このブログがどういうのなのか取説とか、お役立ちリンクはここに纏めきます(2019/09/14)

【2019/09/14現在】 

(この記事は常にトップに来ます)

 

 

このブログは、「レッズ・エララ神話体系」という箱庭妄想個人サイトをやってる人、残響@modernclothes24 の日記です。@以下はついったーアカウントIDですよ。

ツイタターのようなSNSは、知人との連絡に使うほかは、ジョークを投下していたのです。しかし正直、SNSというシステムに飽きたところがかなり御座いますので、代わりにこの日記ブログでジョークを壁打ちテニスしてみようと思っています。ジョークブログです。

 

(↓これが上記箱庭個人サイトです)

http://www.redselrla.com/re_top.html

 

www.redselrla.com

(↑こちらは、同人音楽サークルとして、やっています)

 

 

 

2019年令和元年のこみっくパーティーの長谷部彩について

※これは2019年5月9日にscrapboxで書いた日記……に加筆訂正をしたものです

 

夢の中で、 こみっくパーティー長谷部彩(学生時代の嫁)が出てきた。夢を見てるのだから、夢の中の自分は現実と思ってやまない。ドリームドリーム夢ドリームというやつである(@ナユタン星人)


だが自分はしばらくして、その彩を「夢の嘘だっ!」と暴いた。証拠はいくらでもある。地の文テキストウィンドウで「彩はメンヘラで……」という記述がされていたり、また偽夢彩は基本春夏服なのに、帽子だけ冬服になっている、というビジュアル面での齟齬。そういうもろもろに「これは……【嘘】だっ!」と起きてから憤慨する。


しかし、いまだに自分は10年前、かつて毎日イチャコラ妄想していたギャルゲーヒロインに恋々としているのか。
それにそれではいま、どれだけノベルゲームをやってるというのだ。今こそ、今こそロープライスエロゲをやるべきなのかもしれない。恋音セ・ピアーチェとか、メイドさんのいる暮らしとか(後者はやった。以下えろげー批評空間に投下した、小宮裕太「沢渡さん」シリーズとのクソみたいな比較プレイの感想)。

erogamescape.dyndns.org

そいからクダンノフォークロアはどうした。百合ゲーだろうが。その前にいつかのメモラージョに本腰を入れなさいよ。


フルプライスをがっつりやらなくなっている。本腰度が足りない。
しかし、単純に自分のサイト弄り(妄想いじり)と作曲、でだいぶリソースが割かれる上に、ドールだの手芸だのコラージュだの模型だの……ふたたび、なにかを削らねばならない時が来ているのだろうか

だがそれにしても長谷部彩である。自分の妄想は確実にこの系譜は小宮裕太の「沢渡さん」に引き継がれたのだから、彩が自分の中で死んではいないのは明白すぎるプレシャスなのだ。
そして「黒髪絶対!」から「銀髪白髪崇高!」へとシフトしたのは、どうしようもなく沢渡さんなのだが、あの「黒髪絶対!(黒髪党)」は、やはり彩から沢渡さんへ移行した段階で、勢いを弱めたのだろう。もちろん自作創作妄想のヒロインで「黒髪絶対!」を探求しているからこそ、他の創作物でその黒髪党精神をバーストさせなくてもよい、というのはある。創作が削っていくオタク熱というのもあるかもしれない。


で、あっても、彩である。彩は見事に自分を支え、自分の萌えを耕してくれた。「献身的なヒロイン」の純粋性。それは丁寧語というのもそうだが、一歩さらに歩を進めればメイド道なのである。事実、彩にしても沢渡さんにしても鉄板コスはメイド服だ。しかし、それであっても「純粋メイドな生まれ」ではないのだ。彩も沢渡さんも。自分はそこにもっと広い「広がりの可能性」を求めている。もちろん、「純粋メイドな生まれ」なメイドを!というメイドスキーを相手取るつもりはなく、むしろそういう「ご主人様」に敬意を払う。払うがゆえに、自分の「ちょい違う」感度の道も、うそをつけないのである。


彩は真徹のメイドでなくていい。やはり「売れないマイナー同人作家」でいいのだ。自分の妄想をただつづるだけの同人作家。おお、今自分が同人サークルでやってることと一緒じゃねえか……。

 

こみパSNS

 

こみパSNSにまつわるファクターが存在していなくてよかった。こみパ2があるにせよ、そこからSNSを抜かすことは事実的に不可能だ。「都合のよいオタリアリティ」といえど、現代オタ社会を描くにおいて、SNSをぬかすわけにはいかないだろう。

そして、SNSの味を入れたが最後、あの「こみパ」的な味は、無くなるのである。考えればどこかこみパは牧歌な純粋だった。もちろんそれは前時代のオタ社会(おたく)なるものの臭いが濃い。秋葉原がアキバとして特権的な魔都としてのオーラな臭いを放っていた時代だ。そうだよ、アキバには夢!が!あったんだよ!


そんな時代はもうないのだから、こみパも「2」のSNSテイストを出すよりは、「アラサー、オーバー30ageの同窓会」的なニュアンスを全面に出したほうが、まだ作品としてレベル高く存在出来はしないだろうか。折しもエロゲ界隈の年齢層というか、プレイヤー層の高年齢化を考えると……


いや、そんな繰り言を言っていても仕方はないし、別にLeafもそういう路線に東京開発室を……っていうか、いまこの区分あんのか!?別にみつみ甘露と大阪の違い、なんて今や誰も、本当に誰も気にしちゃいねえよ!その違いの存在すらわからないんだから!ちなみにアリスの東京支社はもうない。

こういうオタク昔話に華はどんどん咲くのである。いつの間にか長谷部彩自身の話をしていない。ロートルオタクあるあるである。オフ会あるあるである。
自分自身だって、いつの間にか長谷部彩で妄想をしなくなっている。彩妄想の末期は、さすがにネタが切れていたのだ。むしろ、同系統のキャラ(沢渡さん)に、属性そのままの熱量でランディングできた自分は幸運だったのかもしれない。沢渡さんが与えてくれる癒しがなかったら、確かに自分はこの数年間、ツブれていたことは間違いなかったからだ。だから、彩で妄想し続けた数年間も間違っているはずがない。

gyazo.com

悲しいかな!彩!いまや画材を薦めるとき、コピックGペンスクリーントーンではなくて、ペンタブレットの時代になってしまった!あるいはiPadだ!そういう画材屋にせこせこ通ってアナログ画材や文房具を見てニヘラニヘラしてるのは自分とかの数寄者くらいだ! 悲しい!

 

秋の夜は長谷部彩が雨に打たれ、はじめて主人公に抱かれた日である。ということで、驟雨のようにおれは彩妄想ツイートのログをここに張り付ける……

 

「5年間毎晩のこみパの長谷部彩妄想は、いつ終わったのだろうか。終わりの頃になったらもう自分は長谷部彩のどこが良いかわからず感じ取れないくらいの不感症になっていた。」

「10年経っても長谷部彩のCGを描き続けるZenZen氏とムラマサ氏にはいくら感謝してもしたりません。」

www.pixiv.net

www.pixiv.net

こみパの長谷部彩に関しては20年たっても88 58 87とスリーサイズをすらすらと言える程度のキモ・オタです。」


「長谷部彩に関しては、5年間毎晩いちゃらぶ妄想をして、さすがに最後の方はネタ切れになったので。アニメRevolution?そりゃ見ましたが、初回のOVA分の彩回こそありがたかったものの、その後無口天然ネタキャラ扱いじゃないっすか」


「おれは長谷部彩の黒髪ロングおさげのリボンになりたかった。春夏は黄色の細く、秋冬はシックな紫の、あのリボンに」


「地方都市、貧乏学生、ブーム乗り遅れという三重苦で、長谷部彩のエロ同人誌を買い漁れなかった苦しみが、小僧、貴様にわかるというのか!」


「長谷部彩BGM「月の童話」が流れた瞬間にこみパのプレイ時空感覚がしんみりするのが、彩オタの醍醐味なんだよなぁ」


「千堂彩スレ(長谷部彩スレは途中から母親になった彩とこみパキャラの子供たちな次世代の「妄想俺設定」の展開が蓄積され「原作彩スレ」と「千堂彩スレ」に分かれた)に毎晩集結していたあの連中の「世界構築欲」はなんだったんだろうな…」

「(ノベルゲーム評論サークル「定時退者」編集長Mirin氏に対するリプライ)100%同意なんですがしかしこれだけは申し上げたい!長谷部「彩」なんです!(誤字指摘)テーマ曲は「月の童話」なんです!ドリキャス版ではえちシーン前に抱きしめるCGと、ネグリジェCGが追加されたんです!あなたの赤ちゃんが以下略なんです!就寝時、彩とのイチャラブ妄想を5年間毎日し続けた身としては言いたく」

「2018年の現在、彩エロ漫画同人で確実に手に入るのは、おそらくあとりえKINTAの「月の童話(&第二章)」のDL販売だと思うし、自分も舐めまわすように愛読しまくったけど、それ以外の選択肢がなぁ。」

www.dlsite.com

 

 

 うぉおん2019年8月20日の彩!

ツイ・ッター時代に反す壁打ちテニスとしてのブログを再開するんだってば

こんにちわ。

523タしております。数字がよりテキストに組み込まれた言語を想像した書き方ですが、だからなんでしょうね。

 

ツイッ・ターの方は、ほとんど知人とのDM(ダイレクトメッセージ)連絡機になっています。
その他つぶやくとしたら、思いついたジョークを流してみて、ひとりでにんまりしてみる、という。
ただ、ツイ・ッターの特性は、あたかも枯れ葉が川の流れゆきに「流れていって」しまう、ようなことにあると思うのです。流転。
それはそれでgood、ツイ過去ログを掘り起こして「おまえはこうだったな!」と断罪するのも、またあずましくない(北海道方言)と思うのです。
そして、思いついたナイスジョークを、もっと手慰みにして、もうちょっと展開してみたい。大事にしてみたい。と思うようになったのです。

じゃあこのブログで、しずしずと呟いていればよいのですね。
それはツ・イッター中毒となりかけていた自分を、治療することとなるでしょう。よかったね。

 

そんなわけで、このブログ「残響の足りない部屋」を再開します。
再開につきましての正式なご挨拶は、もう文章書きましたので、次の更新はそれにしようかと思います。確証はないが……。ただ、残響(筆者)は、このブログに居てくだすった読者さんたちに、とても感謝しております。

 

あと、今の自分がやってるもん関連のリンクを張っておきます

 

創作オリジナル世界観妄想「レッズ・エララ神話体系
(静的HTMLいにしえのタグ打ちホームページ個人サイト)

同人サークル「8TR戦線行進曲
(上記世界観再現の同人音楽作曲プロジェクト)

scrapbox版「残響の足りない部屋
(残響版の音楽辞書を自分で作ってみようプロジェクト)

ツイ・ッター(modernclothes24)
(ログはこのツイ・ログを使うと便利ですね)
(また、favに関してはfavologにお世話になっております)

 

最近の自分は、


・コラージュアート漫画作成
・オリジナル曲の作曲、ギターとかの演奏
・外国語勉強(ドイツ語、フランス語、エスペラント語、ロシア語、中国語、フィリピン語、その他)
・言語勉強が転じて、辞書を読むのが好きになりましたね
・音楽探究
・模型ジオラマ(こないだ、第3回ごうつホビー祭りに出展してきました。レポートはこちらです)

http://redselrla.com/goutu3rd/index.html

(なんかブログカードが文字化けしますね……こちらが書いてるHTMLがおかしいのか……)


・ゆるいキャンプ△(用意はすでに今年のはじめに整えました。もう少し暑さと湿気が下がったら、はじめます)

……に興味をもって楽しんでおります

自己満足のごっこ遊び---報酬と互酬性、目的と行動、宇宙と臨終ぷるぷる、幸福と作品、そして王国

仔月さんのノベルゲーム/小説読解ブログ「雑記帳」を読んで、あるひとつの観点から、自分がここのところでようやく見出した話について、ちょっと書きたく思います。

submoon01.hatenablog.com

 

submoon01.hatenablog.com


●自己満足のごっこ遊び---報酬と互酬性、目的と行動、宇宙と臨終ぷるぷる、幸福と作品、そして王国

 


アリストテレスは人間の行動を、「目的を達成するための動作」と定義しました。卑近に例えれば、「切符を買う(行動)のは電車に乗るため(目的)」、というやつです。

では、一気に飛躍して、人間が抱く最終的な目的は何か? だって、こんなもん、行動に対する「目的」はどんどん妄想的に連想ゲームで辿れちゃうわけです。電車に乗るのは目的地に着くため、目的地に着くのは本を買うため、本を買うのは知識を得るため、知識を得るのは……以下ループ。
 例えば「知識を得るのが、読書する目的なんだ!」って定義したとして。でも、これ「知識を得ても、結局人生に役に立たなかったな……」という実人生からのカウンターパンチ食らえば、結局読書の価値が、その人においては無くなってしまう、ってのがあります。「本の虫の末路」ってやつで。


 どうすればいいのか。本を読まなければいいのか。違う。
 「ただ本を読むのが、たのしい(自己満足)。←それだけで良い」


 アリストテレスは、「それ自体が目的になっている行動」というものこそが、「何かの目的を達成するための行動」なんかよりも、すごい価値がある、としました。
 では、「それ自体が目的となっている行動」とは何か?というと、「とりたてて実生活には役に立たないけど、自分を幸福にする行動」です。作詩、作曲、絵画、舞踊、工作、etc...
 それを、あるひとは自己満足と揶揄し「趣味」と呼びます。しかしある人は自己満足を誇り高く「趣味!」と断言します。ウィトゲンシュタインは「幸福に生きよ!」と言い放ちました。仔月さんの読んだ「しろくまベルスターズ♪」のサンタとトナカイは、(互酬性※を放棄した)「他者の幸福を増進させる」ことをしました。そして「神聖にして侵すべからず」の「王国」は、幸福のリレーを「始めた」わけです。

※互酬性……お互いに報酬を与え合って、●●をしましょう!という契約。俗に言えば「なんかやってやるから、なんかよこせ」論理

 

 自己満足です。他者から、報われること(報酬)など期待はしない。すでに自分は「アレをしたんだから、自分はすでに受け取っているよ」と満足した態度です。まさに自己満足です。
 そうです、残響は、この境地に憧れています。つい、他者の反応を気にしてしまう自分。そんな自分という存在が、こうして言語化出来てるから、この意識そのものから引き剥がそうとして、さらに言葉を紡ぐ。意識を研ぎ澄まして、自己満足に浸ろうとする。甲斐あって、少しは出来るようにはなった。けれども、そんな時点でまだまだという(というか大差ない)。


 何かを残さないと意味はないのでしょうか。この世界に。社会に。世間に。Twitterのアカウント諸氏に(解像度のレベルを上げていっています)
 いえ、何を残したところで、結局「消え」ます。宇宙レベルでは。人間の文明が滅ぶのは100%です。わたくしポストアポカリプスものの物語の読み過ぎなのか、最近、自分が生きてる2000年代のいつかには、太陽がドカンといって、世界戦争以前に、地球がヤバめになるんじゃないか、っていう妄想をするようになってる自分です。そのためには、アウトドアスキルを磨かねばならない……!と、この春からソロキャンプを始めようとしています。寝袋とマットはすでに買った。ランタンも手に入れた。次はテントだ……キャンプ地もすでに4箇所見ている……!


 ともかく、宇宙レベルでは、すべての人間の行ったことは、100%無になります。宇宙は消滅しますし、その前に作品の観測者たる人類も滅びますし……。どんなに傑作をつくったところで、どんなに金を、いいね!を稼いだところで、すべて無くなります。科学的にこれは、100%です。それがラストな以上、あとは「早いか遅いか」しかないのです。
 宇宙はすぐには滅ばない? いえ、人間……個々人。これを読んでる貴方、何より「わたし」が滅びます。自殺という話ではなく、この100年以内に、自分の肉体は朽ちます。死にます。よしんば電子脳髄とかAIとかサイバネとかで延命できたとしても、それは宇宙レベルでは「早いか遅いか」でしかないことは、すでに言いました。作品の優劣や、金銭やいいね!の多寡を判断できる「わたし」という観測者(自我)が居なくなる、ということ。


「そんなのはいやだ!」とする人が多いからこそ、今の世の中がこのような仕組みで回ってるのだ、と思うのです。保険とか老人ホームとか。
 一方自分は、人生のラストでは(自殺じゃなく)、

 どこぞでキャンプして、夜の星空を見ながら「ああ、綺麗だなぁ。でも自分の妄想世界もなかなか良いなぁ」とぼんやり思いながら、誰にも褒められることなく、いいね!ももらうことなく、ひとりぼっちで三途の川に佇みながら、静かに完全なる野垂れ死にをすること

が、こころからの目標です。素晴らしい死に方だと、今から待ち遠しいです(本気)

 何も残さなくても、残せなくても、良い。死ぬのが……明日あさって、っていうのはちょっと困るけど……例えば2年後だとされても、まあ取り立てて狂うほどオカシくなったりはしない。むしろ臨終の時が判ってるのだったら、今言った三途の川キャンプに向けて準備を整えていく。これが、自分の考えです。ていうか、今リアルソロキャンの準備をしてるのも、完全にやがてくる臨終のための一環そのものですw 楽しんでいくぜ!


 ですが、多くの人はここで思考のバグが起こるのだと思います。残さない(don't)、残せない(can't)。そんなのはイヤだ、と。いやまあ、三途の川キャンプはあくまで「自分にとってすげぇ良い臨終」というのであって、誰もに勧められるものではないですし。
 それでも、皆さん、死にますからね。宇宙レベルで言えば誤差で。


 「世界に対して刻み込むべき、人生をかけて創った作品」がないと「世界に対して恥ずかしいっ!自分は何者でもなかった……」という思考そのものが、オカシい、と自分は思うようになりました。いまは。
 じゃあ例え、才能あるあなたにそんな作品があったとして。世界最高の高みに立った作品を創ったとして。いいね!ランキングの世界頂点に立ったとして。
 でもこれ、そんな他者評価、「更新」されませんか?
 死ぬ間際になって、臨終間際の老衰で手や足がプルプルしてロクに動かせなくなって、全身に管をブッ刺されて。そんな時に「もっとすごい世界最高の高みにたった作品」が出たり、いいね!ランキングが貴方よりも15ポインツくらい多いいいね!をカウントして、貴方が二番になった、ってなったら。そのとき、あなた老衰で手や足がプルプルしている状態で、何が出来ますか?
 逆に言えば、手や足がプルプルして「作品を、世界に対して形作れなくなって」も、それでも自分が幸せで居られるのは、何か。


 やっと話が戻ってこれます。
 これこそ、「互酬性(報酬の期待)の放棄」です。他人から何かをもらうこと……承認欲求であったり、いいね!であったり、他人の笑顔であったり。あるいは、自分が他人に期待するなんやかやであったり。それを、放棄する。
 たとえ自分が、指先ひとつなかなか動かせなくて、ぼやけた目と、なかなか聞こえない耳しか持っていなくて。外部出力がとことん、しにくくて。それでも幸せと思えるのは。
 世界は、こういう風になった自分に、とくに報酬は与えてくれません。指が動かない、目が見えないのだったら、モノは作れない。モノが作れないというのは、世界に対して自分を刻むことが出来ない。つまり人類の歴史に対して……社会に対して…………ぐぁぁ…………

 


 ああ、もう。
 だから、もう、いいんですって。
 例え、そういう風になったとしても、あなたが生きていれば、貴方の心は死んでないじゃないですか。
 とくにモノが(物理的に)作れなくなっても、いいじゃないですか。これ、へっぽこモデラたるこの残響が言ってるんですからね。


 死に際で、夜空に星空を見ることが出来た幸運と、
 死に際であったも在るであろう、内的世界の豊潤があれば。
 それで良いのではないか、と自分では思っています。
 とくに後者ですね。「ただ自分が、掘り下げていけば、それだけでたのしい、自分の内的世界」。死ぬまで妄想しましょうぜ!

 


 それでいい、と思う。妄想するのが、人間だ、と。で、こういうところを基準点にすれば、互酬性(報酬の期待)っていうのは、「別に放棄してもいいな」って自分は思えるんですけど、どうでしょうか。どうせ、社会や世界の「いいね!」は、こういう風になったら、認識も出来なくなるんです。だったら。


 でも、ひとつ問題を置き去りにしてます。互酬性を放棄するメリットはわかった。そんで、自己満足のループをすればいいのもわかった。でも、そんな自己満足の最初(発端)には、どうやってたどりつけばいいのだ?
  


 これは、自分も今、必死こいて考えているとこです。
 ただ言えるのは、こういう自己満足の満ち足りた光は、たぶん「作れる間、毎日自己満足して作っている」ことで、自信の光を「作っていく」ほかは、本当になくて。
 

 自分も期待してるんですけどね、もっとすごい「自信の光」が、どこかからピャーっとスポットライト的に来て、自分をごそっと変えてくれる、っていうの。
 でも、それ、3~4年くらい期待して頑張ったんだけど、来なかったっすね。ていうか、この時点ですでに自分自身が「世界」に光な報酬を「期待」してんじゃねえか、とw ギャフン
 本当に、「自分は自分がつくる」以外にないんだなぁ、と。だから禅では、それを毎日の修行、と位置づけたんでしょうし。人生は作品だ、と。誰かが、一気に変えてはくんない。自分が、少しずつ作って、自分で変えていく他はない。本当にない。
 

 でも、その発端はどこにあるのよっ!?
 そこで、「幸福のリレー/王国はどのようにして広がるのか」について。
 
 仔月さんは、王国が広がるのは、「ごっこ遊び」に支えられているからだ、とします。
 そして、具体的な形を持たないからこそ、遠くに広がりうるのだ、と。
 人々の心。信仰
 
 そうです、以上で自分が述べてきたのは、結局残響という人間の信仰なんです。信仰だから、一気に宇宙レベルの話(極論)や、臨終プルプル世界断絶(極論)を持ち出しました。そして信仰だから、「まあ実際に以上のようになっても、自分に関していえば大丈夫なんじゃなかろうか」っていう話をしています。自分の信仰だから、他人に対して強制は絶対にしません。ていうか自分がこの世で一番嫌いなのは、宗教信仰の強制なんだ……。
 
 信仰していれば、その人は救われるのか? 
 うーん、それはどうでしょうね。それこそ「●●をやれば、あなたは救われる」「●●をやんなかったから救われなかった!●●のせいだ!」っていうの、完全に互酬性に囚われてるやん?って話です。

 
 個人の信仰は、見返りを期待しない。
 それを、表現によっては「妄執」と呼ぶのかもしれません。

 でも、「ヤバイくらい他人に迷惑をかけていない」前提なら、個人が信仰により幸福である自己満足は、それでいいんじゃないか?と。
 というか、それくらい満たされている人だったら、「すいません、あなたの信仰、我々にとっては迷惑なんです……」と言われたら、すぐに「あっすいません、じゃあ一人になります。これまでごめんなさいでした」って言って、どこぞへ消えると思うんですよ。わたくしだって同じように言われたら、絶対同じようにスーパーカブにキャンプ道具詰めて、どっかに行くな……。

 

 で、「ごっこ遊び」
 ここで書いているようなことは、いきなり全部極められるようなもんでもないですし、出来るはずもなく、今自分も四苦八苦してるんです。
 だからこそ、何を指針とするかっていうと、「すでに自己満足が出来てる人」を参考にしてみる、っていうか。それこそ、「王国(なるもの)」を、自分に即して、ごっこ遊びですよ。
 というか、それほど素晴らしい自己満足の王国っていうのは、ついつい真似して、ごっこ遊びしてみたくなるもんですし。少なくとも、ごっこ遊びの亜流でも、「王国のごっこ遊び(臣民)をしてみた記憶」っていうのは、臨終のときに、きっと自分を支えてくれる記憶になる、って思うのですよ。

 

 王国とは。
 「ごっこ」が出来る、ってことは、ひとつの「王国のかたち」「王国的ななにか」「王国なるもの」があるわけです。それはちょこっとの具体的な証と、深い精神性。うまく具現化は出来ないけど、臣民であれば「アレだ!」と即座に判断できる、アレ。
 それがあれば、臨終のときでも、笑っていられる。
 でも、王国は、日々不断の努力でつくっていかねば……あ、違う。やばい。この時点で、まだまだですわー。王国を日々つくっていくのも、また自己満足のたのしみであるのです。王国を臣民している、それだけでたのしい。それが、境地かと思います。
 そんな人間であれたらなぁ、と思うのですよ。
 そうすれば、きっと死ぬときも後悔せんで済む。

 

 この数年、「死ぬ時に後悔せんでおこう」という基準を設けて、いろいろ活動してまいりました。でもそんな「死よりの思考」、並びに「勝手なポジ善意の押しつけ」によって、いろんな人に迷惑をかけたのも事実。
 ならば、やはり、
 まず自分の「王国」……妄想世界を、日々たのしく自己満足していくことが、大事だ、という、とーーっても当たり前の結論になりましたがw 

 

 しかし、結局、自分は数年かけて、ようやくここまで考えました。亀の歩みな思考ですが、それでも、この考えにたどり着けてよかった。そんなわけで、春M3に向けてレコーディングしています!新作同人音楽アルバムを!

 

 

※追記

 

ていうか数年前にも自分は同じこと書いてるな……しかし、いまの方が、より深度の確信は深いと思っています

 

modernclothes24music.hatenablog.com

「数学ガールの秘密ノート」最新話241-242回が禁断のヤバみーー数学という権威、暴力、あるいはノナちゃんは銀色サヴァンなのか

このおれがノナちゃんだ!

失礼しました、興奮のあまり意味不明な書き出しをしてしまいました。でも、やっぱり自分(筆者)はノナちゃんですよ……(伏線

 

↓今回(今週)のお話(2018/11/23金曜から、一週間無料閲覧可能)

 

cakes.mu

 

結城浩氏(プログラミング書や「数学ガール」シリーズや、数式混じりの読解しやすい文章の作法についての本を書いていらっしゃいます)の、webマガジンサイト「cakes」での連載、「数学ガールの秘密ノート」。

www.hyuki.com

cakes.mu


このcakes連載は、最新話だけ無料で、あとは有料課金方式です。
本体「数学ガール」における、数学のエッジーで豊かな知の深みを徹底的に議論していくのとは違い、「秘密ノート」は、日常のちょっとした疑問から、「数列」や「微分」「ベクトル」、あるいは数学考古学、などの数学の一領域をたのしく概観していく、という初心者向けのシリーズです。

で、先週から今週で、「無限のキャンバス」と題した「数学を学ぶ」数学トークなお話の回になったのですが……正確ではない。
「数学を学ぶ」というよりは……「恐ろしい数学をなんとか教え込む」……ちがう、「トラウマレベルになってる数学から、トラウマをなんとか除去させようとする」……もっといえば「学校教育や世間における【いわゆる受験のための数学】教育から、数学のたのしみっていうものを、なんとかカケラでも見いだせやしないか」というか……。

はい、つまり、「数学嫌い(意味不明)」少女を、どうやって癒していくか、という、ある種禁断の数学話になってくるわけです。

登場人物を整理しましょう。この話限定で進めるので、ミルカさんやテトラちゃんは抜かします。ていうかこの場に黒髪才媛ミルカさんが居たらどーなるんだ……(恐ろしさに頭を抱える)

「僕」……主人公。数学が好きで得意。「教える(ことを通して、相手と一緒に数学をたのしむ)」ことに、自身の可能性を見出しかけている。「悩み」担当。

「ユーリ」……「僕」のいとこの「妹ポジ」な天真爛漫中学生にして、ある種のひらめき直感型の天才肌なところがある。パッと見複雑な理論モデルを論理的に追っていきそうになるとめんどくさがる(先輩たちの手を借りていけば、論理を追うことは出来る)

「ノナ」ちゃん……新キャラ。「ユーリ」の友達。絵が得意で絵画の知識もある。数学が嫌い。数学が意味不明。学校数学の点が悪い。


基本的に、数学ガールというのは、「数学好きの少年少女たちの数学愛トーク」なわけです。
ミルカさんや「僕」は数学が好きで得意。それに対し、これまで後輩のテトラちゃん(数学は好きだけど、得意ではない)や、ユーリ(数学に興味があるし、ひらめき直感才能もあるけど、めんどくさがり)が、「数学が好きだけど苦手(寄り)」な対比がありました。
先輩たちが、後輩を導き、逆に後輩の発見から先輩も教えられる、という。

ところが、ノナちゃんは、その前提にすら立っていない。
とにかく「数学が嫌い」「苦手」「意味不明」
しかし、「興味が持てない」わけではないのです。それは、学校の友達であるユーリが話す、ちょっとした数学トーク……というか、「数学モデルな考え方、世界観」に、ノナちゃんは興味を持っているらしく。

ここに救いが一つありましたね……。こういう風に「数学にポジティヴな何かをほんの少しでも感じ取れる経験」があったということは、この時点で相当ラッキーです(後述伏線)。「そんな経験さえなく、数学を押し付けられた数学劣等生」がこの世には山ほどいるのですから……。

 

「僕」は、ユーリの頼みもあって、ノナちゃんに数学を教えようとします。
で、まずは「僕」はノナちゃんは数学のどこが苦手か、どこが嫌いか、どこが意味不明か、理解度は……と、分析的に聞いていきます。


やっちまった。
ノナちゃん、弱気になっていきます。というかオドオドしていきます。ユーリには「早口になりすぎ!」と注意されます。

 

さて、ちょっと本文を読んでもらえたらわかるのですが、このノナちゃん、いわゆる数学ガール的な、あるいはいわゆる理系的な「才気煥発」なシャープさは、まるで感じられない人物造形です。何を考えてるかわからなく、ぼんやりしているように見えて、実際返ってくる言葉もぼんやり……もっとはっきりいえば「ニブそう」……もう露悪的に言えば「頭悪いんじゃないのこいつ」。ってレベルで。もっとひどい言葉もあるのですが、さすがに書くのはやめましょう。

ノナちゃんは、数学に恐れを抱いています。
それも、どこまで「数学そのものに対する恐れ」なのか、「数学教師、世間の大人、に対する恐れ」なのかわからない。混然一体としたまま……というか、腑分けして分析しようにも、恐怖が先に出る。あるいは、もともとノナちゃんは、分析的な思考を、ひどく不得手にする人間、と思います(こちらが基本路線でしょう)

そしてもうひとつ。ノナちゃんは、非常に「アーティスティック」な人間である、ということ。数直線のグラフで、座標の話をしたときに(数学の基礎ですね)、点の「」を考え出したのです。
色。カラーです。BECKの新譜です(関係ない)
「そんなこと数学にはなんの関係もない」と、普通の……数学を普通に治めてきて、赤点とったことない普通のひとたちは、思うでしょう。

さあ、ここから本題に入ります。
なんで自分が、今回の秘密ノートにこれほど注視しているか。
自分(筆者)こそが、ノナちゃんに他ならないのです。


●計算障害の自分語り

 

まずはじめに、自分は、今でこそ、数学が好きな人間です。最近買った数学関連の本は、フィッシュ「巨大数論」森田真生「数学する身体」、 林 晋、八杉 満利子「情報系の数学入門」、 マーカス・デュ・ソートイ「素数の音楽」、ってとこです。最近は、巨大数の殴り合いを楽しみながら、数学の情報系/コンピュータ援用の方面を勉強したりしてます。いや、最近3Dモデリングとかを始めてて、とくにボクセルアート(3Dドット絵)やRaspberry Pi積んだ電子工作とかやってると、簡単なプログラムを書く必要もあったりするので。

 

ただし、九九が本当に出来ません。正確には、計算障害です
例えば、ぱっと3×8、と考えてもても、答えがわかりません。乗算の偶奇法則から、22か24か26、というアタリはつけているのですが、大穴で28の可能性もあるし……とかっていう風に、九九を半分以上リアルに忘れていますし、「暗算計算するくらいなら、電卓やスマホを探し出して、計算機する」というハックを公言してます。
いまだに繰り上がりの概念でビビっています。

皆さんすぐお分かりのように、数学は、小学生はなんとか「意味もわからず丸暗記」で乗り切りましたが、苦行。そして中学、高校で、数学についていこうとしたものの、やっぱりだめ。赤点の連続。15点を越えることは、ほとんどなかったのではないかと。

数学……自分の人生のある時期までの数学は、「権威の武器」っていうイメージでしたね。とくに高校はひどく、「受験勉強」のスキームのもとに、「数学するたのしみ」なんてどこ吹く風で、とにかく「テストで点が取れるように、問題を解いて解いて、宿題でも解かせて……」っていうものでした。

そして「権威の武器」のもうひとつは、自分の父親にもありました。自分の父は、暗算が物凄く得意で、理系の大学で電子工学を勉強していたこともある人でした。その暗算の得意さを活かして、商売の道で相当上手くやっていた人間でもあります。あっという間に頭でパーセンテージの暗算をはじき出して、いろんな分析をするのが得意な人でした。
そういう父から、さんざんバカにされたものです。自分の「数学できなさ」……というより「算数できなさ」は。父は結構自由な人間でしたが、「計算が出来なければ人生を渡っていくのに不都合だ」という考えを持っていて、それは上記の商売をやってるとこからも、容易に類推できますね。小学生のころ、自分は「これくらいの計算が出来なければ、●●するぞ!」と、脅されたものです。父なりの教育だったのでしょうが、自分にとっては暴力でしたね。

 

なんでこれほど、数学……算数が、計算が出来ないのか。
ノナちゃんと同じなのです。自分は、数の「色」とか「形」とか、関係ないことが、頭の中にバーーーッと一瞬で発想する頭なんです。

 

どうも、30歳を過ぎてからようやく、「自分の数の捉え方は、ひとと相当異なっているらしい」ということに気づきました。
例えば、「3」は、どう考えても自分の頭の中には、黄緑色のカエル(蛙)なんです。
「4」はわりとダークな色の赤紫の鋭角的な図形なんです。「6」は同じような色で、もうちょっと丸みを帯びてる。「8」は無論のこと群青色です。背景が白い。「9」も黄色でしょう。「13」は白と緑(ビリジアン)の若干ストライプ風味なセスナ機です。そんなイメージにわりと似ている数字は「17」なんですが、17のセスナ機はもっとメカニカルかな……。

 

(2017年秋のついーと。1年前も同じこと言ってた)



そうですね、今適当に、「3027」って打鍵してみましたが、これのイメージは……ええと、「30」あたりが緑の草原っぽく、そこに「2」があるからちょっとラズベリーの果実が低い位置にちょこんと咲いてて、「27」あたりで南欧っぽい樹木が、黒にも近い曇天に向かってそびえている、っていうものです。風は西南から吹いていて……
……って、こんなこと書かれても意味不明ですよねw
でも、自分が「数」というものを認識し、考えるとなると、こういう余計なことばっかりを自然に考えてしまうのです。
どうもこれって、心理学でいうとこの「共感覚」に近いものがあるらしく。

そんなことばっかりを考えていては、当然数学なんて出来ませんね。

 

また、ノナちゃんは今回の話で、最後にこう言います。「僕」が「(点を座標で表す、数学モデルという)アイデアを理解することは大切」とノナちゃんに説いたら、

 

ノナ「アイディアを理解するって、どういう意味なの……」

 

と問われ、「僕」は逆にびっくりします。

わかるわ……ノナちゃんの云うことよくわかるわ……。もちろん、次回の話でノナちゃんはこの言葉をまた違った意味で言うかもしれませんが、自分はこう捉えました。

 

「アイディアは一発で【見える】ものだから、理解するっていうものなの?」

 

という風に。そう捕捉すれば、ノナちゃんの「アイディア」と「理解」の間を結ぶのに困惑する、っていうのがわかります(次回以降がまだわからないのでこれは仮説ですスイマセン)

 

しかしそう仮説したら……
自分(筆者)、あるいはノナちゃんのような人間にとって、アイディア(無からの発想、連想)は日常茶飯事で、いつも頭の中が爆発してます。アイディアに困るってことはないです。枯れ葉を見ては何かを思いつき、午後のカーテンがふわりと舞って空中に光の粒がちらばったその瞬間に何かを幻視する。そんなのは、当たり前だったのです。自分たちの生活では。
でも、そういうのは、当たり前じゃなかったようです。

ノナちゃん、多分、アイデアには困らないだろうけど、「問題解決」には相当に困ってるだろうな、と思います。なにせ、今回「僕」のとこの扉をたたいたのも、数学苦手、という「問題解決」に他なりません。
もーとにかく、我々はアイデアは閃くけど、問題解決は苦手です。スケジューリング下手です。自分が何に迷ってるか、っていうのもわからない。


なんだか長くなってきたので、あと一つだけ書いてから。
自分の問題点のさらなるひとつが、「クイズが嫌い」っていうのがあります。これも実は30歳前後になってようやく気付いたのですが、自分は「●●を解いてみましょう(解いてみよ)」と提示されたら、「もういいです」と思って興味をなくしたり、この提示を大人や権力者の「強制」と捉えたり、というパターンを踏んでいます。
さらには自分は、「自分で手を動かして試行錯誤して学んでいく」のは大好きですが(工作とか)、「誰かに教えられるのが不得意で、覚えもすこぶる悪い。ほぼ忘れる」という法則すらあるのです。
自分は、別にアンチ権威主義というわけでもないですが、「自分の邪魔をしてくれるな」という思いが、ほとんど幼稚園以前のころからあります。趣味で工作とかをするのの、邪魔をするな、と。そして、「自分の好きな趣味の時間を安全かつ確実に確保する」のなら、大人や権力者が「やれ」というものは素直に聞いておいて、そして自分の好きな趣味の時間を確保しよう、という考えになります。

いやー、これは「学校教育」と相性が悪すぎる。というかなんでこういう人間がよくもまあ長年学校に通っていたものだよな、と。自分は、工作も、コンピュータも、文章も、数学も、科学も、運動も、作曲も、他人から教えられたもので身に付いたものは何一つとしてなく、全部「独学」で身に付いたのです。
別に、だから「学校教育は無価値」とは断言は絶対にしませんが、しかし「学校教育がこれほど合わない人間という、希少例が自分」であった、とも言えます。じゃあなんで学校制度からドロップアウトせんだったのか? つまりは「学校は義務」と捉えていたんですね。義務ならしょうがない、一応言うことは聞いてるふりをしておこう。そしてあとで自分の好きなことをしよう、という。

 

好きの反対は嫌いじゃない、無関心だ。
という言葉があります。真実だと思います。

 

まあ学校のことはここまでとして、しかしノナちゃんが、「僕」の分析的な早口問いかけに拒否感を示したり、「例示を作ること、それすらも強制に聞こえる」くらいの、大人社会に対するビビり&究極的な無関心。こういうのが、自分のことと思えてならんのです……。


でも、よくノナちゃんも、自分も、
「それでも」数学をやってみよう、と思いましたよね。まったく。

 

我々は、己が見る夢には、ほんと一生懸命になれる人間です。ノナちゃんの絵のように。ジョルジュ・スーラの点描理論、自分も小学生のときに熱心に解説文を読みましたし、スケッチブックやマリオペイントで再現もしましたよ。
そういう「己が見る夢」が何なのかを知るには、自分で「権威」とか「暴力」「バカにされる」ことから、自分を守らねばならないのです。ところが、共感覚もちとか、アーティスティックだとかな人間って、なかなかそれを確立すんのが難しいですよ。あるいは、バリアを確立しすぎて、今度は逆に超かたくなになったりもしますし。

独特な感性でいながら。それでいて「知の世界」の豊潤にもアンテナや回路をつないだままにするには。こればっかりは個別の人生としか言いようがないですし、ノナちゃんラッキーだったね、まあ自分も30過ぎてなんとか数学好きになれたよ、とは言えます。でも、「そうじゃないままずーっと」な人が、この世には山ほどいて。数学憎し、という。そういう人たちが、次世代の権威となって、「数学嫌い、憎い、無関心」な子供を増やすのかなぁ、って考えると、ほんとなんかなぁ、って思います。

可能性というか、せめて「ラッキー」に触れる事の、多からんことを。多分ですけど、結城氏が今回このような難題禁断に挑んだのも、「数学は数学好き(向いてる人)だけで楽しんでいればいいんだよ!計算障害はきえろ!」という明るい暴力性・排他性のようなものにアンチテーゼ……ということでもないな。今回のお話に、そういうアゲインスト(叛逆)の匂いはない。
むしろ、「苦手なままでいいけど、嫌いにならないでもいい」とか「苦手なひとは、苦手なひとなりに楽しみ方がある」というか。
それほど数学の世界は、あまねくひとに開かれているんだ、と。好きに数学をたのしんだらいい。義務こそ、競争こそ、権威こそ、数学(のたのしみ)のまったき敵なんだと。そんなものでひとつの公理系も出来るものか!

そんなわけで、この記事は「好きに数学をたのしみましょうね」というあたりでどっとはらい。自分は「3」をカエルと認識するこの脳を治すつもりはないですし、「3」をカエルとみなすような世界をアートで作ればいいだけの話です。そうすれば、アートしていながら、実は自分なりの数学をしてる、って話すらにもなってくるんですから。数学とアートは、「融和・融合」という方向性だけではなく、そんなやりかた(相互独立・相互参照)でも仲良くなれる。そんなふうに考えて、今日も数学をたのしみましょう。

最近お気に入りの音楽(2018/11月あたり)

実はこのブログ、音楽ブログだったんですよ!(衝撃の事実

先日、ついったーで、ハッシュタグ

 

が、自分のお知り合いの方たちの間で流行していまして。日頃、こういうタグに乗ることのない自分なんですが(ソフト流儀スタイル)、まあ今回はちょっとやってもいいかな、と
ありがたいことに、いくつかのfavを頂きました。(いいね、とは書かんぞ。favと書くぞ)

で、ユニゾンの「シャンデリア・ワルツ」を書いたところで、いったんリアルが忙しくて頓挫していました。
でもやる気自体はあったので、こういう形の記事にしました。


(なお、このお気に入り曲紹介スタイルは、愛読してる音楽ブログ「ヨーグルトーン」の月恒例の「お気に入り曲まとめ」ぱくr……リスペクトだったりします。ヨーグルトーン/管理人とるーあんと氏の音楽選曲趣味は、自分のもともとの音楽選曲趣味とほとんど被らないので、それゆえに大変興味深く読んでいます。自分にとって知らない音楽世界を教えてくれるので)

d.hatena.ne.jp

 

 

●UNISON SQUERE GARDEN「シャンデリア・ワルツ」

 


「シャンデリア・ワルツ」from UNISON SQUARE GARDEN LIVE SPECIAL "fun time 724" at Nippon Budokan 2015.7.24

(念のため、テキストと動画を再貼りします)

最近一番聞きまくってるといったら一も二もなくこれ。圧倒的演奏力と透き通ったvoが放つ、歌詞の夢。
「教会通りを走っていこう、絶対に話さないように/レンガ造りのウォールロードが重なった希望に見える/わからずやには見えない魔法をかけたよ」

 

で、ここからがブログ新規分です。

 

●同 UNISONB SQUERE GARDEN「オトノバ中間試験」


【弾き語りコード付】オトノバ中間試験 / UNISON SQUARE GARDEN【フル歌詞】


2人で オトノバ中間試験【UNISON SQUARE GARDEN】

 

アルバム「Dr.IZZY」収録。出だしからノリノリですが、なんといってもサビ前の中間部における、リズムの打ち方のドライヴ感がタマラんち。リズムのアクセントが最初の方にカマせながらの表拍と裏拍を混在させるリズム。しかもこの手のリズムは洋楽ならともかく、邦楽でここまでドライヴしているのは、なかなか聞けない。恐るべき演奏力ですが、同時に田淵(Ba)の曲が良い。歌詞も「轟音騒音みたいでcheeky 絶え間ない言葉peaky 息継ぎがてんでないじゃんか」と斉藤(vo、Gt)のヴォーカルスタイル=ユニゾンの音楽スタイルのパブリックイメージを自己批判するというとんでもないもの。しかもそれに対して斉藤くん自身が「あのね歌ってるのは快気怪奇な僕なんで 呆れるまで斉藤に任せといて」とカウンターカマすというねw 田淵は何を歌わせてるんだ。しかし斉藤くん、歳とキャリアを増すごとに、逆に清冽な色気(セクシィ)がどんどん増していくのは困りますいや困らない。数年前の「場違いハミングバード」の渋谷公会堂ライヴの時より……そのときも全然悪くはなかったですが、今はさらに格段に若返って優男王子様ルックスになっちゃって……タマラんち……。

 

キズナアイ「Hello,Morning」


Kizuna AI - Hello,Morning (Music Only)

 

Kizuna AI’s Homepage

(あえておれはこっちの旧ホームページを張る。love、テキストサイト

 

バーチャルYouTuberに関しては、わたくしほぼ全くわかりません。にじさんじ」も何なのかよくわかっていないくらいですから……。「バーチャルのじゃロリyoutuberおじさん」の手作り個人勢なDIY感とVR技術のエヴァンジェリスト感、そして何より人格の誠実さは大変好ましく思っていますが……。考えたら自分は、ナマのyoutuber自体も全く知らないのでした。いろんな素材(パスタとか段ボール)を包丁に加工する動画はよく見ていますが……。ニコニコ動画の時も同じで、基本的にニコニコ技術部しか見ない人間でしたからわたくし……

そんな自分であっても、キズナアイ親分のサウンドトータルプロデュース」力と、「親分自身の声質」は大変好ましく思っています。この「Hello,Morning」にしたって、極めてプログレッシヴなステップ系のEDMトラックに負けない親分自身の魅力的な声です。
なにせ親分の「分析力」は確かです。それは歌においても。自分が何者で、何を発信したくて、どういう存在で、何を相手に伝えたいか、というのが、自分でしっかりわかってる。自分はAI(エーアイ)であり、愛(アイ)の始まりであり、あなたに逢い(ai)たいキズナアイ、である。そんな名刺代わりの一発です。

そこらへんのモデル性が、極めて黎明期のボカロ……初音ミクという存在モデル性を巡る、界隈の(妄想)イマジネーションとかぶってるわけで、もちろん親分はそこらへんを批評的に盛り込んで、しかもミクさん……いやミク先輩、に対するリスペクトまで込めて。というのも、その実例として、

 

キズナアイ「メルト」歌ってみた

 

www.youtube.com

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(ライヴフルver)

このライヴを見せられたら。これはニコニコのリアルイベントのトリ(ほぼ最終)で、これをやったのですから。これは参った。あの「メルト」の完コピです。初音ミク先輩=ニコニコの文化を、これからは自分も引き継いでいく、という決意表明であり、それを証明しきった形です。リアルタイム伝説感がすごい。

キズナアイの声質というのもまた大変によくて、そりゃあアニソン歌唱、アイドル歌唱で、自分はもともとそういうのが苦手なんですが、

 

キズナアイ「ぽっぴっぽー」歌ってみた

www.youtube.com

この「楽曲を完全に自分のものにしきっている」感といったら。自分の声質に関しても、完全に分析して把握して、その上で最高のパフォーマンスを見せている。
というわけで、ライヴに向けてのキズナアイ親分の楽曲リリースが連続9週で続きますが、アルバムが出た暁には、何はなくとも、「トータルプロデューサー」としての親分の実力を堪能するため、アルバムを買いに行きます。

2018hello.world

panora.tokyo

 

King Crimson「Discipline」

 


discipline - King Crimson

最近、クリムゾンをずーっと聞いています。「宮殿」、「ポセイドン」、「リザード」、「レッド」、そしてライヴ盤……と、キャリア全般を聞いてますが、しかしここで選ぶのは1981年に出たこれ。問題作、と言われてます。いわゆるクリムゾンのユーロロック的な美学……湿った狂気のヨーロッパ的世界観、クリムゾン的狂気牧歌荘厳美メロ、というものは、ここにはありません。チャカポコしたギターやリズムの反復。
ただそのチャカポコ的なカッティングやリズムが、今のこの時点で聞き返せば、90年代後期からゼロ年代において花開いた、アングラオルタナの「痙攣ビート」的な、といってもいいのかな……一部ポストロックでファンク再解釈な、チャカポコ変拍子ファンクロックを、80年代初期のこの時点において、完全に先取りしてる。というか、ゼロ年代のそれと比べても余りに遜色が無いばかりか、これをゼロ年代や今のテン年代に投下したとしても、全然凌駕して戦える。ーーという風に、今の耳で聞いたら思えるのです。やっぱり音楽の評価って時と共に変わるなぁ、というおはなしでした。

もちろん、80年代クリムゾンはこれが突然変異だったか、というと、そう言い切るのは早くて。パンク以後のワールドミュージック展開、ニューウェイブの潮流で、ポップ・グループとかPILとかのアフリカンポリリズム探求の中の潮流の中のひとつ、とこの時期のクリムゾンを言った方が適切なんですが。しかし、それ以外のプログレがやっぱり同時期も「ヨーロッパ耽美」の方向性の美学を持っていたのに対し、単身フリップだけが、この「Discipline」の無機質でチャカポコした音の強度の探求をやっていて。この音は、本当ZAZEN以降の向井秀徳の世界ですよ。というか向井が聞いていないはずがない。
ともかく、「プログレ問題作」として聞くより、「チャカポコ都会ファンク」として聞いた方が絶対に正しいし、なによりたのしい。

 

●Ariabl'eyeS「転生アプリオリ

 


Ariabl'eyeS / 転生アプリオリ cf demo

よーし待っていた。完全に待っていた。アリアの「バラードアレンジアルバム」。オビに「珠玉の名曲をバラードアレンジ」と自分で書いてありましたが、アリアは完全にそれが許されるグループです。なんといってもこの連中の耽美世界観を表すメロディとツインボーカルの強度は凄すぎる。よく自分はコンポーザーでBaのリゼ氏のメロディセンスを「どんなメシ喰ったらこんなメロディ思いつくんだ」と、名フレーズ名メロディ連作連発っぷりを褒め称えるものです。だいたいひとと自分がアリアの話をしたら、自分はこの表現使ってるはずです。

しかし改めて「蒼月オラトリオ」の圧倒的な名曲の浪々とした歌い上げはすごいですね。バラードにアレンジして、メロディの良さがまた違った側面から味わうことが出来ます。と同時に、これを聞いてバンドサウンドの原曲を聞くとまた良い。今回、当然電機ギターを使わない、アコースティック/ヴァイオリン中心のバラードアレンジです。ひたひたと染み入るような音です。「太陽や大気の下の牧歌的」ではなく、ジャケット通りの「静かな月夜」のバラードですね。冷たい月明かり……そうよ、その冷め覚めとした蒼色の美学こそがAriabl'eyeSよ。

ariableyes.com