残響の足りない部屋

もっと多く!かつ細やかに!世界にジョークを見出すのだ

漫画を描いている

オリジナル創作漫画第2作目「仙境ヤマナシ旅行記」を描いています。

・漫画一作目 ↓

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以下、漫画作成時の日記から抜粋したり、現在考えていることをメモったり。

●漫画作成前、世界観を掴むためのイメージイラスト

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イメージイラスト

2021/12/7夜
「なかなか良い絵が描けたんじゃないかしら」


2021/12/8深夜
「構図が甘い、しかしスタート地点には立っている」
「山はもっと蒼く描けるはず」
「もっと空の穏やかさを自由に、たゆたうように」
「小物を入れる意気込みがナイス!」
「潰れた色の金色の月は意外と効果的」
「線がきたない。しかしもっと良くないのは線が一方向だってこと」

「もっとよく出来るはず。確実にもっと上手く描ける」

 

●漫画作成開始

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ネーム(漫画の設計図)はすでに全ページ完成している。あとは、どこまでペン入れで追い込んでいけるかだ。少しでも完成度を上げていきたい。

ネームを清書原稿に転写する(トレス台を多用)。その紙に、さらに鉛筆などで下書きをし、キャラや構図を、ペン入れ前に可能な限り「掴んで」おく。

ペン入れは楽であればあるほど良い。楽であれば、それだけ全力でペン入れを楽しむことが出来るのだから。様々なアナログ画材を用いたペン入れを楽しみたい。デジタルトーンや消しゴム修正で、パソコンやタブレット(デジタル画)を頼ることになるのだけど、アナログ画の愉しみをもっと味わいたい自分がいる。

まず手を動かし描き、考え、正しい線を選んでいく。そして線を引き、しかる後に画面を引いて全体像を確認し、また原稿に戻る。

線を引き、考え、線を描き、絵を描く。それが無限に続く。無限に続けられる喜びを思う。

 

とはいっても、漫画画面には大事な余白というものがある。世界観は余白に、確実に宿っている。大事なのはドヤ顔の描き込みではなく、世界観の現出なのだと肝に銘ずる。また、漫画としての「読みやすさ」もある。余白は大事。

 

それでもやはり線を引く。描きこむ。アナログで描く。自分の右手に脳が付いている。右手で考える。ペンや筆で「考える」。賢しらな頭脳ではない。自分の手が賢くなっていってくれたら、と思う。そういう画力……「手を動かし描く思考」は嘘をつかない。薄っぺらくもないはずだから。

 

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それが毎日続く。今のところ、漫画描きという趣味に飽きていない。もっと、もっと、と絵を描きこむ。なんとこの「絵」の道は高く果てしないか、と思う。自分の今いる地点が低すぎる、というのはもちろんのことで。だがそれ以上に、「やれることはたくさんある」と認識できることの方が嬉しい。

 

一日いちにちの作業量を、やたらと多くしないようにする。一日だけバーストしまくって没頭しても、次が続かなかったら、よろしくない。むしろ毎日の継続を大事にしたい。だから作業量は「ほどほど」のさらに手前、甘めにしておく。絵を嫌いにならないことを意識した作業量。そんな毎日の歩みなので、原稿完成まで、やはりまだ一ヵ月はかかるだろう。けど、この調子なら作品を完成させるまで、二か月はかかるまい、と予測する。

うまく継続の調子がついてきたのかもしれない。だらだらネットを見るより、毎日、漫画を描くのを選んでいる自分がいる。「ついつい」今日もペン入れ作業をしてしまう、という感じにすらなってきた。

 

 

こんな毎日で、意外と悦に入る暇があんまりない。今自分は、確かに「漫画を描けている」という夢の中にいるのに。かつてあれほど希求した夢の中に。

それでもやはり……今はペン入れをしたい。絵を描きたい。少しだけ、そう少しだけ。負担にならない程度に少しだけ。……けど、いつの間にかその少しだけ、の量が多くなっていることに気づく。

最近、気づいたら、キャラ絵の下書きであるが、なんと、ちょっと上手くなっていた。

「あれ?なんでこれくらい描けてるんだ?自分は下手なはずなのに」と自分で驚いた。今も自分の画力に自信はない。描けないものはたくさんある。

 

 

絵を描くにもいろんなやり方がある、ということは、実地で知ることが出来た。輪郭線を引くのが苦手な自分であるが、

「まずぐじゅぐじゅと殴り書き、形(シルエット)をとる」→「後で正しい線を引く(付与する)」

という彫刻的アプローチで絵を描くと、とてもノンストレスで絵を「作る」ことが出来ることに気が付いた。このやり方を習得してから、どんどん「絵を描く」ことに対する苦手意識が薄れていっている。

きっとこういう発見は、初心者のぶんだけ、まだまだたくさんあるのだろう。デジ絵にしたってそうなのだろう。ペンタブを買っておいてよかったと思う。目の前にあるこのパソコンは、ダラダラネットをするだけの機械ではない。可能性が駆動しているのだ。

 

毎日が少し楽しくなってきている。あれほど他者に「自分は絵が苦手なんだよぅ」と情けなく愚痴っていたのはなんだったのか(当時、愚痴を聞いてくださった方々すみません)。

「上手く描けない」と思ったら、まず回り道をして「模写」をするべきだろう。パース、構図、ポージング、デッサン……そういう手掛かりがあれば、絵が上達できる。何より発想出来る。すべてそれは世界観へと集約・結実することなのだ。

そう、自分には好きな漫画、絵がある。さらに模型やジャンクパーツという恰好の「モデル」も大量にある(なんということだ、ここでModelingの意味がこう深まるとは!)。

 

やれることは沢山ある。しかし毎日は少しずつ。一歩一歩。それを「努力」と呼べるのならば……。