残響の足りない部屋

もっと多く!かつ細やかに!世界にジョークを見出すのだ

【妄想企画】ぼくのかんがえたさいきょうのまーぷりるカバーアルバム

※この記事は、バーチャル・デュオ・アーティスト Marprilが、もしカバー曲アルバムを出すことになると仮定(妄想)して、谷田さんと立花さんに歌って踊ってほしい曲をリストアップして妄想して個人的にニヤニヤしよう、というネタ企画です。

↓ Marpril公式webサイト

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1.パソコン音楽クラブ「reiji no machi」

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彼女たちのどこまでも「都会的」な本質をまずは挨拶代わりに。

Matprilの魅力って、いざ歌唱となると、ある種の儚さがどこか裏側に香ってしまうところだと思うのですよ。「ナミダ・アーカイブ」で顕著ですが。

 

2.(ダンス)BT「Flaming June」

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Marprilの武器はもちろん、キレキレのダンスですが、ではアルバムの世界観を一気に壮大かつ儚げに膨らませるために、エピックハウスの永遠の名曲をやってみてほしいものです。

 

3.(立花ソロ)Thee Michelle Gun Elephant「Get Up Lucy」

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この間、THEATER BROOKの「裏切りの夕焼け」を立花さんがカバーしまして、低音voで荒っぽさをゴリゴリに歌いあげるのを聞いて、「こういう方向性もイケるんか!」と聞きほれたものです。ならこれも充分にいけるでしょう!という。

 

4.Halcali「Baby Blue」

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この話の流れでハルカリを出さないのはほぼ犯罪でしょう。というか、Marprilの音楽性でハルカリを引き合いに出すのってもっとされても良いと思うんです。

 

5.ave;new feat.佐倉紗織「GIRLS -HARD dRESS STYLE」

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アニソン、エロゲソングで名を馳せたave;newですが、作曲者a.k.a.dRESS氏が自らゴリゴリにハードにリミックスしたこのチューンで、谷田と立花のお二人にはフロアを煽ってほしいものです。

「これはGIRL'S ONLYじゃないよGIRLSだよ!」とかって言わなくていいから。いいから。

 

6.tofubeats 「水星 feat.オノマトペ大臣」

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そりゃあKMNZのカバーが非常に有名ですが。しかし「作風に非常にマッチしたカバーを歌えるシンガー」は何人居てもよい話でしょう?

 

7.The Prodigy「Action Radar」

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プロディジーとはいえ、この中ではかなり知名度のない曲になるかなぁ。4thアルバムの「Always Outnumbered, Never Outgunned」の中盤の曲です。バリバリに煽る低音voと、気だるく歌う高音voの掛け合いでアゲる曲でして、ステージの先端に陣取ってフロアを煽りまくったら湧くだろうなぁ。

 

8.フジファブリック「銀河」

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そろそろサウンドが「軽く」て「踊れて」、「変な曲」が欲しい頃合いじゃないですか?

 

9.m.o.v.e「Gamble Rumble」

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ま、これは個人的な趣味です。コテコテのユーロビートなので、Marprilが日頃歌っている現代的EDMチューンとはサウンドが違いますことはわかります。それでも「流麗に歌うvoと高速煽りラップ口上」をMarprilで一度聞いてみたい!という妄想。

Marprilの本質は「アゲ(煽り)」ではないことはわかっていますが、それでもライヴだったら。ハコをゴリゴリに沸かす谷田さんと立花さんの姿を見てみたいんですよ。でもコロナでそれも叶わない今、妄想するしかないじゃないですか。

 

10.TM NETWORK「BEYOND THE TIME」

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これはMarprilのファンである、わたくしの友人氏に敬意を表して選んだ曲です。と同時に、アルバム後半として「大曲」が欲しかったというのもあります。意志をもって空間を広げてほしい。時空を拡げて拡げきってほしい。

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11.(ダンス)Squarepusher「Stor Eiglass」

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ダンスユニットとしてのMarprilがこの曲をどう調理するか、実に見物じゃありませんか(クソ鬼畜)。ラストに向けて超ゴリゴリに展開していきます。

 

12(谷田ソロ)くるり「ばらの花」レイ・ハラカミremix

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谷田さんが「ばらの花」をカバーするのを聞いて、さりげに驚いたものです。そう来たか!と。
しかし実際に音源を聞いてみて、実に「谷田さんの歌」になっています。さりげないようでいて、「あ、この儚げな景色の解釈があったんですね」という方面からの静かな一撃でした。

それならレイ・ハラカミのトラックに乗せて演ってみてほしい。谷田さんの持つ声と、「間(ま)」が、今は亡きレイ・ハラカミの柔らかな音とどう合うか聞いてみたい。

しかしそれにしてもレイ・ハラカミが死んでから10年かー、早いなぁ。そう思うと、バーチャルシンガーである彼女らの「永遠さ」と「儚さ」みたいなものを、ふと絡めて考えてしまったりしますが。変な考えですね。ともかく、このレイ・ハラカミの音の柔らかさと、「諦念」みたいなものを、谷田さんはどう解釈するか聞いてみたい。

 

 

今回挙げた音源、全体的にネタが古いかもw 
もっと現代EDMに寄せるべきなんだろうなーと思いつつも、まぁ趣味で選んだ妄想企画なので、自分にやさしくいきましょう(自己弁護)

 

最近わたしの音の暮らしはこう2(おるたな)

2と書いておるたなと読むのです。

↓(1)2020年9月末の記事

最近わたしの音の暮らしはこう - 残響の足りない部屋

この記事は、日記ブログ管理人が最近聞いている音楽を列挙列記する文章です。それでは1234(ラモーンズ風)

●PEDRO

アイドル「BiSH」のメンバー、アユニ・Dのソロプロジェクト・スリーピースバンドです。

残響(筆者)にとってアイドルって鬼門でして。これまでろくに聞いてこなかったのです。それにはいろんな理由があるんですが、最終的なところ自分にとっては「アイドル歌謡合唱」という音楽性と、「その曲は誰のものなのか?」という作者性の不在、っていう2点が大きい、という結論でした。このへん、あまり語ってこなかったのでちょっと書きます。

そもそも「アイドル歌謡」の歌唱法(アニソン、エロゲソング大いに含む)が苦手なうえ。さらに自分は、ヴォーカル曲の「合唱」というのがそこまで得意でない、というのもありました。サイドメンがコーラスをとるのはOKなんですが、「合唱」とまでいくとちょっと……というところがございます。つまり、苦手なアニソンが合唱、となると、やはりそのサウンドは得意でないわけです。(その上合唱コーラスにコンプレッサーかけるサウンドともなるともう……)

「その曲は誰のものなのか?」というのは、そりゃアイドルの曲はアイドルのものでしょう、っていうのが正論ですが。でも自分はつい「作曲家は誰?」みたいに思ってしまうわけです。しかしその「作曲家は誰?」を突き詰める形でどんどんアイドル曲を聞いていくと、アイドル本人(たち)の個性を半ば無視する形となり、それはそれでアイドルを聞く意味がなくなっていくのでは、という話です。自分も結構、コンポーザーに焦点絞る形の「楽曲派的アプローチ」でアイドルを聞こうとしたんですが、なかなかうまくいかなかったのはこのあたりにあるのかな、と。それでも「推せばいいんだよ、推しなよ」と言われるのは、ひどい「強制された歓喜」だと思いませんか。

そんなこんなで、BiSHという文脈を完全にわからないまま、ギター・田渕ひさ子という文脈でPEDROを聞くわけでした。まず気に入ったのがこの曲です。

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少女の、屈折を経ての素直な感情が、舌ったらずながらもストレートな歌唱とバンドサウンドで伝わってきます。上記でぐだぐだ言ったアイドル性云々じゃなくて、曲としてすっと聞けます。あまりに明け透けですが、都会の空(そら)の空っぽな空気を見上げる心持ちが突き抜けていきます。田渕のギターは完全にいつも通りにこのバンドの音空間を支配しています。よし。そういうわけでここにはオルタナの精神がある。そういう音や精神をちょっと上から「眺める」ように聞いている時点で自分も歳をとったのだな、と思うのもまた事実で。やだねー中年になったら年若い煌めきを「愛おしむ」とか「眺める」みたいな視線につい成りがちだっつうのは。あたかもひとつの小説を読むかのようにして、このアユニ・Dという少女の姿を見ている自分がいます。

PEDROの音楽性はどのように深化していくか? そこに田渕ひさ子のギターがある限り、なんらかの憧憬を保ちながら、心象世界を轟音で鳴らしていくオルタナであることは間違いのないところですが。でもそれを初期ナンバーガールの少女具現化版というオッサンホイホイ図式で語るっていう厭らしさっていったらないですね。そうじゃなく、ツアータイトルであるところの「生活と記憶」っていうアユニ・Dのセンスに期待したいところです。上記「東京」や「生活革命」で歌われているような、都会で独りで生きる少女生活者が視る、都会の詩、生活の詩。そういうのを、バンドサウンド功夫クンフー)を積んでいくことで、強度高く研ぎすまし、深化させていったら、愛すべきバンドとしてPEDROをこれからも大事に聞いていくことが出来ると思うんです。前、ベースマガジンで、アユニ対談企画の一環で、人間椅子鈴木研一とアユニ・Dが対談をしていました「先輩に教わる」みたいな感じの企画で。スズケンの代名詞といったら、極悪で下品(誉め言葉)なピック弾きのベースサウンドですが。

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もちろん田渕ひさ子のノイズギターがこの予告動画イントロの音楽性を完全に支配しているのは言うまでもないですが、アユニ・Dのダウンピッキングによるゴリゴリのベース音、スズケン文脈から聞いてもニッコリとさせられますね。この凶暴さのゴリゴリさ。本日ブログ2回目の更新ですが、無理をしてでもこの記事を仕立てたかったのは、この予告動画の音を皆さんに紹介したかったからなんですよ。あと、PEDROのゴリゴリさ、田渕の鬼ギターといったらこちらもどうぞ。↓

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いやぁーUSオルタナ直系。

 

●ゴー・トゥ・大都会

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ひどい。ひどすぎる歌詞だ。ここまでひどい歌詞はそうそうお目にかかれない。チップチューンというにはあまりにザラついていてLO-FI。どうしようもなくPOPなくせして、陰で淫な世界観。ボカロっぽさをあまり感じさせないボカロ曲ですが、そういうことは途中で忘れてしまうくらい自然な歌声ですが、これが自然っていうのも怖い話です。

たまたま聞いた曲でしたが、異様にハマってしまいました。日ごろこの作曲者はアニメ声ネタコラージュを主に投稿している方みたいで、この曲は珍しいオリジナル曲みたいです。しかし圧倒的なセンスです。異様に人懐っこいフレーズのくせして、「こんなんに迫られてもこっちが困っちゃうよね♪だよ!」と言いたくなるひどさです。そういうもろもろをひっくるめて、「この曲でしか存在しえない世界」がある曲です。けなし気味に聞こえるかもしれませんが、自分はこの曲が本気で大好きです。

 

イワシがつちからはえてくるんだ

イワシがつちからはえてくるんだ (いわしがつちからはえてくるんだ)とは【ピクシブ百科事典】

状況的に言及するのが難しく、また内容的にもとてもシュールで言及するのが難しいんですが、自分はこの曲が、ドット絵も含めて非常に好きです。

 

●メドミア「ラッカンライア」

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最後のサビ前のリズムを縦横無尽に浮遊していくヴォーカル回しが大変好みです。サビの最後に「はーい」を置くポップセンスがたまりません。絵もそんな曲に大変マッチしています。サウンドは高速なボカロチューンですが、ドラムもベースも高速なわりに、どこかなぜか「ゆるやか」な感じを受けます。ミクのボーカルがそうさせているんでしょうが、高速とゆるやかが同時並行で存在しているのが、非常に聞いていてクセになります。

●ヨルシカ ライヴ配信

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優勝! これが芸術の幻想だ! もともとバンドサウンドにピアノやストリングスが絡むn-bunaサウンドですが、やはりこうして生演奏の威力を喰らうと、いやぁたまりませんね。背景が水族館というのが素晴らしすぎる。

 

スピッツの新曲「紫の夜を越えて」はまだ聞き込みが足りないので紹介は今回はせず~(無念)


それからUNISON SQUARE GARDENのライヴツアーDVD「Spring Spring Spring」再現ツアーの予習をしておきたいんですよね。

Revival Tour "Spring Spring Spring" | UNISON SQUARE GARDEN 2021

このライヴツアー当時の楽曲の聞き込みを今一度する、という形で。自分はユニゾンを後追いで聞いてるので、聞き方がバラバラで、「CIDER ROAD」は鬼のように聞きこんでますが、「POPULAS POPULAS」の聞き込みが足りていないというユニゾンファンとして変な状況にあるので。しかしそれはそれとして新譜「Patric Vegee」も相当聞いていますが、それでもまだ聞き込みが足りないという自己判断なのであります。

結局、こういう風に「好きなバンドの聞き込みが足りない」というのが自分自身でわかっちゃってるんですよね。ヨルシカにしたって、n-buna氏のヨルシカ以前のボカロ曲のアルバムを全然聞けていない状況です。聞き込みが足りないとはまさにこのこと。あー忙しい忙しい。

そもそも今めちゃくちゃ忙しいのが、4月末に控えたM3春2021のための新譜レコーディング作業なんです(同人サークル・8TR戦線行進曲名義)。(EP盤を2枚出します。2枚で計8曲) 
それで毎日自分のレコーディングをプレイバックして聞いて、ミックスしてプレイバックして聞いて、仮マスタリングしてプレイバックして聞いて「こんな音じゃねぇ!」とふんがーし、またレコーディングして、ミックスして……を繰り返しております。結構忙しいw

でもそれはそれとして、こうやっていろんな音楽を聞いていたりします。自分は過去に音楽関連で、音楽そのものを大嫌いになっていても全然おかしくない、ひどく嫌な出来事が何個かございました。それでもこうして未だに音楽を愛しているのは、変な話のような、それでもやっぱり奇跡のような……。まあ、とにかくこの音楽愛は、大事にしていって間違いはないものと思っております。ありがたい。

そんなわけですが、あなたの最近の音はどうですか? 自分の音楽の路上(途上)はこんな感じです。

panpanya先生の世界が30代の自分の世界をごそっと変えていっちまった件について

自分がpanpnaya先生を知ったのは、2019年の夏でした。きっかけは、わたくしのAmazonKindle電子書籍の「おすすめ」通知が、やたらとpanpanya先生の単行本を、何か月にも渡って執拗に推し続けてきたからです。

通常の自分は、いくらAmazonの「おすすめ」通知=サジェスト機能が優れているからと言うても、それに安易に乗るという事に躊躇いを覚えます。そんなまことにめんどくさいオタク像です。

www.hakusensha.co.j

しかし2019年のamazonおすすめはしつこかった。半年近くも延々とpanpanya先生の「グヤバノ・ホリデー」を推し続けた。半年前にチラシのうら氏こと詩野うら氏の短編集を予約までして買う趣味をしている自分の趣味嗜好をチェックしてのことか。あるいは明和電機のファンなのが効いているのか。vaporwave(的な世界観)に興味を持ち出したタイミングも参照されているのか。ひいては、かねがねよりラヴクラフトやエルンストを愛好している自分の検索履歴もチェキ☆されているのか。

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ええい、ここまで半年間もしつこくAmazonにおすすめされて、根負けした形で、panpanya先生の単行本「グヤバノ・ホリデー」を試し読みしてみました。

↓ panpanya先生のホームページ

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その結果。その日のうちに電子書籍&物理書籍で、panpanya先生の商業単行本(「足摺り水族館」含む)を買いそろえてしまいました。そればかりでなく、2019年の夏から延々と、panpanya先生の漫画、ホームページ上のテキスト(日記)、インタビューを読み込む毎日です。結局、現在の残響さんの好きな漫画家ベスト3にスルっとヌルっとpanpanya先生が滑り込んでしまいました。ちなみに1位は芦奈野ひとしヨコハマ買い出し紀行」ですが、しかしわたくし今、35歳なんですよね。30代という、自己の趣味嗜好が新鮮さを失い、そろそろガチり固まってなかなか動かなくなってくる頃です。自分の殿堂入り・TOP作品っていうのが不動になってくる頃です。それがどうだ。カチコチに固まり、もう動くことはないのかなと思っていた「魂の漫画家」のベスト3にヌルっとpanpanya先生の世界が入ってきてしまったのです。

理由1「80~90年代の関東圏域の風景」

なんでこれほどpanpanya先生が好きなのか。これほどスルっとヌルっと入ってきてしまったのはなぜか。……これはあくまで自分にとってですが、panpanya先生の描く世界風景が、「1980年代後半~1990年代前半の関東圏域で幼少期を過ごした人間にとって心当たりがありすぎる情景」だからなのです。

アスファルトと電線と「とまれ」の路地とか、黒いHi-Cのジュース缶とか。どうも見覚えのある景色が多すぎる。panpanya先生世界の細部に至るまで「わかる、わかりすぎる」と膝をうちまくるこの感覚は、今でこそシマーネ農業王国に住む自分ですが、幼少期(小学6年まで)サイタマのベッドタウンで過ごした自分にはあまりにわかりすぎる。

理由2「暗闇の狂気シュール」

そういう「80~90年代ノスタルジー・近過去トリップ」があまりに自分にとって甘美であるのと同時に、panpana先生の作品にはいつだって「暗闇」がある。ノスタルジーの裏側に潜む、シュールな暗闇を、毎回毎回、あの異常な描きこみ筆致・ベタ・アナログ描線で執拗に描きます。

古い風呂場のタイルのどことなしの暗がり。ハンパに古い建物がたてるホコリっぽさと不気味な音。「う●こ臭さ」はないけれども、ラヴクラフト的なコズミックホラーにつながっていても全然おかしくないと言い切れるあの不気味さ、シュールさ。

理由3「共感性羞恥の徹底的な排除」

そして、panpanya先生の作品で、自分が一番信頼しているのが、どういうわけだか知らないけれど、「人を貶める恥ずかしさ・痛さ・辛さで、オチをつけない」ところだと思っています。安易な夢オチにもせず、主人公の「いつもの女の子」を傷つけたままで終わらせない。主人公の「いつもの女の子」をバカにする形で話を終わらせたりすることは一切ない。

panpanya先生のようなシュールさであったり、暗がりへの親近性だと、だいたい、主人公は恥ずかしい思いや傷つきだったりを喰らったりするものです。お膳立ては充分にされているとすら言えるかもしれない。でも、なぜかpanpanya先生は、そういう「恥ずかしさ・痛さ・辛さ」を描くつもりはないらしい。今までpanpanya先生の漫画を相当読んできても、ただの一回とて「恥ずかしさ、痛さ、辛さ」でお話が終わったことがないのだから。そこのセンスが、読んでいて、非常に安心できるのです。

……で、panpanya先生は、甚大な影響を自分に残していきました。

甚大な影響その1「漫画の呪い」

自分は長い間、自分が「漫画」という方法で創作をするのは、今回の自分の人生では無理だな、と諦めていました。絵が下手だから。でも、panpanya先生の漫画を読んで、「自分は漫画を描きたい、いや、描かねばならない」と思うようになりました。2020年から2021年の最近あたりまで、「描かねば」はちょっと呪いじみて強迫的になって、「そうでなければ幸せにはなれない」とまで思いつめましたが……(苦笑)

さきに絵が下手、と言いましたが、自分の場合、それは結局思考停止に近いものでした。自分の下手な絵で自分がショックを受けたくない、というのは、なんのことはない、自ら恥ずかしい思いをしたくなかったということです。

絵を描くにもいろいろな方法があって、メジャーな方法でダメなら、マイナーな方法をいろいろ試してみればいい、ということに気づくまで、人生30年かかってしまいました。

そんなわけで最近わたくしはドット絵を嗜んでいます。「panpanya先生の絵を模写する方向にいかないのかよ!」というツッコミですが、お察しのようにpanpanya先生の絵は一朝一夕で真似出来る絵じゃないですし。また、同じ方向にいってもどうなのか、というのもあり。もちろん「日本の路地のノスタルジアをドット絵で」というのは、すでにこちらも豊井氏という巨匠が居るので、そっちの路線もバリバリにガン見しながら遠巻きにしつつ……

ドット絵アニメの作り方。イラストレーター・豊井さん(@1041uuu)インタビュー - pixivision

ともあれ、今も自分は試行錯誤しながら、かつて諦めた夢「漫画を描く」に向けて努力しているつもりです。結局その、絵の練習、絵が下手コンプレックス、画法の試行錯誤というのと対峙するのは辛いですが(場合によったらコズミックホラー並)、「絵が下手な自分の恥ずかしさ」と真っ向勝負するのは辛いですが(おうし座から風にのって黄衣の王ハスターくらい来るんじゃないか)、少なくとも「これ以上恥ずかしく」はならない。少なくとも自分は、昨日の自分よりは絵が上手くなっているから。

甚大な影響その2「考現学」的視点

日常、そこにあるもの。植木鉢、アスファルトの信号、鉄橋のサビ。ところどころで向井秀徳がモチーフとして使ってきたアレら。日常、あまりに当たり前にそこにあるものに、面白みを見出す。だいたい「考現学」とは、大雑把にそういうことですし、panpanya先生の漫画も、大雑把に言えばそういうことです。

この視点ひとつで、世界の意味合いは全く変わってきます。あまりに当たり前にある湯飲みだとか、部屋の置物だとか、昔のカセットテープとか。

路上観察入門の日々(コロナ禍において) - 残響の足りない部屋

カセットテープが大好きです - 残響の足りない部屋

単なる路上が、「視点」ひとつで、異常なまでの意味を持つ魔宮に変わる。本当の意味での「世界観」の変貌です。panpanya先生の漫画が、やたらマイナーでマニアックで玄人好みなのに、いつもポップで「恥」がなくて、読後感がとても良い、完全に良い意味での「ポピュラリティ」を持ち続けている理由。それは間違いなく、panpanya先生が、わたくしたちの住む「日常(の風景)」を、とにかく愛しているからなんでしょう。

きらら系萌え四コマの文脈で「日常系」と言う言葉がありました。そういうタームでくくられる漫画を、わたくしはこの上なく愛しながらも(「ゆゆ式」「けいおん!」「らき☆すた」……)、それとはまったく違った意味で、panpanya先生の漫画を「日常系」と呼ぶことはどうなのでしょうか。ただ漫画シーンを混乱させるだけでしょうか。でも、これほど「日常」というものを愛しきっている漫画家は他にいないのです。本当に。

 

そろそろ今年もpanpanya先生の単行本が出てくる頃合いになってきました。まだ情報はありませんが、だいたい毎年初旬に単行本がくるのです。これだけマニアックな作家なのに、非常に勤勉に作品執筆活動をされているのです、先生はw

panpanya先生の装丁デザインや同人製本に関してや、アナログ画風のあれこれや、作品で何度も使われるモチーフや、「いつもの女の子」や同居犬レオナルドの言葉遣いに関してなど、もっともっと言及したいことは山ほどあるんですが、今日はここまで~。

あー、やっとpanpanya先生について少しは書くことが出来た。以前よりちょこちょこ、考現学というあたりで先生についてうっすら言及はしてきました。しかし先生は、それほど自分にとって大事な存在でありましたから、安易にちょこっとだけ書く、というのが出来なかったのです。はい。

ラジオヘッド日記2021年冬

零和2年 闇月ラストムーン日

ミュートピアvol.3の準備をしておいた方がいいのに腰が重い。つまり新曲の作曲なんて全然出来ていない状況。ネックウォーマーが欠かせない寒さである。

零和2年 猿月ワンラヴ日

あれ?と気づいた時にはもうすでに鬱に入っていた、というのがいつものパターンである。例によって今回も鬱に入っていた。この年、いつもよりは警戒をしていたが、ヌルっと滑り込むような形で、こころの隙間に鬱が入り込んでしまっていたようだ。

1日のなかで、フートン(布団)に潜る率が高くなる。仕事以外はだいたいフートンで過ごしているような気もする。もちろんミュートピアの準備は進んでいない。

猿月タクシー日

相変わらず鬱が消えない。今回の鬱は「疑心暗鬼」の妄想鬱だ。去年から他人の視線というのをモチーフにした妄想が多発している。あの人はああいう気持ちでいるんじゃないか、とか。あの人も自分を嫌っているんじゃないか、とか。全部妄想である。他人の言葉の欠片からそんな感情を読み取ってしまう(妄想です)

親戚の訃報があった。祖父の妹だ。90数歳で、最近は老人ホームに入っていた。祖父と母との付き合いが時たまあって、先日見舞いに行っていた。それが最後だった。

Radioheadを聞き始めることにした。前から、良さがよくわからなかったバンドである。ブログコメントをしてくださる常連読者さんのご意見を伺ってから、また聞こうと思い出したバンドだ。ちなみに、彼らのアルバムでは、

1st パブロ・ハニー……聞いた

2nd ザ・ベンズ(曲げる)……聞いた

3rd OKコンピュータ……聞いた

4th キッドA……聞いた

5th アムニージアック(記憶喪失者)……聞いた

6th ヘイル・トゥ・ザ・シーフ(ドロボウ万歳)……聞いた

7th イン・レインボウズ……まだ聞いていない

8th ザ・キング・オブ・リムズ(枝葉の王)……聞いた

9th ア・ムーン・シェイブト・プール(月はプールみたいな形してるね)……まだ聞いていない

という状況。和タイトルは自分が勝手につけた。

猿月グリーン日

このラジオヘッドというバンド、OKコンピュータ以降、「バンドサウンド」を念頭に置いて聞くのは、ほぼ間違いのような気がしてきた。むしろ「プロジェクト」として聞いたほうがいいのか?エレクトロニカみたいに。

自分はこの日記においてRadioheadをラジオヘッドと表記する。馬鹿にしているのではない。1997年にOKコンピュータが出たとき、リアルタイムで村上春樹はそれを聞いていて、自身のホームページに、1997年の新譜ベスト3の一角としてOKコンピュータを入れていた。その時にRadioheadを「ラジオヘッド」と表記していたのだ。それを受けてのことである。今となってはどうでもいい話であるし、その後のラジオヘッドと村上春樹の関係性では、もう村上春樹も「レディオヘッド」と呼ぶようになったのだから。

今となっては。
こういう風に、今となってはどうでもいい、という感慨を持てるようになるのは、歳をとっての役得と言えるかもしれない。老害かもしれない。それにもともと、大したことのない話なのでもある。村上春樹がラジオヘッドと呼んだことなんかね。世間の「レディオヘッドは世界でもっとも先進的なバンド!」っていうのにムムーンと思っていて、「自分のバンド」として聞きたいからラジオヘッドと呼ぶのである。こういう意地も、きっといつかはどうでもよくなるんだろうか。

猿月ヴァイオレット日

人のことを考えたくないーっ!と強く思ってフートンをかぶる。このように考えている時点で相当人のことを意識している。「興味ないね」と言いながら実は興味しんしん、っていう図式に似ている。目を手で多いながらも、他人の陰部をチラ見してしまうのにも似ている。そんなに自分は他人を意識する人間だったのか、という驚きがある。

ラジオヘッドのキッドAを聞く。前よりは悪くない、と思えるようになった。でもトム・ヨークのあの歌唱がどうにも頼りなく聞こえる。

猿月ゲルゲル

ミュートピアの手続き第一陣を終える。疲れた。鬱(他人妄想)を飼いながらの作業は疲れる。というか、後回し後回しにしすぎていた。……違う。後回しにすることにより、こころの中で手続きが「重く・大きく」なっていったことが原因である。つまり妄想か。

キッドAを聞く。中盤の、空間的でありながらザクンザクンしたギターが何とも落ち着く。というか、この盤の「どこでも聞いてもいいし、どこでも途中で聞かなくなってもいいし……」みたいな雰囲気が今となってはありがたい。

ラジオヘッドをそういう風(「通し」で聞かない適当な聞き方)にして聞いていいのか?とも思うが、今の自分にとってはそういう聞き方が有難いんだからしょうがない。だいたい、こういう自分を非難する奴らは、ラジオヘッド呼ばわりをする時点でキレてくるだろう……という妄想をする。だいたいこんなことばかり考えている。これが妄想だ。誰も言っていない非難を自分のなかで反復する、生産性のない行為だ。

猿月ニョッキ日

「アムニージアック」を聞く。眠い日。

猿月レベッカ

「アムニージアック」を聞く。そういえば猿月タクシー日の日記でちょっとだけ触れたが、その日、親戚が亡くなっている。自分はこの祖父の妹の老女氏のことを知らない。以前から家族での話には出ている。それくらいの話だ。だのに、妙にこの老女の死で、自分の感情がふわふわしているところがある。よろしくない、ネガな感じにふわふわしている。また他人の死に引きずられたのか? 自分は老女を悼むほどの付き合いをしてこなかったくせに。

猿月ドゥーム日

Adoの「うっせえわ」を聞いた旧ボカロ世代は共感性羞恥を抱いていたたまれなくなる、過去の黒歴史を思い出して恥ずかしくなる、という話を聞いて、ひそやかに腹が立つ。作品が悪い・恥ずかしいのではない。おまいさんの過去自体がよろしくないのではないか。いや、むしろそれを恥じるおまいさんの「今」が逆に卑屈に鬱屈しているのではないか?「こういうの若いころは聞いてたよね、あははw」というおまいさんの話をしている。おまいさんの過去を否定するのは、おまいさんの個人意志でもって否定するのが筋だろう。作品が悪い・恥ずかしいのではない。確かに作品が誘発する感情はあるだろう。しかし作品そのものが悪い・恥ずかしいのでは決してない。作品のせいにするな。自分のせいにしろ。それが自己否定者の筋ってもんだ。

同じようなことはネット(とくにSNS界隈)で良く見られる「例の漫画」っていう言い方にもある。これはnoteというサイトで投稿されていた、てつなつ氏の「3人でゲーム作るまんが」という作品に対する議論に基づく言い方だ。この言い方にも自分はひそやかに腹を立て続けている。

作品を語る際には、作者名とタイトルをきちんと言え。「例の漫画」と言うことによって、コメント者としての自分を「名無しさん」みたいな匿名化をするな。自分の傷は自分できちんと言い、表現しろ。作品に自分の傷を仮託するのが悪いってわけではない。それこそこの引用魔人たるわたしもよくすることだ。でも、だったら、作品への敬意として、ちゃんと言及をしろ。自分の名前を言え。そこで自分から引くな(匿名化するな)。つまり、傷つけてきたあいつらへの「当てこすり」をするな、という話である。おまいさんの敵はおまいさんが引き受け、対峙するものだ。敵が自分だったとしたら……しても、それでも、やっぱりおまいさんが引き受けるもんだ。殴るか引くかはおまいさんの自由だ。わたしの知ったこっちゃない。わたしはおまいさんの卑怯さを恥ずかしく思うだけだ。

……ということをSNSを用いて発言していたら、自分は長文ツイート連投して、これまた良くないことになっていただろうな、と思う。炎上云々よりも、鬱にまみれている自分の治癒が遅れるっていう意味で。

そもそもこういう風に腹を立てている時点で、妄想いまだ巣くい中、ってところである。なのでアムニージアックを聞く。フートン。

猿月セブンスヘブン日

いい加減手を動かせ……と自分でも思う。でもフートンからあまり出たくない(腰が痛い)。アムニージアックの音がとても納得がいく。落ち着く。体感として、最低限のところで、「安心」という糸で編まれた、なんかのスパイダーネットでキャッチされている感覚がある。どこまでも鋭く落ち続ける、っていうのではなく。だからこの数日これをずーっと聞いているのだと思う。これはLo-Fi HipHopの聞き方にちょっと似ている。

少しずつトム・ヨークの歌が「うん、これもこれで、有ってもよいものだな」と思えている自分がいることに気づく。前は妙に卑屈っぽくとろ~ん・にょろ~んとした歌い方する人だな、と思っていた。そんなに自己破壊と自己憐憫が好きか、みたいに。わたくし自身を棚に上げて。

詩人としての力量に疑問があるわけではない。あるいは、妙に自分の暗部に近しいものがあった同族嫌悪だったのかもしれない。なるほど、「うっせぇわ」に共感性羞恥をする若者たちも、それはそれでキツかったのかもしれない、と若干思った。(でもやっぱり彼らの態度はよろしくないと思うよ)

猿月ワイルダネス

なんとなく、ミュートピアの準備をしてみようと思った。少しでも気分が「落ちて」きたり、体調が悪くなったらやめようと思いながら。最初の一個、最初の一個だけでいいんだ。そう思いながらチップチューンやLo-Fi HipHopのMIXを垂れ流しながら作業、作業。

……そしたら、妙に作業が進んでいた。えーっ、意外なほどに進むな!と。結局、この日と次の日で、ミュートピアの用意の大体のところ、8割が終わった。最低限作るべきもの、用意するものは出来上がり、あとは最終チェック、ブラッシュアップ、データのアップロードだけ、という状況にまでなった。えーっ。今まで何をしてたんだ、っていうかあの「重い・大きい」と思っていた作業量は……アッハイ、それが妄想ですね。

猿月リバー日

昨日書いたように、このリバー日で大体の作業をし、作業量の終わりが見えてきた。通常だったら気分がアガりまくるところだが、意識してそういう風に躁っぽくならないようにする。

目の前のひとつの作業に集中する。「しっかり」やろう、とする。一歩一歩でいいんだ、とする。

今まで自分は、気分の波に乗る形で、「キターッ!」となった時の波の威力を用い、一気にこれまでの遅れ分をマクるやり方でやってきた。それで結局なんとかなってきた(ならなかったものもあった)。

今回は、そのやり方を根底から反省して、一歩一歩の地道な努力を続けることにした。この時、「努力」と書いたが、努力は「少しずつ積み上げていく」というニュアンスにするようにした。「義務」という観念を頭から排するようにした。

何も考えるな、目の前のものを一個やれ。今はそれだけを考えろ。

頭の中で、ラジオヘッドの「Let down」がずーっと、ずーっと響いていた。「OKコンピュータ」の中盤の曲だ。

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自分の人生で、時たま、この曲がどうしようもなく頭の中で流れる時がある。それはだいたい、心が虚無的になってきたときだった。ラジオヘッドが凄い好きでもないのに、この曲が頭の中でリピートしてやまないときがあったんだよ。

でも、今回はちょっと違うかもしれない。

猿月レポート・オブ・リメンバー日

鬱が良くなっていっている。

「The king of limbs(枝葉の王)」を聞く。ちょっと前に自分は、「あまりラジオヘッドをバンドサウンドとして聞かなくても良いのではないか」と思っていた。でも今となっては、彼らの神経質な変拍子バンドサウンドが、妙に心地よい。彼らのバンドとしてのポリリズムが、何かを前に進めていきそうな心地になっている。

その時に唐突に思う。彼らはずーっと、創作の日々を続けていた、ということを。

ラジオヘッドはとくに、公式で長期活動休止期間というものを設けていなかったと思う(たぶん)。各バンドメンバーの個人活動はあっても(トム・ヨークのソロ、ジョニー・グリーンウッドの現代音楽作曲家活動など)、長期のバンド活動の休止はなかった。あっても1年くらい?これだけ実験的なことをしているバンドなのに。

つまり、彼らは自身の音楽性の実験性、探求性に飽きてはいないのだ。

コメントで、常連さん(カナリヤさん)が、ラジオヘッドの楽曲「Daydreaming」の感触について、仰ってくれた言葉を思い出す。

これは救いなのだろうか。救いとはこういう形をしているのだろうか。きっとそうなのだろうな。こう在りたいと願うんだろうな。こういった息苦しさ、焦燥感を具現化したような音像を彼らはずっとつくってきたのでしょう。こういう音像が彼らの軸なのだと思い至り、そしてそのことにとてつもない心地よさを抱いてしまう。そうなってしまうといよいよ僕はもう彼らを無視できません。

(中略)ただ僕が音楽に求めていたであろう意義をRadioheadは最初から携えて変わらず佇んでいてくれた。時に暴力的に。時にシニカルに。時に耽美に。そこがブレることがない限り、きっとこれからも彼らの足跡を追い続けて行くことでしょう。それが今から楽しみでなりません。

これは9th「ア・ムーン・シェイブト・プール」収録楽曲についてのお言葉だ。つまり、ラジオヘッドは昔からずっと、バンドを、創作をやり続け、それに飽き足らずにもっと、もっと、という日々を続けていた、ということになる。

彼らが「OKコンピュータ」を作り上げたとき、あるバンドメンバーはガールフレンドに「俺たち、凄いことをしちゃったんじゃないか」と電話した、というエピソードを前に読んだことがある。実際すごいことをしたわけなんだが。それは本当に「天啓」みたいなことだったんだろう。

でも、彼らはその後も作り続けた。一作ごとに違う音響実験、リズム実験を行っている。

今まで、自分はオルタナ者として、「レディオヘッドはいわゆる実験的、先進的バンドだから、その音楽的態度にリスペクトをする」という立ち位置だった。しかし愛好はせず。

今はむしろ、彼らの「毎日の音楽生活の営み」に興味がある。彼らは彼らで、一歩ずつ歩んでいった「音楽愛」のバンドなのだと思う。ラジオヘッドはいろんな音源をホームページにupしていることで知られる。バンドキャリアの早い段階からそうしてきた。今、わたしはそういう「音楽生活」をしているラジオヘッドのことが、とてもうれしく思う。

彼らの音の実験は、ただの実験で終わっていない。日々を良くするための、一歩一歩の毎日の楽しみとしての音の探求であるのだ、と思う。その音のアプローチから見えた、何らかの美というものを、楽曲として結実させているんだ、と。「トムヨークが曲を書いたからそれを実験的にアレンジして、はいレディオヘッドだよ世界の最先端!」という安易さではないのだ。彼らは毎日を、音楽で楽しみながら、楽曲を作り上げている。ああ、これがラジオヘッドというバンドだ、とそのとき、ようやくわたしは理解したのです。なんて理想的なバンドをやっているんだろう、と思ったものです。

ミュートピアの準備は順調に進んでいます。

猿月ポエティカル日(ミュートピア前日)

やれるだけのことは全てやった、と思う。少なくとも、準備のひとつひとつを丁寧にやった。各項目で、これ以上レベルを上げることはもちろん可能だけども、それをやるには実際にあと最低でも5日はかかる。これが現時点のベストな準備だ。

確かに、もっと前から準備していれば、そのベストには到達したかもしれない。けれども思う。この一週間ちょっとを、確実に一歩一歩進められた手ごたえというものが、何よりの報酬だ、と。その手ごたえがあるからこそ、今こうして、静かに喜びを感じられている。

これが同人活動の喜びだと思う。どれだけCDが売れたか、ではない。音楽生活を営み、その中でベストを尽くせたか、という話なんだと。そうか、自分は音楽のために努力をしてきたんだな、と今さらになって思い出す。それは誇ってもよいことなのではないか、と。

別に自分がラジオヘッド並みだ、って言いたいわけじゃない。そんなわけがない。でも、ラジオヘッドの音楽活動の日々というのが、今はとても尊敬できる。その結果として、ああいう音像がある。そのことが了解できた。

一歩一歩でいいし、不才の自分にとってはそれが限界でもある。でもその一歩一歩は確かにこうして自分を鬱から救ってくれたのだ、ということが、何より確かな事実である。今となっては、「一気にマクる」よりも、一歩一歩の価値・楽しさというものが、手作業を通じて、それこそ文字通り「手に取るようにわかる」ようになった。それで充分だ。

他人はどう思うだろうか……ってことをあまり考えなくなった。そういえばそうだ。

猿月、最近

ミュートピアは良いイベントだった。いろんな方が自分のサークルスペースにわざわざ足を運んでいただき、和やかにお話をすることができた。ありがとうございます。「他人はわたしを悪く思っている」という妄想はなんだったのか(明らかに妄想です)

 

ラジオヘッド、という名前について思う。ラジオは電波を受信する機械だ。受信する頭。

芦奈野ひとしヨコハマ買い出し紀行」に、「見て、歩き、よろこぶ者」という言葉(概念)がある。この物語の通奏低音になっている。

ラジオヘッドのメンバー、バンド活動の毎日も、それに近いものがあるんだろう。彼らはこの世界のいろんなもの……音、光、美、自然、人工、鬱、闇、そしてまた音、そういうものを、やたらめったら受信するんだろう。彼らの好奇心、実験精神っていうのはそういうことなんだと思う。

それは「センス」というものなのかどうか。彼らにしてみたら、「それは単なる頭なんだよ」と言いそうな気がする。5人の頭、がそれぞれ見て、聞いて、考え、歩き、よろこぶ。それはセンスというよくわからないものとは、別のものだと。どこまでも彼らの日常、音楽生活に根づいている、ただのラジオヘッド。

何回も書いたけれど、今は自分は、彼らのその自然さ、日常性、そしてそれが故の音楽生活の喜びというものに、とても尊敬を覚えている。自分もそうあれたら、と思う。時代の先端がーとか、音楽的実験性がー、とか、それよりも。もっとラジオヘッドのことを知りたく思う。彼らが受信した音のことも知りたい(どういう音に影響を受けたか、ということ)。彼らのラジオから発信される音を聞いていたい。

強く思う。音楽生活を営んでいたい。音を聞き、レコーダーでMIX、編集し、曲を作る。ホームページを整備し、世界観を説明し、たまにイベントに出る。CDやカセットがここにある。こういう音楽生活を、ずっと続けていきたい。

傍目からは何も変化がないように思えるわたくしのこの数週間であったと思うけれど、あるいは……。いや……まだわからない(と、思う)。とりあえずは、こういう風に自分はこの日々を過ごしたのですが。

ありがとう。

(サークル8TR活動)2/20土曜「ミュートピアvol.3」に出ます

このブログの筆者(残響)は、オリジナル作曲で、同人音楽サークル「8TR戦線行進曲」(エイトトラック~)というのをやっているんですが、明日2/20(土)に開催される、同人音楽webイベント「ミュートピアvol.3」に、サークル8TRで出展参加いたします。(残田響一、8TR残田名義)

 

イベント特設サイト↓

mutopia.hagall.info

 

出展頒布物(CD盤)や、委託CD盤などの情報は、こちらサークル8TRのサイトにまとめました。

redselrla.com

 

今、出展に関わるもろもろの作業を終えて、この日記ブログでの告知文章を書いています。
……本当に、同人活動、音楽活動というものは、良いものだなぁ、と静かに穏やかに思っています。

最近、ちょっと心身の体調を崩しておりましたが、この同人イベントの事務作業をこつこつやっていくことで、一歩一歩こつこつと、心身(とくに精神)の不調が治癒されていく感じがしました。

このコロナ禍のなかでも、こうしてサークル活動、創作・発表活動が出来るというのは、ありがたい話です。

中年音楽マニアとLo-Fi HipHop

●Lo-Fi HipHop

激烈に「刺さる」音楽を求めてきたわたくしでありました。シリアスに音と自己との対面・対話を求めるような音楽。速くハードなリズム。味わいの深い美しいメロディ、和音。美と世界観を表現するノイズギター。魂の叫びの発露のアドリブ。


ところが、そういうのとは対極の音楽に、35歳の現在になって、ハマることとなりました。今回のお話の主題は、Lo-Fi HipHopです。あるいはそれに近しい音楽。


RAINING IN OSAKA (Lofi HipHop)

実にタルい癒し系の現代R&BHipHopトラックです。リズムは穏やかで変拍子なんてない。生活に調和するかのような和音、コード進行。メロディは控えめで抑制が効いている。そう列挙してみると、なんだかボサノヴァに近いように感じてしまいます。うーん、実は一部のボサノヴァはかなりLo-Fi HipHopの美学に近いのではないか?と思っています。少なくとも、後述するLo-Fi HipHopフィルター、ないしLo-Fi HipHop的音楽美学でボサノヴァを聞いてしまってみると……

 

Lo-Fi HipHopを自分がどう楽しんでいるかを正確に書くと、わたくしは「チルい音像に浸る」ということを求めている節があります。
冒頭で書いた、シリアスな音と世界観に対峙するような聞き方でなく、生活そのものと近しいところで、音に緩やかに包み込まれる。

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エレクトロニ子さんが頻繁に夜中upされているトラックはよく聞きますね。

 

●中年オタク問題

さて、これはどこまで自分が「中年になった(オタクとして劣化した)」証左か? ーーと、自分自身を煽ってみます。シリアスに音楽に真剣になっていた自分はどこに行った?みたいに。

でもその問いに対しては、「正直どうでもいい」とスルっと返してしまう自分がいます。なぜなら、シリアス世界観の音に対峙するのを止めたわけではない。まぁ確かにシリアスに対峙する回数は減ったかもしれません。ストップ、まだデタミネーション(決断)は拙速だ。
しかし、レコード(CD、カセット)やMIX音源を聞く回数は、Lo-Fi HipHopやSynthwaveやチップチューンにハマって以来、ますます増えていっているのです。結局、一日何時間も音楽を聞いている。
むしろ、Lo-Fi HipHopあたりのチルい音を取り入れることによって、音楽をずーっと聞くにあたって、うまいサイクル、ルーティーンが出来ているとすら言えるのです。Lo-Fi HipHopでうまく自分の機嫌や調子を整えつつ、シリアス世界観の音にもしっかり対峙し、しかもシリアス世界観の盤の中のタルいチューンをLo-Fi HipHopとして聞いてしまってみる、というねw

Lo-Fi HipHopの楽しみ方(美学)を一度「よし」としてしまったら最後、これまで良さを見逃してきた様々な曲が、違った輝き方をしてきます。それは例えば、ロックのアルバムの中のタルい曲。

例をあげるのもなんですが、Red Hot Chili Peppersの「By the way」の後半って正直ダルくない?という意見が、前に聞いたことがありました。正直音楽雑誌にまで書かれていた。自分もぶっちゃけた話このアルバム、#6のゼファーソングと#7のキャントストップあたりまでと思っていました。
ところが最近、この後半部がやたら面白い。激烈にリフで刺さってくるようなロックではないものの、チルい、とまで言ったら言い過ぎですが、なんとも味わいがあるように聞こえてくる。そういう耳でさらに最近のレッチリを聞くと、ジョシュ・クリングホッファー在籍時の「The Getaway」を聞くとまぁ染みる染みる。爆裂ファンク・ロックチューンを求めている「いわゆるレッチリ」ファンからしたら肩透かしも良いとこだろうと思っていたこの盤ですが、一度「音に浸る」ことを良しとしたら、まぁ実に良い。

こんな風にメインストリームのロックですらこうなのですから、エレクトロニカとか古いR&Bとかヒップホップとかもうdig(レコード発掘漁り)の宝庫。ましてジャズなんてすごいですよ。もともとジェリー・マリガンの「Night Lights」(ブルックマイヤーとジム・ホールが入ったやつ)なんて、「良い感じ……落ち着くなぁ……」と以前から愛聴はしていました。しかしさらに「都会派チルの聖典」としてチル・フィルターを通して聞くと、これが凄いんだ……何もかもこの盤にハズれってものがないんだ……。こうなったら従来、「趣味は良いが地味」と言われてきたビル・クロウ(ジャズ物書きとしても有名)のベース・プレイの再評価ともなってきます(自分内)

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●退屈


Herb Ellis & Remo Palmier – Windflower (1978)

ハーブ・エリスのリーダー作をこういう形で聞き返してハマることになろうとはこの残響の目を持ってしても……っていうかわたくしの若かりし頃には想像もつかなかった……?
さて、どうだろう。自分の若い頃は「今はこういう風に轟音ギターロックや上海アリス幻樂団ばかり聞いてるけど、将来はゆったりしたフォークの良さがわかったりするようになるんだろうか……」と思いながら、(うーんローリング・ストーンズはタルい……)っていう風にしていたリスナーでした。フォークに関しては正直まだ、どうなるかわかりません。「タルいチル音に浸るため、ますますdigを頑張るようになる」っていう、チルくタルくなるんだか、頑張ってるんだかなんだかよくわからん状況になっています。どっちなんだ。しかし今、ますますレコード(CD、とくにカセット)のdig(レコード屋発掘漁り)が楽しくなっています。

その「ますますdigが楽しくなっている」という一点にフォーカスを当てれば、なんだか全然退屈していないんですよね。中年とかオタク劣化とかそういうのが全然頭にのぼっていない。若作りもしていないし、成熟たる老年であろうとしているわけでもない。ただ、タルい音でチルく浸るのを求めている。

そういうのを求めるようになるということが、即ち老化、劣化、退化、オタとしての敗北なんだよ、と言われたら、確かにそうかもしれない。しかしそのことを論議するより前に、今の自分はチルい音源のdigに忙しすぎて、オタ中年問題に関わっている暇がない。

ただ多分、オタ中年問題に一番フォーカスを当てるべきところは、最新のコンテンツについていけてるか否か、でもなく、オタ活アクティヴィティの熱量の高低でもなく。ハングリーヤングデイズvs楽したいブルジョワ中年の対立でもなく……もしかしたら「過去の自分への裏切り」問題ですらないのかもしれません。フォーカスすべきは「退屈しているかどうか」の一点だけなのかもしれません。今、退屈していますか? さて、どうしてみましょうか……っていう。

しかしLo-Fi HipHopフィルターという存在、これは妙に面白い。

  • 音はタルくて良し。ギターノイズは必須でない(あるわけがない)
  • リズムはオフビートが望ましい
  • ちょっとした郷愁、哀愁を感ずるメロ(でも哀愁演歌メロディアス歌い上げじゃなく)
  • 生活音の面白さ

っていうLo-Fi HipHopフィルターでいろんな音楽……過去に聞いてきた音楽、今聞いている音楽、そして生活音そのものを考えてみると、音楽、そして「日常」の見え方・聞こえ方が変わってくる。
この「これまで見過ごしてきたものが変容する」というのは、音楽ファンとして最大級の喜びだったりします。中年期を迎え、Lo-Fi HipHopを通して、その「変容」がもたらされたことが、自分にとっては最大級に良い。オタ中年問題よりも面白い、というのは、そういうことだったりします。

ところで、自分が作曲で活動している同人サークル・8TR戦線行進曲ですが、2/20の「ミュートピア Vol.03」と、2021春M3に、両方、webイベント参加をします。
サークルカットはこのように。

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サークルカット

mutopia.hagall.info

www.m3net.jp



ここで非常に恰好良いことを言うんですが、最近、Lo-Fi HipHopジャンルな曲を自作するようになったんですね。こんな感じです。

soundcloud.com

自分で作っていて、なかなか良い感じじゃないかと思うんです。上記の意味でタルくチルい音に浸っていられる。周囲の反応も「優しげでなかなか」という評価を頂きました。ありがたい限りです。
しかも最近、さらに生活環境音を合わせるために、料理している時のトントン音(包丁)、ぐつぐつ音(鍋)を録音するようになりましたからね……(苦笑

 

まぁそんな感じです。最近のみなさまの音の感じはどうですか?

 

●関係があったり、意識したりした参考記事

最近わたしの音の暮らしはこう - 残響の足りない部屋

ジャンル時流に乗るのを切っちまうのと、これまで伸びまくったジャンル世界樹が今ますます爆発する34歳の話 - 残響の足りない部屋

またいい未来で会いましょう。THE NOVEMBERS 配信ライブ 「At The Beginning」の感想を書いてみる。 - Nothing is difficult to those who have the will

オタク中年化問題 in 2021 - シロクマの屑籠