残響の足りない部屋

もっと多く!かつ細やかに!世界にジョークを見出すのだ

(サークル8TR活動)2/20土曜「ミュートピアvol.3」に出ます

このブログの筆者(残響)は、オリジナル作曲で、同人音楽サークル「8TR戦線行進曲」(エイトトラック~)というのをやっているんですが、明日2/20(土)に開催される、同人音楽webイベント「ミュートピアvol.3」に、サークル8TRで出展参加いたします。(残田響一、8TR残田名義)

 

イベント特設サイト↓

mutopia.hagall.info

 

出展頒布物(CD盤)や、委託CD盤などの情報は、こちらサークル8TRのサイトにまとめました。

redselrla.com

 

今、出展に関わるもろもろの作業を終えて、この日記ブログでの告知文章を書いています。
……本当に、同人活動、音楽活動というものは、良いものだなぁ、と静かに穏やかに思っています。

最近、ちょっと心身の体調を崩しておりましたが、この同人イベントの事務作業をこつこつやっていくことで、一歩一歩こつこつと、心身(とくに精神)の不調が治癒されていく感じがしました。

このコロナ禍のなかでも、こうしてサークル活動、創作・発表活動が出来るというのは、ありがたい話です。

中年音楽マニアとLo-Fi HipHop

●Lo-Fi HipHop

激烈に「刺さる」音楽を求めてきたわたくしでありました。シリアスに音と自己との対面・対話を求めるような音楽。速くハードなリズム。味わいの深い美しいメロディ、和音。美と世界観を表現するノイズギター。魂の叫びの発露のアドリブ。


ところが、そういうのとは対極の音楽に、35歳の現在になって、ハマることとなりました。今回のお話の主題は、Lo-Fi HipHopです。あるいはそれに近しい音楽。


RAINING IN OSAKA (Lofi HipHop)

実にタルい癒し系の現代R&BHipHopトラックです。リズムは穏やかで変拍子なんてない。生活に調和するかのような和音、コード進行。メロディは控えめで抑制が効いている。そう列挙してみると、なんだかボサノヴァに近いように感じてしまいます。うーん、実は一部のボサノヴァはかなりLo-Fi HipHopの美学に近いのではないか?と思っています。少なくとも、後述するLo-Fi HipHopフィルター、ないしLo-Fi HipHop的音楽美学でボサノヴァを聞いてしまってみると……

 

Lo-Fi HipHopを自分がどう楽しんでいるかを正確に書くと、わたくしは「チルい音像に浸る」ということを求めている節があります。
冒頭で書いた、シリアスな音と世界観に対峙するような聞き方でなく、生活そのものと近しいところで、音に緩やかに包み込まれる。

www.youtube.com

エレクトロニ子さんが頻繁に夜中upされているトラックはよく聞きますね。

 

●中年オタク問題

さて、これはどこまで自分が「中年になった(オタクとして劣化した)」証左か? ーーと、自分自身を煽ってみます。シリアスに音楽に真剣になっていた自分はどこに行った?みたいに。

でもその問いに対しては、「正直どうでもいい」とスルっと返してしまう自分がいます。なぜなら、シリアス世界観の音に対峙するのを止めたわけではない。まぁ確かにシリアスに対峙する回数は減ったかもしれません。ストップ、まだデタミネーション(決断)は拙速だ。
しかし、レコード(CD、カセット)やMIX音源を聞く回数は、Lo-Fi HipHopやSynthwaveやチップチューンにハマって以来、ますます増えていっているのです。結局、一日何時間も音楽を聞いている。
むしろ、Lo-Fi HipHopあたりのチルい音を取り入れることによって、音楽をずーっと聞くにあたって、うまいサイクル、ルーティーンが出来ているとすら言えるのです。Lo-Fi HipHopでうまく自分の機嫌や調子を整えつつ、シリアス世界観の音にもしっかり対峙し、しかもシリアス世界観の盤の中のタルいチューンをLo-Fi HipHopとして聞いてしまってみる、というねw

Lo-Fi HipHopの楽しみ方(美学)を一度「よし」としてしまったら最後、これまで良さを見逃してきた様々な曲が、違った輝き方をしてきます。それは例えば、ロックのアルバムの中のタルい曲。

例をあげるのもなんですが、Red Hot Chili Peppersの「By the way」の後半って正直ダルくない?という意見が、前に聞いたことがありました。正直音楽雑誌にまで書かれていた。自分もぶっちゃけた話このアルバム、#6のゼファーソングと#7のキャントストップあたりまでと思っていました。
ところが最近、この後半部がやたら面白い。激烈にリフで刺さってくるようなロックではないものの、チルい、とまで言ったら言い過ぎですが、なんとも味わいがあるように聞こえてくる。そういう耳でさらに最近のレッチリを聞くと、ジョシュ・クリングホッファー在籍時の「The Getaway」を聞くとまぁ染みる染みる。爆裂ファンク・ロックチューンを求めている「いわゆるレッチリ」ファンからしたら肩透かしも良いとこだろうと思っていたこの盤ですが、一度「音に浸る」ことを良しとしたら、まぁ実に良い。

こんな風にメインストリームのロックですらこうなのですから、エレクトロニカとか古いR&Bとかヒップホップとかもうdig(レコード発掘漁り)の宝庫。ましてジャズなんてすごいですよ。もともとジェリー・マリガンの「Night Lights」(ブルックマイヤーとジム・ホールが入ったやつ)なんて、「良い感じ……落ち着くなぁ……」と以前から愛聴はしていました。しかしさらに「都会派チルの聖典」としてチル・フィルターを通して聞くと、これが凄いんだ……何もかもこの盤にハズれってものがないんだ……。こうなったら従来、「趣味は良いが地味」と言われてきたビル・クロウ(ジャズ物書きとしても有名)のベース・プレイの再評価ともなってきます(自分内)

www.youtube.com

 

●退屈


Herb Ellis & Remo Palmier – Windflower (1978)

ハーブ・エリスのリーダー作をこういう形で聞き返してハマることになろうとはこの残響の目を持ってしても……っていうかわたくしの若かりし頃には想像もつかなかった……?
さて、どうだろう。自分の若い頃は「今はこういう風に轟音ギターロックや上海アリス幻樂団ばかり聞いてるけど、将来はゆったりしたフォークの良さがわかったりするようになるんだろうか……」と思いながら、(うーんローリング・ストーンズはタルい……)っていう風にしていたリスナーでした。フォークに関しては正直まだ、どうなるかわかりません。「タルいチル音に浸るため、ますますdigを頑張るようになる」っていう、チルくタルくなるんだか、頑張ってるんだかなんだかよくわからん状況になっています。どっちなんだ。しかし今、ますますレコード(CD、とくにカセット)のdig(レコード屋発掘漁り)が楽しくなっています。

その「ますますdigが楽しくなっている」という一点にフォーカスを当てれば、なんだか全然退屈していないんですよね。中年とかオタク劣化とかそういうのが全然頭にのぼっていない。若作りもしていないし、成熟たる老年であろうとしているわけでもない。ただ、タルい音でチルく浸るのを求めている。

そういうのを求めるようになるということが、即ち老化、劣化、退化、オタとしての敗北なんだよ、と言われたら、確かにそうかもしれない。しかしそのことを論議するより前に、今の自分はチルい音源のdigに忙しすぎて、オタ中年問題に関わっている暇がない。

ただ多分、オタ中年問題に一番フォーカスを当てるべきところは、最新のコンテンツについていけてるか否か、でもなく、オタ活アクティヴィティの熱量の高低でもなく。ハングリーヤングデイズvs楽したいブルジョワ中年の対立でもなく……もしかしたら「過去の自分への裏切り」問題ですらないのかもしれません。フォーカスすべきは「退屈しているかどうか」の一点だけなのかもしれません。今、退屈していますか? さて、どうしてみましょうか……っていう。

しかしLo-Fi HipHopフィルターという存在、これは妙に面白い。

  • 音はタルくて良し。ギターノイズは必須でない(あるわけがない)
  • リズムはオフビートが望ましい
  • ちょっとした郷愁、哀愁を感ずるメロ(でも哀愁演歌メロディアス歌い上げじゃなく)
  • 生活音の面白さ

っていうLo-Fi HipHopフィルターでいろんな音楽……過去に聞いてきた音楽、今聞いている音楽、そして生活音そのものを考えてみると、音楽、そして「日常」の見え方・聞こえ方が変わってくる。
この「これまで見過ごしてきたものが変容する」というのは、音楽ファンとして最大級の喜びだったりします。中年期を迎え、Lo-Fi HipHopを通して、その「変容」がもたらされたことが、自分にとっては最大級に良い。オタ中年問題よりも面白い、というのは、そういうことだったりします。

ところで、自分が作曲で活動している同人サークル・8TR戦線行進曲ですが、2/20の「ミュートピア Vol.03」と、2021春M3に、両方、webイベント参加をします。
サークルカットはこのように。

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サークルカット

mutopia.hagall.info

www.m3net.jp



ここで非常に恰好良いことを言うんですが、最近、Lo-Fi HipHopジャンルな曲を自作するようになったんですね。こんな感じです。

soundcloud.com

自分で作っていて、なかなか良い感じじゃないかと思うんです。上記の意味でタルくチルい音に浸っていられる。周囲の反応も「優しげでなかなか」という評価を頂きました。ありがたい限りです。
しかも最近、さらに生活環境音を合わせるために、料理している時のトントン音(包丁)、ぐつぐつ音(鍋)を録音するようになりましたからね……(苦笑

 

まぁそんな感じです。最近のみなさまの音の感じはどうですか?

 

●関係があったり、意識したりした参考記事

最近わたしの音の暮らしはこう - 残響の足りない部屋

ジャンル時流に乗るのを切っちまうのと、これまで伸びまくったジャンル世界樹が今ますます爆発する34歳の話 - 残響の足りない部屋

またいい未来で会いましょう。THE NOVEMBERS 配信ライブ 「At The Beginning」の感想を書いてみる。 - Nothing is difficult to those who have the will

オタク中年化問題 in 2021 - シロクマの屑籠

カセットテープが大好きです

ガールズ&パンツァー最終章・第3話のムビチケ特典が、カセットテープだそうですね。なるほどです。それから、ネットニュースで、カセットテープが取り上げられているそうです。

それはともかくとして、この数年間わたくしにとって、一番熱い音楽メディアは、まぎれもなくカセットテープでした。それも現在進行形……!

今日も新しいラジカセ(ラジオカセットレコーダー)と、空の10分テープを8本ほど購入しました。昨日は昨日で、通販でインディーポップバンドの新作カセットテープを4本購入しております。

 

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新ラジカセと空テープと新譜

なんでそんなにカセットテープが好きなのか?

まず何よりカセットテープという「モノの形が可愛らしい」というのがありますね。カセットテープはカセットテープの形として、完成しております。磁気テープを守るプラスティックの御姿。ラジカセに「ガシャッ」と入れたらくるくる回るテープ。カセットを購入したり、オリジナルテープを作成したり(後述)して、テープを自分のものとして、直に触る。撫でる。ちょっと匂いをかぐ。そして触る。磁気テープがたるんでいたら鉛筆入れてちょっと直す(クルクル)。「モノ」として扱っていて楽しい。

この点、こう言ってしまっては何ですが、レコード盤よりももっと雑に扱えるところが、モノとしての「可愛さ」に拍車が掛かっている、とみなすのがカセットマニアでございます。どうしようもないな。この「可愛さ」というのは、「おもちゃっぽい」とほぼ同じ意味です。そして、この文章の筆者は、「おもちゃっぽい」モノの形を、とにかく愛好しています。でなきゃ何度も模型やおもちゃの話をこのブログでするものですか。

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ミュージックテープその1

次に、「カセットの音」が好き、というのがあります。音楽メディア(媒体)である以上、音質の良し悪しの話は避けられないものであります。一般的に、カセットの音は悪い……というのが言われています。

しかし、わたくしが「求めている音の形」というのは、カセットテープの音なのです。

カセットの音は、ハイファイではございません。音圧も薄い。基本、モノラルで再生されるため、ステレオという観点から見たら、レコードやCDに劣ります。

ですが、カセットの音というのは、上記の欠点がそのまま良点に変わるのですね(マニアには)。モノラルで中域がぐーっと押し出されて、まっすぐに、半径1メートルで届く(完結する)親密な音、とわたくしは良点をとらえております。

それから、カセット特有のノイズ、と言う向き(批判)もあるんですが、これってほとんど、ユーザがラジカセ内蔵マイクで録音した音のことを言ってるんだと思います。実際にカセットで新譜を買って聞いてみれば、ぱっと流して聞いて、イライラするノイズって基本ありませんよ。いや、もちろんユーザが録音したカセットに乗るノイズっていうものも、マニア視点からみたらまた乙なものでして……(どうしようもない)

もとからわたくしは、ハイファイを志向するオーディオマニアではないのです。むしろ、「カセットの音」の半径1メートルの親密さ、というのを求めているのです。窓辺の机に座って、正面にラジカセを置いて、そこから流れてくる音。どこぞの世界から、未知の音楽が流れてくる。それを求めている。今も。

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ミュージックテープその2

令和時代の、今のカセットを取り巻く状況ですが、新譜カセットに「MP3デジタルデータ音源のダウンロードコード」が付くのが、当たり前になりましたね。ユーザがMP3プレイヤやスマホに音源を入れる際、ユーザにアナログ→デジタルのリッピングを求めるようなハードコアは、時代とマッチしていないだろう……という認識のようです。ミュージシャンやレーベル側も。

それから、カセットテープの美点として、「自分で作れる(DIY」というのがあります。なんてったって、録音メディアなのですから。

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メインで使っているラジカセ(白)とSANSUIのMP3ラジカセ(青)

例えば、SANSUIのこのラジカセなのですが(上記写真の左の青いの)、これは、USBメモリやSDカードに入っているMP3音源を、再生はもちろんのこと、カセットテープに録音も出来る、得難い代物なのです。

この逆はよくあるんですけどね。カセットテープの音源(アナログ)をMP3音源(デジタルデータ)にする、というコンバータ付ラジカセ。でも、SANSUIのこの機種のように、「わざわざMP3データを使ってカセットテープを作る」というのは少ない。もちろん、外部ライン入力が付いている高級カセットデッキがあれば済む話なんですけどね。TEACがこのご時世、ほぼ単独で出していますし。いずれ買います(決意)。

それはともかく、自前でMP3音源を用意すれば、あくまで私的にですが(売ってはだめよ)、これまでCDや配信音源でしかなかったアルバム作品を、私的にカセット化して、私的に楽しむことが出来るのです。カセット化して何をするのかって?聞いて、カセットを愛でるんですよ……!(当然すぎる)

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携帯カセットプレーヤと自作or自宅に埋没していた私的カセット

自宅から、もう誰も聞かなくなった想い出のカセットを発掘する楽しみもあります。さすが磁気テープ、傷がついていなければ、音が「持って」います(ダメなものもありました)

ラジカセから流れてくる「当時の音」や、過去の自分が演奏・歌唱していた音が流れてくる。無性にタイムスリップ。時間の流れ方がぐにゃっと歪んで素敵な午後の時間を過ごすことが出来ます。ときたま「ああ、こういう音楽もあったなぁ……」と思い、「じゃあ今はどうなってるんだろう」と、youtubeで調べてみるのも一興です。アナログとデジタルは、もはや敵とばかりは言えませぬ。双方の良いところを使っていきましょう。何よりすべきは、「音楽を聞く事」ですから。

 

令和3年(2021年)の今、カセットテープで新譜を出すミュージシャンが、すこ~しは存在しています。主にインディーポップ、エレクトロニカ、Vaporwaveの領域です。あるいはアナログ世代のベテランミュージシャンが出したりしています。

とりわけわたくしは、インディーポップ/カセットテープレーベルのGalaxy Trainを贔屓にしております。自分がカセットにこれだけハマったのも、Galaxy Trainの作品群を買いあさるのと、2019年の穏やかな光さす小春日和、東京・中目黒のアナログ/カセットテープ専門店・Waltzでカセットテープを買いあさったからです。

galaxy train (@GalaxyTrainTape) | Twitter

waltz | カセットテープ & レコード from 中目黒

自分なんぞ、先達のカセットマニアからしたらまだまだ新参です。ですがそれ以上に、カセットに対する申し訳なさが一抹ございますというか……これまで、家の片隅でホコリをかぶらせていた、申し訳なさがあります。すまない。すまない……。モノの価値がわかっていなかった無知なわたくしでありました。その分、これから可愛がっていきたいと思います。

出来るものなら、ラジカセのヘッドの調整など、ラジカセにトラブルがあった時でも、手前で対処できるようになっていたい、と考えています。

路上観察入門の日々(コロナ禍において)

●コロナ禍に対して言いたいことはなかったのですか?

この1年、当ブログではほぼコロナ禍について語ってこなかったことを、ひそかに「よっしゃ(ガッツポーズ)」と誇りに思っております。なにせ創作以外で自分がネット発言している場所は、当ブログしかございませんから。
多少の例外としては熊代亨『健康的で清潔で、道徳的な社会の不自由さについて』感想文1~3で、コロナ禍で変異した社会を前提にして書いたところはありますが、それくらいかなぁ。

熊代亨『健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて』一読目の感想 - 残響の足りない部屋

『健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて』感想その2 - 残響の足りない部屋

清潔を巡る問答ーー熊代亨『健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて』感想その3 - 残響の足りない部屋

なぜコロナ禍を話題に出さなかったかというと、ノンシャランな趣味人としての自分を保っておきたかったから……というのが非常に大きい。
それと、「より一層の清潔」を志向する社会を見ながらの、過去の強迫性障害の自分を思い起こしてしまう論調だと、ブログを読んでいて実にしんどいから……というのもございます。

わたくしはバカをやっていたかったんですねー。コロナ禍の社会であっても。コロナを「語らない」ってことが、自分なりの政治的態度でした。この社会状況において、社会を語ることは、否応なく「社会にコミットしていく」のと同義だと、わたしは思っていました。
そうじゃない。自分自身はもっと、社会と距離を置きたいのです。最低限の食糧、水、電気、ガス等のインフラを共有使用出来て(原義の「共有」。シェアってテン年代現代語が嫌いです)、図書館と病院に行けたら、後は文句はない。もちろんそれこそが「社会にコミットしていく」ことの表れですが、「積極的に社会にコミット」したくはなかった。生活費を稼いで、あまり会話をせずに、ひたすら自分の趣味をしていればよい。何度もこのブログで書いていた「非=社会的」になりたい、というのはそういうことです。
社会のインフラを維持するということの為になら努力は出来ます。むしろそっちは率先して行いたい。でも社会(絆っ!)ってやつを自分のこころに内面化はしたくない。


さて、その趣味とは何か、というと、これまで通り創作活動であったり、読書や音楽鑑賞、模型工作というのは変わらないのですが、この2,3年で自分には「路上観察」という趣味が増えました。

路上観察考現学

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海辺の道路

今、いろんな面白い本はあります。しかし、そんな面白い本の数々に比肩するくらい、路上が熱い!(自分の中だけで)


例えば、道路。そう、皆さんが日がな外出するときに歩いているアスファルトの道路。この情報量の多さといったら凄い。電柱と電線が区切る空の青さが面白い。道路に記されている白い太文字の注意が面白い。アスファルト自体の経年劣化が面白い。そんな道路を割る形で草なんか生えていたらそのコントラストがめちゃくちゃ面白い。草……そう、草。雑草。花、樹木。有機物の生え方も実に面白い。

そして、ただ路上を観察するだけでも楽しいですが、「路上をスケッチする」絵画表現を前提として観察すると、楽しみはさらに増す……構図や色彩、草の形や分類を細かに見ることの出来る「目」が生まれるので、倍率ドン、さらに倍!的に面白い!
車も面白い。タイヤのホイール、ボディの流線、排気ガスに震えるマフラー。
標識なんて、路上の宝であります。ぽつんと立っている「とまれ」の標識、制限速度の標識。ピクトグラムそのものといえる標識。その切なさを見ていると絶頂すら覚える。

 

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山林キャンプ地での石段

それは例えば赤ん坊が、この世をはじめて見て、やたらと好奇心を爆発させるのに似ているんでしょう、この路上観察という趣味は。
もっと言えば、どうして自分はこういう情報量の多さを、これまで「当たり前」の名のもとに、これまで見過ごしてきたんだろう……という。

じゃあこれまでの人生は無価値だったのか?余計な情報をインストールしまくりでしかなかったのか?
違う。わたくしのこの30余年は、今のこの路上観察の楽しさに至るためにあったのだ、と思う方が楽しい。人文学の知見、漫画・絵画の構図。音楽の「神は細部に宿る」エモーション。全てが紐づいている。大樹が地に根付き、空へ延びるかのように。

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山林キャンプ地2

どの人間も、路上には当然飽きます。だって毎日歩くような道ですもの。飽きないほうがおかしい。
ところが自分は、改めて、じーっと眺めてみることに楽しみを見出してしまった。panpanya先生の漫画の影響ですし、いわゆる「VOWタモリ倶楽部」的な物の観方が自分の中にもともとあったとも言えます。これは、たまたま自分の視点・観点が、ズレただけの話なのかもしれません。
しかし、新しい視点・観点がひとつあれば、路上が輝いて見える。本をちょっとは読んできた自分が、「本と同じくらい面白い」と路上を思えているだけの熱が、ここにある、ここに居る、という。
おそらく、視点・観点をズラしてみることこそが重要なのです。固着化してしまったこれまでの視点から。
そしてそれは、「それまで」の人生が無価値だったわけではない。むしろ「それまで」の知見に新しい意味が見出せる。押し入れに眠っていたガラクタが一気に宝の可能性に変わった瞬間です。少なくとも自分の音楽趣味に「Vaporwave」が入った時から、リアルに押し入れに入れてたビデオテープ(VHS)が宝の山になりましたよ(笑

なんってったって路上は無数にある。自分の住む町にも何本、何十本も道路があるのに、隣町、市、県、国、隣国、大陸、世界……と考えていくと、もはや無限である。人間が扱える数ではない。
それでも人間は記録する。記録し、遠くの世界にある情報を、どっかの同好の士に向けて書き綴る。それはとても意義のあることと思える。

www.youtube.com

コロナ禍において、ステイホームが言われるようになった都会では、路上観察者はいかがお過ごしでしょうか。
自分が住んでいる山奥の村では、ステイホームも何もあったもんじゃない、ナチュラルボーン・ソーシャルディスタンス=過疎村なので、雪が積もって路面が凍結していない限り、ちんたら冬の路上を観察することが出来ます(今年、シマーネ農業王国は大寒波の猛吹雪なのです)。
人間万事塞翁が馬と申しますが、これまでこの村を呪ってきた自分でも、この状況を「結果的に」利用出来ているのは、否定できない。
正直まだ、ぐちゅぐちゅにぬかるんだ雪解け泥の路上に美を見出すまでには修行不足なわたくしですが、いずれはそれも楽しめるようになれば幸いと思える。
まぁ正直、前述したようにpanpanya先生の漫画の受け売りから始まったこの路上観察考現学ですが、それでも日々を楽しめているのは嘘じゃない。
とはいえ、それを他人に認めてもらいたいとか、他人にも楽しんでもらいたい、とかは考えません。ただ自分が自己満足で楽しんでいるだけです。でもその楽しみを、未来の自分につなげていきたいと考えています。
このコロナ禍の社会状況で、なかなか難しいのは「自分を機嫌よくさせること」かと思います。なかなかの無理ゲーになってきました。己の精神衛生を健やかにするってことは。つい社会を論じたくなります。社会問題に義憤でもっていっちょ噛みしたくなります。
そんなときの自分自身は、やはり路上を観察すべき時なのでしょう。人間の欲徳とかとは、ちょっとズレたところにある路上のアスファルトや雑草を。

 

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カラスさんのお返事へのお返事。それとサークル P:P「私はお兄ちゃんと付き合いたい。」感想

この記事は、「カラスっぽいブログ」管理人・カラスさんのブログで、残響が長文コメント連投をした時、カラスさんが非常に丁寧なご返答をしてくださった事に端を発しております。

残響さんのコメントに対する返事 : カラスっぽいブログ

残響さんのコメントに対する返事 その2 : カラスっぽいブログ

上記「返事 その2」は、半年前に頂いたお返事記事です。
その後、残響はカラスさんのお言葉を半年考えていたので、ご返信が半年遅れてしまった失礼をしている、というお話です。

 

こんにちは。その後お返事を失礼しておりました。残響です。
さすがにカラスさんのブログで、長文連打で手間をとらせすぎるのもどうか、と二の足を踏んでしまいました……というのが、「技術的な」理由です。twitterがあれば済んだ話でありますが。
なので、こうして自分のブログで、勝手ながらお返事を書かせていただくことにしました。どうぞご勘如ください。

改めまして、丁寧に回答記事を書いてくださって、有難うございます。ボーナストラック……感想文にカラスさんが行ってくださった「作者、自作を語る」。わたくしのこの欲に、最大限応えてくださり、幸福でした。

カラスさんのMOONSTONE作品への熱は、感想文をいくつも通読していて、何度も感じ入ることがありました。
何処へ行くの、あの日」感想が転機、というお話……改めてレビューを読んで、わたくし「濃密な暗がり」を感じたというか、そんな幻視をします。
何といいますか、成る程、と思わされました。

 

残響の文章も読んでいただいて、ありがとうございます。
ご返信が遅くなったもう一つの理由として、この半年ばかり、「私小説」っぽい、というご評価を、自分の中で反復しずーっと考えていた、ということがあります。

確かに仰るように、わたくしは感想文で、自分自身の私的な事をやたらと語っております。
しかし実は、その頻度にあまり自覚をしていなかったのです。そして指摘くださって、「確かにそうだ」と納得できました。

私小説を自覚的に書いていなかった……だのに、やたら私小説している。

 

わたくしは長く、「自分を離れたい(無化したい)」というポイントから、百合作品を愛好していました。これはヘテロ(男女)カプの恋愛ものでも、そうです。カプを「観測する」スタイルでずっとやって来ました。自分を消す。それが自分にとってあまりに自然なのです。
それなのに、やたらと残響は、自分の私小説を書いている。
この矛盾は、一体何なのか、と。

年をあけて、その矛盾や、自分の文章に対する苦しみが解けてきたので、ここでやっと返答が返せそうです……というのが、お返事が遅くなった「感情的な」理由です。


わたくしには、「文章というものは、他者を納得させる表現形式である」という定義の思い込みがずっとありました。文章とはメッセージであり、メッセージとは「納得させる」表現である、と。だから根拠や論理が必要となり、そして自分は、根拠や論理で、がんじがらめになってしまった。

じゃあなんでそれで私小説をやっているんだ?っていうところですが、これが自覚のない所以なんですなぁ……w あとは、自分を誰かに理解してほしかったのでしょう。きっと。 


さて、でも。私小説をぶつことで「納得させなければならない」というのも、またひとつのイデオロギーであるのではないか? と思うようになりました。
いや、少なくとも、他人相手に、その態度は傲慢も甚だしいことだろう、というのは明らかです。そうやって、去年下半期、ずっと考えていました。

令和3年……そして、やっと、自分は「主観で文章を書くことを楽しむ」っていう、文章書きの原初のところに立ち戻った感が、今しています。

いいじゃん、「主観で文章を書く。それで自分の機嫌をとる」
そういうことがナントカ出来て、良い人生を送れれば……「それで良い」。僥倖である。


そういう文章書きに、ただ今、ようやく少し近づけた気がしています。
期せずして、カラスさんの歩んだ道筋を、別の所で自分も歩んだみたいです。
カラスさんの文章は、そういう意味でも、自分に影響を及ぼしました。ありがとうございました。

 

そういうことで、自分は主観で感想を書いてみます。以下の文章がその例です。

 

妹同人誌感想文

www.dlsite.com

カラスさんのついったーから、DLsite同人作品のカラスさんの感想文を読ませて頂きました。


おりょう氏のサークル「P:P」のオリジナル作品は、わたくしもかなり読んでおります。なのでカラスさんのレビューが嬉しいです。
個人的には「JKちゃんと元カレくん」を、「あー男も女も頭の出来が低レベル故の、チャラい肉欲が実に良ぅございますね」という感じで愛好しておりますが(もうコンプライアンスなんか窓から投げ捨ててしまう)、この妹ちゃんのシリーズも、仰るように良いものです。続きが欲しいです。

この妹ちゃんシリーズ、線の細い小柄少女のいろんな姿が見られるのが良いです。カラスさんに同意です。
前作の妹ちゃんのふわふわフリース生地の部屋着が、少女の線の細さ柔らかさを表し「抱きしめたらきもっちえぇんだろうなぁ」というエロス体感を期待させます。
本作の夏服の少しキャミっぽい白ワンピースの服飾デザイン良いですね。強引にズラしたらスルスルっと脱げ落ちてしまうような夏服エロスです。履きなれてなさそうな少女繊細サンダルのちょっとした靴ズレの跡をペロリと舐めてもバチは当たらないのではないでしょうか。
かてて加えて、そこに少女の汗ですよ。薄い生地に情欲の雄と雌の体液も混ざる。性行為が進むにつれ、白ワンピにレイヤードで着せている黒キャミソールにさらに汗、体液、フェラの咥え込み&上目遣い&自ら致し、とエロスが重なっていきます。おりょう氏のこの重ねエロスに「手を抜かない」態度は実に良いと思います。

残響には「しみったれた四畳半での汚ったねぇイチャラブせっくす」が、「め、眼を離せないッ……」的になぜか好き、と言うどうしようもねェ性癖がございます。豊かな未来があんまりないような状況で、しっぽりと男女が汚れた部屋で明日から目をそらすイチャコラせっくすが、どうにも見ていて暗い情欲を覚えます。部屋の汚さに何かを感じてしまいます。男女の情欲の体液に何かを感じてしまいます。

本来ならこれは、自分は「イヤだなーイヤだなー」と目をそらしたいものなのです。だのに、どうしてか見てしまう。これを以前ひとに言ったら、「どうしてアンタはフロイトの性理論を地でいく典型例なんだ!」と突っ込まれたことを覚えています。

普通に良きイチャラブでは終わらない、おりょう氏の湿り気のエロス。その癖やっぱりおりょう氏なので、美少女の美しさはポップでよろしい。このあたりの重ね度合いも、またよろしいと思っているわたくしであります。

そういう文脈から、カラスさんも感想文を書かれていらっしゃる、サークル「Reverse Noise」の東方同人誌にも言及されたかったですが、さすがに長いので今日はここにて。

---ていうかこの文章、ただの残響の性癖展覧会に途中からなってはいませんか。急にカラスさんに対して申し訳なくなってきましたが、何か伝わるものがあれば幸いでございます。主観的な文章で良いのだッ、とはしていても、それくらいの希望はちょこっと持っておきたいところでありました。

2020年に良く聞いていた音楽

音楽ブロガーの皆さんが2021年になり、少しずつ去年2020年のベスト音楽記事を投稿していらっしゃいます。
例年までの自分は、

「毎日無軌道に古今東西のいろんな音楽を聞いているから、去年の新作ベスト音源を決めようにも、【今年出た新作】という縛りだと、すごい貧相なベスト選出になってしまいそう……」

という理由で、一年のベスト音源記事というのを書いてきませんでした。自分にとってその縛りは結構キツかったのです。

で、いつも読んでいる音楽ブログ「ヨーグルトーン」や「Nothing is difficult to those who have the will」を拝見して、

2020年に聴いてよかった作品 - ヨーグルトーン

 

遅ればせながら、2020年(に聴いた)アルバムベスト10を発表してみる。 - Nothing is difficult to those who have the will

「そうか、発売年度を考慮せず、とにかく【自分が去年よく聞いていた】という縛りでもいいのですねッ師父!」

という悟りを得て、1年分のyoutube試聴履歴を眺め参考にしながら(便利な世の中ですね)、以下をのんびり書いてみる所存です。

ヨルシカ


ヨルシカ - ただ君に晴れ (MUSIC VIDEO)

今年一番の収穫はヨルシカでした。
自分もそろそろ、流行りの新しい音楽についていけなくなってきたのかなー、と、うっすら秋風にたなびく焼き芋焚き火の煙のようにふわ~っとそんな疑念がわいてきたもんですが、いやーよかった。

物語音楽なコンセプト作品を毎回のアルバムで行う気骨。

幼年期の終わり」&「夏風」みたいなセンチメンタル詩。

線の細いギターロックやピアノインストや穏やかなポップスの音楽性を融合させた世界。

よかった!

消費社会に対して「幼年期の純粋さを裏切ってなるものか」って反骨心をすごい感じさせるアーティスト活動をしてるのですが、わたくしそれに「そうだ!」と思いつつも、ときたま「それも戦略なんだろうけど、そこまで消費社会を意識しなくてもいいんじゃない?」と作曲者にしてブレーン、n-buna氏に対しては思うこともあります。でもそれは、こう言ってしまうのもなんですが、あと12~13年くらいしたら自然とそっちにシフトしていくだろうな、って気もしています。ずっとヨルシカは聞いていきたい。

ACIDMAN「赤橙」


ACIDMAN - 赤橙

最近とにかくこればっかりを聞いています。おーい今は2021年だぞ、っていう遠吠えに耳を塞いで……。
久米正雄だったかな、「いつだってチェーホフは昨日の作家だ」って言ったのは。この曲もいつだって「過ぎ去ったあの日」であるとか「異国での追憶」であるとか、そんなセンチメンタリズムを感じてしまう。これまでACIDMANを聞きこんでいるわけではなく、ファンというにはあまりに聞き込み度が足りなくて、ディスコグラフィを時系列に聞きこんでいません、恥ずかしながら……。でもこの曲が好きだ。

bloodthirsty butchers「デストロイヤー」


bloodthirsty butchers / デストロイヤー Music Video (監督:川口潤)

上記の流れから。アナタそんな曲ばっかり好きねぇ。うるせぇこれがオルタナなんだろうが。

toddle


toddle 2018.06.22下北沢CLUB Que

ナンバーガール再結成ということもあったけど、去年はしばしばtoddleを聞きました。つまり田渕ひさ子という「シンガーソングライター」の可能性、というか。

轟音鬼ソロ&哀愁アルペジオというナンバガ音だけでなく、この「永遠のギターバンド少女」の可愛らしい歌声であるとか。

どことなくUSオルタナ的な「遠い空にスコーンと抜けて飛んでいっちゃえ」感のスカスカさというか。

そういう意味では、ギチギチに詰め込んだ音楽(音圧)のまるっきり逆のもの、っていうのを去年は求めていたような気がします。

windows96


wind96 - Plume Valley

ギチギチ音圧の逆、っていう流れで、そこでvaporwaveかよ、っていうツッコミをした貴方は実に正しい。ていうか去年、vaporwaveやsynthwaveやchiptuneやLo-Fi HipHopのmix垂れ流し音源を聞きすぎた……本当聞きまくった……。
この胡散臭い懐かしさというか、もう絶対これが復活することはない日々を安全圏から眺めるというか。

Chiptuneのmix音源


Random chiptune mix 46

これも実によく聞いた。電子音とリフと妙な哀感のメロディと、ドット絵と。これをひたすらかけ流していると、とても癒される自分がいます。音が音だけに、ギチギチに音圧が詰め込まれることがあり得ない音楽だけに。

スピッツ「見っけ」(アルバム全曲)


スピッツ / ありがとさん

2019年の秋に出たこのアルバムを聞きこむのに、結局1年かかってしまった。「時代に追いつこう」なんてことを考えていない音。そう書くと後ろ向きなベテランのマンネリアルバム?って言われそうだけど、どんなもんだい、前作「醒めない」の幻想作風とはまた違った作風の幻想(ファンタジー)がここにあります。
例えばthe WhoのBaba O'rileyかよ無法の世界かよ、ってなサウンドアレンジのオマージュだったりは古いロック好きとして「やはりスピッツはロック大陸や!」とうれしくなります。また、「快速」のイントロでCzecho No Republicのタカハシマイ(vo&ba)によるエフェクトかかったコーラスが入り、一気に幻想アクセル踏み込みまくってバンドサウンドが疾走するところなんか「世界がスピッツに変わるわぁ!」ですし。「醒めない」とは別の幻想がここにある、っていうのがミソですね。どちらが良い、ではなく、どちらの幻想にも別の光と色がしっかり輝いているっていう。

John Frusciante/trickfinger


John Frusciante - Brand E

(トリックフィンガーはフルシアンテのテクノ音楽の名義です)
ご存じレッチリRed hot chili peppers)のギタリストですが、もうそういう文脈ではないのですよ、この人のソロ作は。何しろ当人の意識としてはギターなんかよりもシンセサイザーとドラムマシンの可能性をこの10年掘り続けてきたのだから。レッチリ在籍時のジョンの歌心が生かされている云々、みたいな批評はこの音の前にはほとんど無力化するでしょう。
ようするにいわゆる「テクノ」というか、ジャングル、ブレイクビーツドラムンベースといった音楽です。EDMの方向ではなく、完全にIDM(Intelligent dance music)の方向性。
とにかくこの緻密な音が良い。「音そのもの」の連打を楽しんでいる。ひとつの空間に音を響かせること(結構ずーっと聞いていられるのですよこのフルシアンテのリバーブ感覚)。フルシアンテは、自身のミキシングエンジニアリングの腕を深化させることに充実感を見出している。なんてったって、チャド・スミス(レッチリのドラマー)と今になってすごいコミュニケーションが取れてるって話してて。「ドラムマシンをいじることで、ドラマーと【ドラム】についての会話が出来るようになった」って言ってるくらいですから。

ザ・リーサルウェポンズ「半額タイムセール」


ザ・リーサルウェポンズ "半額タイムセール" Live at 東京キネマ倶楽部 2020.11.6

祝メジャーデビュー。めでたい。しかしこのコロナご時世で、彼らの最大の持ち味である「コール&レスポンスのライヴ」の熱狂が封じられてしまったのは痛い。痛すぎる。上記ライヴも非常に気をつかっています……。ああ、「ステージに30人くらいカモンプリーズ」なラストに一発きみマザするのはいつの日か。
ところで、このユニットもまた、vaporwaveやsynthwaveといった80'sに出自を持つカルチャーと、同期しているというか共振しているというか、根はかなり同じだと思います。だから自分も興味を持っています。
その一方でここまでのリフを作り上げるのもまた凄い。ほとんどリフ一発じゃないか、っていう音楽ですが、良いじゃないですか。シンプルに殴るのもまた音楽の魅力です。

平沢進P-model、核P-model、ソロ作)


【平沢進】白虎野の娘・Full(歌詞付き)PV

彼の世界は、今年から、これからもっともっと探求していかねばならない、と思っています。他にこんな音世界を演っている人はいない。むしろ知るのが遅かった。自分は。

人間椅子 EUツアー(ドイツ、イギリス)


【EU TOUR 2020】NINGEN ISU/ Heartless Scat (The Underworld Camden)

涙なしには見られない。これが苦難を乗り越えたバンド生活30年の重みです。
しかし、和嶋(ワジー、vo&Gt)がyoutuberデビューしたというのは計算外でした。それでまた、このyoutube動画をまたわたくしも楽しみに見ているんですよ。キャンプはもちろんのこと、バイク動画も……。そりゃあ人間椅子のファンですが、それにしたってこの趣味動画をここまで見ていると、人間椅子だからどうこう、というよりも、やっぱりワジーという人間に自分は本当に惚れているんだろうな、と。みなさん、和嶋の自伝「屈折くん」は買いましょう。ええ読みましょう。なにげにわたくしがこの10年で読んだ本の中でベスト3には確実に入る本です。


【ソロキャンプ】 山羊との遭遇!もうすぐ春…(4/4)【最終回】/バンドマンの日常

RAINING in NAGOYA

www.youtube.com

※(全角文字はこの場合表記として正しいのです)

こういうLo-Fi HipHopを夜中ずーっと垂れ流して作業したり、ぼんやりしていると、非常に落ち着くのですよ。
音楽的発展性や新機軸ってものは何もない音ですが、とにかく聞いていると心地がよい。この音楽ジャンルには意味性がない。むしろそういう意味性ってものは、実際に自分がこの音に浸りながら作っていくものなのかもしれない、って思うフシもあります。そういう意味では、ひそやかに自分自身のイマジネーションを刺激される音かもしれません。普通、音楽作品では「作曲者のイマジネーションに圧倒される」ことを望んできた自分でした。ですが、こういう音の聞き方もあっても良いでしょう。

 

●これから、というか次回

こんな音楽を聞いてきました その1:アメリカ大陸、ヨーロッパ大陸(世界音楽履歴書2020年現在) - 残響の足りない部屋

「こんな音楽を聞いてきました」シリーズ第2回(後半部)をそろそろ書かなくちゃなーと思っています。