残響の足りない部屋

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4/20 大阪心斎橋FANJライヴレポート

えー、今、旅先でノートに万年筆でこの原稿書いてます。ネカフェで、出来た原稿をタイプ&エディットしてアップしたのがこちらです。

心斎橋FANJライヴ「mutatiton」爆音に、轟音に、静寂に酔いました。

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※予告と、各バンドの紹介はこちら

4/20心斎橋FANJライヴ予告、深海600m、僕を殺す世界へ(そして他のバンド予習) - 残響の足りない部屋

●音響とか設備

かなりデッド音響(悪い、という意味ではなく、音楽用語)。

広がりアリーナ的に果てしなく、というのではなく、音がガツン!とくる感じ。

サウンドチェックを聞く限り、ローミッドが強くくる感じかしら。上と下を圧迫する感じでの「迫り感」

ぜんぜん広くはないですが、客の入りはなかなかのもの。おしくらマンジュウではないものの。

 

●深海600m

暗闇からつむぎだされる、いきなりのFine!

村岡氏のピアノ(右手)の悲しげさ、アトモスフェリックなシンセ(左手)のシンフォ/音響感。そこに五十嵐氏のギターの、孤独なるクリーントーンの美しさ。

中神氏のベースは、彼らの「思い」を支え、スーやん氏はパーカッション(砂というか、波の音めいた「さらさらさら~」)で、海の感じを表現。うん、このSE、スーやん氏いなかったら成り立ちませんね。

で、ノイズブレイク部分の鬼気はすさまじく。

というかこのバンドって、村岡氏がミッドハイ、五十嵐氏がハイ、中神氏がローミッド&ボトム、スーやん氏がシンバルのハイか、爆裂的な、ティンパニめいたタムぶっ叩きで成り立ってるんすな。

そう、スーやん氏。すごかった。

ノイズパートになってぶっ叩くとき、形相が変わった。
思いっきり腕を振り上げて、まるでーーそう、ホントに鬼のように多種ドラムを「爆発」させるのだ。
正直このドラミングは、今回のライヴで一番のドラミング。
戦慄、ハラにくる叩き、そしてある種の怒りにも似たーー

そしてもう一人の鬼がいる。五十嵐氏だ。
ギターの高音ハウリングノイズの鬼気たるや、心と体をつんざき、エモーションをビリビリさせる。
そこから村岡氏のシンフォウォール。この様式美!
そして轟音の爆裂だ!
すべての音響が「海」のたゆたいを見せる。
実は深海のアレンジ(曲進行)は
「孤独静謐→爆発+シンフォ→超爆発」
の構成を踏むのですが、これは
「海とは、凪とシケが両方あってのこと」
ということでしょう。私見ですが。

ラストの曲ですが、これはすごい。
まるで海の果てを見ているかのよう。
悠久の大河、というよりは、海の果てに辿り着いたかのような。
しかしそこから離れ業が!
一番の荒れ狂いノイズを撒き散らす!
海は怖い。深海という、海のまったき深きところにおける、「密やかな暴力」といったら。
ーーそれでも、海は生命に満ちて、その生の無数の輝きが、音になって結実する。
そして、海とは、反復というーー潮の満ち引きである。
深海600mの「盛り上げ部分」は、やたら反復が多いと思われるだろうが、
そもそもこれは「海」の表現なのだし、そもそもポスロクとかシューゲってそういう音楽だし…
そう、それらすべてを含めて、これは、海の音楽。

●sorseki

ネットでの音源聞いた限りでは、音の磨き方がいいバンドだな、と思うていたのですが、どうも実際のライヴとなると、
ちょいサウンドのアンサンブルがバラけているように思い。
しかし「2つ」魅力的だったのは、3人のコーラスワークの説得力。ぐっと、合わさった音域が「届く」のです。
しして、意外にダンス機能性が高い。
最近のオルタナ系は、ロックの激情に、ダンス的要素ーー躍らせるリズムーーを積極的に導入することをよしとしていますが、
その一環なのでしょうか、sorsekiのリズム感覚は。
おそらく凛として時雨のディスコチューン+ポスロクアンサンブルをエッセンスとして取り入れているのでしょうが、
このバンド本来の「セツナさわやかポップス」より、ライヴの現時点では、そのダンス性のほうがイケてる感じということを思ったのです(スイマセン!)
なので、まだこのバンドは、ライヴにおいては試行錯誤なのかなぁ、と。
あと、走りまくる高音ギターとか、鉄壁のリズム隊とか、魅力的な低音女性voとか、美点があるだけに。


●tsubu


わんにゃかぱっぱーうんぱっぱー的なNHK教育的なSEが鳴ったとき、そうか、クラムボンの「その傾向」も受け継いだのかな、とか思いましたね(笑)
おそらく、その名のとおり、一音一音の「粒」を大事にするバンドなのでしょう。
クラムボンにポスロクアンサンブルを、ちょい浮遊感添付で、マイペースにGO、みたいな感じでした。今回一番の和み系でしょう。
ポップスとしても機能性高いですし、クラムボン原田直系のvoも、なかなかいけます。
しかし、個人的ワガママをいうなら、もっと疾走しても、音を「タララララ♪」と引き流してもいいのよーーようするに、もっとアンサンブルを「バラけ」させても、
ポップ感覚はむしろ「いや増して」キャッチーになるのかな、とか思いました。いえ、別にクラムボンの後を追え、といってるわけじゃないんですが。


●僕を殺す世界へ

 

エモーションの轟音。あんたが大将や。
とにかく音(ノイズパート)がでかい、でかすぎる。
しかしそれが、耳はビリビリだけど、「ことさらに疲れない」のは、ノイズに意味があるから。
音域的に過剰(ハイやローがビンビンに出てる)なのだが、しかしそれらすべてが「表現」になってる。

歌がいいです。
というか、ギターのノイズに負けてない。そればかりか、マイクなしで、フロアに響かせましたよ。すげえ声量。
それぞれの歌で、表現すべき
「私がここにいるという、さまざまの悲しみ」
を描き、葬送します。それが胸を打つ。

ひとつ苦言を呈するなら、ノイズ前の語りパートありましたが、あそこ、ちょいダレるように感じました。
もちっとアトモスフェリックに、微弱な音入れてもいいんじゃないかと。
たとえば、サウンドホライズンという、ファンタジー系の、語りいっぱいな音楽があるのですが、
そこでは語りのバックに、印象的なハーモニーやフレーズを重ねて、ダレさせることがないのですよ。
もちろん、まあ、「無音+語り」から、暴虐のノイズにいく、っていうのはわかりますし、ここで一度「落とす」必要が、アレンジ的にも、メッセージ的にもあるっちゅうのはわかりますが。

しかし、エフェクターに灯された照明が、ローソクのようで、まるで何かを鎮魂しているかのようだった。
その厳粛さに、ただ打たれるのみ。
彼らのノイズには、意味がある。ベースの長井氏とドラマー氏はそれを低音から支える。
「バンドアンサンブルの丁々発止」よりも、「ひとつの音の塊」として、わたしは受け取りました。
それだけ、バンドが練られていて、ひとつのコンセプト、ひとつの伝えたい世界、が存在していたということ。
最後の佐藤氏と長井氏のコーラス、シャウトの合戦は、泣ける。
ていうか。わたし、ラストの曲で、感極まって、拳を振り上げたほどです。

 

●rat in a cage

 

最初の曲が、思いのほかラウド&ハードロック系だったので、「?」と思いました。
こんなバンドだったっけ?と思いつつも、しかし次から疾走セツナオルタナを展開。
ていうか…ソニックユースのリスペクトの念が強い!
とくに80~90sの「いなたさ」あふれる、疾走系の!
わたしのようなソニックスファンとしては、これはご馳走。というかこの音に弱いw
ああ懐かしい!
フォロワー呼ばわりされるのも、彼らにとっては不愉快かもしれませんが…
まあこのバンドも、「音でかい」系のバンドですが、先に僕殺がきたっていうのは、相手が悪かった…

 

●総括

 

やはりこの関西ポスロクシーンは面白い!
センチメンタル・エモーションと轟音と静寂が、同居…これぞポストロック、シューゲイザーよ!
急成長をとげる各バンドたち。この音ーー爆音に酔うことが、ポスロク/シューゲのマナー。
そして、もと多くの「詩的精神」を!
彼らは若い。
そのナイーヴさと、仲間リスペクトのこの界隈の結束力でもって、ひとつのコミュニティでもって研鑽し、
やがて「関西シーン」を、日本のポストロック世界に炸裂させようではないですか!