残響の足りない部屋

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音楽体験の言語化を通し音楽思想を練り上げることについて

音楽を聞いて、思ったことを言葉にするのは、だいたい良いことだと思う。だいたいね。

最後の方に「音楽を言語化することの欠点」としてチロっと釘刺すことにして、この文章では、音楽体験の言語化について書きます。

●音楽と言葉、思想、串刺し

はじめに。自分は音楽を聴いて、良かった場合「グッドバイブスやぁ~!!」と燃え上がります。で、だいたい自分はあほなので「グッドバイブスやぁ~!!」でコトを終えてしまいがちです。あほなので。

それで終えるのを続けるばっかりなのは、音楽の体験や、音楽にまつわる自分の思想を、より解像度高い&深いものにはしないのですね。それがもったいないなぁ、というのが、あほなりに音楽をことばにする理由でしょうか。

確かに「グッドバイブスやぁ~!!」を言語化せずに何回も積み重ねていくことは、それはそれで音楽功夫(オンガクンフー)のひとつとはいえます。ただ無心に積み重ねていくことは、案外ひとは出来んもんです。続けていくことは、一にして全、しかし全にして一です。

それでも、それらの体験を「言語化せずに」というのは、チリ紙をいちま~い、にま~い、と虚空に重ねていくようなものです。個々のチリ紙(体験)を貫き通すものが無ければ、チリ紙(体験)の束はプッと吹き飛んでしまいます。その貫き通すものこそが、言葉であり、音楽の思想なわけです。

……そういえば、音楽にまつわる言説で、空理空論ってあるじゃないですか。所詮それは戯言めいた屁理屈だよ、っていう。アイデアだけで実践が伴っていないやつ。一例:「ギターとベースとヴォーカルがなくてもロック音楽は出来るッ!」「やってみいや」っていう感じの。これは、今の例えで言うと、個々の「体験」の存在をまるっきり無視して、虚空に言葉を貫きとおそうとしているからの空理空論だ、っていう話ですね。常に言葉は……それが音楽の「思想」を練り上げるものである限り、やはり個々の「体験」から紡がれる言葉でなくてはなりません。そうでないと血が滴らない。血が滴っていない言葉に誰がこころ動かされるものか。自分でさえも「手前自身のことばに血が滴っていない」ことの虚しさを感じ取るはずだ。

閑話休題。つまり、音楽を言葉にする、とは、様々な音楽体験を、言葉で串刺しにする、ということであり、その串刺しにされた様々な言葉を、さらに練り上げて思想にする、ということよ。

●実例のようなもの:Lo-Fi HipHop

またLo-Fi HipHopやそれに連なる音楽で話をするけれど。

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自分のLo-Fi思想のはじめにあるのは、自分が夜中にやたらLo-Fi HipHopや、それに連なる音楽を延々と聞いて、時間を溶かしていた、っていう「体験」があります。妙に癒されるな……、と。

この「妙に癒されるな……」という、「時間を溶かしている」無駄さ(無駄な時間)、というものこそが、自分のLo-Fi思想において、一番大事なものです。

あんな無駄な時間がッ……!?と、自分自身で意外に思っています。この文章の読者さんが思っている以上に、残響(筆者)はあのLo-Fi体験を「しょうもない時間溶かし」と思っていました。それでも、確かにあの深夜のLo-Fiの日々があったからこそ、今自分はこの文章を書いているし、Lo-Fi思想は確固として練られたわけです。

Lo-Fi HipHop。タルいビートとチルい音像。ノスタルジック。拙速に歩みを明日へ進めるのではなく、過去のダルさに慰撫を求める。テンションをブチ上げていくのでなく、チルに「落とす」。……こういうLo-Fiの「美学」を自分の中で一度「良し」とする……それは自分がLo-Fiの「思想」で串刺しにされる、ということでもある。

こうやって、自分の音楽思想がひとつ刷新されていったわけです。Lo-Fi HipHopフィルター、チルフィルターを通して、いよいよ、これまで見過ごしてきた過去の音源が、どれほどのチルい光を放っていたか、の再検証が始まります。そして、自分がこれまでしこたま買い集めてきたレコードやCDが、どれほど「名盤」再認定したか。映画音楽とかすごかったですよ。

かくして、自分の日常が、別方向から光が照らされて、「こんなワンダーが在ったんだ」という静かな驚きに包まれるわけです。音楽の思想を練り上げ、思想を刷新していくことの意味は、ここにある、と思います。キリキリに思考のネジを締め上げて、自分という人間を無理にシメあげることをしても、別に自分のレベルは高まりもしません。それよりは、視点をちょこっと変えてあげることなんです。

 

●おれの思想を練り上げる

そのようにして、己の内奥のセルフスタジオで、おのれの言葉、あるいは人様の言葉を取り入れ、咀嚼し、練り上げるおれの音楽思想。This is……って、いつの間にか話が向井秀徳になっていますが。それはさておき、しかし、結局「音楽を言葉にする」とは「自問自答」に他ならないわけです。

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絶対に無駄だッ!と思っていたLo-Fi体験が、どんなもんだい、今の自分を作っている。そりゃそうです。自分を保とうと、癒そうと思って行っていた行為です。あの時は実に焦燥していて、それを癒すためのLo-Fi HipHop体験でした。そういう行為は、当時は無駄に思えていたけど、今紡ぐこのことば(文章)、今ひねり出すこの思想は、「あれは無駄じゃなかった」っていうこの文章がここに在るッ!!なのです。そういう風に自分は着地するのか!って自分で驚いています。

自分の人生は、そのようにして妙な「意外性」に救われています。

思想を練り上げる意味は、たぶんここにある。空理空論で救われない理由も実はここにあると思う。つまり、自分が音楽を聴き、言語化することで、まず自分の体験を肯定する。しようと試みる。その結果、いくつか音楽にまつわる言葉が生まれる。そしてそこから、思想が練り上げられていく。その思想は、意外な角度から照らす光で、自分を救うのだ。意外性に驚き、笑いすらして。

自問自答の果てに救いはある、とは、確かに大雑把に言えばその通りなのだろう。しかし、今の文脈に即して言うなら、「自問自答」と「果て」の間にある、セルフスタジオでの「ことばのセッション」や「こころのアドリブ」に、もっと重点を置いた方が良い。セルフスタジオでセルフセッションを「ひねり上げる・練り上げる」ことが大事なのだ。それを手前ェの人生の中でたまにある音源めいた創作物や、ライヴめいたイベントでね、こう、ぶちかましてしまえや。

●音楽をことばにすること、それから

上記のようなことが出来れば、それだけでもう良いのでは……と思えるのです。音楽の言語化。それは誰かのためになっているかどうかはわかりません。が、自分をちょっと救えた。それで良いんですよ。

自分を救うのは自分自身だ、っていうことを、36年生きてきて、ようやくわかりました。もうちょっと前までは、誰かや、誰かの言葉でバキっと人生変われるのかな、って憧れもあったんですが、それもそれで他人本願でした。

前にも書きましたが、大事なのは「個々の音楽体験」もですし、その先の練り上げられた「思想」もですが、その中間の、自分の中のセルフスタジオ・セッションこそが、たぶん一番大事なのです。そのセッションで繰り出される音符こそ、我々の言葉に他なりません。そこで他人が繰り出してきた音符(エッセイ、ブログ記事、音楽評論etc)に自分が影響を受け、化学反応するのも良し。大事なのはセルフセッションを練り上げることです。SNSより楽しいぜ。

音楽を言葉にする意味は、自分はそう思っています。ただ、セッションを練り上げて、「それで良し」としてしまい、「もうこれ以上考える必要はないや」と思いきってしまうと、その時から言葉は死んでいくのでしょう。これがすなわち音楽の言語化……というか、すべての「言語化」に纏わるヤバさなんですけど。言語にすると、ついつい「もうこれで大丈夫」と安心してしまいます。そりゃ、それまでフワフワしていた心を、ようやっと落ち着けることが出来たから、安心するのもむべなるかな、ではありますが。

それでも、おまいの言葉は、おまいの音源であり、おまいのライヴなんだ、という気概は持っていたいものです。

だから、音楽を言語化して、それで終い(しまい)、っていうのは、ちょっともったいない。音楽を言語化して、自分の生活の彩りが花開き、さぁそこからだろう、っていうことです。

まぁ、音楽の言語化なんて、音源にタグ(#)付けるようなものではあります。そう書くとしょうもないですし、音楽評論批判っていうのも成り立ってしまいますが。でも、そのタグを練り上げることで、人生の光、彩りが変わっていったら、それは笑えるようなものでは、けしてない。

もひとつ言えば、言語化してみてはじめて思想が練られる、自分が何を考えているか自分で知る……っていうのもあって。一度言葉にしてみないと、練られるものも練られない。自分が何を考えているかを発見すること。これは案外重要で、「自分の中に大層な思想があるから、それをアウトプット」という図式ではなく、「試しにちょっと言葉にしてみて、そこからいろいろ考えてみる」っていうのの方が、「思想を練る」道程にぐっと近いと思う。自分がどう考えていたか、っていうのは、案外言葉にしてみないとわからない。あ、別に言葉じゃなくても、絵や3Dで表現してもいいんだけど。とにかく形にして出してみる、ってことが大事で。実はこの文章だってそうなのでした。どっとはらい

 

●参考記事

中年音楽マニアとLo-Fi HipHop - 残響の足りない部屋

(Lo-Fi HipHopについて)

Illusion Is Mine 2022.2 - Nothing is difficult to those who have the will.

(THE SPELLBOUND体験、そして下記は記事より引用)

音楽について「自分だけの引き出し」によって音楽に深みを持たせ、音楽世界を広げていけたら、それは果たしてどんなに素晴らしいだろう。そしてそれは僕がずっと求めていたもののはずだ。僕の、僕だけの体験によって、僕の音楽性に価値を持たせる。

このブログ名について - 発声練習

(「頭の中にある自分の考えを文章にして書く事が出来るようになりたい」ということ)