web小説に関しては素人の残響です。そこはご了承ください。ですが、猛烈に書きたくなってこの記事書きます。
――いまやVRMMOは、単なるSS、単なるジャンル小説を越境した、「これからの物語」をはぐくむ「土壌」になりつつある、と考えるのがわたしの立場です。
そこにはさまざまな可能性があり、さまざまな死屍累々もあるでしょうが、本質的には、これらの行い(VMMMO小説を読む&書く)は、結果としてよき方向に導かれることになる、と過去わたしは書きました。
「なろう」とかのweb小説(異世界転生チーレム系)を自分の人生に生かすための読み方 - 残響の足りない部屋
今回の論考は、その引き続きです。
●序 なろうネイティヴ
VRMMOが取り扱うジャンルはなにか?
全部ですなあ……(ざっくりした感想、こなみかん)
いや、自分、ほんとこの分野詳しくないのです。だって、オンラインRPGやったことないし!
だから、あんまり「関係のないジャンル」と思っていたのです。
ただそれはあくまで「ロートル人間残響」に限ってのことであり、現在の娯楽のリアルはソーシャルであり、ネットゲーですわな。
ネトゲという「リアル」をもとにして何か書けないか……現代の我々に通じるリアルを通して、リアルの再構築ができないか、と目論見、見事成功に導いたのは、橙乃ままれの「ログ・ホライズン」です。
- 作者: 橙乃ままれ,ハラカズヒロ
- 出版社/メーカー: エンターブレイン
- 発売日: 2011/03/31
- メディア: 単行本
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そのことをインタビューで語っていたのが、同人サークル「敷居亭」の「敷居の部屋の最前線」における橙乃ままれ長尺インタビューで。
テキスト系Web創作の”今”を切り取る - 夏コミ新刊『敷居の部屋の最前線-Front Line-』 - 敷居の先住民
この本はすごいいいですよー。実際サークル公式通販で買って、感想書こう書こうとしてたのですが、なかなかならず。それはひとえに、情報量が多すぎる……単に「web小説の生き抜きかた」というメソッドとしても読んでいいですし、新時代の才能がいかに己の作話術を磨いてきたかのレファレンスにもなりますし、新たなweb小説の埋もれた作品を発掘するのにもいいですし。べたぼめ! でもそれだけの価値はある! 通販の案内もすごい丁寧だったし!
というわけで、このわたしの記事はある意味、ピアノ・ファイアさんや物語三昧さんや敷居の先住民さんなどといった「なろう」巧者の方々の御論の引き写しみたいな、ろくでもない記事ですが、ただこの「新しさ」に関しては、さまざまな論考があったほうがいーだろう的なモクロミによって書いてます。
とくに物語三昧さんは、わたしがペトロニウス氏の論考をすみずみまで読みとおそうとしてますが、なにぶんあのブログ量が多いので(賛辞です。素晴らしい!)、わたしが言おうとしてること、もう仰ってる感がすげー強いのですが、恐縮なのですが、ええいそれではもう何も書けないではないかっ! かの天神・菅原道真公も、
「夫(そ)れ文を作るは、必ずしも経史の全説を取らず。」
……ようするに「俺様の書く美文のためなら原典原語の意味など知ったことではない」というてるのだから(マジ)、わたしはわたしの思うところをかくのだっ! 討ち死に万歳っ
で、わたしが言おうとしてることは、シンプルなんですよ。
今までこの国(現代ジャパン)では、VRMMOというジャンルはあくまでジャンルであり、物語という大河に対して、あくまで傍流というか、「まあいずれは一過性の潮流で終わるんじゃね?」的な、軽い見られ方をしてたと思うんです。それはあと、数年続くかしら。
でも、それも数年かもしれません。気付いたときには、まわりの文学ジャンルを「この手」一色で染めているかもしれません。
「なろうネイティヴ」というローカルワードがあります。例によって物語三昧さんとか海燕さん(「ゆるオタひきこもり生活研究室」)たちが定義された言葉で、これ以上ないほど現在のweb小説の主流たる、「小説家になろう」で、高ランカーたち(ランキング上位)の作風をまるっとエブリシング描写した定義なんですが。より正確に叙述すると、
13 造語。「小説家になろう」に特有の個性をもった作品のことを指す。
ペトロ:(中略)「なろうネイティヴ」という文脈でみると面白いんですよって言われて、他の作品も読むようにしたんです。
そうすると、小説読みにすると「この導入は……」と思うような、主観のダラダラ記述とか、タイムラインに伏線がないこととか、読んだ瞬間「ダメだ……」と思うようなことが、逆にそれこそが魅力だということがわかってきたんです。ここで僕が言ってる主観のダラダラ記述というのは、「強い自分になりたい!」俺つえー系とか、現代文明を知っていてそれを未開の人々に教えて感謝されるとか、シンプルな欲望の充足や実現がベースにあって、そのシンプルなモノが、なんのマクロ設定も物語ダイナミズムも設計せずにスタートしてダラダラ記述されていく。
その形式に最も親和的なマクロスキームが、異世界転生モノだったんですね。そして、「その基本スキームに様々なズレが生じた場合にどうなるのか?」というシミュレーションがたくさん発生しているのが「なろうネイティヴ」。この基本骨格は共有するが、個々の幻想はそれぞれのパターンの追及になる、という共同幻想が成立しているんだと思います。
ーー敷居亭「敷居の部屋の混沌」小説家になろう座談会 P57
……圧巻! ここまで論じられるとぐうの音も出ません!
で、わたしがここから論じることは、これの補論なんで、ひまつぶしに読んでくれたらうれしいな、って。
さて、様々のジャンルを含有するweb小説、およびなろうネイティヴ。とくに後者のその本質は上のペトロニウス氏の言及でつまびらかになりましたが、ようは
・現実ベースの妄想/幻想/ゲーム世界に転生
・しかし主人公は特殊技能もち、もしくは異世界における異常性もち
・異世界のリアルと現世のリアルが激しく相克しあう
・その結果、世界は変わっていく。ミクロにも、マクロにも
……以上が「まおゆう」だろうが「ログホラ」だろうが、他のどんな俺TUEEEものであろうが、転生ものだろうが、ビッグランカーにのしあがったひとの傾向ってのは、この「相克から変革へ!」というモデルを採用しているところです。もっとも、それに全然組みしていなく、この、以上四つを、徹底したメタ、メタメタ路線でいって、徹底しておちょくりまくっている小説もあって、その筆頭がおけむら氏の「勇者板」なんですが。幻想世界の2ちゃんねる!
……いやもう正直ね、この本があるだけで、昨今のweb小説、なろうネイティヴの底の深さが叙述できるんだが(笑)
……っと失礼しました、「なろうネイティヴ」をざっくり、うえの四つでバキッと切ってしまいました。正確にはこれにチーレム(チート+ハーレム)要素もはいってきますし、そもそもこれに属していないものもあります。また、なろうネイティヴが新世代の桃源郷かっつーと、そもそも物語三昧さんは以下の記述/批判を残しています。とくに「単体で水準を越えられない」というのは……たしかに厳しいご意見!
小説家になろうのサイト分析〜なろうネイティブの問題点の解析 - 物語三昧〜できればより深く物語を楽しむために
まあこの論では、なろうネイティヴをざっくりうえの四つで切ってみたいと思います。定義します。この論の場だけにおいて。実際、2013~2014年のリアル感覚で、この四つを属性として持ってないのが、なかなか高いランクにいったり、書籍化したりはしないっちゅうのが現状なので。(もちろん高ランクや書籍化がすべてではないですが、ここでは「新世代の台頭」というを主眼として書いてます)
で、再度いいますが、わたしはあんまweb小説読んでないのです。なろうのお気に入り……というか、なろうで定期的に読んでる作品も5つくらいしかないですし……
ただそれでもわかったことがあります。VRMMOはもう「ジャンル」ではない……もはや新たな「文学形式である」ということ。
●文学形式が叙述できるさまざまの世界
文学は、形式というかジャンルというか主義というか。そういうものによって、描ける世界を拡大してきました。
たとえば言文一致運動。これにより口語表現、西欧的論理表現が可能に(ただし漢文の要素は年々さがっていった)
たとえば自然主義。これにより文学は「リアル」を描けるように(ただしその偏重が幻想性を滅殺する方向に)
たとえば私小説。これにより文学は、自然主義から引きついだ「己の生活」を詩として歌いあげることができたように(ただしそれは自己吐露という、露出系AVにも劣る日本的堕落の極みにまで文学をいかせてしまった)
たとえばラノベ。これにより文学は、ビジュアルと「現実以上のキャラの動き」を得て、もう文学に描けないものはなにもないように(ただしイラストの偏重は確実に「旧来の文章描写」を捨てる傾向にいくように日本文学はなった)
たとえば……もう飽きてきましたw
すべての文学運動、文学ジャンル、文学表現一新は、このように、描く世界なり、描ける理想なり、マテリアルなりを拡大してきました。
「ただし」でかっこづけしたように、もちろんその際において、反動的に「アカン」な部分もでてきました。しかしそれはすべての「イズム(=主義)」の代償です。これのないイズムなど、所詮は実行力のないしろものです。
おそらく、昨今の「こればっかの小説になりゃしねえか」議論や、「文体の緊張がさらに低下してってる」議論も、VRMMO、なろうネイティヴに対する反論、反動としてあげられるでしょう。
それを擁護するのがweb小説読みなんですが……ですが……ですが、もういいんじゃね? と思うようにすらなってしまいましたw だって、それと代償に得られるモノのほうが、はるかにでかい!
では、その得られるものとはなにか?
●ヴァーチャル世界の脱構築と、自己/世界変革
どの小説も転生転生……いやわたしもそう思います。
というかわたし、転生嫌いだったんですが……いまでもあんま好きくないんですが……だってそれ、「リアル」(現世)があるってことを認めることじゃないっすか。この幻想主義者たるわたくしがっ
とはいうものの、「哲学性」「実際的文学性」の観点からいったら、なろうネイティヴのもたらす教訓性というか、価値というか、読みとき可能性は、ものごっついものがありまして。
一個一個精査してきますね。
まずヴァーチャル世界がリアルになった! という設定のこと。
これはすでにキャラたちが「ヴァーチャル世界を良くしっていながら、しかし実際にはその世界のリアルをよう知らんかった」という矛盾から発生します
「知っていながら知らんかった」を表現するには……たとえば「純文学」においては、それ相応の「仕掛け」が必要になってきます。村上春樹はここのところ頑張りますよね。
「ねじまき鳥」では妻の失踪&井戸&手紙、という、みょうちきりんな仕掛けでもって、「異次元」を辿ろうとします。
「海辺のカフカ」では、父の呪い(オイディプス)と、知的障害というそもそも的な感じで。
「1Q84」では、文壇変革と、カルト宗教と、ふたつの月、という。
そう、さまざまの文学は、「ここ」(=既知の世界が未知性アリアリの世界にフェイズシフトする)に至るまで、とにかくがんばります。
それを打破しようとがんばったのが、マジックリアリズムなんですが、ふとなろうネイティヴに思いを馳せると、この問題、ほとんど簡単にクリアしてね?
「既知世界リアルとこの世界リアルを単純に比較すればいい」という、すごいシンプルな解決法によって、登場人物が世界のリアルと、世界の哲学深淵にいっきにダイレクトアタックかけれるのです。
これはセカイ系とかループ系ですらなしえなかったのです。
「だからその世界解釈は底が浅いんだ」
ととらえるか、
「だからその世界解釈からは無限の読みときができるんだ」
ととらえるか、で、この手の小説は、がらりと様相を変えます。
本記事が推奨してるのは、いわずもがな後者です。
「だからその世界解釈からは無限の読みときができるんだ」
そしてヴァーチャル世界がリアルになった!という設定からは、いくつもの「教訓」が導き出されます。
・所詮リアルでの体験など、「ひとつの体験」にすぎない
・というかリアルそのものがヴァーチャルになってきとる
・生の一回性(ヴァーチャル世界の無限蘇り性の批判的解釈から得られた生命観)
ほかにもほかにも。
そもそも
「ヴァーチャル世界を良く知ってた」こと自体が、すでに(ゲーム的であろうが)「世界把握」という、人類がこのかたン千年なしとげられなかったことなのです(聖書の天球を支えるカメの話を思い出そう)(あと創世記ですらようわからん、といわざるを得なかった一般大衆を思いだそう)
それを……「ふたつの世界」を同時平行してみられる、という客観性。
この客観性なくして、なろうで高ランカーたることは不可能です。ましてや書籍化をや。
そう……そこなのです。現在のweb小説の現在における価値。現実認識に訴えかける変革性。
おっと、話がさきにいっちゃいました……いいや、これ話そう。
●自分を変える、世界を変える
なぜいま、web小説がもとめられるか? 理由は、これらの小説が「リアル」だから、というと、語弊があります。
「身を突きさすようなリアルがあるから」ではないです。この方向性だと、旧来の文学(ラノベ含)にすらかないません。
そうではなく、
「リアルを再構築した世界を疑似体験するキャラで疑似疑似体験(?)し、物事の本質(リアル)を掴む」という「リアル」なんです。
ま、ぶっちゃけていえば、「説教くせえ小説!」なんですな(笑)
しかし、そのプラグマティズムは、純文学が「言葉の弄し」におち、ラノベが「商業」におち、ミステリやSFや官能が「ジャンルの袋小路」におちた現在、このプラグマティズム以上に「実のある読書」を与えてくれるジャンルが、あるのか否か。
「だったら新書でもよめよ!」
「おまえらはそれだからだめだ! あの「教養100冊」でも読んでから話をしろ!」
そういう批判がぼろぼろでると思うんです。
でも、そういうクソみたいなたわごとは、ゴミ入れに捨てましょう!(そういえばあの100冊の取り上げ方も知性がないですが、それを真に受けるほうは同情するというか、かわいそうというか……ほんとうは、あの100冊とはなんぞや? みたいなことをかみ砕いて言えることこそが真の知性であり、そういう先生につくべきなのに)
だいたいにおいて、そういうツッコミするひとは、大学のとき中途半端に本を読んで
いまはだいたいなんJや淫夢ネタしかいえないひとたちなんですよ。あのリストのなかの10冊も読んでないと断言できます。
なによりタチがわるいのは、その手のツッコミメンズは、「自分の教養を自分の生に活かそうとしていない」ということなんです。
読んだら読みっぱ。すぐ忘れる。
だったら、自らこれらの小説(なろうネイティヴの説教臭い小説)を、こづかいから払って読もう、という若者のほうが、どれだけ「世界変革率」は高いか!
このムーヴメントがいいのは、誰かのしかけで動いてるのではなく、前のわたしの記事(最初にはったやつです)でかいたように、「自分の意志で、世界を意識する」ということを覚えているひとたちが、自主的に動いていることなんです。
「意識wwww高いwwww」
とか言ってるひとは、言わせときましょうよ。10年後が勝負決まってる。そもそもこの手の嘲笑をやりすごすことも修行のうちです。
しかしそれにしても……ものごとの本質を「はい、見て御覧?」とさらけださして、見せることの、大力量よ!
それは、たしかにwikiに立脚したものかもですし、資料の読み解きも新書レベルかもですが、それだけでも大したもんです。
マクロ思考。日本の文学も、一部の大才能を例外として、なかなか芽生えなかったマクロ思考が、ようやく出ようとしてきている。正直……MMORPGの説明が浸透さえすれば、この手の文学(なろうネイティヴ)は、むしろ海外圏でもっても受け入れられるものかもしれません(除く、宗教)
それは、本来なら、大文字の「文学」がすべき仕事だったんですけどね。このジャンル、自分のジャンルを守ろうとするばっかりに、文士たる仕事を忘れてしまって。あと思想家。わかりにくい言葉ばっかり使って……(ニューアカ……)
●この形式は、お約束「だった」
「だった」のです。
ですが、もうここまできたらーーこの滋養の量だけみたら、これは「お約束」の領域を越えて、さまざまな文学の発展を約束できる「土壌」です。
あとはどんな種をまこうが自由。むしろ撒いたら撒いたぶんだけ、豊かな森ができる!文学の森が!
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いまこれを読んでいます。
「生産系」……「ものづくり」
まおゆうはそのダイナミクス(産業革命が世界革命に繋がる)を描きましたが、こちらも面白い!
「つくる」とはなにか? リアルで製造業に従事している筆者ならではです。ちなみにリアルで製造業に従事している残響さん、妙に共感しています。
「生産は慣れと諦めと根気やからなあ。」
泣けるぜ。
しかし、この感覚と共感と……そしてリアルさえ産む、VRMMO小説という可能性よ!
あー、ながくなってきたので切りますが、残響さん、結構この分野見直そう、と個人的には思っています。
キーワードは「マクロ」と「リアルの再構築(脱構築)」!!