残響の足りない部屋

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2020年冬の日記より「絵をめんどくさがらずに」

先日の記事(ブログ日記)からの実践として、以下、リアルアナログノート日記からのネタの抜粋を、文章として展開していってみます。

modernclothes24music.hatenablog.com

 

2020年12月の日記から

「絵をめんどくさがらずに」

2年前の自分が、このようなメッセージを未来の自分に書き残していた。

絵をめんどくさがらずに」。まさにその通り……です。絵をめんどくさがるから、日々、絵から逃げてしまう自分が居る。そうして逃げ続けた結果が、この「絵・漫画が描けないコンプレックス」だ。触ればアツくなるほど熱されてしまった嫉妬心だ。

結局、私はめんどくさがりやなのだと思う。つい、楽をしたがる。何かを作っても、雰囲気でごまかす癖がついてしまっている。雰囲気だけでも醸し出せれば重畳?励ましジャークユです(Дякую ウクライナ語で「ありがと」)。でも、肝心の地力(画力)はつきませんよね。

絵に対する意識を「めんどくさい」にしないこと。スモールステップを設定して、ちょこっとづつでも絵を描くことに親しんでいくこと。

 

それから、当時の日記のメッセージの下部に、良いことを書いていますね。「イメージで描かない」。資料を用意せず、脳内のイメージでちゃっちゃと描こうとするのをやめなさい、という戒めです。これも実に正しい。

資料を用意せず、イメージだけでちゃっちゃと描く……つまり「形をきちんと見ないで描く」ということをすれば、私程度の画力で出来るものは、当然、良くない絵しか出来ません。

この「(資料を見ずに描いた)良くない絵」の何が悪いって、他人からバカにされることよりも、もっともっと以前のキツさとして、「自分で描いた絵を愛せない」ってところなんですね。描いて、その結果が徒労感のみで終わる、というのは、趣味として大変よろしくない結果です。こういう状況は避けねばならない。

そのためには何をすれば良いか? そう、「イメージ(だけ)で描かない」「ちゃんと資料を用意して、資料を良く見て描く」ということをすれば良いのです。明確ですね。絵は、この準備においても、めんどくさがってはいけないのですね……めんどくささは、自分をいろんな手段で殺すな、と思った次第です。

 

路上の乗り上げブロック

2020年の冬。panpanya先生の漫画を読み始めて1年以上。路上観察という観点が自分の中に染み付いた頃合いです。こういう風に路上のアイテムをスケッチしていました。今より真面目だな……。絵としてもそんなに悪くないし……やっぱり資料をちゃんと見て描く、ということの大切さが身に染みます。

 

階段の踊り場、街灯

なんか今よりも立体感を意識して模写スケッチ練習していたッ! これもまた路上観察的な観点からのスケッチです。
階段の踊り場の奥は、窓を描いたつもりでした。パースの狂いはありますが、しかし「階段を描きたい」という気持ちは確かにありました。

 

路上の雑草、小さい花

この絵、好き。筆ペンでささっと描いた路上の草花スケッチですが、なんか平和で穏やかな心持ちのある絵です。

 

やっぱり、絵を、少しずつでも頑張っていきたいですね……!
2020年の当時は、まだ漫画作品を一冊も描けていませんでした。それから考えると、今は2冊も漫画同人誌を作れたのです。進歩ですよ。そういう風に、自分の進歩を自身で噛みしめて、満足し、そして今日や明日のお絵描きに繋げていきたいですね。

おお、なんだかこの日記読み返し&ネタの文章展開、凄く精神衛生に良いですね……!博愛という考えが頭の中に浮かぶ。ふと思えば、ロシア語では「世界」を表す言葉と、「平和」という言葉が同じで、「Мир(ミール)」という単語で表します。世界に平和を、ミールィ・ミール。そんなことまで今想起してしまいました。

明らかに飛躍しすぎた意識で失礼しました。お絵描きに大事なのは、やっぱり一歩一歩ですね。スモールステップ、話が最初に戻りました。そしてやはりその精神からすると、一番の敵は、「めんどくさがる」ことですね。実は世界平和や外交問題においても、「めんどくさがる」ことこそが、実は非常な敵というか悪というか。簡単に言うと、相手との対話をめんどくさがること。これが本当の敵、悪なのですね。おお、絵の話が世界情勢の話になるとはこのザンキョの目をもってしても予想つかず……。