残響の足りない部屋

もっと多く!かつ細やかに!世界にジョークを見出すのだ

膝をぶつけて科学と哲学する(日記4日目)

●やばい時間がっ!

うおお、連続毎日日記更新、本日が終わってしまうっ!(今23時30分をまわったところ)
三日坊主は回避したが、4日で終わると、それは本質的に3日坊主と変わらないことは確定的に明らか……!

さすがに今から昨日のような3000字超えのようなのは書けないので、日常のちょいとした発見のことを。


●自然の中の学び

こないだ、読書傾向のとこで、「本ばっかり読んでても仕方がない」って書きました。同時に「生のなかで鍛え上げる思想」みたいな大それたことも。
これは最近の森博嗣のエッセイの影響があります。自然を見よ、そこから学ぶのだ、と。それは自然科学者にして哲学者然としてる最近の森博嗣の根幹の主張です。

今日、床にアグラかいて座っていて、そこからさぁ仕事だっていうんで立ち上がろうとしたんですね。そしたら態勢を崩して、落下! 右膝から全体重をのっけて床にゴツン!って体が崩れてしまったんです。
いや、立ち上がるのをミスった、ってだけなんですが、地味に痛い。歩くとなると、ちょっとひょこっとするくらい。
うわー捻挫? ってほどでもないな、打撲か……。それにしても結構痛かったよな、自分の全体重をいっきに膝にかけたしな、と。

 

まあ放置していたら痛みは引いたのですが。
それで、先ほどお風呂に入って、右膝を洗おうとしたら、見事に内出血していて、傷まではいってませんが、赤いシミみたいなもんが出来ていました。

これは、個人的に「学び」の多かったことですね。以下箇条書きにしますが、

 

・あんまり痛みがなくても、こうやって実地で破壊された体を見ると、自己認識と客観現象ダメージ度合いって違うもんだなと。

・外傷という形でなく、内出血という形で現れたことに、自分の/人間の体のバッファ機能ってよく働いてるんだな、と

・見なかっただけ、というのもあるんだけど(冬だから長ズボンだし)、それでも時間差でこうやって内出血が出てくる。傷ってものは時間でもって視認できるということでもある

・なかなか不吉な色合いをしていました、その内出血シミは。どういう観点から見ても、自分に対する警告の一種であるのでしょう。ここいらにしとけよ、と。もっと慎重にしないと、次は外傷だぞ、と。メメントモリだぞ、と。

・これくらいの内出血な痛みでも、やっぱり体のバランスは少し崩れる、という感覚を得ました。走れはしなかったので。

・わたしは自分を(心理的に・神経的に)傷つけるプロではあるのですが、こうやってケアレスミスでもってフィジカルに・物理的に自分を傷つけると、それはそれでちょっと考えるところはある。心理的に・神経的に傷つけるよりも、よほど内省的かもしんない。

・人間の体ってよくできてるんだなぁ、っていう当たり前の結論ですが、それでも実際にどう動いてるのをきちんとみて、その上で「よくできてる」っていう感想を持つことには意味があると思える。それなしに人間スゲーと言ってるのは、ほとんど盲目的ナショナリズム右翼と変わらん。

・つまりは、自分の生活も観察だし、それにより修正をきかせていくのも、また科学だし。


……なーんてなことを考えました。本を読むよりよほど考えたかもしんない。膝をぶっつけただけでね。そして、そういう頭の悪いような考えをしてるのが、たぶん自分を成長させてる、と思うのですよ。


●メモ

冬コミ原稿は書きあがりましたよ。
・明日、この膝のこととは別に、持病で、病院に行きます。
・明日は休みのはずだったのに、諸事情により明日も軽く仕事をするハメになってまったオウノォ。
・日付ギリギリで日記書くのって、あんまりよくないなぁ。余裕がない。