残響の足りない部屋

もっと多く!かつ細やかに!世界にジョークを見出すのだ

ギターを10年間弾きながら

先日から、電気ギターの音が出なくなった。ボリュームノブを回した時違和感があり、とりまジャックやピックアップガードを外してみたら、内部配線が腐っていた。配線はジャングルのようにこんがらがっていて、かろうじて繋がっているリード線はソーメンのように頼りない。部品にはところどころ腐食、錆、焦げが見える。

このエレクトリック・ギターは、数年前に中古で購入した電気ギターであって、このギターでここ数作の同人音楽アルバムを制作してきた。今後ともよろしく付き合っていきたい愛器でありますから、物凄い久しぶりに電気工作で修理をすることにした。

とりあえず腐ったハンダを除去すればどうにかなるか、と思ってはいた。ところがソーメンのようなリード線が、翌日の夕食に出た延びきったソーメンのように、簡単にちぎれてしまうではないですか。そしてジャック部品は腐食で錆び腐っている。ボリュームポッドやピックアップをきちんと確認したら、Oh Goddess!どう見ても断線している。

これではダメだ、ということで、amazon通販で適当なジャックを購入して、ハンダ付けで交換しようとする。
ところが腐っていたのは自分のハンダ付けの腕でもあるようです。ハンダゴテを握ってレッツ接着……まぁハンダがダマになること。次々と銀色のクソ玉が出来てしまう。クソ玉がコロコロと机に床に転がる。そもそも久々のハンダ付けが、初手から空中配線というのも如何かと思わなくもない。机の上での、部品のしっかとした固定の仕方に難がある。挙句の果てにはリード線のホット線とアースを間違って付けてしまう始末。

そんな修理をどことなく楽しんでいるのは否定しないが、でも、修理のための下準備が足りていない。ということで、初歩の基礎から改めて電子工作の勘を取り戻そうとしている今日この頃です。


そして思いましたね。もうとっくに「けいおん!」から10周年以上は経っているというわけです。

TBSアニメーション・けいおん!公式ホームページ

けいおん以前からギターをやっていた自分であるわけですから、10数年ですか。ギターをやっているのは。
ずいぶん遠くまで来たのかもしれない、と思いましたね。ギターを手にしてジャーンと鳴らしてみた日から。

そこから随分、エフェクターをはじめとした機材を買ったものです。一度はギターを止めようとして、売ったり知人にあげたりして。でもまたギターを手にして、今度は同人音楽アルバムを、シングル4枚、アルバム2枚は作ってしまって、現在新譜シングル(5枚目)に突入しております。
ギターを弾くことによって、かなり音楽の聴き方が変わりました。音の響きの深さや広がりが、確かに分かるようになった。それは作曲をするようになって、より一層加速していきました。リズム、ハーモニーの意味など。

遠くまで来たの「かもしれない」と、断言していないのは、実感があまりないからです。
確かに「けいおん!」からもう10年ということで、単純に確実に自分は、ギターを10年以上弾いていた計算になります。
でも、それが誇らしかったり、自慢したいのかい?というと、そういう気持ちが全然ないのです。何しろ、10年という実感が、あまりないので。

もちろん、ギターを弾いてきたこと、作曲をするようになったこと、これは本当に自分の人生にとって良かったことでした。
多分、その「良いこと」が自分の人生にこうして有った、っていうことを、たまには噛みしめてみるのも、悪いことじゃないんでしょう。
旅人が、日記や写真を読み返して、これまでの道程を振り返ってみるかのように。

そのように思うってことは、次に自分がどこに行くか、ってことに悩んでいることなのかい。いや、そこまでがっつり悩みまくっているってわけではないです。次にやりたいことっていうのは、幸いにして見えている(5作目のシングル盤とか、3作目のアルバム盤の構想など)。

ただ、これまで経験値を重ねてきたから、……惰性とは呼びたくないけれど……、妙に技術的に、いろいろちょこちょこした事が出来るようになってきたということはあって……。
作品を作ることが普通になってきた分だけ、ちょっとヌルい意味で、いろんなことに「ま、出来るでしょう」という考えが頭をもたげているというか……(歯切れが悪い)。

もちろんこれらは、技術的な経験値、場数を踏んできたから、いろんなことに「対応できるでしょう」というメタ知識の話なんですよね。
それはまっこと、よいことなんですよ。もう初心者じゃない、っていう。
だのに、どうして。なんか違う、と思ってしまうのは。もっと言えば、この、いつしか「守りに入っている」感はなんだ。

 

安定していることは良いことなんですけどね。
ただ、「1音と1音を重ねるだけで震えるほどの感動」っていうのを、感じていたいからこその、ギターであり、作曲だったはずではないのか?っていう思いがあるんですよ。

 

「なんでもあり」なのだ、と自分に言い聞かせたい。
理想を形にするために、いろんな技術や機材を使うのも、なんでもあり。
その一方で、理想なんていーや!今鳴っている音が楽しいんだからっ!っていう、どことなく放課後ティータイム的な哲学で音で遊ぶのも、あり。
そして、そんな放課後の音をさりげなく録音しておいて、後で使えそうな断片を編曲MIXしまくって、曲としてでっちあげて、「これで理想を描くんでございっ」とするのも、完全にありですよ。

おそらく、経験値を得た上で重要なのは、音楽の「なんでもあり」のための、ささやかな(やる気を地味に失わせる)面倒事を、テクニカルに排除しておく、っていうことなんだろうと思った。録音機材とマイクをつないでおくとか、録った音を簡単に編集できるよにPC(DAW)の設定を済ませておくとか。
そして面倒事が排除されたら、あとは音楽を楽しむだけなのであることです。

音楽の経験(技術的経験値、場数)は、それに尽きる…って言ったら暴論だけど、しかしこういうテクの上に、初心者のごとき震える情熱があったら、それ以上何を求めるものがあるんだ?っていう話です。
そういう風に理屈を作ることが出来るくらいには、音楽やギターの旅路も、距離を重ねてきました。

そういえば、かつての自分はどこかのタイミングで、「もう自分は作曲なんて出来ないんだ、フレーズを作ることが出来ないのに、どうして1曲なんて出来ようものか……」って思っていたこともありました。
そういえばそうだった。

諦めるタイミングは山ほどあったのですけどね。それが今、ギターを前に半田ゴテを握って修理しようとしていますよ。

なんだこれ、って思います。寄り道・道草だらけだ、っていう音楽人生です。変なの。音楽のある人生というのは変なものです。きっとこれからの道のりも、変な道のりなんでしょう。

今、ギターを修理しながら、「もし直って、これで音が良くなってしまったら笑っちゃうなぁ」と思いながらハンダ付けです。
ていうかシングル盤やアルバムを作ってしまっているってだけで、10年以上前の自分に告げたら、爆笑失笑苦笑もいいとこだろうと思います。くだらない冗談はやめろ、と。

ところが今の人生はくだらない冗談を実地で生きております。ということは、これから先の5年、10年先の人生がもしあるとして、非常にくだらない事を真剣にやっている可能性がある。

 

ふーむ。なるほど。
そういえば、自分は、自分が作った同人音楽シングル盤・アルバム盤を聞き返すのが、凄く好きなんですよ。あまり自分の文章を読み返すことはしないのに、自作の音楽はよく聞く。いつも、技術的に改善点はあるけど、良い曲やないか、っていつも思っている。


自分の書く文章においても、そうありたいものだなー、と思う。この先の自分の人生を、文章が彩るんだとしたら、「くだらないことを真剣にやってる10年後の自分」に贈り物を投げつけるような文章でありたいと願う。