残響の足りない部屋

もっと多く!かつ細やかに!世界にジョークを見出すのだ

創作漫画制作日誌(2)作画資料の話、特に着物

前回の日誌ーッ ↓ (1)

modernclothes24music.hatenablog.com

 

相も変わらず、オリジナル世界観の創作漫画第2弾「仙境ヤマナシ旅行記」を描いています。吸血鬼・セリゼが、ハイカラ和装少女(仙人)とヤマナシで出会い、とぼとぼ傷を舐め合う昔話です。

漫画を描くにあたって、作画で気づいたこと(TIPS)を言語化して書き残しておくことは、画力向上のために有意義だな……と、改めて思います。上の日誌前回分でも思いました。そんなわけで今回も漫画についての覚え書きです。

 

ところで、資料大事ですね。作画資料。写真にせよ、画法書にせよ、現物にせよ。実際のところ、今まで自分が絵を描けなかったのは、事前に資料を用意していなかったから、っていうのがめっちゃ大きいと、最近気づきました。

自分の頭の中を、そのまま画面(紙)に寸分違わず出力出来れば、そりゃ絵は簡単に描けるでしょう。しかし、そういう「脳内かんたん絵画出力」が出来る人は、むしろ少数派なのではないか?と思うのです。少なくとも自分は出来ない。目の前に資料がないと、構図ひとつ取れない。ディテール?言わずもがなですよね。

しかしこれは救いのある話です。目の前に資料があれば、どうにか画面(紙)に絵をでっちあげることが出来る……かもしれない。少なくとも、その確率はかなり上がる。それは、格好はよろしくないですが(スラスラーッと脳内出力で絵が描けるような人を神絵師と呼ぶのです)、それでも、資料さえ用意すれば、まがりなりにも絵は出来る……でっち上げることが出来る。これは大変救いがあります。

 

さて、今回の漫画「仙境ヤマナシ旅行記」。話のお相手の少女、「ハイカラ和装」と申しました。もうちょっとこの少女の設定を出してみますね。

・リボン+ポニーテール

・呪符付きの登山用リュック

・柄ものの着物、袴

・編み上げブーツ

 

それを、ビジュアルにしてみるとこうなりまする。

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イカラ袴の少女キャラ

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うしろすがた

設定画はこんな感じです。おわかりでしょうか。この作画カロリーを。誰がこんなキャラデザした?(おれだ)

とりわけやばいのは着物の柄。こいつの上半身が出てくる度(頻度高し)、毎回花柄をちまちま描かねばならないのです。これはやばい。Gペンやミリペンが唸るのですが、「ちょ……ちょいタンマ」を最近発するようになりました。腕が。腱鞘炎にまではいっていないですがね。

 

しかしそうであっても、この花柄着物、作画資料があるから、上記のように話が楽になっているのです。そりゃ自分の作画力はダメダメなので、麗しい着物の美が表現出来ていやしませんが、それでもわたし(作画者)自身が実際に描くにあたって、実物を常に見て描くことが出来ているから、精神的ハードルは低くてすんでいるのです。

これが、その作画資料の「人形用きもの」なんですが。

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人形用きもの

もともとは去年の年末に、いつもお世話になっている呉服屋さん経由で購入させて頂いたものなんです。自分の模型人形(改造FAGとか)に着せたり、インテリアとして使ってみようかなぁ、という目論見で。

ところが、今回の漫画を描くにあたって、着物キャラが出てきた。そうしたらこの人形用着物が、凄い作画資料になってくれたんですよ。当然ですね。

 

今回、というか以前よりお世話になっているのが、この岡山の呉服屋さん「笹井呉服店」さんです。

www.sasaigofukuten.jp

わたくし(作者)と、この笹井呉服店さんは縁がありまして、以前も浴衣や帯を購入させて頂いたりしたのですね。なにしろ和装のことを何も知らないズブの素人たるわたくしでございましたが、アフターフォローも含め、とても丁寧に対応してくださり、勉強させてもらっています。

趣味のきものと帯」の店、と仰っているだけあって、ハレの日だけでなく、毎日の生活においても「趣味のきもの」がある和装生活の豊かさを発信されています。自分がきものを、「毎日の生活の中で着よう」と考えるようになったのも、このお店の在り方・佇まいによるものが大きいです。

また、ホームページの着物紹介コーナー「たのしく着物」コーナー内「袴」カテゴリは、今回の漫画を描く上でめちゃくちゃ参考になっています……。絵や漫画で和装を描く人はぜひ見ましょう。

www.sasaigofukuten.jp

明日、2/19(土)から2/21(月)まで、「2022 春のきもの市」を開催されていますので、岡山近郊の方はぜひ行ってみましょう。くらえこの日記ブログのダイレクトステルスマーケティング!(上品じゃないなぁ)

www.sasaigofukuten.jp

 

笹井呉服店さん Instagram

 

縁というのは大事なものです。今回、楽しく着物を描いたり、人形に着物を着せようとしているのも。また、自分が和装をしてみようと考えているのも。こうしてお店と繋がりがあって、毎日の生活を楽しくすることが出来ています。

モノ(着物)を通じて、生活を豊かに出来るというのは、良いことだなと思います。あとは、自分が作画資料を通して、作中できものを美しく描ければ、万事よろしいのですが……(言うはたやすい)

累計19万アクセスにおもふ(はてなブログに移行して)

このブログ「残響の足りない部屋」は、2009年に別のブログサービスを用いて開始しました。その時契約していたプロバイダのブログサービスだったので、安直に使った次第です。その頃は別の名前でした。

その年末に、引っ越しによりプロバイダとの契約が終了したので、ブログを(旧)はてなダイアリーに、ログごと移行させました。そして、はてなダイアリーからはてなブログへとさらに移転しまして、現在、皆さんが見ている形です。(だいたいそのあたりで、ブログ名が「残響の足りない部屋」に収まったんじゃないかしら)

この文章をお読みの皆さんがお察しのように、こういう風なテンションなので、別プロバイダブログ時代からの累計総アクセス数をまったく勘定していません。それくらい、日頃のアクセス数がどんだけかッ!?とは、わたしにとってどうでもいい話である、ということを念頭に置きながら……

 

↓ 2/13のはてなブログのアクセス数確認画面のキャプチャ

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えーと、はてなブログに移って、かれこれ7、8年くらい経つのかな。その累計アクセス数が、あと少しで19万アクセス数にいくみたいなんですよ。アクセス数を見るのは三週間にいっぺんくらいなんですけど。たまたま今日見たら、あとちょっとで19万になるんですって。なんだかんだで19万回も自分の文章が読まれてるんかい、と思うと、なんだかよくわからない気持ちになります。

この数字を「まったく何でもなかったんだ」とするには、ちょっと19万という数は正直、大きくて(正直)。

だから浮かれているってこともなく(これまでの文章のテンションでわかるでしょう)、というよりも、大事なのは19万という数を、自分がどう認識して、これからの文章書きに活かしていくか、ってことの方が大事なんですよね。

相も変わらずこのブログでは、これからも趣味についてしか書きません。
全世界全時代全ジャンル音楽と、
模型工作の日々と、
最近はじめた漫画(お絵描き)について、
考えたことを文章にする、っていうだけです。

 

せめて、このブログに、皆さんに何か「持って帰っていけるもの」があれば良いのだけど、と思います。それは物としてのプレゼントではなくて。皆さんがブログの文章を読んで頂いて、また他の所へネットサーフィンするなり、ブラウザ落とすなりするとき、自分が発した何かしらのネタやジョークを、あははと笑うなり、反面教師にするなりで、持って帰って頂けたらな、と思うばかりです。別に、自分が読者さんの人生変えたろうとか、魂に不退転の刻みをしてやろう、とかってさらさら思っちゃいないですけど。

ご存じのように、自分は思いついたジョーク(ネタ)をこのブログに投下しているだけです。そりゃ、手前の手元にあるアナログ日記ノートに書きつけるのでも良いのですが、それなら、別にネットという世に放り投げて流転に任せるのでも、一向構わないって話です。

読者さんみなさんのお顔がどんなのか、ってものも、イマイチ見えていないです。どこにいらっしゃるのかもよくわかんない。でも、もし読んでくれているのなら、あはは、と笑って、何かしら持って帰ってくれたら…………

ほんと、何でも良いのです。「てにおは」や、句読点の打ち方の反面教師レベルのことでもいいや。あははと笑って、なんか持ち帰ってもらって、あなたが寝るまでの間で「まー悪くなかった一日だった」と言えるネタのかすかなひとつになれればまっこと重畳、っていうね。

 

↓本館ホームページ

レッズ・エララ神話体系 – on the world called"RedsElrla"

このブログは、あくまでジョーク投下の日記ブログです。本道というか、自分のメインの活動は、まんがを描いて本館ホームページに投下することや、自作曲をyoutubeに投下したり、同人CDアルバム作ったりすること。模型ジオラマをこれまたホームページに投下するのも、そうです。別に、完全にそういうのだけやっていても良いのですけど。

でも、時としてジョークを投下したくなる。youtubeでいろんな世界の音楽を聴いて、メモを書き残しておきたくなる。愚痴は……なるべく記事として言わないように努力しています。ハイ(苦笑)。

そんなこんなな「残響の足りない部屋」2009年→2022年の190000アクセスなのでした。そう、自分にとっての19万アクセスっていうのは、ちゃんとバランスをとったネット&リアルの生活をして、これからもくだらないジョークを発していくことを、改めて思うための、ひとつのポイントっていうことでいいんじゃないですか。わたしはそう思うよ。

 

本館ホームページ=創作活動を自分のメインにしていくのは変わらないのですが。でも、その一方で、もうちょっとこちらのブログでも、創作活動についてもっとさらけ出しても良いのかな、と思ったりもするのです。最近。

ストイックに創作だけをゴリゴリ進めていく姿にも、憧れはありますけど。でも、この記事だけでジョークじょーくって何回言った?w そんなにジョークを言いたいしょーもない人間が、ストイックってこともあるまいよ。

相変わらず、音楽にも模型にも飽きてはいないですし、それ以上にオリジナル世界観の創作活動が20年も続いているってことも、やはり創作活動に飽きていないってことです。多少飽きても続けるつもりですがね(高笑い)。

↓ noteに書いた「20年、同じ世界観でやってる」こと。創作世界のことなのでnoteに書いたのですが。

note.com

 

 

ということで、もうちょっとどころか、思っていたよりも続くのでしょう、このブログ「残響の足りない部屋」は。

本館ホムペに統合しようかなぁ、と思ったときも何回もあるんですけどね。シンプル個人サイト運営、っていう感じで。でも、創作も自分のなかでは、趣味ですからねー。そう、「趣味」っていう軸さえあれば、たぶんこれからのブログ運営もそーんなにクソにはならないって思いますし、そうじゃなきゃ「趣味」の王道じゃないし……っていう趣味人・趣味道ですね。なので、あまり変わらずこのブログはこのまま続くと思います。

 

※追記

↓ はてなブログ編集画面のキャプチャ

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ふと気づいたら、この記事、ブログ600記事目ということなのでした。わー。どっちかっていったらそっちの数の方が個人的感慨があるかも。えっ、それってこの記事の文章自体の意味、根底から足払いかけてない……?

 

推し音楽家が社会や政治に走ったら

「音楽と社会的活動」って難しいですね。
このこと、ずーっと考えているんです。3、4年くらい。

あるミュージシャンが、巨大な事件・災害をきっかけに、いわゆる「政治的・社会派」行動を起こすパターンが多かったですね(過去形)

さて、それは是か非か、って話ですわ。

 

んじゃ、まず最初に自分のスタンスを表明します……

自分は、仮にミュージシャンが社会派活動をやたらにするようになって、リフの強度やメロディの魅力が減じたら「ファーッ!(怒」とします。

……というスタンスです。

 

この文章での考えは、自分のみに適応される考えです。他の人もこう考えなさい、とは思っていないですし、そうしてほしくもないです。皆さん、自分の頭で考えて、自分で結論出してください。

 

ミュージシャンが社会派活動をすることは悪いことか? 
いや、別に……、と自分は思います。少なくとも、そういう態度表明で納めます。どうぞご自由に、と。ザンキョはクールに去るぜ
でも社会活動に「かまけて」、リフの強度やメロが弱くなったら、それは音楽家としてのサボりです。

もし、こう言われたらミュージシャンたちは激怒するんでしょう。

「あなたたち、音楽の道に行ったんでしょ? 学校卒業したあとの社会キャリアの一番最初から、政治・社会活動はしていなかったでしょう?
 社会より音楽の方が大事だからミュージシャンになったんでしょう。
 俺たちは市民として云々、いうけど、知名度があるミュージシャンはどこまで市民なのですか。
 売れてからの自分の知名度を、結果として社会活動に使っているじゃないですか。初手からアドバンテージをとってる話ではございませんか」

……と。まぁ、性格悪いですが、こういうツッコミも出来るんです。

 

社会派活動をするようになることはまぁ良いですが、リフやメロが弱くなるのは、自分は我慢ならない。
……これもまたこれで、音楽原理主義なんでしょうね。
それに自分は、社会というものと距離を置きたく思っている人間です。これもこれで、問題かもです。

 

ミュージシャン自身の固有の世界観と特に関係がないけど、やたらに社会派活動をやりたがる……っていうのにも、自分は口を苦くしてしまうかもしれません。

もし、社会派活動が、固有の世界観の源泉そのものだったら、自分はオールオッケーなんです。
社会派活動、すなわち、弱者たちのための、圧迫する権威システムへの叛逆活動。それを邁進することが、固有の世界観に血と熱をドクドク注ぎ込む場合。ひいてはイマジネーションすら沸き立たせる場合。
the Clashはそんな奴らでした。ソウル・フラワー・ユニオンもそうです。


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だから自分は彼らの左翼的メッセージを、支持するかどうかは別として「なるほど」と思えます。

でも、もし仮に、幻想的な電子音楽をしている人が、「社会的なことをしたい!社会的に正しいから!」みたいな感じで社会派・政治行動をするとなると……
うーん……、と思ってしまうのです。
ましてリフやメロが弱くなったら「ファーッ!(怒」です。

 

これもこれで「●●するべし」論、になっちゃうんでしょうかね。
でも自分は、音楽家の音楽がつまらなくなってしまうのが、どうしてもイヤだ、なのです。
ミュージシャンが社会派活動をすることで、救われる社会や弱者も大勢いるじゃないか!という反論は、ごもっともです。それに対して、「社会と距離を置きたい」なんて考えている自分が、弱者のために何かしているか、と言われたら、潔く「ごめんなさい!」としか申せません。

しかし、そういう道理は認めますが、その一方で「素晴らしいミュージシャンのリフやメロディが弱くなった! ファーッ!(怒」という自分の怒り・嘆き・哀しみ・やるせなさは、自分にとってどーでも良いものではないのです。

「だったら音楽家の社会派活動から完全に目を背けなさいよ」というド正論を自分はもっと真摯に受け止める必要がありますな。その通りであります。

そうはいっても、「最近何やってらっしゃるかしら」と当該ミュージシャンのツイッターを覗いて「社会派ッ!」「政治的ッ!」な内容が多いのを見て、ちょっと自分のテンションが緊張してしまうっていうのもこれまた事実なんですよね。

 

いや……うーん、ほんと、ミュージシャンが基本的に何やろうと自由なんですけどね……。

あれか、あれなのかな。「社会のために」っていう善い心から生まれている行動のために、リフやメロが殺されているっていうのがやたら悲しくて。「社会のために」っていう善い心は、本来とても大事なものなのは、自分だってわかっているのに。

で、どこかでその善い心なるものが、結果的に何かを変に歪めてしまったりするのが嫌なのかな。「善い心だから良いよねッ」という感じで、自己反省や自己懐疑をどこかにポイしてしまうのも嫌なんでしょう。

その自己反省や自己懐疑を無限に行う孤独な自分の狭い部屋から、ミュージシャンは固有の世界観や音を紡いできたんだったろう……?っていうあたりなんすよ。「孤独な自分の部屋」から遠くに来ちゃったんだね、っていう寂しさです。

スピッツ田村のベースに耳を空けられてから

思えば自分が「ロック音楽」をちゃんと聴くようになったはじめのきっかけは、スピッツなのでした。でも、スピッツを聞き出したころは、歌……メインメロディと歌詞しか聞いていない、よくある学生リスナーでした。

そこから一歩踏み出して「バンド・アンサンブル」を意識するようになったのは、5thアルバム「空の飛び方」収録の「ラズベリー」という楽曲での、田村明浩のベースラインがきっかけです。

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「このボンボンいってる低音、なんだか楽し気で良いですな」と思うようになったのが、田村のベースでした。バンド・アンサンブル……各パート楽器のフレーズを良く聞きこみ、高音と低音とドラムスがどう絡み合っているかを意識することで、音楽というものの成り立ちを、より詳しく知ることが出来ます。

なにせ、それまでギターが何弦でベースが何弦だ、っていうことすら意識しなかった者です。それが今では、自作曲同人アルバムの次回作のドラムのMIXどうしようか、って考えるようになったのですから、なんともはや。

そんなわけで、スピッツのベースギター・田村には大変恩があります。グルーヴィーにベースラインが上下に動く楽曲は、今に至るまでツボです。田村のベースを聞きこんでいくと、「なんでこんなに縦横無尽に動くんだ、メロディ以上だぞ」「でもこのベースが無くなると(イコライザを弄った)、一気に楽曲の世界観が【無くなる】な……」と発見しきりです。

そういう風に、田村のベースに耳を空けられてから、各楽器の音というものを良く聞くようになりました。ロックからジャズに移るとき、「アンサンブル耳」はとても役立ちました。クラシック(特に室内楽)や、ワールド音楽でもそれは同じく。ミックスの大事さを知ったのは、同人アルバム作るようになってからですが。でも、周囲に音楽仲間がいない状況でも、わりと若いころから「アンサンブル耳」で聞くことがが出来たのは、やっぱり田村のベースのおかげなんですね。

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そんな90年代を遠く彼方に、2022年の今、スピッツ最新曲「大好物」を聞きますると、「なんでこんなベースライン動くんだ」と相変わらず思うわけです。しかし今は「このベースがあるからこそ、楽曲の世界観が遠くまで広がっていくのだ」としっかり思えます。思えますが、自作曲においていざ自分自身が「ここまでベースラインを動かせるか?」と自問したら、相当難しいものがあります。

それは他のメンバーも同じで、崎ちゃんのドラムの引き出しの余りの多さは、自分でドラムマシンのプログラミングをするようになって分かるようになりましたし(ごく最近やないかw)、テツヤのアルペジオのフレージングがどれだけの輝きを放っている宝石だ、っていうのも。マサムネの作詞作曲・歌唱・ギターについては言うまでもないですね。

そういう風に「後からズルズル引っ張り出てくる感じで異形さが分かってくる」ロックバンドを愛好しているというのは、素晴らしいことであり、恐ろしくもあり。でもやっぱり、最終的には「楽曲を聞いて、幻視できた世界観」が全てですよ。それは間違いない。

2021年に良く聞いていた音楽

2022年になったので、去年2021年のお気に入り音源を書き残します。選考基準は去年の通りで、

発売年度を考慮せず、【自分が去年よく聞いていた】という縛り

です。よろしくお願いします。

なお、各ミュージシャン名のあとのカッコ()は、ブログ筆者(残響)が判断した音楽ジャンルです。

 

●去年の

modernclothes24music.hatenablog.com

 

●scythe氏の各アルバム(チップチューン

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去年の秋M3でチップチューンを漁っていた時に惚れて新譜&既作を購入。チップチューンコンピレーションアルバムも購入。

それから数か月、相当にヘビーローテーションでした。爽やかで疾走するピコ音と素晴らしいメロディ。そして楽曲のテーマ性(この情景をこういうピコ音で表現するか!)が良いです。

 

SFCウマ娘 シナリオ最終レースBGM集(レトロ・ゲームミュージック

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このスーファミ時代を何よりも意識しまくる音像のバイブスがたまらんね。そして同じくらい嬉しいのが、曲の持つ勇壮なメロディをストレートに味わえ、流行コンテンツということで及び腰になってたところに「良い曲を教えてくれてありがとう!」という、アレンジ曲への感謝の気持ちです。

●Krik/Krak「魅入られし肉体(からだ)」(物語音楽、エジプト風プログレ組曲

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鳥島氏が再び曲を書いてくれたということが本当に嬉しい。秋M3合わせで発表された新曲は、エジプト的な妖しさのある物語音楽プログレ組曲。メロディの豊かさと、めくるめくシンセサイザーの音の万華鏡。物語性のある組曲形式(プログレ!)。歌謡感のある伸びやかで目くるめくなメロディ、スイングするリズムアレンジ。

中盤以降の「語り」も持ち込んでの妖しきツインヴォーカル疾走に本気度を感じます。鳥島氏がギアを入れてぐいっと音楽を前に進ませようとするときの、あのドライヴ感、本気度がここにあります。

自分は、繭木氏が逝ってしまわれたことを、ずーっと悼み続ける。そして鳥島氏が音楽と漫画という創作を続けていかれることをずーっと喜び続ける。

 

 

●ayumi「憐」(シューゲイザー

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ニトロプラスのノベルゲーム「みにくいモジカの子」の主題歌。暴虐のギターノイズシンフォニーに、繊細な女性voが乗る。音の壁、音のたゆたい、音の織物(タペストリー)があります。轟音ギターと女性voが絡み合って、しかしどこかで離れていて、でも比翼連理のごとく共に空間を飛んでいます。この暴虐性と浮遊感がシューゲイザーです。紹介してくださったSIGHさんありがとうございました。

sigh-xyz.hatenablog.com

●死んだ僕の彼女「ribirth and karma」(シューゲイザー

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こちらもSIGHさんのご紹介2(ありがとうございます)。折れそうなヴォーカルと鐘が遠くで鳴っているかのようなギター、そしてもうひとつのギターのシューゲイザーノイズ。空間が広がっているけど、安易な救いはないと思える世界観。シリアス、けれどどこか良い意味での音の足腰の「軽さ」もあって、それが浮遊感にも繋がっている。

喪われたものへの鎮魂も感じる。そんな鐘の音を感じる。

 

上海アリス幻樂団「駒草咲くパーペチュアルスノー」(東方虹龍洞より)(ゲーム音楽ニューエイジ

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ふわぁーっと風景が広がるような、本当に良い曲。自分はそろそろ東方歴が20年になりそうでKOWAIのですが、そんな20年近くにもわたって、ずっと東方を、ZUN氏の世界と曲を愛してきたのは、これっぽっちも間違いじゃなかった!と強く肩を叩かれるようなものを感じてしまいます。

●KRAUS「BOUNDARY」(シューゲイザー

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カナリヤさんが「KRAUSの新譜最高だ!」と仰っているのを目にして、ようやく新譜が出ていることに気づくくらいのわたくしのシューゲイザーアンテナ(?)の錆びつきは如何ともしがたいです。

mywaymylove00.hatenablog.com

しかしこのMV(ミュージックビデオ)良いですね。音と非常にマッチしています。このMVは全身で「4K、8Kの解像度など要らぬッ!」と表明しています。明日に向かってこわれていく精神が轟音ギターノイズシンフォニーの静謐に幻視する風景こそがシューゲイザーだって何度言ったら(略

 

●siestaonsunday(巡音ルカ)「shoegazer on the snow」(ボーカロイドシューゲイザー

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一片の慈悲もない60本の轟音ギターノイズシンフォニー。明日になんの希望なんてあるんだっていうんだ、っていう世界観ですね。降り積む雪は葬送に他ならず。

 

●ゴー・トゥ・大都会(ボーカロイド、歌謡テクノポップ

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ひどい歌詞。そしてこのMVが「4Kという解像度なぞ要らぬッ!」と全身で叫んでいる。人懐っこいメロディ、しかしこんなんが人懐っこくなってもらっても困る世界観。いや、もう……最高ですね。

 

●Eldamar 「The Force Of The Ancient Land」(ポストブラックメタルシューゲイザーブラック、ブラックゲイズ)

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とにかくポストブラックメタル/シューゲイザーブラックは良く聞きました2021年。こういう世界観が好きです。

この盤ですが、自分はポストブラックの中でも、ギターノイズの轟音っぷりは当然として、エピック・ファンタジックな「世界観」「空気感」を、より好んでいるようですね。ファンタジーTRPGゲームブック読みながらこの盤かけていても全然違和感がない的な。

 

人間椅子「苦楽」(70年代ハードロック、ドゥームメタルプログレ

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2021年はこのアルバム「苦楽」の消化に時間をかけた感があるかもです。曲調・音楽性ともにバラエティ豊かな作品です。リズムアレンジもです。

コロナ禍に対する直接的なメッセージではなく。別の世界、別の化け物・妖怪に託し、この世の混迷を活写します。ただの地獄ではない、別の地獄(オルタナティヴ・ヘル?オルタナ・カオス?)がこの現世なのかもしれない。

けれど希望を視ようとすることには意味がある。夜明けは近い、黎明は近いのだ、と。それを単なるポジティヴメタルなど呼べるものか。暗くドゥームな作風な人間椅子(相変わらず)ですが、噛めば噛むほど味のある「力強さ」のアルバムです。だからこう何度も聞く。

 

●土曜日と人鳥とコーヒー「Re:Meer」(シューゲイザーオルタナティヴロック)

saturday-penguin-coffee.jimdofree.com

この文章を読んでいるシューゲイザー好きの皆さん。いいから黙ってbandcamp行って音源買うなり、spotifyなどのサブスクで聞きましょう。残響というこの文章書いているひとの、2021年ベストアルバム、トップ1位です。つまりこのブログ記事で一番良いアルバム音源です。

残響が日頃、M3とかでアルバム作品を委託頒布させて頂いているお付き合いがあるからこう申すのではないのです。クリスマスに発表されたこのアルバム、あまりにもシューゲイザーとして、オルタナティヴロックとして、素晴らしいのです。

過去のEP「Meer」のリアレンジ&再録作品です。なので「Re:」。しかしこのアルバムの完成度はどうだ。このアルバムの音の深さ、轟音はどうだ!金字塔ですよ。

轟音ノイズは当然ある曲構成で、その轟音の鬼気が素晴らしい。このバンドはサウンド全体のプロデュースをベーシストのUjike氏が行い、レコーディングをサポートドラムのイサノ氏が行います。

彼らが突き詰めるのは、轟音ノイズ、耽美的な世界観、音の揺れ……そして何より、ギター&ヴォーカルのYuki氏が書く曲の世界。Yuki氏が書く曲を、バンドメンバーは愛し、世界観をアレンジと、バンド演奏と、レコーディングでどこまでも深めていくのです。

深めていくと書きましたが、閉塞的な感じはこの音源からは受け取れません。音源から感じるのは、このバンドの世界観が、音を通して、どこまでも色濃くなっていく感覚。音の響きをひとつ聞くだけで……轟音も、クリーントーンも、どちらも「世界観」をガンッとこちらに提示して、幻視させるのです。

この音源、盤には、夢がある。狂気と喪失と、追憶と静謐と。幼年期の思い出、揺れる音の世界、祈りしものの絶望と希望。そういう光を幻視する。夢があるのだ。子供たちが光の帝国で無邪気に遊んでいるのだ……そしてこの耳に聞こえてくるのは、鬼気迫るシンフォニックなノイズギタ-……!!

漫画を描いている

オリジナル創作漫画第2作目「仙境ヤマナシ旅行記」を描いています。

・漫画一作目 ↓

redselrla.com

 

以下、漫画作成時の日記から抜粋したり、現在考えていることをメモったり。

●漫画作成前、世界観を掴むためのイメージイラスト

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イメージイラスト

2021/12/7夜
「なかなか良い絵が描けたんじゃないかしら」


2021/12/8深夜
「構図が甘い、しかしスタート地点には立っている」
「山はもっと蒼く描けるはず」
「もっと空の穏やかさを自由に、たゆたうように」
「小物を入れる意気込みがナイス!」
「潰れた色の金色の月は意外と効果的」
「線がきたない。しかしもっと良くないのは線が一方向だってこと」

「もっとよく出来るはず。確実にもっと上手く描ける」

 

●漫画作成開始

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ネーム(漫画の設計図)はすでに全ページ完成している。あとは、どこまでペン入れで追い込んでいけるかだ。少しでも完成度を上げていきたい。

ネームを清書原稿に転写する(トレス台を多用)。その紙に、さらに鉛筆などで下書きをし、キャラや構図を、ペン入れ前に可能な限り「掴んで」おく。

ペン入れは楽であればあるほど良い。楽であれば、それだけ全力でペン入れを楽しむことが出来るのだから。様々なアナログ画材を用いたペン入れを楽しみたい。デジタルトーンや消しゴム修正で、パソコンやタブレット(デジタル画)を頼ることになるのだけど、アナログ画の愉しみをもっと味わいたい自分がいる。

まず手を動かし描き、考え、正しい線を選んでいく。そして線を引き、しかる後に画面を引いて全体像を確認し、また原稿に戻る。

線を引き、考え、線を描き、絵を描く。それが無限に続く。無限に続けられる喜びを思う。

 

とはいっても、漫画画面には大事な余白というものがある。世界観は余白に、確実に宿っている。大事なのはドヤ顔の描き込みではなく、世界観の現出なのだと肝に銘ずる。また、漫画としての「読みやすさ」もある。余白は大事。

 

それでもやはり線を引く。描きこむ。アナログで描く。自分の右手に脳が付いている。右手で考える。ペンや筆で「考える」。賢しらな頭脳ではない。自分の手が賢くなっていってくれたら、と思う。そういう画力……「手を動かし描く思考」は嘘をつかない。薄っぺらくもないはずだから。

 

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それが毎日続く。今のところ、漫画描きという趣味に飽きていない。もっと、もっと、と絵を描きこむ。なんとこの「絵」の道は高く果てしないか、と思う。自分の今いる地点が低すぎる、というのはもちろんのことで。だがそれ以上に、「やれることはたくさんある」と認識できることの方が嬉しい。

 

一日いちにちの作業量を、やたらと多くしないようにする。一日だけバーストしまくって没頭しても、次が続かなかったら、よろしくない。むしろ毎日の継続を大事にしたい。だから作業量は「ほどほど」のさらに手前、甘めにしておく。絵を嫌いにならないことを意識した作業量。そんな毎日の歩みなので、原稿完成まで、やはりまだ一ヵ月はかかるだろう。けど、この調子なら作品を完成させるまで、二か月はかかるまい、と予測する。

うまく継続の調子がついてきたのかもしれない。だらだらネットを見るより、毎日、漫画を描くのを選んでいる自分がいる。「ついつい」今日もペン入れ作業をしてしまう、という感じにすらなってきた。

 

 

こんな毎日で、意外と悦に入る暇があんまりない。今自分は、確かに「漫画を描けている」という夢の中にいるのに。かつてあれほど希求した夢の中に。

それでもやはり……今はペン入れをしたい。絵を描きたい。少しだけ、そう少しだけ。負担にならない程度に少しだけ。……けど、いつの間にかその少しだけ、の量が多くなっていることに気づく。

最近、気づいたら、キャラ絵の下書きであるが、なんと、ちょっと上手くなっていた。

「あれ?なんでこれくらい描けてるんだ?自分は下手なはずなのに」と自分で驚いた。今も自分の画力に自信はない。描けないものはたくさんある。

 

 

絵を描くにもいろんなやり方がある、ということは、実地で知ることが出来た。輪郭線を引くのが苦手な自分であるが、

「まずぐじゅぐじゅと殴り書き、形(シルエット)をとる」→「後で正しい線を引く(付与する)」

という彫刻的アプローチで絵を描くと、とてもノンストレスで絵を「作る」ことが出来ることに気が付いた。このやり方を習得してから、どんどん「絵を描く」ことに対する苦手意識が薄れていっている。

きっとこういう発見は、初心者のぶんだけ、まだまだたくさんあるのだろう。デジ絵にしたってそうなのだろう。ペンタブを買っておいてよかったと思う。目の前にあるこのパソコンは、ダラダラネットをするだけの機械ではない。可能性が駆動しているのだ。

 

毎日が少し楽しくなってきている。あれほど他者に「自分は絵が苦手なんだよぅ」と情けなく愚痴っていたのはなんだったのか(当時、愚痴を聞いてくださった方々すみません)。

「上手く描けない」と思ったら、まず回り道をして「模写」をするべきだろう。パース、構図、ポージング、デッサン……そういう手掛かりがあれば、絵が上達できる。何より発想出来る。すべてそれは世界観へと集約・結実することなのだ。

そう、自分には好きな漫画、絵がある。さらに模型やジャンクパーツという恰好の「モデル」も大量にある(なんということだ、ここでModelingの意味がこう深まるとは!)。

 

やれることは沢山ある。しかし毎日は少しずつ。一歩一歩。それを「努力」と呼べるのならば……。