2020春M3作品感想(1)退廃耽美デカダンスの悲劇なる物語音楽はバチクソ充実しているーーAt the Garret「子供部屋の共犯者」

M3にイベント参加をブルシットウィルスのせいで不参加した地方在住リスナーが、今回感想文を書く作品:

At the Garret「子供部屋の共犯者」

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(この感想文は、あまり原作小説のネタバレをしないようにしているつもりです)

(2020年M3春のサークルチェックは以下)

modernclothes24music.hatenablog.com

フランスの文士(詩人・劇作家・小説家)、ジャン・コクトォ。美へ隷属する人間の姿、耽美と退廃のなかに堕ちていく美(デカダンス)を見出す文士。彼の傑作のひとつに「恐るべき子供たち」という小説作品があります。主に、四人の少年少女たちが、それぞれの思惑でもって、自然に、不自然にアレコレ行動していくうちに、やがて悲劇的な結末に至る、というド耽美退廃小説です。ザ・リーサルウェポンズの「80年代アクションスター」の世界観の対極です(ロッキーランボーナイトホークス、エイドリアン!×8 アイル・ビー・バック!)

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そんな悲劇を、物語音楽同人サークルAt the Garretが正面からがっぷり組んで題材とし、物語音楽アルバムの形にしました。つまり「原作ありき」の物語音楽です。
というものの、物語の筋をそのまま追う、のではなく、先に述べた四人の少年少女それぞれのキャラを内面から描き、彼/彼女らの視点から見えている、このオカシな状況の空気感・ねじれた状況、そしてもつれた耽美と情愛とコンプレックスを描きます。

ここまで読んでおわかりのように、ザ・リーサルウェポンズの「ホッピーでハッピー」みたいな陽気で爽快なものとはまるで対極の、暗い、シリアスで、ある種陰湿で、それゆえに光届かない闇の中にある美を感じさせる作品です、この2020春M3新譜は。
たぶん冬にひっそり自宅の一室で窓やカーテンを締め切って歌詞カード読みながら聞くのが一番良いのでしょうが、しかし別にいつの時期でもよいと思います。春夏秋冬のどの季節だろうが、これ聞いてジョギングBGMにしよう、なんてことは思いもよらない「音の物語・芸術作品」です。

サウンドは、ほとんどロックバンドサウンドはなく、かといってガチクラシックというのでもなく、「ヨーロピアンスタイル、ユーロジャズ歌謡、バラード」と称すべきでしょうか。作曲者霧夜氏の18番(おはこ)であるピアノが全体をリードしつつ、常に緊迫感を演出します。アコーディオンといったユーロ音源や、あとで述べますがギターの使い方も見事。
一貫して「ダーク」な音像で、もし気をすこし抜けるとしたら「新入り」アガート嬢のパートである、歌謡ジャズなトラック#3。しかしこの曲にしても、あくまで物語を多少俯瞰で全体を見る、っていう意味合いでの「比較的明るめ」です。ですが鳴るアコーディオンの哀愁メロと、ジャズ的スウィングリズムは、祝祭を描かず、ボードレール的な巴里の憂鬱の表現であります。アガート嬢自体がこの作品の中で清涼剤的な役割でありますが、しかしアガートが持つ「キャラとしての情報」が、この物語をどんどん動かしていく悲劇への鍵、敬慕コンプレックスを誘発する鍵であるんですよね。存在が罪とは、なんということでしょう(今の「存在が罪であるのだ」っていうの、まさにコクトォ的ですよね)
ストリングスで壮大さを煽る音像ではありません。世界に向けて壮麗を響かせる作品ではないのです。むしろ、この音が志向するのは、密室芸。狭い空間で、どうにもならなくなっていく少年少女の心情を、深く、堕ちていくことを描くための、沈んでいく鋭い音……

 

なにせ、トラック#4「殉教」の破壊力がすごい。サビが「轟音感」を感じるギターで幕を開けるのですが、そこにある圧倒的美メロ、シリアス心情の張り詰めたテンション、絶望の開幕、音が「精神の暗闇」を展開していく様。わたしはそれをまさに体感しました。
今までのAt the Garretでの霧夜氏のギターは、打ち込みギターを使っていますが、そのフレーズが、天を翔けるかのように、「わたしは羽ばたきたいの、疾走していきたいの!」という心情を十二分に表現しているものでした。別の言い方でいえば、「アンタ(作曲者)の言いたいこと、やりたいことわかるよ、このギター・ソロ!」っていうものです。
今回の歪んだギター伴奏も、実に「わかるよ、ジェラールの、闇へ堕ちていく心情のどうしようもなさ、わかるよ!」っていう表現です。ギターの「入り」のタイミングが完璧で、かなしいヴォーカルと合わさって、轟音ギターの圧力を感じながら、感情の奔流に、リスナーは身を任せるだけです。そんな中でもストリングスは優美に、悲痛に鳴り響きます。「こころの轟音」とも称すべき表現があります。もはや「シューゲイザー」とすら自分は呼びたいほどです。いや、マイ・ブラッディ・ヴァレンタイン要素は全然ありませんが、しかし「轟音の耽美」に心を震わせる人のセンスは、ここにも通じるはずだと思っております。

 

この作品は部分部分で、同系のメロディを、アレンジ(編曲)を駆使して、変奏して対比させています。それは「姉弟」の表現であったり、「子供部屋という舞台の崩壊」であったり。この反復に「キターーーー!」と思うのは、まずもって霧夜氏のメロディ撲殺が右フック、左ストレートのコンビネーションが見事に成り立っている証拠であります。そしてヴォーカル4者(At the Garretメンバー2人、ゲストvo2人体制)の声質とキャラの違いが、メロディを味わい分けることにもなっています。

どの曲も疾走はしませんし、どの曲もとても重みと「圧」が強い。しかし、それでこその耽美なる幻視の芸術である、と思わされます。常に思わされるのは、シリアスである悲痛な物語ですが、「美しい」としか言いようがなく、それは美メロの保証であり、同時にキャラの心情の美しさと悲痛さ。これが芸術でなくて何という、という話です。

「救いがない」という話なんですが、そもそも退廃耽美(デカダンス)とは、はぴはぴハッピーエンドなどそもそも志向しないって話です。堕ちていく美、それを「耽美」と呼び、自ら滅びに向かっていく、己を捨てようとする人間の歩みを「退廃」と呼ぶのです。

ところで、この物語音楽の「最初」と「最後」に、霧夜氏による「BGM付き・まえがきトーク」と「同・あとがきトーク」みたいな表現で、幕はあけ、幕は閉じられるわけです。そこで問いかけがなされます。この物語で誰が正しかったのか、そもそもこの物語は正しかったのか。ていうかこれを聞いてるおまいはどうなのか。すべてはぬばたまの暗闇のなか、判然としない。
そのあたり、極めてKrik/Krakのくらやみ劇場を思わせますね。Krik/Krakは先日、作曲者・鳥島氏が活動休止のアナウンスをしていました。霧夜氏がそれを非常に惜しむツイートをしておられました。この次の記事でのIdeadoll「待雪葬」での記事でも書きますが、今回の霧夜氏の表現に、どこかKrik/Krakが影響していたのではないか?と思わせる音、雰囲気があります。あくまで自分の想像ですが、これは。ただ、自分もKrik/Krakを聞いてきて、あの二人の創作における「手触り」っていうのを、肌で感じてきたわけです。それだけに、体で感じ取ってしまう、今回の霧夜氏の表現に対する「なにか」でした。

「子供部屋の共犯者」、しかしこの作品、CDで買ってよかったです。歌詞カードのめくり方でわかるシンメトリー的対比のデザイン、各キャラを表しているデザイン、視線のからみ「あわなさ」、そしてCD盤面のラストネタバレはちょっとドギツすぎないですか?!と思いましたが、いやむしろここまでブチまけろ!というのが同人音楽であります。

あまりにシリアス、あまりに原作愛と原作解釈がすごく、そして4人に対するキャラ愛が、サークル側にあふれているからこその「解釈」であります。あなたはこの四人の誰が推しですか。ちなみにこの文章の筆者はエリザベートです。どうしようもない女王ですが、明らかに王族のオーラを放っているカリスマじゃないですか。不安定なツンデレヤンデレで絶対的権力者じゃないですか。それで、ベッドで寝てるポールになんか気弱になったりするじゃないですか。アーーーーッ!(語彙力

なんでしょうね、こういう本気の「文芸音楽」をする人たちがこの世にいる、っていうのが、すごい嬉しいですね。ここに「文化」があり、文化を「楽しんでいる」人たちがいる。この作品を聞いて、歌詞カードを見ていて、なんとも「表現しなきゃダメだ!」っていう切迫感は感じず、ただこのコクトォ世界を霧夜メロで展開していくぞ!うわー楽しすぎる!っていう「充実感」をそのまま感じます。
充実感。あるいは創作同人の充実。自分がこの作品を聞いていて、どうしようもなくシリアスなんですが、聞いていて「うわぁ暗くなる……」よりも「良い美であった……!」と満足感が強いのは、多分、サークル・At the Garretの充実感のおすそ分けを頂いたから、っていうのが、個人的に納得のいっているところです。

 

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