残響の足りない部屋

もっと多く!かつ細やかに!世界にジョークを見出すのだ

かくして招待状を受け取ったからには劇場に行かねばならねぇな!--At the Garret×欠陥オルゴール「Invitations to Black Theater」

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atthegarret.web.fc2.com

原作・イラスト:兎角Arle(欠陥オルゴール
作詞・作曲:霧夜純(At the Garret
歌唱:鹿伽あかり・桃羽こと(At the Garret)

●今回の先行シングルの仕様

漆黒の招待状が届きました。

 

物語音楽同人サークル・At the Garretの2020年秋M3新作は、同人サークル・欠陥オルゴールとのコラボレーション作品です。
今作は、次(2021年春開催予定)の同人イベントで頒布予定のアルバムの先行シングルという位置づけです。

さて今回、自分はAt the Garret公式通販(Booth)で、ダウンロード(DL)配信ではなく、限定生産の現物媒体を予約購入しました。
「盤(CD)」ではありません。DLコードのついたカードです。

同人即売会において、CDを頒布せず、DLコード&パスワードが記されたカードを頒布する形態も、今は普通になりました。
しかし今作、こだわりが凄い。「粋(イキ)すぎる!」カードの装丁なのです。

どういうものかというと、上記写真のように、黒い封筒に今作シングルのタイトルが金色文字で記され、封はによって閉じられているという凝りっぷり。
もちろん封筒の中には、DLコードが記されているカードが入っていて、これが歌詞カードを兼ね、イラストが描かれています。

この粋で上品な装丁の設(しつら)えは、まさに「好きな事を好きなように表現する」同人創作そのものです。
しかし今作、真に素晴らしいのは、この装丁が伊達ではなく、作品内容と密接に同期リンクしていることで……

●#1「Invitations to Black Theater」

www.youtube.com

壮麗なストリングスのリフをバンドサウンドが支え、ピアノの旋律が緊張度高く疾走しながら始まる疾走曲です。

ザクザクとギターが刻まれ、ヴォーカルがストレートに流麗に歌い上げます。楽曲アレンジの展開で、バンドサウンドが一時的に「止め」を使ったりしますが、しかし緊張度が途切れることなく一気に聞きとおせるのは、練り上げられたメロディの歌唱が殴りつけてくるからですね。ストレートに美メロシンフォニックロックのパンチを放たれたらノックアウトされる他あるとでもいうのですかあなた。

特筆したいのはコーラス! サビの裏を支えるコーラスワークももちろんですが、楽曲中間部でヴォーカルを交代しての高音多重ヴォーカルで妙なる旋律の声が、世界を切り裂くように入り込んでくる所の格好良さといったらどうだ! そこからまたピアノを挟み、メインヴォーカルに再び移るのが良い。

そして、装丁が作品内容と密接にリンクしている事の「その1」ですが、歌詞内、しかもサビで「招待状の封を切ること」に言及しています。
リスナーがDLカードの封を実際に開けることから作品の全てが始まる……!リアルの音楽聞き体験と作品世界が完全に同期しています。装丁も作品の一部どころか、装丁からすでに作品世界は始まっているんですよ!
DLコードのカード1枚の封筒という物質的形式をここまで「活かしている」。ここまでくると、もはやDLコードカードはこの場合、CD(盤)の代用でなく、「これでしか味わえない」形式なのです。深読み? 否、だったら歌詞中でここまで言及するかって話です。

思えばAt the Garret音楽は、初期から今に至るまで霧夜氏の密室芸ですが、同時に屋根裏の劇場へ「ようこそ」と、客人(リスナー)をしっかり迎え入れている芸術であります。「美しければいいんだろ」の塩対応ではないわけです。
ならばこうして迎えられたリスナーは、装丁を含めた音楽作品を味わうのが本懐です。

王道の、女性voシンフォロックでございます。名刺代わりの招待状リードトラックとしての魅力たっぷりの風格です。壮麗で戦慄する疾走、美しくないパートがマジでひとつもない。バンドサウンドもビシビシ効いています。本作シングル、トラック2でもそうなのですが、ドラムワークが激しいです。

●#2「A rumor of Black Theater」

パレード感のある、騒がしくも妖しい曲です。
どことなくSound Horizonを想起しますが、じまんぐ的なる者はここにはいない。いや、屋根裏密室芸で鹿伽氏や桃羽氏にアレをやってもらっても大層困るので、そっち方面のアクターを充実しなくてもいいですあとぎゃれは。屋根裏でじまんぐがどったんばったん胡散臭く楽園パレード大暴れされてどうするっていう。

ドラムワーク、とくにシンバルがバシャンと鳴るおかげで、祝祭感があるパレード曲ですが、「なんかヤバい事が起こっていることは間違いない」という妖しみが常に漂っています。ワー楽しかった終わりっ!……ってことには絶対ならない曲です。そんな幻惑なるユーロ歌謡色もある曲。ホーンやストリングスのシンフォなリフの壮麗な鳴りっぷりも、mix担当の方すげぇ良い仕事していますね。

さて、この曲の中にも「招待状」への言及があります(その2)。曲の登場人物もまたこの招待状を受け取っているのです。
こうなってくると、先ほど「リアルとの同期」と書きましたが、それは単純に幸せすぎる話なのか?という疑念が出てくるのが、At the Garretと欠陥オルゴールの繰り出す「毒」ですねぇ。リスナーもまた、この楽曲の登場人物のようになるのではないか?招待状を受け取ったということは、おれらの中にもまた「そういう要素」があるのではないか? 毒ですね~怖いですね~。おなじ招待状を受け取ったのだから……という、登場人物との同期。屋根裏で鳴るオルゴールにはまさに気が抜けない……!

●かくして

前に、自分は自作の同人音楽CD(サークル・8TR戦線行進曲の作品)をありがたくも買ってもらった方に、

「作品っていうのは、自分がたのしく作ったものではありますが、こうして手に取って聞いてもらって、改めてこの世に産まれなおすのだから、あなたのようなリスナーは命の恩人のようなものです」

……と話させてもらったことがあります。


リスナーが聞いて、改めて完成する「作品」という劇場。そういう意味において、作者とリスナーは、きわめて良い意味での「共犯関係」にあるとも言えます。少なくとも自分は、良い意味でそう思っています。
そして今作のような「招待状」作品は、「こういう形式(DLカード媒体)」で受け取ったら、もうただの「あー聞いた」に終わるものでなく、ひとつの濃密な共犯の「実体験」になります。
いや、本作は「絶対に招待状DLカードで聞くべし」って言おうとしているわけではなく。誤解のないように付記します。あくまで自分は「贅沢な経験をさせてもらいました」っていうおはなしを、こうして日記として書いているわけです。自慢ではない。ただ、公式通販で予約していてよかったなぁ、と思い、改めてAt the Garretと欠陥オルゴールの両サークルにありがとうございました、と告げます。これが同人、これこそ同人創作活動です。

そういうわけで、招待状をこうして受け取って、楽しんでしまったわけです。ならば、次に見事に控えている、アルバムに期待するなっていうのが無理な話ですよ。まんまと両サークルの思惑にひっかかっているリスナーでございます。しかし、こうして濃密な体験をしてしまった以上、作品世界に対する「愛着」が確かに生まれてしまいました。なので、かくして招待状を受け取ったからには、劇場に行かねばならねぇな!

 

・過去の、At the Garret作品の感想

2020春M3作品感想(1)退廃耽美デカダンスの悲劇なる物語音楽はバチクソ充実しているーーAt the Garret「子供部屋の共犯者」 - 残響の足りない部屋

週末は旅に出ます

旅に出ます。さがさないでく(ry

……といっても、10/17(土)~10/18(日)の、週末1泊2日の旅行ですが。

しかも県を跨がず、シマーネ農業王国東部(自宅)から、西部へ130km以上の旅です。まったく我が農業王国は、南米チリめいて横にやたら長い……。

お目当てのイベントはこちらです。

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当日飛び入りで、SD「金床さん」を展示させてもらう予定です。(展示会レギュレーションはリンク先フェイスブックの通り)

地球堂模型 - 10月18日(日) 第1回益田圏域模型展示会が開催されるのでその告知です!... | Facebook

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コメントレスやホームページ更新は、帰宅してから行います。遅れてしまっていてすいません。

それじゃそんなわけで……(BGMイン

www.youtube.com

いやサイコロはしませんよw

「グロック以降のプラフレームハンドガンなんて玩具だぜ」みたいなことを抜かす老害で終わるよりも、純粋趣味道の弾丸を放とうって話

 

キャッチアップ、レイテンシー

怖い話ですね。非常に思い当たるフシがあるというのがまた怖い。自分が銃器知識を丹念に蒐集していたのが十代の頃で、あの頃は毎日銃器本や銃器雑誌やモデルガンに触れておりました。ベレッタのM92とM93Rの違いが判らないなんて「ア・リ・エ・ナ・イ」状態でした。

だが今はどうだというのか。わたしは新しい銃器知識をキャッチアップしているというのか。いやしていない。ちょっと前に久々に買った銃器雑誌で、いわゆる「modernized AK」スタイルのアサルトライフルを知って、あー時代が確実に変わった、と今さらながら思いました。AKと聞いてあの木製ストックと剛健性を第一に挙げるのはもうロートルなんだなと。共産圏の銃っていうイメージも、もう今を生きるヤングにとってリアリティのない「?」であるのでしょう。

むかしのことを思い返してみる。
わたしが十代の頃、銃器業界のトップはベレッタ、グロックH&Kというあたりが席巻していました。コルトのガバメント式ハンドガンのライセンスが切れる直前直後あたりで、各メーカがいわゆる「ガバコピー」に勤しんでいた頃。S&WのM500リボルバーが「S&W最強伝説未だ健在なりし!」という話題はありましたが、これにしたって今思えば「古き良きアメリカ」追慕の回顧であったなぁと。すでにこの頃、ハンドガンのハイパワー競争っていうのはとっくに終わっていて、マン・ストッピングを云々するのはサブマシンガンをいかに運用するか、って議論になっていました。というか話はすでに銃器の「威力」よりも「コストと安定性」に移っていました。

すでにこの時代(90年代)でさえ、ガバやS&Wが「古典」になっている時代でした。モーゼル?それは骨董愛好の領域でした。

じゃあ今の銃器業界はどうなのか。自分がツイッターをやっていた頃(この10年です)、RT(リツイート)でコルトやレミントンが倒産!とかいうのが入ってきて、コルトとかレミントンとかの名前を知ってるガンマニア寄りゲーマーは「えーっ」と騒いでいました。

でも自分はもうちょっと冷静に「まぁ前々からのアメリカ銃器メーカ業界の商売まわりから考えると、それもそうなるだろうなぁ」と、正直「ほーぅ、そうかい」くらいではありました。

その程度には、アメリカ銃器メーカのしんどさっていうのは伝え聞くくらいには、一応情報をキャッチアップはしていたことになるのかしらん。でもそれは例えば世界情勢でいうところの「北欧の福祉モデルは優秀だったけど近年はやっぱりリソース不足でしんどそう」みたいな雑な把握でしかなく、それくらいは銃器マニア業界の経験があれば誰だってわかる。

だいぶ話はズレましたが、確かに新しい銃器、兵器の型番、覚えられなくなったなーっ。もちろん当該ツイートのユーリィ・イズムィコ先生こと小泉悠氏はロシア&極東の軍事の専門家ですから、自分のようなニワカミリオタまがいとは知識レベルもコミット度合いも天とミトコンドリアほど違うというのは大大前提として。ましてイズムィコ先生はそれ(軍事アナリスト)で専門的にごはんを食べているのだから、軍事知識をキャッチアップ「する・しない」「したい・したくない」の話ではないんですよ。

そう、要するに、他でもないわたくし自身が、ミリ(軍事、武器)関連に対して、かつてほど熱が失われている……あー、この表現するのキツい……「老害」になってきてる、っていう話なんです。

 

自意識を間違えた奴が自爆しそうだよな

その「老い」を認めるのは……耐えがたいものだな!

しかし実際、自分は「もう知ってる」と思い込んでいるわけです。ていうか実際知ってるわけです。日本刀の打刀と太刀の違いを。撃鉄のシングルアクションとダブルアクションの違いを。キングタイガー王虎もといケーニヒスティーガーIIヘンシェル砲塔を。スピットファイアの栄光のスーパーマリンエンジンを(youtubeさえあればレストアされた実機のエンジン音を聞ける時代なんだぜ)。十代からこつこつと雑誌や本を読み、模型を作り、妄想たくましくしていたわけです。その熱は嘘じゃない。そして妄想と分かちがたい知識、そのこびりつき度も嘘じゃない。

問題は、「いま」の武器・兵器界隈の現場にコミットしていない。ようはマニアとして「熱」が燃えておらず、かつての熱の残滓で動いているようなもの。今自分はついったーをやっていないので、「かつての知識」で老害マウントとることもないのですが、しかし、例えば創作でミリ(軍事)知識を使うとなると、「古いよそれ」となりそうな感がある。歳をめされた女性が、例えば少女趣味小説を書くとして、しかし現代のガールズ知識のディテールがコレジャナイ感になっているのと、構図は全く同じである。

「現代の●●知識のディテールがコレジャナイ感」というのは、見る人が見れば一発でわかってしまうことで。これはどんなに言いつくろっても、その取り乱し方と補填補足の仕方にすでに加齢臭がにじんでしまっているようなもので。こういう状況下に自分も足を踏み入れたとすると……ふと、かつて若者だったわたしたちの前で、あたふたして取り繕っていたおじさんおばさんの痛みが、やっとリアルにビビッドにわかってくるのです。

 

純粋さは隠すだけ損だろう?

マニアであったことは嘘じゃない。でも、「今、マニアじゃない」ことも、悔しいながら嘘じゃない。そして、軍事知識に代わるものに今夢中になっているのも嘘じゃない。さらには、今だって決してミリ(軍事)、武器が好きなことも嘘じゃない。嘘だったらどうして未だに中2妄想箱庭で遊んでいるんだ。模型をやっているんだ。

「自然であれ」と自分の中のマニアの古き血が告げる。
「そして驕るな、在野の趣味人たれ」と古き血が静かに告げる声を聴く。

自らの現在の限界を知るということは、むしろ在野の趣味人として喜ばしいことです(研究者的態度、とも言います)

わたしは確かに、いまは武器、銃器、兵器などの軍事のマニアではない。「昔好きだった」程度のものです。でも、全くの未経験者からしたら、結構知識は持っているのです。ならばそれはやはりアドバンテージでしょう。知識は古いかもしれませんが、「銃器の基本構造」は熟知している。タマを飛ばすのが銃器なら、その基本は。それを今からイチから覚えなおすのとはわけが違うのです。勘所は承知している。

そんならあとは知識と熱の問題で。以上を一言でいえば「いかに純粋でいられるか」ってことです。この「純粋(なマニア的態度)」っていうのは、「いかなる場合でもマウントをとろうとしない」っていうことです。純粋さとマウントって水と油以下どファッキンじゃないですか(まじで)。それくらいの自制をせねば、「古参マニア」とは名乗れまい。

 

だから記念日と称してしまえ。皮肉は却下だぜ、クワイエット

 老いを認める。いくらでも言い換えましょう(この時点で老いだ)。「現時点での限界を認める」。でもくじけはしない、卑屈にならない。わたしは自分の知識のメンテナンスをしたいと思います。今だって武器が好きなら、やっぱり実際の武器をメンテナンスするように、知識をメンテナンスしていきたい。

かつてわたしは、モデルガンでですが、ハンドガンのフィールド・ストリッピングなんぞ目をつぶっていても出来たものです(実際やった)。それくらいの知識を、かつてのように身体化したい。

まぁようするに、人生を楽しみたいって話です。誰かに追いつきたいとか、引けをとりたくないとか、で趣味をするのだったら、ハナから趣味をしない方がずっと健全だと思います。ようやくわたしもそのあたりを心底了解するようになりました。趣味人として周回遅れのスタートかもしれませんが、まぁそれはよろしい。

なぜ趣味をするか、といったら、自分の機嫌をとるため、というのが、今わたくしが気に入っている表現です。インプット→アウトプットの義務だとか、創作生産性の義務だとか、今はもういいや、と「思い込もうとしている」のです。思いのほかこの「自分の機嫌をとる」っていうの、つい日々の生活で忘れてしまいそうになるんです。

つい「無駄にしたくない」とか「趣味的生産性がー」とかって考えそうになる。でも、今は「おっとっと、いけないいけない、自分の機嫌をとろう。やっぱ今日も疲れてるんだから」っていうように思い返そうとしています。意識しないと、つい義務感に引っ張られる。純粋じゃないですね。純粋でいたいんだ。少なくとも趣味においてはどこまでも純粋にいたい……!

そして自分の人生は、常に趣味人たりたいのだ。でも趣味を義務にしたくはない。ここのところ難しいなーっ。常におのれとの格闘か。でも己自身を大切にするのはおんのれじゃ、の精神です。趣味道の功夫クンフー)です。生き延びたんだから趣味に感謝できたら最高だ。よし、これから自作中2武器のデザインをし直しですわぁ。

 

※今回の章タイトルは以下の曲から引いています。

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キミたちの日常には耽美シューゲイザーの幻想が足りないのは明白

今日も仕事や日常にお疲れですか。そうですか。嫁姑問題? マイワイフがキレて自分のおもちゃを全部処分した? あるいは土地遺産問題? どうでもいいわ、しね!

よし、古今東西ドリームポップ/シューゲイザー(以下耽美シューゲ)を聞こう! わたしたちの疲れた生活には、幻想に身を任せ、幻視の為に轟音を聞き、心象風景に逃げるっちゅうことが足りんのですよ!

 

●耽美シューゲのオレオレ定義

幻想

・ノイズギターの壁が揺れている

・クリーンギターのピャァアンとした鈴鳴りの音が揺れている

・心象風景を幻視してしまう……

・ヴォーカルは不思議系、あるいは幼年期への憧憬に溢れた切なさ系

the pillows山中さわお氏はオルタナの定義を「当時の先鋭的アプローチにカントリー音楽の流れが混ざり合ったもの」としたそうですが、それなら耽美シューゲはもっと簡単で「フィードバックギターノイズシンフォニーとカントリー精神の融合」っていうのが一番手っ取り早い定義です。

・疾走よりも揺れ揺れの耽美幻想を

・おれたちはエフェクター(とくにファズと空間系)に多額の金額を投じる

・じゃあヴィジュアル系V系)?って言われると、それは違うが、しかしthe cureとかの80'sゴスの流れを無視してドリームの耽美を語ることは不可能だし……まあここに関しては「フィードバックギターノイズ(の壁)」を絶対に必要としている、ってあたりでひとつどうか

・ちょっとだけ、イモい(田舎っぽい)(だからバリバリ都会系の耽美シューゲって成り立たないんよね)

・馬鹿野郎その上記イモさは幻想への銀の鍵なんだろが

 

●以下のyoutube参考音源ですが(取説)

「これが耽美シューゲの教科書だッッ」とするつもりはありません。以下は単に自分の音楽favブックマークです。わたくしが耽美シューゲを聞きたいな、ってときに引っ張り出してる音源、ってだけです。

だから、耽美要素のない「素晴らしい轟音」は、あえてここから排除しています。モグワイ入れてないし、ソニックユースもだし。最近改めてニルヴァーナのカートのギターサウンドってやっぱ良いな、って思ってるんですが、それでも耽美とはズレるので入れていません。

今回このfavブックマーク記事をupるのは、ひとえに今の自分がアートスクールを聞いて、耽美シューゲはやっぱり良いな、と思ったのが理由のひとつ。

もうひとつは、アートを勧めてくださった音楽ブログ管理人さんが、今現在inジャストナウタイム、「Loveless」以前のMy bloody valentineに相当ハマりかけておられて、じゃあ耽美シューゲの沼世界にズッポンと蹴落としてしまえ、という酷い理由です。

じゃ、今日もレッツ轟音!

●Ride「Like A Daydream」

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まぁ、アートスクールから耽美シューゲという路線で、わかりやすいのをひとつ、っていう。

「ドリームポップ」と「シューゲイザー」の違いはひとえに「フィードバックギターノイズシンフォニー」(の壁)がどうしようもなく含まれているか否か、という問題です。だから耽美シューゲ以前にドリームな音楽を演っていた奴らも「耽美先史」として語ることは出来ます(それこそキュアーとか)。でもそこまでいくと際限がないんで、この記事では一応「ジーザス&メリーチェイン以降」とザックリさせてください。

しかしライドのこの音源、ドリーミーでありながらどこかスコンと抜けている所が、なんとも良いです。

そうなんですよ。耽美轟音濃度がマシマシになればなるほど良いか、っていうと、そこはそうとも言い切れない部分があるのが耽美シューゲの難しいところですね。次郎系ラーメンじゃないんだから。Lovelessは最高の名盤ですが誰にとってもの名盤ではない、っていう話でもある。幻想を夢見るには、時として軽やかさも必要だったりするから。

●MONO「Nostalgia」

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で、そんなことを前に言っときながら、いっきにポストロックでシリアスな方向にいくというね。日本のレジェンドです。

薄曇りの空に遠く鳴る鐘の響きのようなフィードバックノイズシンフォニー。どこまでもシリアス、どこまでも幻想。現実と夢想の両方を、鮮烈な血すら滴らせているギターで貫いて、貫いて、あの地平まで!

●Ringo Deathstarr「Kaleidoscope」

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アメリLo-Fi文化というか、海岸端のガレージロック文化というか。

特にこの国には、ヘナチョコさと狂った轟音の壁を、さも「うーん、おれたち当たり前にやってるだけなんだけどな」と言わんばかりに肩の力を抜いて耽美シューゲを演っている奴らが結構いまして。

その代表格……インディー臭ぷんぷんで、「リンゴ・デススター」なんてバンド名を名乗っているくらいへなちょこで、アメリカの空の彼方に抜けていきそうで、どうしたって夢を見ちゃう、そんなインディー耽美シューゲ。次のバンドもそんな感じだよ。

 

●Soft Blue Shimmer「Chamoy」

www.youtube.com

(公式bandcamp)

softblueshimmer.bandcamp.com

いやもう、こいつら最高なんですよ。カリフォルニア、ロサンゼルスのインディーバンドです。

自分は日本のインディーポップ/カセットテープレーベルのGalaxy Trainで知ってカセット買って聞いてみたんですけど、空(そら)の空気感や、水の飛び散り方が伝わってくるかのような瑞々しい揺れ揺れギターノイズ、クリーンギター。そこに絶品のエモーショナルなメロディのヴォーカルが乗るっていう、疾走軽やかさが。

あぁ良いなぁ、ああ良いなぁ、少なくとも今の自分のせせこましい圧迫された日常とは違うなぁ、っていう、軽やかさがあります。

 

●Cosmic Child「Blue/Green」

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最近知ったシンガポールシューゲイザーバンドです。いやぁ収穫収穫。王道の「鐘が鳴る」感じの空間系ギターワーク。そして空間の中をたゆたっているかのような、ぼんやりしたヴォーカル(誉めています)。王道の耽美シューゲです。こういう「居るところにはやっぱり居るもんだ」っていう音に触れられるから世界音楽旅行はやめられないです。

●Westkust「Cotton skies」

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スウェーデンシューゲイザーです。女性ヴォーカル。あああ爽やかーーーーッ!! こうやって轟音ギターとヴォーカルが一気に「世界の色鮮やかさを塗り替えてしまう」って感覚が、幻視、幻想を追い求めてやまない音楽リスナーの醍醐味ですよ。どこまでも走って行って飛んで行ってしまえっ、っていう爽快感。

まあ確かにド耽美は少なめですが、夜寝てこういう夢見ることが出来たら最高じゃないっすか?

 

●土曜日と人鳥とコーヒー「ニーナ(Re:Recording 2016)」

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アートスクールに影響を受けた、と、ギターヴォーカル/コンポーザーのYuki氏は語っていました。このギターの「揺れ」方、喪失を歌うヴォーカル、その幻視の仕方。これが耽美シューゲじゃなかったら一体なんだ、って感じの神戸の現在活動中のバンドです。

 

Sigur Ros「Olsen Olsen」

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「これはシューゲイザーなのか?」って言われたら、確かにギターノイズ要素は少ないかもしれない、と答えるしかないところがあります……。

しかし「空間に幻想が鳴り響いて、幻想音楽が現実を本当に再編成してしまう」っていうのの、ひとつの証左なんです。このPVは。だから最後までPVを一緒に見てみてください。

アイスランドの音楽です。自分が耽美シューゲの定義を「フィードバックギターノイズシンフォニーとカントリー精神の融合」と断言している理由のひとつです。

ART-SCHOOL「Flora」全曲感想ついったー連投

取り立てて意味のない前説

先日、久々に創作用のついったーアカウントにログインしました。

twilogを貼ります)

twilog.org

自分(残響@modernclothes24)のアカウントは、以前書いたように、昨年末で消去致しました。
この日記ブログをHTTPS化して、そのURL&ブログカード表示のテストをするために、唯一残してあった創作アカウントに久々に入ってみた次第です。

もうタイムラインの眺め方すら忘れてしまったくらい久々のついったーログインでした。せっかくだからちょっとだけツイート(つぶやき)してみよう、と。でも、やっぱり今の自分は、SNSを忌避しているようで、タイムラインの中でつぶやき行為していてしんどくなってきました。「人々の往来のなかにいる」って感覚がつらい。

ただ、この創作アカウントは、twitter小説のリアルタイム連投行為をそもそも行っていたものだったんですよ。なので、かつて日常的に行っていた「ついった連投(連ツイ)」がどれくらい出来るのかのセルフ調査を行うため、前々からきちんと聞いてみようと思っていた、ART-SCHOOLの4thアルバムについての連ツイ感想をしてみようとした次第です。

 

・過去に書いたアート関連の記事

(2ndアルバムについて)

遅ればせながら、Art-Schoolの2ndアルバムと自分の迷いon 2017-2018のおはなしを書いてみる。 - 残響の足りない部屋

(音楽世界地図scrapbox企画)

ART-SCHOOL - for only what sounds hearing over

 

●開始

ART-SCHOOLの『Flora』をはじめて聞くのよ。以下リアルタイムリスニング感想を投下します

1.「Beautiful Monster」

力強いベースの動きに、明るいコードワークが、なんとも「地に足の着いた」感を見せます。なんだ木下理樹元気でやってたじゃないか感。固かった種子は、それでも確かに芽吹き花となって咲いたという、春先の雨あがりからのささやかで力強い祝祭の息吹がある。

ベースはゴリっと刻んでいますが、ギターワークは浮遊する。そして木下の歌も夢見つつも、日常の確かさと祝祭の浮遊をどっちも纏っている。花が咲いたよ花が

2「テュペロ・ハニー」


Tupero Honey (LIVE)


またもやメジャーコード感の明るさに、なんとシンセが絡む。だけれどバンドサウンドの疾走感と幾何学的なギターワークが、明るさの中にも繊細さを見せる。木下理樹元気でやってたじゃないかパート2。

 

3「Nowhere land」

やや変拍子ちっくなリズムに乗せて、日記めいた木下の歌詞。本来ならカッティングやベースのR&B、シティポップ・ファンク感が軽快さを出すんでしょうが、そこに木下の歌と詩が乗ると一気にグルーヴがズルズルっと「屈託ロック」になるのが面白み。リズムが木下に喰われた!

 

4「影待ち」


Aメロで心細い街の灯りを表すかのようなミュートギターに木下の詩が乗る。サビの歪んだグランジギターとコーラスワークがまた良い。心象風景の繊細
どよ~んと重くなることなく、やっぱり日常を歩いているんだな、っていう歩みもある。「Love/Hate」じゃこういう足取りしてなかったぞ

 

5「アダージョ

今作、リフを練りこんでいますね。リズムも音色も。前よりも「明るくなった」ことの是非はともかく、リフの音楽的練りこみ土合は評価せんと嘘だろう

攻撃的なギターですが、クリーン音が補助して、ちょっと南洋的な抜け感もあったりして、木下理樹の「光」の解釈が変わったのか?とか

 

6「Close your eyes」

ギターの「揺れ」が心情の揺れをとにかく想起させる、っていうのはこのバンドのお家芸ですね。ただサビで「心の屈託や醜さを轟音でマスキングし葬る」みたいなのは今回あんまりないように思えます。地に足のついたといえば確かにストレートか。でも生の無邪気な肯定はやっぱない

 

7「LUNA」

ギターの落ち込んでいくアルペジオと電子音、空間処理。当時のポストロック界隈の影響もあるのかしら。そこまで実験的にも振り切ってはいないけど。

遅めのテンポの、やっぱ夜を歩いている曲。光はあっても冷め覚めとした月明かり。木下は本作では「(悲痛に)呟く」のでなく「歌う」のですね

 

8「Mary Barker」

明るいシャッフルビート、そうか何か酷い歌詞を載せるんだろうな、というアートスクール木下理樹への妙な予測ってなんなんでしょうか。でもこの曲ではそういう酷さの方へは行かないでよかった。良い意味で「昔の曲」って感じがします。古き良きあの日々、なニュアンス

 

9「SWAN DIVE」

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鐘のような耽美な空間ギター。ビートはしっかりと踏みしめて曲を進行させます。その中を木下の詩が歩んでいきます。

何かの光に向かってか、これまで目にしてきた光を忘れはしないぞという決意か。でもその光はもう一度終わったんだと。ギリギリまで両手を広げて入水するダイブ(水泳用語「スワンダイブ」)のよに

 

10「SAD SONG」

グランジ疾走曲。あ、2ndの頃よりバンドサウンドが上手くなっている!(失礼

そんなグランジロック手練感もあって、歌もしっかり聞かせてくれます。つまり詩の主人公もそれだけ一応はリアルに強くなったのだ、というか。でも相変わらず悔恨をしている……からこその魅力ですが勿論

 

11「Piano」

グランジ轟音を最終的にぶつければいいんだろ」みたいなバンドから「いろんな音楽を味わってみよう」みたいな音楽性の発展がみられる今作のアートスクール。そういう意味でもポジティヴと言えるでしょうか。中心にあるのが木下の悲劇美学ですから「とっちらかり」はないんですが。

うん、意外なほど「音楽性の散漫なとっちらかり」も「バンドの実験性」も感じられない。サウンドの色とりどりに、木下の詩と歌がしっかりと喪失悲劇の釘をブッサしているから、そこでのブレはないんですよね。それだけ伝わってくる木下の詩と歌なんですが

 

12「IN THE BLUE」

大地(グラウンド)的な広がりのあるドラムのビート。そしてシューゲイザー轟音。うっすら被さる高音が光というか光への希望らしきものを感じさせる。「堕ちる」耽美轟音ではなく「見据えて前に向かっていこう」という肯定感がある。生き生きとしている。バンドサウンドも「前へ!」と

 

13「THIS IS YOUR MUSIC」

シンセとギターの祝祭性。シャカシャカしたドラムワークが疾走性を余計煽る形の。「いくぜ!」って感じの。前の曲(Tr.12)からの展開と考えるととてもしっくりくる。それでもサビで「パッパッパラ~」と言われてビビったけどw

 

14「光と身体」

アコースティックギターが用いられたバンドサウンドのミディアムテンポ曲。「しっかりした」歌です。悔恨はあれど憐憫はない、悲痛ではあるけども絶望ではない、という。よし、木下、君は「しっかり悲しむ」ことが出来るようになったんだな、って偉そうにw
音としても説得力がある

アートスクールに「力強さ」って表現するの、すごい座りが悪いんですが、じゃあこう言いましょう「良い歌やないか……」

 

15「low heaven」

アルバム全体のエンドロール的な牧歌的ゆったり曲。結構ここまでの満足度が高いので、今このエンドロールを聞いていて「よし……」としているリスナー(自分)です。

木下と愉快なアートスクールの仲間達がどっかへ旅に出るなら「行ってこい!」でも「き、気を付けてね…」でもなく「そっか、じゃあ、また」みたいな軽さで十分でないか。それくらいには彼らも強くなったし、大丈夫だ、と思える。きっと。
少なくとも彼らがこの15曲のアルバムで見せてくれた物語に、そこらへんで心配にさせるようなヤバさは薄かった。「何かまたお話してよ」って送り出そう。

ああそうか。自分は木下理樹ART-SCHOOLに、「語り手」性というのを、いつしか求めているようになったんだな、と、ふと。おお久々じゃないか木下、ほう、何か話がある、ふむじゃあお茶でも飲みながら聞かせてくれよ、みたいな。自分の中に木下の物語を「聞かせてくれ」という態度が出来た。

「美しいけど辛いなぁ。それゆえの美しさだなぁ」と思っていた2ndアルバム「Love/Hate」だけど、本作「Flora」で木下に対するまっとうな信頼度が増した。この人の話、バンドの色彩を見たい聞きたい、と思った。聞いてよかった。バンドがポジ方向に振れた事の「わかりやすさ」が界隈でどう思われてるかは、まあお察しはする

ただまぁ、盤として「聞いてよかった」と素直に思えたし、木下理樹の世界に自然でまっとうな親しみを抱くことが出来た。個人的にはそのことがうれしい。

 

 

●このアルバムを聞くきっかけになった文章、そしてフリージア、バンド合奏

 

mywaymylove00.hatenablog.com

 

この連ツイ後、上記ブログ管理人・カナリヤさんからレスを頂き、このアルバムとも関連の深いシングル曲「フリージア」を教えて頂く。

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なるほど、今作Floraにつながる「路線」が見えます。あるいは木下理樹の見る風景の色彩、闇の温かさ、光の冷ややかさに、これまでとは違う、何かしかの変化があったのだな、ということがわかります。いろんな音を使っていますが、しかしオーバープロダクションという感じはしない。それよりも、ひとつの古い映画を見ているかのような情景感があります。この曲はこの曲だけでまとまっている、というか。だからシングルカットだけで、アルバムには入れられなかったのかな、とも。もちろん、だからといってアルバムよりも下、ってことはないんですが。シングル盤の数曲だけで構成される小宇宙のリードトラックとして任せられる、ということだと思うんです。

しかし、幸せになかなかなれないバンド、詩人ですね。ずーっと幸せを憧憬しているけど、自分にはそんな資格がないって信じ切っている。だからこそ見られる美もあるんですが、しかし、まぁ。

今、ふと、2ndの時の感想でも書きましたが、木下理樹にとってバンド・アートスクールが有る(トディをはじめとして)っていうことは、本当に、善いことなんだろうな、と自然に思います。

有難い、という言葉がありますが、有るのが難しい、ということで。

それは、木下理樹が自分の手足としてバンドメンバーを使う、ということではありません。

「そこにバンドがあって、皆で作っていける」ということが、ひとつの幸せの形なんだろうな、と。

もちろん、それはバンドメンバーとの和気あいあいを意味しているわけでもないんですが。「この悲しみがいつか消えてしまわぬように」というナイーブさを覆い隠すための手段としてバンドをやっているのでもない。

それでもバンドは……ああそうだ、日本語には「合奏」って言葉がありましたね。その営みが、木下理樹にとっては、我々が思っているより、もっと重要なのではないか、と思った次第です。

あなたのオルタナはなに

オルタナオルタナティヴ・ロック)って何ですか?

そこ行くあなたですよ。あなたのオルタナを聞きたいんですよ。わかっているんですか。

もう今おれはオルタナじゃないし、とか聞きたくないんですよ。あの日のオルタナが消え失せてしまいそうで、って話即ちオルタナなんですよ。

わかっているんでしょう。内心思っているんでしょう。だから話してくださいよ。あなたの心象風景を。

 

自分のオルタナの定義の話をします。

初めに、オルタナってのはノイズギターなんですよ。でもノイズをギャギャンンと余裕をもって鳴らしてさぁこれがオルタナで御座い、っていう安易さがオルタナなわけはないんですよ。商業オルタナなんつう悪名はここにかかるんですが。ええい、そんなものにこれ以上文字数を費やす暇はない。
で、その追い詰められた人間が放つ特有のノイズギターは、ある風景を絶対に伴うわけです。それ即ち心象風景の具音化であります。
ギターやアンプやエフェクターのブランド。それがあるからオルタナなわけじゃないんです。その愛器と幾多のライヴの死線を潜り抜けてきたからこそ愛器を愛器と為す「マイ楽器ラブソウル」の信頼。それは風景をこじあける鍵。あの日の心象風景を具音化させる鍵。だからファズを愛で思いっきり踏み込んでギターソロを奏でフィードバックノイズが走り電気音が感電する。どうだこれだ。


つまるところ、オルタナっていうのはギターノイズを使った音を介して、奴ら(音楽家)とおれら(聞き手)が対峙する。まずこのピリっとした対峙感があって、そこで奴らとおれらが音の中で無言の会話をするわけです。奴らの独特の意味わからん言語を、おれらは何とか聞き取ろうとする。そして時折垣間見える奴らの心象風景に、おれらがどこかで忘れ去ろうとしてきた感情を見出し、託し、同化させ、そしてまた音を聞く。

このギターノイズを介した心象風景の対話がオルタナティヴロックミュージック現象であります。

 

メジャーシーンからどんだけ離れているか、独自のキワキワバンド生活を送っているか、っていうのがオルタナの定義じゃないんですよ。メジャーから離れているっていうのは、ソニーミュージック本社東京都千代田区からどれだけ地理的に離れているか、っていう話じゃないことは明白ですが、しかし「独自のキワキワバンド生活」云々、っていうのにオルタナの本質を見出そう、っていうのは、ソニーミュージック本社東京都千代田区六番町から沖縄県波照間島(はてるまじま)まで離れる、っていうのとそんな違いはないと思います。
そのあたりの「アンチメジャー距離競争」っていうのは、さすがに今はないとは思います。あってもらっても困る。
自分はオルタナの定義を心象風景に置きたい。

 

心象風景の起こるノイズギターミュージックがオルタナ、っていうのが自分の荒い定義ですが、自分はこれでいいや。少なくともその定義で聞くオルタナに自分は用があるし、今も自分はその心象風景を大事にしている。

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例えばの話、bloodthirsty butchersの「デストロイヤー」を聞いていて、「うあぁあ」と思うわけです。気分がアゲアゲになるのでもなく、リズムで踊りだすんでもない。

いつかの自分はどっかに向かって走っていたらしきことを思い出す。

なんで走っていたのかはよくわかんないけど、人生がハピハピHappy楽しすぎてそんな走り方をするとはちょっと思えないって感じではある。
そんときにセイタカアワダチソウが空に向かって伸びていたことを思い出す。

空の雲と夕暮れの赤が混ざって、少しずつ蒼の空が黒がりに混ざっていく。

薄い川の水の流れがやけに透明だったていうこととか。

どっかの工場の煙突だったか、どっかの団地の日常の灯りだったか、ともかくどっかの誰かの日常の静けさを感じながら。

自分は町の郊外を走っていたことを思い出している。35歳に無事になることなんて皆目信じていなかった歳若い頃があったんだよ。


それから年月が過ぎ、性欲と酒精と承認欲求で人間は腐っていくんだよ。そんな風景をどんどん見てきた。

でも性欲と酒精に逃げる前に確かに人々は頑張っていたっていうのもしっかり見てきたんだよ。どっちを許せばいいんだかよくわかんないよ。


そんな日々がどんどん重なっていく。一個一個のエピソードの鮮烈さが失われていく。熱い水に刃を入れるかのようなヴィキッとした鮮烈な印象が遠くなっていく。


やがてこんな自分でもどんどん日常がうまく回るようになっていく。仕事だって出来ちゃったりする。過去の自分からの進歩に笑ってしまう。だが心のナイーブさが磨滅していってるのにも気づいている。ナイーブさが無くなったから仕事も生活も無事に進められるって話だ。大人になったなぁ。


でも、いつかの自分がどっかに向かって走っていたあの時の鮮烈な悲しさと、赤い空に高速で際限なしに飛んで行ってしまいそうな感情ってやつ。そんな少年の自分に、どっかで嘘をつき続けているような気がする。

 

そんな一切合切を、オルタナティヴ・ギターノイズロック音楽が、スカーンとあの頃に蹴落として、スカーンとあの頃に非常に共振する風景を見せてくれる。「これだった、よな?」っていう感じで。

それが自分にとってのオルタナなわけです。そんなに簡単に忘れていい心象風景じゃないだろう?っていう。

 

以上の話を一言で纏めると「10代リマインダー」っていう空恐ろしいドライな表現ありがとう嬢ちゃんウヘヘ、っていう事になっちゃいますが、そんな事言ってくる奴はワンパンするにも値しないよ。


あなたにとってのオルタナとは何ですか?よろしかったら聞かせてやってくれたらうれしいです(コメント欄にでも)