、また何かを目指し始める。


もともと頭脳も、プログラミングのセンスもずば抜けている人なのですが、しかしどうしてもアウトサイダー寄りになりがち。そういう「まともな世界」と「アウトサイダー」を、ちょくちょく行き来している人。

この人は、「世界は広いんだなぁ、と泣きそうになる」と物語っているけれど、それを読んでる自分も「世界は広いんだなぁ」と思っている。

例えば、大学受験のため、数学をやるも、理解出来なかったが、あるとき「数学の数は、【かず】じゃない、【すう】という抽象概念なんだ」と気づき、バーン!と「数学の世界の扉が開く」こととか。


世界はそんな風に謎で複雑で、面白くて、人生という青春が一生出来る世界なんだ、ということを、物語っている。

 

yoshimitaka.hatenablog.com

今夏の、島根県江津市の「第3回ごうつホビー祭り」に来て下さり、現地でオフ会をやると同時に、義実さんは、この祭りのすべてを、くまなく楽しんでいただけました。

熱気。
今ここで、確かに何かが生まれ、それを全身で楽しんだ人が居たんだ、という記録。
文章から、何かエネルギーがうごめくものを感じます。それが「熱」です。
もちろん、イベントの改善点はあれど、それは前に向いて、これからもより良いイベントにしていくための、建設的な意見。

「観客、お客様」じゃないんだ、と。みんなが「参加者」であり、欠くことの出来ない存在であり、みんなで作っていくイベントなんだ、熱なんだ、と。

かつて、自分はそういう言葉を、お題目としてしか受け取っていませんでした。
まさしくそれこそ、世界を知らなかった愚かさです。

どうでしょう、これが物語です。

 

(過去に書いた似たコンセプトの記事)

modernclothes24music.hatenablog.com

2019年令和元年のこみっくパーティーの長谷部彩について

※これは2019年5月9日にscrapboxで書いた日記……に加筆訂正をしたものです

 

夢の中で、 こみっくパーティー長谷部彩(学生時代の嫁)が出てきた。夢を見てるのだから、夢の中の自分は現実と思ってやまない。ドリームドリーム夢ドリームというやつである(@ナユタン星人)


だが自分はしばらくして、その彩を「夢の嘘だっ!」と暴いた。証拠はいくらでもある。地の文テキストウィンドウで「彩はメンヘラで……」という記述がされていたり、また偽夢彩は基本春夏服なのに、帽子だけ冬服になっている、というビジュアル面での齟齬。そういうもろもろに「これは……【嘘】だっ!」と起きてから憤慨する。


しかし、いまだに自分は10年前、かつて毎日イチャコラ妄想していたギャルゲーヒロインに恋々としているのか。
それにそれではいま、どれだけノベルゲームをやってるというのだ。今こそ、今こそロープライスエロゲをやるべきなのかもしれない。恋音セ・ピアーチェとか、メイドさんのいる暮らしとか(後者はやった。以下えろげー批評空間に投下した、小宮裕太「沢渡さん」シリーズとのクソみたいな比較プレイの感想)。

erogamescape.dyndns.org

そいからクダンノフォークロアはどうした。百合ゲーだろうが。その前にいつかのメモラージョに本腰を入れなさいよ。


フルプライスをがっつりやらなくなっている。本腰度が足りない。
しかし、単純に自分のサイト弄り(妄想いじり)と作曲、でだいぶリソースが割かれる上に、ドールだの手芸だのコラージュだの模型だの……ふたたび、なにかを削らねばならない時が来ているのだろうか

だがそれにしても長谷部彩である。自分の妄想は確実にこの系譜は小宮裕太の「沢渡さん」に引き継がれたのだから、彩が自分の中で死んではいないのは明白すぎるプレシャスなのだ。
そして「黒髪絶対!」から「銀髪白髪崇高!」へとシフトしたのは、どうしようもなく沢渡さんなのだが、あの「黒髪絶対!(黒髪党)」は、やはり彩から沢渡さんへ移行した段階で、勢いを弱めたのだろう。もちろん自作創作妄想のヒロインで「黒髪絶対!」を探求しているからこそ、他の創作物でその黒髪党精神をバーストさせなくてもよい、というのはある。創作が削っていくオタク熱というのもあるかもしれない。


で、あっても、彩である。彩は見事に自分を支え、自分の萌えを耕してくれた。「献身的なヒロイン」の純粋性。それは丁寧語というのもそうだが、一歩さらに歩を進めればメイド道なのである。事実、彩にしても沢渡さんにしても鉄板コスはメイド服だ。しかし、それであっても「純粋メイドな生まれ」ではないのだ。彩も沢渡さんも。自分はそこにもっと広い「広がりの可能性」を求めている。もちろん、「純粋メイドな生まれ」なメイドを!というメイドスキーを相手取るつもりはなく、むしろそういう「ご主人様」に敬意を払う。払うがゆえに、自分の「ちょい違う」感度の道も、うそをつけないのである。


彩は真徹のメイドでなくていい。やはり「売れないマイナー同人作家」でいいのだ。自分の妄想をただつづるだけの同人作家。おお、今自分が同人サークルでやってることと一緒じゃねえか……。

 

こみパSNS

 

こみパSNSにまつわるファクターが存在していなくてよかった。こみパ2があるにせよ、そこからSNSを抜かすことは事実的に不可能だ。「都合のよいオタリアリティ」といえど、現代オタ社会を描くにおいて、SNSをぬかすわけにはいかないだろう。

そして、SNSの味を入れたが最後、あの「こみパ」的な味は、無くなるのである。考えればどこかこみパは牧歌な純粋だった。もちろんそれは前時代のオタ社会(おたく)なるものの臭いが濃い。秋葉原がアキバとして特権的な魔都としてのオーラな臭いを放っていた時代だ。そうだよ、アキバには夢!が!あったんだよ!


そんな時代はもうないのだから、こみパも「2」のSNSテイストを出すよりは、「アラサー、オーバー30ageの同窓会」的なニュアンスを全面に出したほうが、まだ作品としてレベル高く存在出来はしないだろうか。折しもエロゲ界隈の年齢層というか、プレイヤー層の高年齢化を考えると……


いや、そんな繰り言を言っていても仕方はないし、別にLeafもそういう路線に東京開発室を……っていうか、いまこの区分あんのか!?別にみつみ甘露と大阪の違い、なんて今や誰も、本当に誰も気にしちゃいねえよ!その違いの存在すらわからないんだから!ちなみにアリスの東京支社はもうない。

こういうオタク昔話に華はどんどん咲くのである。いつの間にか長谷部彩自身の話をしていない。ロートルオタクあるあるである。オフ会あるあるである。
自分自身だって、いつの間にか長谷部彩で妄想をしなくなっている。彩妄想の末期は、さすがにネタが切れていたのだ。むしろ、同系統のキャラ(沢渡さん)に、属性そのままの熱量でランディングできた自分は幸運だったのかもしれない。沢渡さんが与えてくれる癒しがなかったら、確かに自分はこの数年間、ツブれていたことは間違いなかったからだ。だから、彩で妄想し続けた数年間も間違っているはずがない。

gyazo.com

悲しいかな!彩!いまや画材を薦めるとき、コピックGペンスクリーントーンではなくて、ペンタブレットの時代になってしまった!あるいはiPadだ!そういう画材屋にせこせこ通ってアナログ画材や文房具を見てニヘラニヘラしてるのは自分とかの数寄者くらいだ! 悲しい!

 

秋の夜は長谷部彩が雨に打たれ、はじめて主人公に抱かれた日である。ということで、驟雨のようにおれは彩妄想ツイートのログをここに張り付ける……

 

「5年間毎晩のこみパの長谷部彩妄想は、いつ終わったのだろうか。終わりの頃になったらもう自分は長谷部彩のどこが良いかわからず感じ取れないくらいの不感症になっていた。」

「10年経っても長谷部彩のCGを描き続けるZenZen氏とムラマサ氏にはいくら感謝してもしたりません。」

www.pixiv.net

www.pixiv.net

こみパの長谷部彩に関しては20年たっても88 58 87とスリーサイズをすらすらと言える程度のキモ・オタです。」


「長谷部彩に関しては、5年間毎晩いちゃらぶ妄想をして、さすがに最後の方はネタ切れになったので。アニメRevolution?そりゃ見ましたが、初回のOVA分の彩回こそありがたかったものの、その後無口天然ネタキャラ扱いじゃないっすか」


「おれは長谷部彩の黒髪ロングおさげのリボンになりたかった。春夏は黄色の細く、秋冬はシックな紫の、あのリボンに」


「地方都市、貧乏学生、ブーム乗り遅れという三重苦で、長谷部彩のエロ同人誌を買い漁れなかった苦しみが、小僧、貴様にわかるというのか!」


「長谷部彩BGM「月の童話」が流れた瞬間にこみパのプレイ時空感覚がしんみりするのが、彩オタの醍醐味なんだよなぁ」


「千堂彩スレ(長谷部彩スレは途中から母親になった彩とこみパキャラの子供たちな次世代の「妄想俺設定」の展開が蓄積され「原作彩スレ」と「千堂彩スレ」に分かれた)に毎晩集結していたあの連中の「世界構築欲」はなんだったんだろうな…」

「(ノベルゲーム評論サークル「定時退者」編集長Mirin氏に対するリプライ)100%同意なんですがしかしこれだけは申し上げたい!長谷部「彩」なんです!(誤字指摘)テーマ曲は「月の童話」なんです!ドリキャス版ではえちシーン前に抱きしめるCGと、ネグリジェCGが追加されたんです!あなたの赤ちゃんが以下略なんです!就寝時、彩とのイチャラブ妄想を5年間毎日し続けた身としては言いたく」

「2018年の現在、彩エロ漫画同人で確実に手に入るのは、おそらくあとりえKINTAの「月の童話(&第二章)」のDL販売だと思うし、自分も舐めまわすように愛読しまくったけど、それ以外の選択肢がなぁ。」

www.dlsite.com

 

 

 うぉおん2019年8月20日の彩!

ツイ・ッター時代に反す壁打ちテニスとしてのブログを再開するんだってば

こんにちわ。

523タしております。数字がよりテキストに組み込まれた言語を想像した書き方ですが、だからなんでしょうね。

 

ツイッ・ターの方は、ほとんど知人とのDM(ダイレクトメッセージ)連絡機になっています。
その他つぶやくとしたら、思いついたジョークを流してみて、ひとりでにんまりしてみる、という。
ただ、ツイ・ッターの特性は、あたかも枯れ葉が川の流れゆきに「流れていって」しまう、ようなことにあると思うのです。流転。
それはそれでgood、ツイ過去ログを掘り起こして「おまえはこうだったな!」と断罪するのも、またあずましくない(北海道方言)と思うのです。
そして、思いついたナイスジョークを、もっと手慰みにして、もうちょっと展開してみたい。大事にしてみたい。と思うようになったのです。

じゃあこのブログで、しずしずと呟いていればよいのですね。
それはツ・イッター中毒となりかけていた自分を、治療することとなるでしょう。よかったね。

 

そんなわけで、このブログ「残響の足りない部屋」を再開します。
再開につきましての正式なご挨拶は、もう文章書きましたので、次の更新はそれにしようかと思います。確証はないが……。ただ、残響(筆者)は、このブログに居てくだすった読者さんたちに、とても感謝しております。

 

あと、今の自分がやってるもん関連のリンクを張っておきます

 

創作オリジナル世界観妄想「レッズ・エララ神話体系
(静的HTMLいにしえのタグ打ちホームページ個人サイト)

同人サークル「8TR戦線行進曲
(上記世界観再現の同人音楽作曲プロジェクト)

scrapbox版「残響の足りない部屋
(残響版の音楽辞書を自分で作ってみようプロジェクト)

ツイ・ッター(modernclothes24)
(ログはこのツイ・ログを使うと便利ですね)
(また、favに関してはfavologにお世話になっております)

 

最近の自分は、


・コラージュアート漫画作成
・オリジナル曲の作曲、ギターとかの演奏
・外国語勉強(ドイツ語、フランス語、エスペラント語、ロシア語、中国語、フィリピン語、その他)
・言語勉強が転じて、辞書を読むのが好きになりましたね
・音楽探究
・模型ジオラマ(こないだ、第3回ごうつホビー祭りに出展してきました。レポートはこちらです)

http://redselrla.com/goutu3rd/index.html

(なんかブログカードが文字化けしますね……こちらが書いてるHTMLがおかしいのか……)


・ゆるいキャンプ△(用意はすでに今年のはじめに整えました。もう少し暑さと湿気が下がったら、はじめます)

……に興味をもって楽しんでおります

自己満足のごっこ遊び---報酬と互酬性、目的と行動、宇宙と臨終ぷるぷる、幸福と作品、そして王国

仔月さんのノベルゲーム/小説読解ブログ「雑記帳」を読んで、あるひとつの観点から、自分がここのところでようやく見出した話について、ちょっと書きたく思います。

submoon01.hatenablog.com

 

submoon01.hatenablog.com


●自己満足のごっこ遊び---報酬と互酬性、目的と行動、宇宙と臨終ぷるぷる、幸福と作品、そして王国

 


アリストテレスは人間の行動を、「目的を達成するための動作」と定義しました。卑近に例えれば、「切符を買う(行動)のは電車に乗るため(目的)」、というやつです。

では、一気に飛躍して、人間が抱く最終的な目的は何か? だって、こんなもん、行動に対する「目的」はどんどん妄想的に連想ゲームで辿れちゃうわけです。電車に乗るのは目的地に着くため、目的地に着くのは本を買うため、本を買うのは知識を得るため、知識を得るのは……以下ループ。
 例えば「知識を得るのが、読書する目的なんだ!」って定義したとして。でも、これ「知識を得ても、結局人生に役に立たなかったな……」という実人生からのカウンターパンチ食らえば、結局読書の価値が、その人においては無くなってしまう、ってのがあります。「本の虫の末路」ってやつで。


 どうすればいいのか。本を読まなければいいのか。違う。
 「ただ本を読むのが、たのしい(自己満足)。←それだけで良い」


 アリストテレスは、「それ自体が目的になっている行動」というものこそが、「何かの目的を達成するための行動」なんかよりも、すごい価値がある、としました。
 では、「それ自体が目的となっている行動」とは何か?というと、「とりたてて実生活には役に立たないけど、自分を幸福にする行動」です。作詩、作曲、絵画、舞踊、工作、etc...
 それを、あるひとは自己満足と揶揄し「趣味」と呼びます。しかしある人は自己満足を誇り高く「趣味!」と断言します。ウィトゲンシュタインは「幸福に生きよ!」と言い放ちました。仔月さんの読んだ「しろくまベルスターズ♪」のサンタとトナカイは、(互酬性※を放棄した)「他者の幸福を増進させる」ことをしました。そして「神聖にして侵すべからず」の「王国」は、幸福のリレーを「始めた」わけです。

※互酬性……お互いに報酬を与え合って、●●をしましょう!という契約。俗に言えば「なんかやってやるから、なんかよこせ」論理

 

 自己満足です。他者から、報われること(報酬)など期待はしない。すでに自分は「アレをしたんだから、自分はすでに受け取っているよ」と満足した態度です。まさに自己満足です。
 そうです、残響は、この境地に憧れています。つい、他者の反応を気にしてしまう自分。そんな自分という存在が、こうして言語化出来てるから、この意識そのものから引き剥がそうとして、さらに言葉を紡ぐ。意識を研ぎ澄まして、自己満足に浸ろうとする。甲斐あって、少しは出来るようにはなった。けれども、そんな時点でまだまだという(というか大差ない)。


 何かを残さないと意味はないのでしょうか。この世界に。社会に。世間に。Twitterのアカウント諸氏に(解像度のレベルを上げていっています)
 いえ、何を残したところで、結局「消え」ます。宇宙レベルでは。人間の文明が滅ぶのは100%です。わたくしポストアポカリプスものの物語の読み過ぎなのか、最近、自分が生きてる2000年代のいつかには、太陽がドカンといって、世界戦争以前に、地球がヤバめになるんじゃないか、っていう妄想をするようになってる自分です。そのためには、アウトドアスキルを磨かねばならない……!と、この春からソロキャンプを始めようとしています。寝袋とマットはすでに買った。ランタンも手に入れた。次はテントだ……キャンプ地もすでに4箇所見ている……!


 ともかく、宇宙レベルでは、すべての人間の行ったことは、100%無になります。宇宙は消滅しますし、その前に作品の観測者たる人類も滅びますし……。どんなに傑作をつくったところで、どんなに金を、いいね!を稼いだところで、すべて無くなります。科学的にこれは、100%です。それがラストな以上、あとは「早いか遅いか」しかないのです。
 宇宙はすぐには滅ばない? いえ、人間……個々人。これを読んでる貴方、何より「わたし」が滅びます。自殺という話ではなく、この100年以内に、自分の肉体は朽ちます。死にます。よしんば電子脳髄とかAIとかサイバネとかで延命できたとしても、それは宇宙レベルでは「早いか遅いか」でしかないことは、すでに言いました。作品の優劣や、金銭やいいね!の多寡を判断できる「わたし」という観測者(自我)が居なくなる、ということ。


「そんなのはいやだ!」とする人が多いからこそ、今の世の中がこのような仕組みで回ってるのだ、と思うのです。保険とか老人ホームとか。
 一方自分は、人生のラストでは(自殺じゃなく)、

 どこぞでキャンプして、夜の星空を見ながら「ああ、綺麗だなぁ。でも自分の妄想世界もなかなか良いなぁ」とぼんやり思いながら、誰にも褒められることなく、いいね!ももらうことなく、ひとりぼっちで三途の川に佇みながら、静かに完全なる野垂れ死にをすること

が、こころからの目標です。素晴らしい死に方だと、今から待ち遠しいです(本気)

 何も残さなくても、残せなくても、良い。死ぬのが……明日あさって、っていうのはちょっと困るけど……例えば2年後だとされても、まあ取り立てて狂うほどオカシくなったりはしない。むしろ臨終の時が判ってるのだったら、今言った三途の川キャンプに向けて準備を整えていく。これが、自分の考えです。ていうか、今リアルソロキャンの準備をしてるのも、完全にやがてくる臨終のための一環そのものですw 楽しんでいくぜ!


 ですが、多くの人はここで思考のバグが起こるのだと思います。残さない(don't)、残せない(can't)。そんなのはイヤだ、と。いやまあ、三途の川キャンプはあくまで「自分にとってすげぇ良い臨終」というのであって、誰もに勧められるものではないですし。
 それでも、皆さん、死にますからね。宇宙レベルで言えば誤差で。


 「世界に対して刻み込むべき、人生をかけて創った作品」がないと「世界に対して恥ずかしいっ!自分は何者でもなかった……」という思考そのものが、オカシい、と自分は思うようになりました。いまは。
 じゃあ例え、才能あるあなたにそんな作品があったとして。世界最高の高みに立った作品を創ったとして。いいね!ランキングの世界頂点に立ったとして。
 でもこれ、そんな他者評価、「更新」されませんか?
 死ぬ間際になって、臨終間際の老衰で手や足がプルプルしてロクに動かせなくなって、全身に管をブッ刺されて。そんな時に「もっとすごい世界最高の高みにたった作品」が出たり、いいね!ランキングが貴方よりも15ポインツくらい多いいいね!をカウントして、貴方が二番になった、ってなったら。そのとき、あなた老衰で手や足がプルプルしている状態で、何が出来ますか?
 逆に言えば、手や足がプルプルして「作品を、世界に対して形作れなくなって」も、それでも自分が幸せで居られるのは、何か。


 やっと話が戻ってこれます。
 これこそ、「互酬性(報酬の期待)の放棄」です。他人から何かをもらうこと……承認欲求であったり、いいね!であったり、他人の笑顔であったり。あるいは、自分が他人に期待するなんやかやであったり。それを、放棄する。
 たとえ自分が、指先ひとつなかなか動かせなくて、ぼやけた目と、なかなか聞こえない耳しか持っていなくて。外部出力がとことん、しにくくて。それでも幸せと思えるのは。
 世界は、こういう風になった自分に、とくに報酬は与えてくれません。指が動かない、目が見えないのだったら、モノは作れない。モノが作れないというのは、世界に対して自分を刻むことが出来ない。つまり人類の歴史に対して……社会に対して…………ぐぁぁ…………

 


 ああ、もう。
 だから、もう、いいんですって。
 例え、そういう風になったとしても、あなたが生きていれば、貴方の心は死んでないじゃないですか。
 とくにモノが(物理的に)作れなくなっても、いいじゃないですか。これ、へっぽこモデラたるこの残響が言ってるんですからね。


 死に際で、夜空に星空を見ることが出来た幸運と、
 死に際であったも在るであろう、内的世界の豊潤があれば。
 それで良いのではないか、と自分では思っています。
 とくに後者ですね。「ただ自分が、掘り下げていけば、それだけでたのしい、自分の内的世界」。死ぬまで妄想しましょうぜ!

 


 それでいい、と思う。妄想するのが、人間だ、と。で、こういうところを基準点にすれば、互酬性(報酬の期待)っていうのは、「別に放棄してもいいな」って自分は思えるんですけど、どうでしょうか。どうせ、社会や世界の「いいね!」は、こういう風になったら、認識も出来なくなるんです。だったら。


 でも、ひとつ問題を置き去りにしてます。互酬性を放棄するメリットはわかった。そんで、自己満足のループをすればいいのもわかった。でも、そんな自己満足の最初(発端)には、どうやってたどりつけばいいのだ?
  


 これは、自分も今、必死こいて考えているとこです。
 ただ言えるのは、こういう自己満足の満ち足りた光は、たぶん「作れる間、毎日自己満足して作っている」ことで、自信の光を「作っていく」ほかは、本当になくて。
 

 自分も期待してるんですけどね、もっとすごい「自信の光」が、どこかからピャーっとスポットライト的に来て、自分をごそっと変えてくれる、っていうの。
 でも、それ、3~4年くらい期待して頑張ったんだけど、来なかったっすね。ていうか、この時点ですでに自分自身が「世界」に光な報酬を「期待」してんじゃねえか、とw ギャフン
 本当に、「自分は自分がつくる」以外にないんだなぁ、と。だから禅では、それを毎日の修行、と位置づけたんでしょうし。人生は作品だ、と。誰かが、一気に変えてはくんない。自分が、少しずつ作って、自分で変えていく他はない。本当にない。
 

 でも、その発端はどこにあるのよっ!?
 そこで、「幸福のリレー/王国はどのようにして広がるのか」について。
 
 仔月さんは、王国が広がるのは、「ごっこ遊び」に支えられているからだ、とします。
 そして、具体的な形を持たないからこそ、遠くに広がりうるのだ、と。
 人々の心。信仰
 
 そうです、以上で自分が述べてきたのは、結局残響という人間の信仰なんです。信仰だから、一気に宇宙レベルの話(極論)や、臨終プルプル世界断絶(極論)を持ち出しました。そして信仰だから、「まあ実際に以上のようになっても、自分に関していえば大丈夫なんじゃなかろうか」っていう話をしています。自分の信仰だから、他人に対して強制は絶対にしません。ていうか自分がこの世で一番嫌いなのは、宗教信仰の強制なんだ……。
 
 信仰していれば、その人は救われるのか? 
 うーん、それはどうでしょうね。それこそ「●●をやれば、あなたは救われる」「●●をやんなかったから救われなかった!●●のせいだ!」っていうの、完全に互酬性に囚われてるやん?って話です。

 
 個人の信仰は、見返りを期待しない。
 それを、表現によっては「妄執」と呼ぶのかもしれません。

 でも、「ヤバイくらい他人に迷惑をかけていない」前提なら、個人が信仰により幸福である自己満足は、それでいいんじゃないか?と。
 というか、それくらい満たされている人だったら、「すいません、あなたの信仰、我々にとっては迷惑なんです……」と言われたら、すぐに「あっすいません、じゃあ一人になります。これまでごめんなさいでした」って言って、どこぞへ消えると思うんですよ。わたくしだって同じように言われたら、絶対同じようにスーパーカブにキャンプ道具詰めて、どっかに行くな……。

 

 で、「ごっこ遊び」
 ここで書いているようなことは、いきなり全部極められるようなもんでもないですし、出来るはずもなく、今自分も四苦八苦してるんです。
 だからこそ、何を指針とするかっていうと、「すでに自己満足が出来てる人」を参考にしてみる、っていうか。それこそ、「王国(なるもの)」を、自分に即して、ごっこ遊びですよ。
 というか、それほど素晴らしい自己満足の王国っていうのは、ついつい真似して、ごっこ遊びしてみたくなるもんですし。少なくとも、ごっこ遊びの亜流でも、「王国のごっこ遊び(臣民)をしてみた記憶」っていうのは、臨終のときに、きっと自分を支えてくれる記憶になる、って思うのですよ。

 

 王国とは。
 「ごっこ」が出来る、ってことは、ひとつの「王国のかたち」「王国的ななにか」「王国なるもの」があるわけです。それはちょこっとの具体的な証と、深い精神性。うまく具現化は出来ないけど、臣民であれば「アレだ!」と即座に判断できる、アレ。
 それがあれば、臨終のときでも、笑っていられる。
 でも、王国は、日々不断の努力でつくっていかねば……あ、違う。やばい。この時点で、まだまだですわー。王国を日々つくっていくのも、また自己満足のたのしみであるのです。王国を臣民している、それだけでたのしい。それが、境地かと思います。
 そんな人間であれたらなぁ、と思うのですよ。
 そうすれば、きっと死ぬときも後悔せんで済む。

 

 この数年、「死ぬ時に後悔せんでおこう」という基準を設けて、いろいろ活動してまいりました。でもそんな「死よりの思考」、並びに「勝手なポジ善意の押しつけ」によって、いろんな人に迷惑をかけたのも事実。
 ならば、やはり、
 まず自分の「王国」……妄想世界を、日々たのしく自己満足していくことが、大事だ、という、とーーっても当たり前の結論になりましたがw 

 

 しかし、結局、自分は数年かけて、ようやくここまで考えました。亀の歩みな思考ですが、それでも、この考えにたどり着けてよかった。そんなわけで、春M3に向けてレコーディングしています!新作同人音楽アルバムを!

 

 

※追記

 

ていうか数年前にも自分は同じこと書いてるな……しかし、いまの方が、より深度の確信は深いと思っています

 

modernclothes24music.hatenablog.com