残響の足りない部屋

もっと多く!かつ細やかに!世界にジョークを見出すのだ

学生時代に住んでいた町でテロが起きた

辛いので、文章を吐き出させてください。

私が大学院を中退したのは2009年で、院中退と同時にシマーネ農業王国の実家に移り住んだから、あの奈良県奈良市西大寺の町で過ごしたのも、もう随分前の話になる。
それでも、学生時代という「青春」を過ごした地ということで、あの町には思い入れがある。実際、その後「想い出探訪」な形で、何回か足を運んだものだ。

 

本日、とても見慣れたあの大和西大寺駅前で、安倍元首相がテロで殺された。

 

駅前のビルの一階にはスターバックスがあって、今もカフェテラスはあるのだろうか。有ったら、カフェの客は一部始終を見ることとなったのだろう。
ビル2階には書店がある。何十、何百回その書店に通っただろうか。書店の帰りにはイタリア料理店の惣菜を買って帰った。近くの路地には硬派な古本屋があった。学生時代1週間のうち、最低でも2、3回はあの現場をうろついていた。

もちろん西大寺駅もよく使った。大阪、京都、もちろん奈良の東西南北、どこに行くにせよ、だいたい西大寺駅の電車か、自宅近くのバス停からだった。
自分が奈良を離れてから、西大寺駅は改造工事が行われた。後になって奈良を再訪したとき、西大寺駅に入っている店が様変わりしているのに驚いたものだ。でも駅の構造の基本部分は変わっていない。駅舎に入るためにいちいち急な階段を上らねばならないのだよね。

少なくとも、危険な町でなかったことは確かだ。
ビリビリした剣呑さなんて全然ない、ぼーっとした町だった。駅前の道路が狭いので交通がいつもごちゃごちゃしていたくらい。でもそれを「危険な町」とまで称すのはどうかと思う。

駅前を離れて、奈良ファミリーという巨大ショッピングモールの先を行き、平城宮跡という史跡公園に足を踏み入れると、危険なんて何の話か?というくらい牧歌的な風景が広がる。今は史跡らしい奈良時代再現建築物があるけれど、当時はそれもなく、ただの遊歩道のあるやたらだだっ広い野原であった。
私の下宿はこの史跡公園の近くにあったため、しょっちゅうこの公園を散歩していた。楽しい日も辛い日も、病める日も。上海アリス幻樂団の音楽を聴きながら、延々と平均5km以上くらい歩いていた。少なくとも足は鍛えられた。

本当にぼーっとした平和な町だったと思う。学生時代、自分は相当病んでいたが、町にその責があった、とは全然思っていない。西大寺の町はぼーっとしていた。特に刺激も娯楽もない町だ。でもそのぼーっとした呑気感が、自分には合っていたと思う。大阪や京都といった都会で過ごしていたら、多分自分は大学院まで行けなかったのではないか。学生時代を、もっと破滅的な終わり方をさせていたのではないか、とさえ思う。そして現在のように社会復帰が上手くはいかなかっただろうな、と。

私はあの平城宮跡や、西大寺の町のぼーっとした感じに、今もとても感謝をしているのだ。
それだけに、あの町で白昼堂々のテロ殺人事件が起こったことに、自分でも思った以上のショックを受けている。

これは安倍元首相の殺害自体には関係のない話であるし、政治には関係のない話だ。当然のことながら、安倍元首相のご冥福をお祈りします。本当に酷い話としか言いようがない。
私がここで西大寺の町の話をするのは、この事件のシリアスさとはズレているだろ!と誰かに非難されても、そう言われても仕方がないかな、とも思う。

 

……私は、ただ参ってしまっているだけなんだ。
学生時代という「青春」を過ごし、今も恩のある、親しみを抱いているあの小さな町が、テロの惨劇の舞台となってしまったことに……一方的に勝手に、ただ個人的にとても……参ってしまっていて、ちょっと日記ブログで吐き出さないと、精神の安定が計れない状態なんです。
前回の更新記事でも書いたけど、最近鬱が入っています。それが今回の事件でさらにドゥーン……と沈み込んでしまった感じ。思っていた以上にちょっとこれはキツい。しんどい。テレビやネットで情報を仕入れるのはよそう……と思っても、ふとした時に西大寺の町並みの写真や動画がチラ見してしまうたんびに、やっぱりしんどさを覚えるのです。

これを形而上学的に表現すると、青春の町がテロで破壊されていっている……ということなのだろうか。
わからないな。そう表現してしまって良いとも、あまり思えない。でも、今、結構辛い。


今回のこういう独白も、本当は書かない方が良いのだとは思う。こういう時だからこそ、創作でもして、表現物をポンとネットに投下した方が格好良いし、自分はそうありたい、といつも願っていた。
でも、今回は……
ちょっと無理ですわ……。

 

というわけで、今回はちょっと辛い、という独白の日記でした。
繰り返しになりますが、西大寺の町はぼーっとした町でした。なので、もし「何か危険な可能性を秘めた町だったんじゃないのっ!?」みたいな話が出ていたとしたら、「そうじゃないんですよ」という弁護・反論を言いたい気持ちはあります。でも、この日記を書いているのは、それが第一の目的じゃなく……。


……ああ、そうか……私は、やっぱり、あの町を愛していたんだな、ということで。あの町のぼーっとした空気を、平城宮跡のだだっ広い野原の空間を。