滝川幸司先生はわたしの恩師であり、大学・大学院時代の文学研究の師匠であられるのですが、そのあたりの話はまた別の機会(雑惑ブログ)で語るとして、今回から、数回に渡って御著である「天皇と文壇」について、解説……じゃなくて、滝川氏(先生、と呼称したいのですが、いちおう書評ブログということで、いつものスタイルにさせてください、失礼は承知で)の論考をもとにした、自分の政治論、社会論的考察について書かせていただきます。
この本は、題名の通り、「天皇」と、それを取り巻く「文壇」についての詳細な検討をしている本なのですが、より正確に言えば、本は三章に分かれます。
1.天皇を中心とした宮廷詩宴が、中世日本社会においてどのような意義をしめていたか
2.さまざまな宮廷詩宴の形式の変遷(データ論考)
3.古今集成立のあたりの、和歌の「公的文芸化」にまつわる、従来の説に対する異議(主に和歌の実際的な地位について)
について語られた本です。
今回の記事は、このうち(1)について語ることにします。
滝川氏は、宮廷詩宴が一義的なものでなく、国家体制を維持するための詩宴と、天皇の文芸趣味を補填するための詩宴とを区別し、宮廷詩宴の意義について、この章で詳しく検討します。
そもそも宮廷詩宴というものは、従来「雅(みやび)」なるものとして、研究史では扱われてきたように思われます。
その代表が源氏物語的な「花宴」でしょうか(これは和歌ですが)。天皇の御前に召された貴族・詩人たちが、各々の詩的精神を披露するみたいな。
ある意味ではそれは、「平安幻想」でありました。源氏、古今集を頂点とする、平安文学の、日本古典文学での頂点性を象徴するかのようなイベントとしての解釈。
しかし滝川氏は、ここで、それより前の「漢詩」しか詠まれない詩宴、についての詳細な考察をされます。
古代歴史学、古代文学研究では当然のことですが、和歌の地位というものは、日本国が生まれ出たときから悠久の歴史・圧倒的な地位を誇っていたわけではなく、舶来の先進国文化である、漢詩・漢文こそが「正統文学」であり、和歌というものは「所詮手すさびでやるもの」とされてきました。
その状況を打破するために紀貫之らの努力があったのですが、それは(3)での議論になりますので、今回は省略。
ではなんのために、宮廷詩宴において漢詩が詠まれたか。本章の主眼はそこです。
「それは、もちろん詩人的詩的精神の発露ではないのか?」という一般解を、早々に滝川氏は打破します。
この時代(平安初期)におけるスローガンとして「文章は経国の大業、不朽の盛事」
というのがあります。
文章でもって政治を成り立たせ、国体を維持し、律する、という、基本概念。
小島憲之氏の議論を下敷に、滝川氏はこの(王朝初期の)「経国思想」について検討をはじめることから、本書ははじまります。
そこで、滝川氏は、天皇が主催する詩宴について、<公宴>と<密宴>という概念を持ち出します。
このブログは研究ブログではないので、大雑把な説明ですいませんが、
<公宴>とは、「詩文によって、天皇中心のヒエラルキーを再確認させるための【儀式文芸の宴】」
<密宴>とは、「文芸に理解を示す(好文)天皇が、私的な文芸趣味により、詩人を召して行われる【詩的文芸の宴】」
と、定義します。
ひとくちに詩宴といっても、このふたつが明確に分かたれている以上、詩宴の多寡のみで、天皇と文芸性を安直に語るわけにはいかない、というのが滝川氏の主張です。
ただ補注として、この概念は、滝川氏の議論によれば、当時は感覚的に確かなものであったのですが、ことばとして定義されて厳密に使われてなかったので、後代の人間からしたら、判別が難しくなってる、といいます。
また、同じ詩宴の形態を表す言葉でも、時を経るごとに、<公宴>か<密宴>か、位置が変動してきた、というのも。
で、さらに重要なのは、天皇の好文に関わらず、詩宴は行われる、ということです。
それは先に述べた「文章経国」の思想があるから。漢詩漢文によって、国家体制(概念上)の維持をしていかねばならない。(正確には、時代が下っていくにつれ、この経国思想から、より「私的/詩的」な詩文表現の傾向へと移って行くのですが、根底にはこの思想……というより「感覚」があったといえます。その極点が和歌の台頭ですが、やはりここではそれはさておきます)
もっとも詩文だけで国家が成り立つ、という単純なものではありません。ファンタジー小説じゃないんだから(苦笑)。
ここで重要なのは、詩文の披露という場を通して、天皇=国体のヒエラルキーを、折にふれて再確認する、というものです。そういう意味では、雅楽を用いた儀式に近いものがあります。違いをいうとすれば、詩文はあくまで文芸であり、雅楽=音楽におけるメッセージ性の希薄よりも、格段に「メッセージ性」が強い、ということでしょうか。
さて、「天皇と文壇」第一章の簡単なあらましについて説明したところで、わたしの感想文というか、個人的な考えに移りたいと思います。
弟子だからというのではないのですが、滝川氏がここで提示した概念、状況分析に異論はありません(異論をさしはさめるくらいにレベルが高くないともいえる)。
わたしがここで書きたいのは、提示された「文章経国」の概念、詩文によって政治ヒエラルキーのダイナミクス、というものは「何なのか?」という率直な疑問です。滝川氏の議論のもっと「それ以前」というか。
そもそもこのことを考えるのもヤボかもしれませんが、わたしは「詩文が政治に寄与する」ということが、非常に興味深いのです。もっといえば、それが儀礼化するほどの位置を占め、実際にその場に生きた「彼ら」が、詩文が、建前と実際の政治的威力との間で、世を動かすダイナミクスを感じていたであろう事実に、非常に興味を持っています。
それは滝川氏の議論の曲解であることを承知で、わたしは、このブログで古代文芸政治論(?)をやってみたいと思います。
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ときに、某所でわたしは、このブログ記事でやりたいこと、というのをメモったのですが……あんまそういうメモを持ち出すのは品が良くないですが、とりあえず目次というか議論のダイジェストとして使えそうなのでコピペします。
・詩文の「経国」とは何か、の政治論
・政治と社会と詩文の連携
・詩文の意味の変遷と、国風国体民族性の変遷
・世人が君子をきめるのか、君子が世人を決めるのか、の社会変遷ダイナミクス
・文壇という場の、唱和による礼のフィールド形成力学、ならびにそれが政治社会形態に伝播する社会力学
・献詩における「諌め」の意味と限界とナルシシズム
・朝廷という「礼の場」における奉りが、どれが「持ち上げ」でどれが「自己保身」「国体改善」か
・儀礼の形式は、なんのためか(民俗学的、ないしフレイザー的儀式学)
全部できるかどうかはわかりませんが(結構アドリブで書いてるのですこの記事)、どれも書いて見たいので、がんばってみたいと思います)
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詩文が政治を動かすのはなにか?
もちろん、ひとつの詩文が政治……日本全体を動かす、というわけではないです。
文芸はそこまで……毒薬のように、キツいもんじゃありません。逆にそうだったら怖いです……。
それよりはひとつの指針というか、例えば、あんまり例えはよくないですが、この詩宴における詩文を献じることとは、硬直化しつつある政治体制/思想を、マッサージするようなものだったのではないか、と思います。
所詮、家臣の意見など、家臣の意見です。ましてや、この当時の詩人と言ったら、現在のような「アーティスト」ではありません。なんというか……「わりにいい感性をもった、便利人」みたいな感じで(だからこそ、多くの詩人は、その限界性を意識しつつも、忸怩たる思いを抱いていた……ひともいました)。
そういう「便利人」の意見なんて、絶対権力者たる天皇が、ガチに聞くはずもない、というのが、まあ当然の考えでしょう。
とはいいつつも、天皇自身も、「文章経国」の思想のうちにあったというのも事実。帝王学的に。もっというなら、中国(当時の先進国)の「詩文を取り入れてこその政治」という政治哲学を、刷り込まれていたというのは、重々いえることだと思います。
というわけで、半ばは「政治談議」、半ばは「政治詩文によって襟を正す」という機能が、詩宴には働いていたと思います。
ただ、滝川氏の<公宴><密宴>の議論にもとづけば、<公宴>はあくまで儀礼、そこで政治的ダイナミクスが動いたり、一発政治論をぶったり、ということは完全になく。
<公宴>にあるのは、あくまで秩序の維持の儀式。詩文を使って、天皇を賛美し、天皇ヒエラルキーを再確認するための儀式。
しかし<密宴>においては、天皇自身も、意見を求めたがっていた……そのような解釈で、だいたいのところはいいと思います。
さて、詩文がどこまで「経国」として世を動かしていったか、というと、まあ、実際には動かしていないのです(笑)
ただ、先ほどにも書いたような「襟を正す」。この感覚を、詩的精神に基づいた詩、プラス、社会の現状を詩という文芸によって、比喩的に感得するため、であったのか、とわたしは予想します。
国家経営というのは、マクロにしてミクロです。天皇はいくら帝王学を修めている君主……人間しては、これ完全に不敬な言い方ですが、「異常」です。
それが「国王」なんです。日本全土(まあ、北陸はこの時代あんまでしたが……)に住まう「民」を、すべて背負わなくてはならないひと。……「ひと」? これはどこまで「ひと」といいきってしまっていいのか。
それはシステムとして解釈するのも妥当ですし、象徴でもあります。
どちらにせよ、「一般人」じゃないのです。でも……それでも、遺伝子学的には、動物学的にはHuman beingです。
だからこその「家臣」の存在がいるのですが。サポートする、とはそういう意味合いでもあり……餅は餅屋的な(安っぽい比喩)
で、そのような「ひと」であり「異常」でもある天皇ですが、だからこそ、政治において「イメージ」というものが重要になってきます。
想像でぼんやり政治を行ってる、というわけではなく、国体全体をどう捉えるかのヴィジョンを求めてやまないのが、天皇です。君主です。ある意味このヴィジョンがいかにあるかで、その君主の個性がわかります。ナポレオンしかり、レーニンしかり。始皇帝しかり、源実朝しかり(このひと政治的ヴィジョンあんまなかったですよね)。
ヴィジョンは、数値……データだけでは、どうにもなりません。どうにかなるタイプのひともいますが、所詮データなので、極所的な見地になりがちです。
そこで、詩文というものが必要になってきます。
詩文は、厳密なデータにもとづく意見ではありません。アトモスフィア的な「なんとなく」「みんなこう思っているよね」を具現化したものです。
それだけ見れば頼りないものではありますが、マクロ政治においては、この「時の趨勢を見る」というのが非常に重要です。
東の砦将「だって、魔族の間に”今度はどこまで攻め込む”なんて話がある時点で、意識がそっちに向かっちまってるってことじゃないか。みんなが戦争を望んでいるとは思わねぇが、噂がこう流れてるってことは戦争したい誰かさんにとっては好都合なんだ。そいつはきっとこの流れを利用している」
勇者「……っ」
東の砦将「戦ってのは、武器だの人数だの練度だのも大事だけど、こういう数字には出せないような”雰囲気”ってのも大事なんだよ。雰囲気を持ってかれちまった軍は大抵負けるな。傭兵生活が長いと、この臭いをかぎ分けるようになる。負け戦の軍に傭兵が居つかないのはそのせいさ」
橙乃ままれ「まおゆう魔王勇者 2 忽鄰塔(クリルタイ)の陰謀」
現代小説で「マクロ」「経済」「戦争」「ひと」を描いた傑作小説(戯曲)である「まおゆう」は無数の読み解きができますが、ミクロの雰囲気を察知する必要があるマクロ政治とは、この「雰囲気」を無数に読み説かねばなりません。
しかも……狭い日本とはいっても、何国も、何十国もあるのですから。京都だけがすべてではない!(京都だけがすべてと思っていた平安貴族よ!)
それは、データだけではどうしようもありません。詩文が必要なのです。アトモスフィアが。時代の。
それが献じる詩文の意味の全部とは言いませんが、政治と詩文というのは、このような実際的な意味合いも持っていたと思うのです。
でなかったら、古代中国から「諌め」の系譜としての漢詩ーー杜甫、白楽天の系譜があった、とはいえないでしょう。彼らは、結局は敗北したのかもしれませんが……
なんか非常に長くなってきてしまったので、一回切ります。
またこの本の読み解きはどんどんしていきます。