残響の足りない部屋

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あなたのオルタナはなに

オルタナオルタナティヴ・ロック)って何ですか?

そこ行くあなたですよ。あなたのオルタナを聞きたいんですよ。わかっているんですか。

もう今おれはオルタナじゃないし、とか聞きたくないんですよ。あの日のオルタナが消え失せてしまいそうで、って話即ちオルタナなんですよ。

わかっているんでしょう。内心思っているんでしょう。だから話してくださいよ。あなたの心象風景を。

 

自分のオルタナの定義の話をします。

初めに、オルタナってのはノイズギターなんですよ。でもノイズをギャギャンンと余裕をもって鳴らしてさぁこれがオルタナで御座い、っていう安易さがオルタナなわけはないんですよ。商業オルタナなんつう悪名はここにかかるんですが。ええい、そんなものにこれ以上文字数を費やす暇はない。
で、その追い詰められた人間が放つ特有のノイズギターは、ある風景を絶対に伴うわけです。それ即ち心象風景の具音化であります。
ギターやアンプやエフェクターのブランド。それがあるからオルタナなわけじゃないんです。その愛器と幾多のライヴの死線を潜り抜けてきたからこそ愛器を愛器と為す「マイ楽器ラブソウル」の信頼。それは風景をこじあける鍵。あの日の心象風景を具音化させる鍵。だからファズを愛で思いっきり踏み込んでギターソロを奏でフィードバックノイズが走り電気音が感電する。どうだこれだ。


つまるところ、オルタナっていうのはギターノイズを使った音を介して、奴ら(音楽家)とおれら(聞き手)が対峙する。まずこのピリっとした対峙感があって、そこで奴らとおれらが音の中で無言の会話をするわけです。奴らの独特の意味わからん言語を、おれらは何とか聞き取ろうとする。そして時折垣間見える奴らの心象風景に、おれらがどこかで忘れ去ろうとしてきた感情を見出し、託し、同化させ、そしてまた音を聞く。

このギターノイズを介した心象風景の対話がオルタナティヴロックミュージック現象であります。

 

メジャーシーンからどんだけ離れているか、独自のキワキワバンド生活を送っているか、っていうのがオルタナの定義じゃないんですよ。メジャーから離れているっていうのは、ソニーミュージック本社東京都千代田区からどれだけ地理的に離れているか、っていう話じゃないことは明白ですが、しかし「独自のキワキワバンド生活」云々、っていうのにオルタナの本質を見出そう、っていうのは、ソニーミュージック本社東京都千代田区六番町から沖縄県波照間島(はてるまじま)まで離れる、っていうのとそんな違いはないと思います。
そのあたりの「アンチメジャー距離競争」っていうのは、さすがに今はないとは思います。あってもらっても困る。
自分はオルタナの定義を心象風景に置きたい。

 

心象風景の起こるノイズギターミュージックがオルタナ、っていうのが自分の荒い定義ですが、自分はこれでいいや。少なくともその定義で聞くオルタナに自分は用があるし、今も自分はその心象風景を大事にしている。

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例えばの話、bloodthirsty butchersの「デストロイヤー」を聞いていて、「うあぁあ」と思うわけです。気分がアゲアゲになるのでもなく、リズムで踊りだすんでもない。

いつかの自分はどっかに向かって走っていたらしきことを思い出す。

なんで走っていたのかはよくわかんないけど、人生がハピハピHappy楽しすぎてそんな走り方をするとはちょっと思えないって感じではある。
そんときにセイタカアワダチソウが空に向かって伸びていたことを思い出す。

空の雲と夕暮れの赤が混ざって、少しずつ蒼の空が黒がりに混ざっていく。

薄い川の水の流れがやけに透明だったていうこととか。

どっかの工場の煙突だったか、どっかの団地の日常の灯りだったか、ともかくどっかの誰かの日常の静けさを感じながら。

自分は町の郊外を走っていたことを思い出している。35歳に無事になることなんて皆目信じていなかった歳若い頃があったんだよ。


それから年月が過ぎ、性欲と酒精と承認欲求で人間は腐っていくんだよ。そんな風景をどんどん見てきた。

でも性欲と酒精に逃げる前に確かに人々は頑張っていたっていうのもしっかり見てきたんだよ。どっちを許せばいいんだかよくわかんないよ。


そんな日々がどんどん重なっていく。一個一個のエピソードの鮮烈さが失われていく。熱い水に刃を入れるかのようなヴィキッとした鮮烈な印象が遠くなっていく。


やがてこんな自分でもどんどん日常がうまく回るようになっていく。仕事だって出来ちゃったりする。過去の自分からの進歩に笑ってしまう。だが心のナイーブさが磨滅していってるのにも気づいている。ナイーブさが無くなったから仕事も生活も無事に進められるって話だ。大人になったなぁ。


でも、いつかの自分がどっかに向かって走っていたあの時の鮮烈な悲しさと、赤い空に高速で際限なしに飛んで行ってしまいそうな感情ってやつ。そんな少年の自分に、どっかで嘘をつき続けているような気がする。

 

そんな一切合切を、オルタナティヴ・ギターノイズロック音楽が、スカーンとあの頃に蹴落として、スカーンとあの頃に非常に共振する風景を見せてくれる。「これだった、よな?」っていう感じで。

それが自分にとってのオルタナなわけです。そんなに簡単に忘れていい心象風景じゃないだろう?っていう。

 

以上の話を一言で纏めると「10代リマインダー」っていう空恐ろしいドライな表現ありがとう嬢ちゃんウヘヘ、っていう事になっちゃいますが、そんな事言ってくる奴はワンパンするにも値しないよ。


あなたにとってのオルタナとは何ですか?よろしかったら聞かせてやってくれたらうれしいです(コメント欄にでも)