前回の日記に引き続き稲葉曇氏。新曲も良い。
前回は「諦念(あきらめの気持ち)」にフォーカスを当てて文章を書いた。この作曲家さんの曲にそういうダウナーな部分があるのは確かだと思う。でもそれだけで終わっていないのがさらに素晴らしいところだ。「それでも日々は続いていく」という感じというか。そんな日常連続性(散文的日常)を前にして、「それならじゃあもう何もかも諦めよう」という絶望にいかないのが、さりげに素敵なところだと思う。
アートワークを担当しているぬくぬくにぎりめし氏によるイラスト/ムービーが全て灰色のモノトーンというのも良いです。
最近、体調をまた崩していました。暑気あたりでしょうか。夏バテともいう。
仕事と家事以外では、もう体力がなくてダウン(眠)を続けていました。まだそれは続いていますが、この日記を書くくらいにはちょっと回復したのかしら。なので各位へのお返事が遅れてる件、すみません。
ダイエットで体調改善を学んだはずなのですが、それを日々の生活(生活改善)にまで活かしきれていなかったのは、残念なところでした。
それでも日々は続いていきます(そうだな、それが稲葉曇氏の曲に通底している心性だと思う)。そんな毎日を無事に送っていくことも、捉えようによっちゃそれなりに意識的な「頑張り」が必要なんでしょう。
…なんてったって、自分の中には「パッと散らしたい」鋭角的なの自己破滅精神ベクトルが未だに根張っているのだから。そういうネガなる根我(言葉あそび)を引っこ抜くことは、日々の前提ですが。ほっといたら私は自滅方向に行く、っていうのはなんなんだか。
「ヤバいぞーヤバいぞー、今自分は破滅的な考えや怒りに脳が支配されてるぞー」
っていうのをちゃんと自分で理解る(わかる)セルフモニタニングが必須。もっといえばモニタリングに即した、怒りに対する個別の対処メソッドが必要。
破滅精神ベクトルや怒り妄想(ネガ根我)が出てくるのはまぁまだやむを得ないこととしても(いづれしっかりカタは付けないといけないけど)、今「すぐに」私に必要なのは、それらネガ根我が脳を支配した時に「どうするか」という対処をちゃんとしておくことだ。それもメソッド化しておいたほうがより良い。
ポジティヴに考えるのは今の私にはまだ難易度がある。とくにポジを継続することが難しい。でも、ネガ根我を現実的に「どうするか」という対処は、せめてもしなくちゃならないと思う。
そうしなくちゃ、私は本当に誰からも嫌われ、憎まれるだろう。
こないだ減った体重ですが、それから体重はほとんど減っていません。