残響の足りない部屋

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「「若作りうつ」社会」の感想と個人的重い思い

※今回の記事はブログ「シロクマの屑籠」と熊代亨「「若作りうつ」社会」の読者前提で書いてる感じです。

 

「若作りうつ」社会 (講談社現代新書)

「若作りうつ」社会 (講談社現代新書)

 

 

●肉体的加齢

 

まことにどうでもいい話なんですが、現在ぎっくり腰で、いくつかの記事とか別名義での詩とか書いてます。

その時点で加齢臭バリバリなんですが、まあ。わたしいま28歳なんですが、後述しますように、さまざまの薬物投与にて、結構体がバリヤバイ加齢をしていまして、とくに老眼と、五十肩なみの肩こりと、そして今、ぎっくりさんになっているこの状態in the フートン!

 

そんなわたしからしてみると、「若い肉」というのが、素直にうらやましく思うわけでして。

いや、日々のわたしの努力がたりん、というのも事実なんですが。

健全なる精神は健全なる肉体に宿る、というのは、古代ローマの詩人・ユウェナリスがいった言葉……が間違って伝えられたというのは、それなりに有名になったかしら。

でも、健全なる肉体は「ほしい!」です。これはスポーティな体がほしいというよりは、「苦痛の少ない体がほしい」という。

 

老いとは、まずフィジカルにこう「来る」タイプの人間がいます。……そういえば、まえにシロクマ先生のブログ記事にトラックバックしたときの記事も、おんなじようなこと書きましたね……

 

さて、今回は、はてなのシロクマ先生こと、精神科医・熊代亨氏の「「若作りうつ」社会」の個人的感想です。

 

あらすじとか、本の構成とかは書きません。だいたいのことは、検索結果だったりシロクマ先生のブログで書いてると思うので……(マルナゲ!)

 

それよりも書きたいことが。正直いくつかの記事に分割して書きたいのですが、そのほうが読みやすい記事になると思うのですが、まずはこの胸のなかにあるイロンナ重い思いをはきだしたほうがいいかな的な。そんなわけでいつもより文章めちゃくちゃです。……え?いつもてめーの文章めちゃくちゃだって? オーソゥリー。

 

●確かに、ロールモデルは少ない

 

本書を自分なりにがーっと要約したら

 

1)いないよ! 現代社会に加齢の華麗なるロールモデルは! 

 

2)間違ってるよ! 「華麗なる加齢」という前提自体が!

 

3)オレらみんな老いるのを、いいかげん認めようや、年なんだからさ……

 

く、暗い!

シロクマ先生のブログの対象層は、どちらかといえば血気盛んな若人オタク(たとえばニコ動で弾幕張るようなの)……じゃなく、

どちらかといえば、アラサーを迎えて「このままでいいんだろうか」的な感慨にふけるオタクなり、悩める若人あたりが中心と存じます(たとえば2chの「おっさん同窓会」にあと2、3年で到達しそうなの。議題は「もう千鶴さんを一周回って「おねーちゃん」と呼ぶようになったぜオレら」的な感じ)

具体例がすらすらでてくるようになるくらいには、わたしも年とりましたかね。

 

そう、この本にかかれていることが、まだ「対岸の火事」だったら、そのひとは幸せなんです。少なくとも若さを謳歌してるんです。

通層低音は「このままでいいんだろうか」「いや、ひょっとしたらよくないんじゃないのか」。

 

で、シロクマ先生は「よくは……ないですよ」と、静かにバッサリいきます。

これは「シロクマの屑籠」読んでたら「うむ、さすがシロクマ先生、かつてコンビニ店長氏が「正論」と表した苦い言葉をおっしゃる……」と納得できるんですが、「熊代亨」氏を……今日のTVではじめてごらんになった方は「き、きついよこの人のいうこと!」ってことになると思います。

(はじめてお姿拝見しましたが、昔から書かれているようにであのようにメソッド化さして、「まっとう」をセッティングし続けた努力……を「垣間見せない」ほどの「適応のタイト&スマートな完成」……「」でかかれていたレジデント時代のご苦労を遙か超越した頼りがい&クールネスをみましたね)

 

いや正直、わたしも「き、きついよシロクマ先生!」とブログの愛読者ながらも、思っています。

てことは筆致(というか方向性)になれてるだけであって、年々加齢がヤバイ級にリアリズムがグンバツになってきてるわたくしは依然としてヤバさは変わってないんすね……

 

 

ところで、いまさっきTVでのシロクマ先生のお姿について、なんかブログ・ストーカーじみた発言を残響さんしやがりましたが、あのお姿は、本やブログを読んで「オレもこの著者のように精進できるのだろうか……」という疑念に、いい意味で答えてくれる「型」を見せてくれましたね。

そいえば、TVでは「オタク」って言葉ぜんぜんでませんでしたが、「オタク出身だろうがなんだろうが精進はつむべきもの、さすれば大人になれる」って感じを、勝手にうけとりました。シロクマ先生からしたらおーきなおせわだろうと思いますが「え? TV? タイムリーだと思うけど、なぜ?」と思ってた自分にとっては、ある意味での納得を得ました。

 

ああ、ぜんぜん本題に入れてないっ!

 

ばきっと話題を本題にいきます!

ロールモデル」とはなんぞや。

まず「ロール」ですが、そもそもこれは「RPG」の語源でもあるように「演じる」ものなんですね。

つまり「大人」はそもそも演じるものである、と。シロクマ先生はそこんとこを偽ってません。演じることがそも、精進なのだと。

 

「若作り」もそれはそれで「演じる」なのですが、そこにはバックボーンとして

若さの美しさとは、嘘のない、大正義としての美しさ

みたいな、輝かしいサムシングを背後に持っているような気がします。だからそれは「演じる」というより、それはそれで「大正義にたどり着く精進」という論理展開になっちゃってるのかなー、というのがわたしの考えです。すいません説明へたで……。

 

それに対して「大人を演じる」「ロールモデルを演じる」は、言外に「清濁呑み下したオトナ」「汚れて、あきらめてしまったオトナ」のネガいやらしさがつきまといます。

なんでつきまとうかというと、「若さをあきらめたからだ」「夢をあきらめたからだ、妥協したからだ」という、ほとんど循環論法なんですね。

 

なるほど、この構造では、ロールモデルなんか、誰がひきうけたがるでしょう。

これは単純に論理的帰結な問題なんであって、社会的諸問題が社会の趨勢的にさまざまに根を生やしていったとこは、「「若作りうつ」社会」の第二章「誰もなにも言わなくなった」をごらんください。圧巻ですから。マクロ=宗教からミクロ=個人史まで……

 

だからといって「ロールモデルを引き受けない奴らが超大勢な社会がまともか?」と提起するのがシロクマ先生です。

……うん、常識的に考えてまっとうじゃないです。

 

でも、どうすればロールモデルになれる? そして、下の世代はロールモデルを「見つめる」だけのリスペクト精神を、どうやったらみれる?

本書は、このあたりの問題に果敢にとりくみます。決して「オヤジになれよ、オバハンになれよ」的なところに落ち着かず。「田舎に帰ってコミュニティのために尽くせや」的なところにもいかず。ここのところが、おそらくシロクマ先生の御論で誤解されがちなとこなんだと思います。

 

吉本由美「かっこよく年をとりたい」と熊代亨「「若作りうつ」社会」はそれほど遠くはない

 

かっこよく年をとりたい (ちくま文庫)

かっこよく年をとりたい (ちくま文庫)

 

 

伝説のスタイリスト、吉本由美氏の上記の本をご存じでしょうか。

この本は、「世間のショボくれたジジババはいやだ! でも世の中にはこんな素敵なおじいさま、おばあさまがいる! わたしもこうなりたい」

という、あらすじだけ書いたらシロクマ先生の論旨と真っ向から三国無双するようなことになっちゃいますが、しかし……わたしはこの本とシロクマ先生の論が異なっているとは、思えないのです。

 

おそらくシロクマ先生は「ただ先行世代=ジジババを、むやみに無理にリスペクトするのは、むしろ意味がない」と思っておられるのだと思います。

 

たしか「かっこよく年をとりたい」は、文庫版はともかく、原著はもう発売されてから15年以上たっています。

このころには、有吉佐和子の「恍惚の人」(痴呆症の姑介護小説の金字塔)がでて、もうさらに十年くらいたってるはずだったかしら。それくらい、「ジジババは頼りにならん」的アトモスフィアが漂っていた時代だったとおもいます。

 

 

恍惚の人 (新潮文庫)

恍惚の人 (新潮文庫)

 

 

そこに吉本氏は、生来のきっぷのよさでもって、老人の「渋み」「粋(イキ)」「淡たる境地」を語ります。

というか、吉本氏のきっぷのよさに共震する「かっこよく歳をとってる」ひとを、吉本氏は描いたのですね。

 

シロクマ先生も、おそらくいいたいことは「あなたに共震する先行ロールモデルを探すことは、あなたの人生にとって有意義ですよ」といいたいんだと思います。

ていうか、そうでなかったら無意味だと。

逆いえば、先行(オールドエイジ)でなくても、同年代でも年下でも、リスペクトの精神さえあれば、そのひとは、そのリスペクト対象からさまざまの滋養を得ることができる。

 

重要なのは、年上の持ち上げではなく、リスペクトの概念。

 

 

●あなたの女神と歳をとること

 

えーと、さらに脱線しますが、先日、わが魂の絶対君主こと、小宮裕太氏(こーいうPNですが女性エロ漫画家)の第三冊目の新刊がでました!

  

ハレルヤ ハレールヤ! キリエ・エレイソン! 天帝の光臨遊ばされました! ああ、後光が……!

 

見るやこの繊細なるタッチ! 幸せな恋人たちの姿形! 心をいやしてくれる……!

 

とまあ、それくらい崇拝している漫画家さんなのですが。

そのなかでも! とくに! 最高すぎる、残響殿堂入りヒロインがいるのです。

小宮ファンならわかるだろう!

「沢渡さん」のことだよアーーーーーーーッ!

 

本記事はシロクマ先生の御著書に関しての記事なので小宮論じゃないので、沢渡さんラブについては言葉をひかえますが(これでもか!)ところで、これ書いてるときに、シロクマ先生と、ありがたくもtwitterで会話させていただいたのですね(シロクマ先生、引用の失礼、申し訳ありません)

 

@twit_shirokuma まさにその金言だからこそ我々は2次元に癒されます。しかし後日談系のカップリング二次創作妄想に「善き精神の善き加齢、但し美形」という軸を、数年前から入れてみているわたしだったりします。そこから何かが得られるのではないかと。無駄な足掻きでしょうか…?

 

 

 

 

 

@twit_shirokuma お答えありがとうございます。自らの女神に住宅ローン問題とか義親、籍、夫婦別姓問題、妊娠適齢期などを課すような妄想をなぜするのか?と我ながらふと思いまして。しかし女神と共に人生を考えることが出来るのは僥倖かも、と。

 

 

ここでわたしが出してるヒロインこそ、沢渡さんなのですね。

彼女に、さまざまの二次創作妄想で、「人生のかたち」というものを、シミュレートしているのです。

え? 形にしてみろって? 

いやです。これはわたしの女神、沢渡さんと恋人・孝明さんの暖かい愛の綴れ織りなのです(我ながらキモすぎる……)

 

でも、オタクでも、こういうふうに、歳というか、空想のなかに、さまざまの形相をみるのも、いいと思うんですよ。

 

それをプラグマティズムととるかは自由ですが……

 

 

●しかし……精神病者は、ロールモデルの概念をどう取り扱えばいいのか

 

前の記事で書いたように、わたしはメンタルヘルス的にやっかいな問題をかかえていまして。

自殺のこと - 残響の足りない部屋

鬱ブックガイド、のまえに - 残響の足りない部屋

ざっくりいえば「強迫神経症統合失調症アスペルガー障害」なんですが。

 

そんな人間は、だれをロールモデルとすればいいのか。

そんな人間が、だれのロールモデルになれるというのか。

 

まあ、わたしも28です。

抗精神病薬睡眠薬の投薬でガンガンからだは老化してってます。

 

でも28です。

「若さ」にあこがれつつ、若さを十分に得ることなかった人生でも(正確には、若さを病気で食いつぶした)、これからの「後世」のために、多少はまっとうな大人にならんとあかんわけです。

 

親とかのせいにしとってはあかんのですよ、もう28だとねえ……いや、シロクマ先生のこの本の具体例……親を巡る様々の「プリセット状況」の分析、見ててキツかった。モロ自分だもん

 

それをいってしまっては、一昔まえの言葉でいうと「アダルトチルドレン乙wwwww」と、「やーいニートニート、マザコン死ね!」と言われるのがオチですしね……。

自分でも、その情けなさを身にしみてますもん。

 

そして、そのプリセット状況のディスアドバンテージ(こういってしまっては親に悪いのですが、それにあらがえなかった自分というのも確かにいまして)と、病気によるディスアドバンテージ、これをふまえて、ロールモデルたる位の世代責任を果たすとなると……

 

「いや、その理屈はおかしい。まず病気なおせや」

 

……そういわれるのがオチなんですけど、そうもいってられない。

 

先日、家業の一環で、とある都心からの一家を迎えて接待するお仕事がありましてね。

そこに、小学生の双子がいまして。

 

ああ……もう、甘えたこといってらんねーわ、って思いました。

もうこの子たちからしたら、わたしオッサンですもん。どう見たって。

 

客観的立場、っていうのを思い知らされましたよ。

でも……でも、鬱とか、パニック的なトラブルが起こると(今日も憎悪まみれの末の自己破壊的な行動に移ろうとしましたし。詳しくはいいませんが、暗号で語ると、今年四度目のネック、ダガー、ダイブイントゥヘル)、そこから……ロールモデルたろうとする意気込みの自分から、遠く、遠く離れてしまうのですね。

 

 

「「若作りうつ」社会」で読んでて一番つらかったのが、ここ。

自分の無力さ。

まともになろうと思いつつも、思えば思うほど、なんかずるずると遠くなっていってしまう、てめえの弱さ。

 

だから……ここのところのシロクマ先生の論考は、まぶしかった。いやTVのお姿も、説得力があった。だからこそこの本も、いまの自分にとっては、すごく感想書きづらかった。絶対この本のほうが正しいもん。

だのに、だのに、このおろかな自分は、こういう方面にいってしまう。ずるずると、ずるずると。

これは怠惰だろうか。

そんなことを言ってる暇があったら、病気とぎっくりさん治して、精進しろや、だろうか。

たぶんそうなのでしょう。

 

うーんごめんなさい、元気りんりんたる結論にしようと思いましたが、これが限界です。少なくとも、自分を偽ってはいません。ということで、今日はここまで。

 

さいごに、シロクマ先生。

あなたの論考で、リアルに、実際的に助かっている人間は、大勢います。そのことを、ひとりの読者として。

(べたぼめになっていないことを祈りながら……)