残響の足りない部屋

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ART-SCHOOL「Flora」全曲感想ついったー連投

取り立てて意味のない前説

先日、久々に創作用のついったーアカウントにログインしました。

twilogを貼ります)

twilog.org

自分(残響@modernclothes24)のアカウントは、以前書いたように、昨年末で消去致しました。
この日記ブログをHTTPS化して、そのURL&ブログカード表示のテストをするために、唯一残してあった創作アカウントに久々に入ってみた次第です。

もうタイムラインの眺め方すら忘れてしまったくらい久々のついったーログインでした。せっかくだからちょっとだけツイート(つぶやき)してみよう、と。でも、やっぱり今の自分は、SNSを忌避しているようで、タイムラインの中でつぶやき行為していてしんどくなってきました。「人々の往来のなかにいる」って感覚がつらい。

ただ、この創作アカウントは、twitter小説のリアルタイム連投行為をそもそも行っていたものだったんですよ。なので、かつて日常的に行っていた「ついった連投(連ツイ)」がどれくらい出来るのかのセルフ調査を行うため、前々からきちんと聞いてみようと思っていた、ART-SCHOOLの4thアルバムについての連ツイ感想をしてみようとした次第です。

 

・過去に書いたアート関連の記事

(2ndアルバムについて)

遅ればせながら、Art-Schoolの2ndアルバムと自分の迷いon 2017-2018のおはなしを書いてみる。 - 残響の足りない部屋

(音楽世界地図scrapbox企画)

ART-SCHOOL - for only what sounds hearing over

 

●開始

ART-SCHOOLの『Flora』をはじめて聞くのよ。以下リアルタイムリスニング感想を投下します

1.「Beautiful Monster」

力強いベースの動きに、明るいコードワークが、なんとも「地に足の着いた」感を見せます。なんだ木下理樹元気でやってたじゃないか感。固かった種子は、それでも確かに芽吹き花となって咲いたという、春先の雨あがりからのささやかで力強い祝祭の息吹がある。

ベースはゴリっと刻んでいますが、ギターワークは浮遊する。そして木下の歌も夢見つつも、日常の確かさと祝祭の浮遊をどっちも纏っている。花が咲いたよ花が

2「テュペロ・ハニー」


Tupero Honey (LIVE)


またもやメジャーコード感の明るさに、なんとシンセが絡む。だけれどバンドサウンドの疾走感と幾何学的なギターワークが、明るさの中にも繊細さを見せる。木下理樹元気でやってたじゃないかパート2。

 

3「Nowhere land」

やや変拍子ちっくなリズムに乗せて、日記めいた木下の歌詞。本来ならカッティングやベースのR&B、シティポップ・ファンク感が軽快さを出すんでしょうが、そこに木下の歌と詩が乗ると一気にグルーヴがズルズルっと「屈託ロック」になるのが面白み。リズムが木下に喰われた!

 

4「影待ち」


Aメロで心細い街の灯りを表すかのようなミュートギターに木下の詩が乗る。サビの歪んだグランジギターとコーラスワークがまた良い。心象風景の繊細
どよ~んと重くなることなく、やっぱり日常を歩いているんだな、っていう歩みもある。「Love/Hate」じゃこういう足取りしてなかったぞ

 

5「アダージョ

今作、リフを練りこんでいますね。リズムも音色も。前よりも「明るくなった」ことの是非はともかく、リフの音楽的練りこみ土合は評価せんと嘘だろう

攻撃的なギターですが、クリーン音が補助して、ちょっと南洋的な抜け感もあったりして、木下理樹の「光」の解釈が変わったのか?とか

 

6「Close your eyes」

ギターの「揺れ」が心情の揺れをとにかく想起させる、っていうのはこのバンドのお家芸ですね。ただサビで「心の屈託や醜さを轟音でマスキングし葬る」みたいなのは今回あんまりないように思えます。地に足のついたといえば確かにストレートか。でも生の無邪気な肯定はやっぱない

 

7「LUNA」

ギターの落ち込んでいくアルペジオと電子音、空間処理。当時のポストロック界隈の影響もあるのかしら。そこまで実験的にも振り切ってはいないけど。

遅めのテンポの、やっぱ夜を歩いている曲。光はあっても冷め覚めとした月明かり。木下は本作では「(悲痛に)呟く」のでなく「歌う」のですね

 

8「Mary Barker」

明るいシャッフルビート、そうか何か酷い歌詞を載せるんだろうな、というアートスクール木下理樹への妙な予測ってなんなんでしょうか。でもこの曲ではそういう酷さの方へは行かないでよかった。良い意味で「昔の曲」って感じがします。古き良きあの日々、なニュアンス

 

9「SWAN DIVE」

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鐘のような耽美な空間ギター。ビートはしっかりと踏みしめて曲を進行させます。その中を木下の詩が歩んでいきます。

何かの光に向かってか、これまで目にしてきた光を忘れはしないぞという決意か。でもその光はもう一度終わったんだと。ギリギリまで両手を広げて入水するダイブ(水泳用語「スワンダイブ」)のよに

 

10「SAD SONG」

グランジ疾走曲。あ、2ndの頃よりバンドサウンドが上手くなっている!(失礼

そんなグランジロック手練感もあって、歌もしっかり聞かせてくれます。つまり詩の主人公もそれだけ一応はリアルに強くなったのだ、というか。でも相変わらず悔恨をしている……からこその魅力ですが勿論

 

11「Piano」

グランジ轟音を最終的にぶつければいいんだろ」みたいなバンドから「いろんな音楽を味わってみよう」みたいな音楽性の発展がみられる今作のアートスクール。そういう意味でもポジティヴと言えるでしょうか。中心にあるのが木下の悲劇美学ですから「とっちらかり」はないんですが。

うん、意外なほど「音楽性の散漫なとっちらかり」も「バンドの実験性」も感じられない。サウンドの色とりどりに、木下の詩と歌がしっかりと喪失悲劇の釘をブッサしているから、そこでのブレはないんですよね。それだけ伝わってくる木下の詩と歌なんですが

 

12「IN THE BLUE」

大地(グラウンド)的な広がりのあるドラムのビート。そしてシューゲイザー轟音。うっすら被さる高音が光というか光への希望らしきものを感じさせる。「堕ちる」耽美轟音ではなく「見据えて前に向かっていこう」という肯定感がある。生き生きとしている。バンドサウンドも「前へ!」と

 

13「THIS IS YOUR MUSIC」

シンセとギターの祝祭性。シャカシャカしたドラムワークが疾走性を余計煽る形の。「いくぜ!」って感じの。前の曲(Tr.12)からの展開と考えるととてもしっくりくる。それでもサビで「パッパッパラ~」と言われてビビったけどw

 

14「光と身体」

アコースティックギターが用いられたバンドサウンドのミディアムテンポ曲。「しっかりした」歌です。悔恨はあれど憐憫はない、悲痛ではあるけども絶望ではない、という。よし、木下、君は「しっかり悲しむ」ことが出来るようになったんだな、って偉そうにw
音としても説得力がある

アートスクールに「力強さ」って表現するの、すごい座りが悪いんですが、じゃあこう言いましょう「良い歌やないか……」

 

15「low heaven」

アルバム全体のエンドロール的な牧歌的ゆったり曲。結構ここまでの満足度が高いので、今このエンドロールを聞いていて「よし……」としているリスナー(自分)です。

木下と愉快なアートスクールの仲間達がどっかへ旅に出るなら「行ってこい!」でも「き、気を付けてね…」でもなく「そっか、じゃあ、また」みたいな軽さで十分でないか。それくらいには彼らも強くなったし、大丈夫だ、と思える。きっと。
少なくとも彼らがこの15曲のアルバムで見せてくれた物語に、そこらへんで心配にさせるようなヤバさは薄かった。「何かまたお話してよ」って送り出そう。

ああそうか。自分は木下理樹ART-SCHOOLに、「語り手」性というのを、いつしか求めているようになったんだな、と、ふと。おお久々じゃないか木下、ほう、何か話がある、ふむじゃあお茶でも飲みながら聞かせてくれよ、みたいな。自分の中に木下の物語を「聞かせてくれ」という態度が出来た。

「美しいけど辛いなぁ。それゆえの美しさだなぁ」と思っていた2ndアルバム「Love/Hate」だけど、本作「Flora」で木下に対するまっとうな信頼度が増した。この人の話、バンドの色彩を見たい聞きたい、と思った。聞いてよかった。バンドがポジ方向に振れた事の「わかりやすさ」が界隈でどう思われてるかは、まあお察しはする

ただまぁ、盤として「聞いてよかった」と素直に思えたし、木下理樹の世界に自然でまっとうな親しみを抱くことが出来た。個人的にはそのことがうれしい。

 

 

●このアルバムを聞くきっかけになった文章、そしてフリージア、バンド合奏

 

mywaymylove00.hatenablog.com

 

この連ツイ後、上記ブログ管理人・カナリヤさんからレスを頂き、このアルバムとも関連の深いシングル曲「フリージア」を教えて頂く。

www.youtube.com

なるほど、今作Floraにつながる「路線」が見えます。あるいは木下理樹の見る風景の色彩、闇の温かさ、光の冷ややかさに、これまでとは違う、何かしかの変化があったのだな、ということがわかります。いろんな音を使っていますが、しかしオーバープロダクションという感じはしない。それよりも、ひとつの古い映画を見ているかのような情景感があります。この曲はこの曲だけでまとまっている、というか。だからシングルカットだけで、アルバムには入れられなかったのかな、とも。もちろん、だからといってアルバムよりも下、ってことはないんですが。シングル盤の数曲だけで構成される小宇宙のリードトラックとして任せられる、ということだと思うんです。

しかし、幸せになかなかなれないバンド、詩人ですね。ずーっと幸せを憧憬しているけど、自分にはそんな資格がないって信じ切っている。だからこそ見られる美もあるんですが、しかし、まぁ。

今、ふと、2ndの時の感想でも書きましたが、木下理樹にとってバンド・アートスクールが有る(トディをはじめとして)っていうことは、本当に、善いことなんだろうな、と自然に思います。

有難い、という言葉がありますが、有るのが難しい、ということで。

それは、木下理樹が自分の手足としてバンドメンバーを使う、ということではありません。

「そこにバンドがあって、皆で作っていける」ということが、ひとつの幸せの形なんだろうな、と。

もちろん、それはバンドメンバーとの和気あいあいを意味しているわけでもないんですが。「この悲しみがいつか消えてしまわぬように」というナイーブさを覆い隠すための手段としてバンドをやっているのでもない。

それでもバンドは……ああそうだ、日本語には「合奏」って言葉がありましたね。その営みが、木下理樹にとっては、我々が思っているより、もっと重要なのではないか、と思った次第です。