残響の足りない部屋

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love solfege小考・「墟律のサンプル」感想

love solfege

 

どうもこのブログの音楽記事(というか残響の文章全般)にお寄せいただいている(ありがとうサンクスございます!)御批判は、だいたい大きくふたつに分かれていて、

 

1)音楽用語ばっかりの理屈レビューで、何書いてるかわかんない

2)ミュージシャンの基本情報がのってないので、一見さんにはサッパリ

 

だそうです。ごめんなさい。

 

で、ですね。最近、熱きヴァイナル・ジャンキーのKANATAさんtwitter上でよくお話させていただいてるのですが(ありがとうございます!)そこでlove solfege(以下ラブジュ)のお話になったのですね。偶然、プログレのお話してたら、お互いがラブジュ好きだっちゅう話になって。

そこでわたし、「ラブジュはレビュー書きにくい」ってこぼしたんですよ。理由は、

 

みたいに語って。

 

ましてやこのグループ……というか、コンポーザー/ピアニスト「オーギュスト棒」を中心に、様々な女性voをフィーチャー、ときに怜悧なエレキギターもフィーチャーし、独自の

「クラシック+打ち込み+α」

の……本当の意味で

クラシック音楽ルネサンス

を行っている、プロジェクト、ラブジュ。それは片手間で論じられません(だからこの論のタイトル、「小」考)

 

また、オーギュスト棒は実に多忙で、このラブジュとしての活動だけじゃなく、「マッツミュージックスタジオ」として、PCゲームなどにBGM(劇伴)の提供という(1作10~20曲とかフツーですからね……)仕事をこなし、「歌もの」も、同人フィールドだけでなく、メジャーでも行っています。

 

マッツミュージックスタジオ

 

というわけで、論ずるとなると、あたかもデューク・エリントン大バッハを相手に論ずるが如き、「やってることの範囲も業績も大き過ぎる存在」にどっから手をつけたらいいか……と。

 

でもふっきれました。

どーせわかりにくいレビューなら、何も考えずに「知ってることをわかりやすく、思ったように」書けばいーじゃん的な。

というわけで、バイオグラフィ書いて、このグループの特性を語ってみます。それでひとつの記事にします。

 

●バイオグラフィ的な

 

love solfege*フタリノワタシ

 

オーギュスト棒、本名「松本慎一郎」。(これ書いていいのかな、いいや、ファンは周知だし)

理系大学卒業後、クラシックの楽理を専門的に学び、かつ、マッツミュージックスタジオ設立。そして「love solfege」結成(どっちが先かは知らない)。

「マッツ」では主にPCゲームのBGMを、非常に職人肌的に、高品質な「全ジャンル対応型」作曲ビジネス会社として展開。

一方「ラブジュ」では、クラシックーーバロックから印象派まで、本場ヨーロッパの伝統音楽としての「生きたクラシック」を、現代に再生=胎動さすべく、打ち込みリズムなどのイディオムを導入して、クラシックを現代化させる試みを果敢に行っているのです。

 

その仕事ぶりの多忙については先にかきましたね。全天候対応型。

そして、プラスすると、ラブジュには二つの顔があります。

「同人」=クラシカルで実験的

「メジャー」=ティーム・エンターテイメントでPCゲームの主題歌(アニソン)領域で活動

 

と、いろいろやっています。前、たしか「love solfege」と「love solfege’」というふうに(語尾「’」に注目)名前もわけてやっていたような……よくわからないです。これはいいです。

メジャー最新作はこちら

TEAM Entertainment - Imperial Arc

 

●前期ラブジュと後期ラブジュ

 

ときに、メタルレビューサイト「悶絶メタルのページ」さんでは、ラブジュのメジャー/同人の共同を是とせず、「メジャーで牙をもがれたか!」と形容されてます。

メタルという領域から、旺盛な「美メロ、クサメロ」センスでもって、初期からラブジュを追い続けてこられたKさん(悶絶メタルのページ管理人)のアンテナとレビューの筆致にはまさに感嘆でリスペクトですが(実際、ここで書いてるようなことも、ある程度はKさんの御論を下敷きにしてる)、

「メジャー=否、牙もがれ」というご見解には、わたし残響、ふたつのことを思っています。

 

 

そもそもラブジュは、PCゲーム主題歌ユニットとして「結果的には」なりましたが、そもそもマッツ的意味で、「劇伴の要素」……というか「物語の読みこみ」には定評があり。

名曲「memories are here」「0の軌跡」……ってどっちもROCOCOやないか!いえいいんです、カタハネ好きですから……ってそれはどうでもよかった。この二曲なんか、その「物語の読みこみ」の代表ですよね。

 

ただまあそれは、外部(PCゲー非プロパー)のがわからしたら、

「なぜクラシカルでバロッキーなラブジュの豊潤たる世界が、「薄め」られんとあかん!」

てな具合で。

まあそういう解釈もあるかなー、とか思いつつ、わたしはまた別のことを考えています。エロゲオタということ抜きにして。

 

もうひとつの解釈。ラブジュは……ある時期以降、ビミョーに方向性を変えたのではないか、という仮説。

具体的にはやはりメジャー進出……としときましょうか?

いや、個人的にはその転換点の象徴のような曲を知ってまして。

 


love solfege - 羽のないコルヴィ・ネーリ - YouTube

 

プログレッシヴにして、ジャズアドリブ(クラシックでいうとこのカデンツァ)に打ち込みを大々的に導入、圧巻のソプラノに、何通りものクラシカルメロディ、そして疾走!(なんでこの曲アルバムに入ってないんでしょう……)

ラブジュのすべてのイディオムがつまっているように思うとりまして。

 

そこからの(以後のラブジュ)は、よりクラシカルさを研ぎ澄ます半面、「以前のラブジュ」にあった「クラシカル一本釣り」みたいな「バロックぶちかまし」は影をひそめました。

というか、より正確にいるなら、

洗練され、一曲一曲が難解になっていった

それはオーギュスト棒のセンスがさらに上を目指し、あたかも晩年のモーツァルトのごとく、「色彩よりも、ハーモニーの綴れ織りを」と目論んでいるように思えるのです。

さらに厳密にいうなら、オーギュスト棒にとっての本隊プロジェクトであるラブジュ(とくに同人)は、彼の純粋な表現の場ということで、

「昔やったモンをやってもしょうがない」

の不退転すら見え隠れします。

 

「mignon」「over the Surges」の、典雅にして、しかし構造的には比較的シンプルで、「歌心」を第一にきかせる感じとは、いくらかシフトがはじまっています。

 

それはさっきも書いたように、メロ(旋律、フレーズ)における、和音感覚(ハーモニー)。現在のラブジュはプログレッシヴが進み、ちょっと「口ずさめない」くらいにまできています。オペラにもそれは近いですね。(ベルカント唄法は一般的にはならんわなぁ)(しかしそうであっても心に突き刺す独特のメロを紡ぐ才能よ! オーギュスト棒よ!)

 

●「墟律のサンプル」

http://lovege.noki.tv/dg/072/072.jpg

この盤について、やっと話します。

この盤、最初はアルバムタイトルの意味とかわかんなかったのです。ジャケの無限廃墟も。

しかしことそれを「色彩のない街の活写」……ほとんどそれは「色彩に乏しい世界」と同一であり、その単色さよ! と気づきまして。……そうですね、以前の己がメロの「色」を見ていたとすれば、この盤においては、ハーモニーの「絵姿、風景、情景」を見ている感があります。

フツー逆なんですけどね絵と音を比して語る場合! KANATAさんに怒られそうだな(笑)

 

とすると、メロの難解さにも意味があり、「そもそも荘厳に朽ちた街」を描くのだから、難解になるってもんです……まさに墟律のサンプル!

 

そして、町を描くというのは、ブリューゲルダ・ヴィンチの昔から、マクロとミクロ、城壁と群衆と静物を、カメラを動かすなり、画面を変えるなりして、一連の連作で語るのが常道です。

ラブジュは、「ひとつの盤のなかにさまざまの曲調がある(クラシカル、R&B、打ち込み……などなど)」という、PCゲーム劇伴出自「らしい」アレンジ面の特徴がありますが、そもそもにして彼らのアルバムは毎回コンセプチュアルなのです。

コンセプチュアルであるということは、様々の情景やアイテムを描かねばならず、さすれば彼らのジャンル性の多様さは……循環論法になってきましたが、もうおわかりですね(笑) ここまで書けば。

 

そう、ラブジュを「ひとつのストーリー」として、サンホラのように捉えると齟齬が生じるのであり、ひとつの町であったり(ドイツの……そうだな、ニュルンベルクの町の諸相を描いた絵画/図のような)……こんな感じとか

http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/2/2c/Nuernberg_schedel.JPG/800px-Nuernberg_schedel.JPG

あるいは、ひとつの神話……の中でも、ひとつのエピソードを重点して、みたいな。北欧神話のなかでもワルキューレ関連とか、日本神話のなかでもスサノオ関連みたいな。

 

……うん、そうだ。コンセプチュアルでもって語るのですから、「物語音楽」ではなく「絵画音楽」と、語弊を恐れずに、ラブジュを語ってしまいます、わたし!

 

この盤は色彩にはとぼしいです(というか、この付近の時系列の作、だいたい色が暗い)。ですが、描くべきものは、極めていねいに「絵」として描ききっている。

わたしはそれに……音の情景を目の前にしていることに、ただ打たれるのみ。

各曲を口ずさめるような感得はしてませんが、こういう「打たれ」も悪くないです。崇高な体験……!